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潜水艦の誕生
アメリカ独立戦争の潜水艦
デイヴィッド・ブッシュネルは近代潜水艦の真の父の一人と見なされている。彼の潜水艦は戦争の中で設計された。
彼は、鉄製の卵型の船体に、真鍮製の操縦タワーが付いた船を造った。この操縦席は人ひとりが操縦するのにちょうど十分な大きさだった。この船には船を垂直に浮かせるための
320 kg の鉛のおもりと、船を潜水させるために弁を通して水が入ってくるようになっている2つの小さな内部タンクを備えていた。水は船が浮上するときには、手動ポンプでタンクから排出された。
船の外側には 68 kg の火薬が用意されており、これは敵船の船底の木材にねじで取り付けられる手はずだった。船を動かすのは手動の2つのプロペラで、1つは深度を調節するために垂直に取り付けられていて、もう1つは水平の動きをさせるために横方向に取り付けられていた。
ブッシュネルの潜水艦は、1776年に英国艦隊がハウ卿指揮の下にニューヨーク沖に錨泊したとき行動を起こした。エズラ・リーというアメリカ下士官がこの小さな潜水艦を海へ出し、なんとかハウの旗艦である英艦イーグルの舷側へ持っていった。彼はそこで潜水し、爆薬をねじ止めしようと務めた。しかしブッシュネルは、この時英国艦がフナクイムシから船底を守るために、船底が銅板で覆われていたことを知らなかった。それ故、ねじは銅板を貫通することができず、作戦は失敗した。
南北戦争のデイヴィッド潜水艦
陸揚げされたデイヴィッド潜水艦。スクリュー、舵、水平舵などが全てよくわかる。
(それまで試験的に制作されてきた潜水艦が初めて実戦で成果を上げたのは) あの有名なデイヴィッド David という名前の小さな艦である。これはアメリカの南北戦争中に南軍によって造られた。この艦には主なものが2種類ある。1つは手動でスクリューを回して進むもので、連続したクランクを8人の乗組員が回した。もう1つは小さな蒸気機関で進むもので、乗組員は4人だった。デイヴィッド潜水艦はボイラーの鉄でできており、細長い船体形状をしていた。そして60
kgの爆薬を取り付けた9mの丸太魚雷 spar torpedo (※魚雷というより機雷に属するもので、丸太の先端に取り付けた爆薬を、敵艦のそばへ持っていって爆発させた)を装備していた。
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アメリカ南北戦争で南軍に採用されたデイヴィッド潜水艦 H・L・ハンリーの三面図。この艦は北軍のヒューサトニックを沈没させたが、この艦も同時に沈没した。 |
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最初の攻撃は1863年10月5日に、蒸気機関型デイヴィッドが装甲モニター、アイアンサイドを攻撃したことだが、近づく前に反撃された。それでもなんとか丸太魚雷をモニターの舷側で爆発させたのだが、モニターを沈めることはできなかった。デイヴィッドのほうは爆発で生じた波動で水没し、乗組員は溺れ死んだ。
次の攻撃は手動型デイヴィッドが北軍の艦ヒューサトニックに対して行ったもので、このときヒューサトニックはチャールストンを封鎖していた。デイヴィッドは90mの距離で発見され、ヒューサトニックは綱を解いた。しかし遅かった。指揮官に急き立てられ、クランクを回す8人の乗組員は努力を倍加して、デイヴィッドをヒューサトニックの舷側に持っていった。そこで魚雷(爆薬)が爆発し、ヒューサトニックの舷側に大きな穴を開け、ヒューサトニックは沈没した。このデイヴィッドは帰ってくることはなかった。数年後、その船体は自分が沈めた艦のそばで発見され、8人の乗組員の死体はまだ中にあった。
魚雷の誕生
デイヴィッドの殊勲は、ここに海軍の新しい兵器が真に登場したことを、世界の海軍に広く実証することとなった。過去の200年の経験から、潜航し水中を進むことができる潜水艦を造れることは十分知られていた。肝心だったのは、それが兵器として実用可能かどうかだった。ヒューサトニック沈没の2年後、ルピスという名のオーストリア海軍大佐が浮かぶ魚雷を考案した。そしてそのアイデアをロバート・ホワイトヘッドというイギリス人技術者に伝えた。ここから自走できるホワイトヘッド魚雷が開発され、潜水艦はついに、自分の武器を持つこととなった。※
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初期のホワイトヘッド魚雷は、長さ4.25 m、直径35 cmで重さは135 kg あった。爆薬は8 kg が鼻の部分に装着されていた。初期の魚雷は圧縮空気エンジンで推進され、走行する水深は尾部外面に水平に取り付けられた舵を、静水力学的に作動する弁から操作することによって制御された。速力6ノットが達成され、射程は180〜640
m と推定される。
ホワイトヘッド魚雷の不完全なところは方向の安定が保てないことで、1895年にオーストリア人ルートヴィッヒ・オブリイが、ジャイロスコープを利用したシステムを考案するまで解決されなかった。
英国ではホワイトヘッド魚雷から、「熱い」魚雷エンジン(圧縮空気と軽油、蒸気によって推進)を開発した。また二重反転プロペラを適用することで、魚雷自身が回転しようとするトルクの影響を打ち消した。
| (ここは本書の「魚雷と水雷艇・駆逐艦」の部分から抜粋) |
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| 圧縮空気と蒸気で推進される「熱い」魚雷の構造図 1:ピストル 2:雷管 3:弾薬 4:弾頭 5:空気容器 6:燃料もしくは水タンク 7:深度装置 8:エンジン 9:ジャイロ自動制御計 10:プロペラシャフト 11:後部胴体 12:尾部部分 13:空気調整器 14:空気調整弁 15:燃料もしくは水の調整弁 |
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その後の進化
19世紀の終りまで、潜水艦は、その後の60年間保ち続ける姿に向かって進化を続けた。潜水艦は海水をタンクの中へ入れることによってマイナスの浮力を達成した。そして潜水艦を海面に浮上させるためにプラスの浮力が必要なときには、この海水を追い出すために、高圧空気が使われた。水中を推進するためには、電池から電気を供給してモーターで推進した。海上を航行するためと、電池の充電にモーターを発電機として使用するために、ガソリンエンジンが装備されたが、これは後にディーゼルエンジンに換わった。船体の前後に水平舵が取り付けられ、これで潜行と浮上の角度をコントロールした。内部の釣り合いタンクによって、潜行中のプラスの浮力に対してもマイナスの浮力に対しても、船が安定するように、小さな釣り合いを調整できるようにした。兵器は自走式の魚雷で、これは魚雷発射管から発射された。また潜望鏡によって、潜行中も海上の様子が見えるようになった。
第一次大戦中に海上を進む潜水艦。この戦争はこの新しい脅威と戦うために専用の攻撃艦艇が使用された最初の戦争だった。 |
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2つの世界大戦は、これらの潜水艦の発達とともに戦われた。もちろん潜水艦は、より大きくなり、より深い潜航を可能にするためにより強い船体を持つようになっていった。潜水艦が搭載する魚雷も、サイズ、速力が高性能化し、より破壊力のある弾頭を搭載するようになった。海に滞在できる期間も数日から数週間へ伸び、第二次大戦では数か月に及ぶこともあった。両大戦どちらにおいても、潜水艦は海における卓越した兵器であることを実証したが、持って生まれた弱点があった。それは時々、通常は毎夜、海上に浮上しなければならなかったことだ。というのは、昼間潜航して走行し、消費した電池を充電するためであった。浮上しているときは、潜水艦の最も重要な特質である隠密性を失っているということだった。
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ドイツはおそらく最も恐れられた水中戦闘の達人だったであろう。この写真は第一次大戦終結直前の1918年10月にキールで撮影されたUボート群。 |
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(「世界の海軍史 近代海軍の発達と海戦」の潜水艦の部分より抜粋)
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