氷山と衝突したのは、タイタニックだけではありません。 タイタニックと同じ北大西洋航路だけを見ても、他に2隻がトップページでコメントの本に出てきます。
アリゾナ号の場合(1879年)
アリゾナ号は当時もっとも進歩した船だった。また堅固に造られてもいた。堅固に造られていなければならなかったのである。この船の名声は、大西洋横断の競争をしている間に得られた。1879年11月、アリゾナ号はリバプールを目指しての復航で、ニューファンドランド・バンク(カナダ東海岸沖)の濃い霧の中を全速力で突き進み、氷山に衝突した。悲劇を救ったのは船を建造した人たちの技術力と、衝突が正面衝突だったという事実に他ならない。 アリゾナ号の船首には、およそ6メートルに渡って穴が開き、破損部分は船首隔壁にもうすぐのところまで及んだ。船はニューファンドランドのセント・ジョンズで仮の補修をした後、船首の修理のためにクライド川の造船所へ帰った。エルダー社フェアフィールド造船所の技術力がなかったならば、ここに一人の船長とその部下の航海士たちの過失が、もう一つの大きな海の災害を引き起こしていたかもしれない。当然のことながら、船長と二等航海士が資格を停止されたが、それは6ヶ月間だけのことだった。フェアフィールド造船所の従業員たちは、おそらく彼らの命だけでなく経歴をも救ったのである。この事故は、安全な船としてのアリゾナ号の評判を高めることになった。そして乗客の予約が増えたのである。 ( 「豪華客船スピード競争の物語」 より抜粋 ) アリゾナ号は1879年に就航した当時,北大西洋航路で最速の客船でした。 それでも航海速力は15〜16ノットで,タイタニックに比べれば5ノット以上遅い。 それが沈没を免れた,もう一つの理由でしょう。 |
ノルマニア号のこうした水密隔壁による防御も、処女航海で起こりかけた悲劇から、ノルマニア号を救う救世主には成り得なかっただろう。それを救ったのは、幸運以外の何物でもなかった。1890年6月27日、この船は主マストより30メートル高かったという氷山と遭遇し、直ちに退避行動を取った。もし氷山が本当にそのように高いものだったのなら、どうしてそんなに近づくまで気付かなかったのか、想像しにくいところではある! 舵輪をいっぱいに切ったところで維持し、左舷機関を全速前進のまま進める一方、右舷機関を逆転させて、船を直ちに右回頭させた。この旋回が容易なことは、1軸船(スクリューが1つだけの船)に比べて2軸船が見せたもうひとつの利点である。氷山との激しい衝突は避けることができたが、斜めから強打され、およそ20トンの氷が甲板に置き去られた。幸運がノルマニア号に微笑んだ。ほとんど被害はなく、浸水は起こらなかったのである。22年後に同じような状況に遭遇したとき,タイタニック号はそのように幸運ではなかった。 ( 「豪華客船スピード競争の物語」 より抜粋 ) |
同じ著者は,次のようにも記しています。
無線の出現前には,多くの蒸気船が形跡を残すことさえもなく失われている。 そしてそのうちの多くが,霧の中で他の船と衝突したり,氷山と衝突したりしたためだったに違いない。
と。
このページの記事が載っている本 (原書のほう)が出版されたのは1990年であり,映画タイタニックよりずっと前なのですが,2隻の記述を読んでおわかりのように,著者は常にタイタニックの事故を念頭に置いて書いています。