北大西洋航路客船 アキタニア | キュナード・ライン(英国) |
就航 1914年 45,647 総トン 全長 274.6 m 全幅 29.6m エンジン 直結タービン 60,000 馬力 推進器 スクリュー4軸 速力 23 ノット 乗客定員 3230名 1等 618 2等 614 3等 1998 |
ルシタニア号・モーレタニア号の2隻の高速船は非常に人気が高かったけれども,毎週の運航にするために,もう1隻僚船を用意する必要が生じてきた。しかし運航補助金はルシタニア号とモーレタニア号にしか出なかったので,その3隻目の船の設計には,前2船とは異なる経済的判断基準が作用することになった。すなわち3隻目の建造と運転の資金は,キュナード社自身で調達しなければならず,高速船が補助金付きで得ているのと同じ利益を,補助金なしに生み出していかなければならなかったのである。
3週間ごとにターミナル港から出航していくためには,遅れを考慮して多少の余裕を持たせると,23ノットという速力が必要だった。高速船より速力が遅い分,燃料費は節約できるが,残りの差額は旅客と貨物の収益を増やして生み出さなければならない。そのためには大きな船にする必要があった。 4本の煙突は,4つのボイラー室を1本ずつが担当した。外観を保つため煙突はすべて同じ大きさで,第4煙突は3基のボイラーを担当するだけなので,残りの空間はタービン室の排気通風筒として利用されていた。 防御に関しては,ボイラー室間を横断方向の水密隔壁が隔てる一方,縦通方向の隔壁が船側の石炭庫を形成し,強固な防御を形成していた。 第一次大戦後,オリンピック号からわずかに遅れただけで,アキタニア号も商業運航へ復帰した。アキタニア号も復帰工事に際して石炭焚きから油焚きへ転換されたが,アキタニア号が油焚きでの最初の航海にリバプールから旅立ったのは,1920年7月のことである。この船では二重底構造の空間を燃料油の貯蔵用に広範囲に活用することはしなかった。もとの石炭庫とフラームタンクが燃料油タンクに転換されたが,これだけでは往復の航海には容量が不十分だったので,二重底の部分も一部だけは6つのタンクに転換された。 ヨーロッパの港よりもニューヨークのほうが燃料油の供給が豊富で価格も安かったので,大型船では大抵,燃料油の補給はニューヨークでするように,運航計画が立てられていたのである。
(「豪華客船スピード競争の物語」 アキタニア号の部分より抜粋)
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