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平成13年4月15日(日) ホテルアウィーナ大阪
総合司会 畑美樹
第一部鼎談 川柳の立っている場所
『現代川柳の精鋭たち』をめぐって
荻 原 裕 幸
第30回短歌研究新人賞受賞。歌集に『青年霊歌』『あるまじろん』『世紀末くん』『デジタル・ビスケット』。共著に『現代の第一歌集』『近代短歌を学ぶ人のために』など。『岩波現代短歌辞典』編集に参加。『現代川柳の精鋭たち』の解説を担当。ラアティテア所属。
藤 原 龍 一 郎
1971年、中井英夫の『黒衣の短歌史』を読み、現代短歌の実作に入る。翌年、「短歌人会」に入会。同年、早稲田大学文学部に進み、「早稲田短歌会」に入会。歌集に『夢みる頃を過ぎても』『嘆きの花園』『切断』『東京式』、評論『短歌の引力』など。1990年、「ラジオ・デイズ」30首により、第33回短歌研究新人賞受賞。ラエティティア所属。
堀 本 吟
挨拶 樋口由紀子
本日はお忙しいところ、「川柳ジャンクション」にお集まりいただきまして、ありがとうございます。実はこの人数の多さにびっくりしております。なぜならば『現代川柳の精鋭たち』は川柳界ではそれほど話題になりませんでしたし、柳誌でもあまり取り上げてもらえませんでした。句会、大会でも、この本に関して、お話してくださる人もほんのわずかでした。
倉本さんと最初、この会場を予約するときに、どれくらいの広さの部屋を取ったらいいのか、かなり迷いました。思い切って、百人が入る部屋に決めたのですが、とても、私も倉本さんもこれ以上大きな部屋を取る勇気はありませんでした。がらがらかなあと思っていましたら、なんとこんなにたくさんの方々にお越しいただいて、嬉しい誤算です。そして、身の引き締まる思いでいっぱいです。川柳ほどおもしろい文芸はないと思っています。俳句や短歌とは違った、別の味がある文芸だという自負もあります。川柳句集を読んでも、柳誌を読んでも、いいなあと思う句はたくさんあります。しかし、その作品を外に出せるチャンスはありませんでした。それが、今回、私が同人として参加している「豈」の発行人でいらした大井恒行さんがそのチャンスをくださって、『現代川柳の精鋭たち』を発刊することが出来ました。
このアンソロジーを出して、嬉しかったのは、この本が書店に並んだこと、そして、思った以上に売れたことです。また他のジャンルの方々によく読んでいただきました。川柳は今、足踏みしている状態が続いております。何が出来るかわからないけど、何か出来ればいいねと、今日の会の準備を進めてきました。『現代川柳の精鋭たち』も一部の、偏ったものであるというご批判もあると思います。ですから、これからは、あっちからもこっちからも、いろいろな本ができ、それぞれのかたちの会ができればいいと思っています。何もしなかったら、何も変わらないのです。
今日、参加してくださったみなさんが何かひとつでもつかんで帰っていただけたらうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。
第一部 鼎談 川柳の立っている場所『現代川柳の精鋭たち』をめぐって
藤原龍一郎と申します。一九七一年、十九歳のときから短歌を作り始めました。途中、短歌だけでなく俳句も作っていた時期があって、高柳重信さんが編集長だった「俳句研究」という雑誌の五十句競作に応募したことがありました。「俳句研究」は当時、俳句の歴史をきちんと位置付ける編集をやっていたので、かなり勉強できたのではないかと思います。
こんなふうに、三十年間短歌俳句を意識的に読み、かつ実作もしていたのですが、すぐ隣にあるはずの川柳に関しては、やはり一般の人がもっているイメージと同じように、時事川柳と落語の枕に出てくるような江戸時代の古川柳しか知らなかったわけです。あと、毎日新聞の投句欄は読んでいたんですが、こちら側の意識の低さもあって自分がやっている短詩型のものとは同じ高さのものに見ていなかったというのが正直なところです。
そして、一九九九年に田辺聖子さんの『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代』(中央公論社刊)を図書館でたまたま手にとって上下巻を一気に読みました。それで、岸本水府という人を中心として、近代川柳からこの時代へ続いてくる川柳の流れがあるということを知りました。これはぜひ、今自分と同じ時代に生きている川柳作家のみなさんの作品を読みたいものだと強く思ったんです。ところが、そのときは時実新子さん、大西泰世さんまでしかたどり着かなかった。
その後、荻原裕幸さんを中心とした文芸グループ・ラエティティアに参加させていただくことによって、なかはられいこさん、樋口由紀子さんたちのお名前を知り、ホームページ上での作品を読むこともできるようになりました。九九年の夏、樋口さんの『容顔』(詩遊社刊)という句集をお送りいただいて、こういう句集が出ているのかと思ったわけです。装丁ひとつとってもああいう川柳の句集が出たのは非常に珍しいことだとあとで知らされました。また、そのころから石部明さんに「MANO」という雑誌を送っていただいたりというかたちで、やっと現在、今活躍されている方たちの今この時点での表現の川柳というものにふれることができるようになった。そういう下地ができたうえで昨年の夏、この『現代川柳の精鋭たち 人集世紀へ』という本を読んだわけです。
率直な話、非常に衝撃的な本だったと思います。今ここで書かれている川柳を、ある程度いっぺんに読めたということは刺激に満ちた体験でした。二十八人のなかで知っていたのはほんの数名の方でした。それ以外の方たちについてはまったく何の予備知識もないままに作品を読みました。
そこで、荻原さん、堀本さんが書かれている解説を読まないで作品を読んで、いいと思った作品に丸をつけていきました。それに関して自分がどう感じたかをラエティティアのメーリングリスト上に流していきました。
好きで三十年も関わってきた短詩型文芸のなかに、まだ自分がまったく足を踏み入れていない領域がこれだけ広大に広がっているというのがすごくうれしかった。
そこには評価する部分と同時に不思議に思う部分がありました。まず評価する部分、短歌や俳句とははっきりと違うなと感じた部分を「男性作家の果敢なトライアル」としてお手元の資料に五点あげました。
犬を洗って犬の臭いを嗅いでいる 金築雨学
傘を置くところを探す他人の家 同
もう一度会うはずだったのに死んだ 同
湖がしずかに嵩を増してくる 同
鳥籠を洗い人生とは何か 海地大破
一夜明けると私の視野に塔がない 同
缶詰を開ける哀しいボクだった 同
執念でいっぽんの縄立ち上がる 同
月の暗がり神輿のような便器のような 普川素床
暗い箱が暗いとは限らない 同
なんと長い足だろう 夜は 同
手を振りつづける 平凡が消えないように 同
海地大破さんの作品は「喪失感」というタイトルがついていますが、まさに百句のほとんどが「〜がない」ということばかり書いている。非常に面白く思いました。
普川素床さんの作品「ユモレスク」ですがユモレスクどころかなんと毒のあることを、へんな文体――五七五でもなければ七七でもない文体――で書いているのか。普川調のリズムというか、文体を決めないという文体が確立している。たとえば「月の暗がり神輿のような便器のような」ですが、神をスカトロジックなもので汚して見せる、涜神的なことをしてみせるというようなことはあっても、この言葉の連なりは普通の人だと出てこない。あと「暗い箱が暗いとは限らない」とか、なんでこんなことが詩だと思って作れるんだろうと。言われてみればやはり詩だなと思いますよ。こういうところに率直にびっくりしました。
この本は一ページ目にプロフィールと写真が載っているんですが、。たまたま私がいいと思ったこの三人はだれも写真を載せていないんですね。やはりなかでも特に屈折した人たちなんでしょうか(笑)。そういう人が私は好きなんだろうかと思いました。
逆に疑問に思ったことです。
@参加者の平均年齢が高い
二十代の作家っていないんですかね。若い作家が出てこないとジャンルとして先細りになると思うんです。
A題詠で作られる作品の不思議
題詠で作られた作品が、おそらくこの二千八百句のなかにもたくさん含まれていると思うんです。題詠でつくったものを自分の作品として認知していくというのがやや納得できないところがあります。
B筆名の不可解さ 号はギミック(特殊効果)なのか?
ここであげた三人の方々もたまたま下の名前はペンネームだと思いますが、なんでそういう号を使うんだろう。歌人がいちばん本名の人が多いと思うんですよ。俳人も号を使っている人が多かったですが、最近はかなり本名の人も多くなってきたと思います。この本では半分以上の人が号をお使いになっている。号を使わなければいけない表現形式なのかなというのが単純な疑問です。号によって何かを主張するんでしょうかね。別人格に成り代わってこういう表現をしているんだっていう意味なのかな。
C単行作品集の少なさ
これは本当はたくさん出ていて私の目にふれないだけかもしれないですが。
D現代仮名づかい
この二十八人の方は全部が現代仮名づかいでお書きになっています。僕は現代仮名づかい派ですが、短歌も俳句も旧仮名づかいと混ざり合っていて、作家によってどちらかを選ぶ。たとえば岸本水府の時代は絶対旧仮名で書いていたわけですよね。それがどこかで新仮名づかいで書くんだという自然な意志統一が川柳というジャンルのなかで行われたのか。
そうであれば時代と即応するっていうところに結びついているのかもしれないと、不思議に思いつつも納得できるかなと思いました。その辺はうかがいたいところでもあります。
資料の最後に、俳人には「上がり」があるが川柳作家には「上がり」がない、と書きました。簡単に言ってしまえば歌人とか俳人って四大紙の選者になってしまったら、そこ「上がり」なわけですよ(笑)。特に俳人に顕著ですけども、長谷川櫂さんという人が四十五歳になるかならならずで朝日新聞の俳壇の選者になりました。それから正木ゆう子さんって方――能村登四郎のお弟子さんですけど――が読売新聞の選者になりました。そういう人たちは「上がり」なわけです、いわば。すごろくで言えばもう先がないんです。だけどここにいらっしゃる川柳作家のみなさんには「上がり」がないんですよね。新聞に川柳欄はありますけど組み方が全然違います。明らかに差がある。常に泳ぎ続けなければいけない。走り続けなければならないというところに頼もしさと感じると同時に、川柳の現状をもっともっと知りたいという思いがあります。
荻原 荻原裕幸です。よろしくお願いします。今の「上がり」の話でぶっ飛んじゃったんですけど(笑)、先日出した歌集がこれまでの五冊分をまとめた全歌集で、こんな年齢で「上がり」みたいなことをしちゃいけないなと思いながらお話を聞いていました。
『現代川柳の精鋭たち』には、外部の一読者として気持ちよく、でもみなさんのほうから見たらとても生意気な内容の解説を書いてしまって、ちょっと気がひけているところがあるんです。けれど、作品の内容には踏み込めなかったかもしれないけれども、参加されたみなさんの活気、元気さ、あるいは本にかける情熱みたいなものは感じ取っていたつもりでした。それがどこまで反映されたか自信はありませんが、川柳のなかにも、読者の方にもなんとか伝えられたらな、という気持ちで文章をまとめました。作品を読んで川柳は今ものすごく元気だということを感じて、川柳への自分なりのイメージみたいなものはできていました。ここでは解説に書けなかった部分――解題という場所で書いていたときには見えなかった『現代川柳の精鋭たち』の本としての位置、この本が川柳の動きのなかでどういう意味をもっているのかについて考えてみたいと思います。
まず、俳句と川柳のかたちが同じたということはものすごく大きな意味のあることです。もちろん、それぞれのジャンルの方が隣のジャンルのことをまったく気にせずにやっているケースもあるんですが、私が深く関わっている短歌は三十一音をベースにしているというフォルムの面からいくと、同型で隣り合うジャンルがないという状態です。そこから見ていると、俳句と川柳は一体の器みたいなものに見えるんです。どうしても比較しながら見てしまうことが多いのですが、俳句の人は、ちょっと経験を積むとみんなカリスマじゃないかと思うくらい「俳句とは何か」について上手に語って、お弟子さんをいっぱい集める。もちろん実質も伴っていると思いますが、俳句そのものを規定していくことによって活気づいている部分がある。これは短歌からみてもとてもうまいな、はっきりしてるなと感じるんです。
一方、川柳の場所をそんなにたくさん見ているわけではありませんが、自己規定ということにおそらくジャンルそのものがあまり関心をもてないんですかね。へたなのか関心がないのかわかりませんけれども。これが外から見ていてすごく気になるところで、それが川柳の特性なのか、作品一辺倒というところがある。
たぶん、自分を縛りすぎてしまう俳句と、あまりにも自分を縛れない川柳というのが、両ジャンルの特質じゃないかなと思います。これは短所でもあるし長所でもある。そこからいろんなものが生まれてきているんだと思います。
川柳のように、ジャンルとしての自己規定がなされないとどういうことが起きるか。ひとつは、作品がいくら元気でも、歴史とか流れのなかでひとつのかたまりとして見えてこない。たしかにあるということはみんなわかっていても、ジャンルとしての意識がとても希薄になっているように見えるんですよね。川柳の人たちに川柳って何ですかと訊いたときに、そんな質問を受けること自体が意外だというような反応が返ってくる。
もちろん、そういう質問が出た瞬間に川柳作家さんたちの意識が変わったりすることもあるわけで、今回の『現代川柳の精鋭たち』という本自体が、自分たちが何をしているか
どんなジャンルのどんな場所にいるのかということを映す鏡として切実に求められて、そのような鏡として企画された面が大きいんじゃないかと。このことは作品を読んでいたときにはあまり感じられなかったことなんですが、今回のイベントまでの流れを見ていて、感じる機会が何度もありました。
冒頭、樋口さんが挨拶のなかでこれが一歩目だとおっしゃっていましたが、『現代川柳の精鋭たち』が一時的なものなのか、本当にこれから川柳の大きな転換点になっていくのかを、密接に関わりのあるジャンルとして注目しているような状態です。
堀本 堀本でございます。『現代川柳の精鋭たち』の解説を書いております。
荻原さんは非常に理論的、客観的に書いておられますが、私は樋口さんや倉本さんと友達感覚でつきあっていた面もありまして、彼女たちの変化生成の過程をそばで見ていたので、体験的にいろいろな問題を感じてきました。
荻原さんがおっしゃっていた自己規定があまりないというお話ですが、たしかに川柳には自分たちが何者であるかというのをちゃんと出せない人たちもいるかもしれない。そういう人とのおつきあいっていうのは一緒に何かをやるとか、語ってみるところで、あ、あんたと私はここが違うんだねというようなわかり方をしていったほうがいいかなということで、いろんな接触をもってきております。私自身もどちらかといえば感性が川柳的なんです。非常に自己規定がへたで、自分のなかの表現の欲求を、さあこれを詩で出そうか、川柳で出そうか、俳句で出そうかというときに、自分が何者であるかをわかっている、わかっていないが半々の状態です。ただ、私の理想は最終的には俳句なんです。まだ表現されていない俳句という表現を探るひとつのプロセスとして、川柳といわれる詩型とここで出会っていると思っていただきたいと考えています。
レジュメのプロフィールを書くなかで、川柳とは何か、俳句とは何かと区分けしていった面があります。たとえば初学の時期に坪内稔典さんとか江里昭彦さん、摂津幸彦さん、増田まさみさんたちとの出会いはちょうど藤原さんが青春時代であった一九七、八十年代俳句ニューウエーブの時代でした。既成の戦後俳句、ないしそれ以前の近代俳句の結社制に対する反発、それから小同人誌の輩出があった。まさに今の現代川柳の場所として「MANO」「コンティキ」「WE ARE!」などが発生していることがその状況とすごく似ていると。既成の何かを超えたいためにまず小グループから始まる。そこに盛られた言語感覚はもちろん過去のものとは違っている。その違い方は三十年前の俳句の場合とはまた別なんだけれども、切実に現在の最先端を担おうとしている、前線に踊り出た人たちの未分化な状態がそのまま小さな同人誌に集まっているという感じがします。そういうなかで『現代川柳の精鋭たち』が出たというのが面白いと思いました。
もうひとつ、「精鋭たち」を押し出したものとして、四国の北村泰章さん、海地大破さんのご努力で出た、戦後の川柳の動きを網羅した『現代川柳の群像』(川柳木馬グループ刊)があります。昭和二桁世代の川柳作家の成果をまとめたもので、戦中派を含めた昭和世代の屈折を十分出している。「戦後詩」「戦後俳句」があるならば、「戦後川柳」の存在感がそこにひとつあるな、と。そして、昭和二桁世代の中盤以降の作家を含む、過去と未来の両方の要素をはらんだものとして、この『現代川柳の精鋭たち』の意義があると思いました。他ジャンルの俳句などにとっても、初めてこういうかたちでひとつの内容的な情報を得たという意味で、これからも優れたテキストとして読んでいただきたい一冊だと思います。
私が俳句評論集『霧くらげ何処へ』(一九九二年 深夜叢書社刊)を出したときにはこれは俳句評論じゃないとさんざん叩かれました。これは八十年代の女性詩などに影響を受けて私がジャンルの自己規定――自分がどんな表現を選ぶかということで創り上げたもので、そういう問題意識は川柳の今の若い人たちと通じるものがございます。
また、数年前「関西戦後俳句聞き語りの会」を俳句の若い方々とやりました。俳人としてはいまや重鎮である鈴木六林男、津田清子氏などの戦後の作家としての形成を聞き出していくという会です。そこに集まられた川柳の樋口由紀子さん、当時、俳句に転じたばかりの花森こまさん、倉本朝世さんたちとの出会いによって、若い女性たちの短詩型への意欲とふれあった。それが自分のなかで俳句と川柳を、同時代のものとして対照化していく機会になりました。そこから石部明さんとか、渡辺隆夫さんという熟年の男たちと知り合ったり、もっと若い倉富洋子さん、なかはられいこさん、畑美樹さんと知り合って面白いおつきあいになっています。このようなことが私の川柳に対する位置でございます。
何が川柳かと理論的にはうまく言えないですけれど、結果として心象風景が多いんですね。すると読むときの気持ちによって選び方が違ってくる。ということは書くほうは心情の変化に沿って書いているというのが非常に多いと感じます。女の人には非常にナルシシズムが多い。俳句にはナルシシズムが出にくい。これは詩型の違いだと思います。それから特に男の方の川柳には、無頼であるとか、虚無であるとか放埓というニュアンスを、よく感じます。先ほどの自己規定が下手だというお話と表裏のものだと思うんですが、その場で発散すればそれでいいわけなんですね。そういう臨場の快感を川柳は持っている。言葉なんだけども、身体に非常に近い感覚を残しているんじゃないか。これが川柳にもっている私の関心であり、好感なんです。
逆に俳句は、直接的に自我を出そうとすると、形式がめちゃめちゃになる。俳諧の技法をくみこんだスタイルの確立がかなりしっかりしている。そういうもののないのは否定されたり軽蔑されるわけです。七、八十年代の俳句ニューウエーブは、過去に形成されたスタイル、手順を踏んでいないというようなところでかなり批判されていた。その、俳句定型の言葉をはみだすところに川柳と結びつくような土壌があったのではないか。そういうことでクロスオーバーとか、川柳も俳句も一緒じゃないかという考え方も出てきているんじゃないかと思います。
レジュメの最後のほうになりますけれども、現代俳句というのは季語に対する考え方が変化しています。近代俳句は、私性への執着があるものだから、どうしてもやせ細っていくわけです。前衛俳句の時代は、ひとつの挑戦として内部意識(イメージ)を追求する方法がさぐられた。例えば赤尾兜子などです。しかし、俳句の形式はあまり内面に入ると書けなくなるというようなことがある。昔ながらの俳諧・諧謔・精神のダイナミズムの復活がいわれている。一方、リズムについては五七五なんだけれども口語で書くということを迫られている。そういうことが俳句の今の議論の問題なんですが、口語俳句や自由律や無季俳句を受け容れ、はば広く自由になってはきたが拡散していき、もだえているのです。これらを含んでいる川柳との共通の問題があるように思われました。
そういうことで私の場合はアバンギャルドである加藤郁乎、永田耕衣などの過剰なダイナミズムと形式破壊をあとづけていったら面白いかなと考えています。
最後に川柳人に対する提言ですが、低いレベルで他のジャンルをはじかないということ。
そしてジャンルの優越じゃなくてそこに本当に自分の言いたいことが盛り込める形式なのかどうかを評価の中心にすべきではないか。それからいちばん言いたいのは、従来の川柳が持っている「穿ち」、と精神態度としての無頼の発想を忘れてはいけないということです。
藤原 荻原さんにレジュメの後半をしゃべっていただきましょうか。