■渡部可奈子を読む 「可奈子の領域」  清水かおり

 
 
句集「鬱金記」で初めて渡部可奈子作品に触れた。その時から私の中には短詩精神の峰々をふわりと歩む可奈子像がある。すでに川柳界に彼女の姿はなかったが、その作品は圧倒的な存在感をもっていた。濃厚な意味を発する暗喩の世界、それはこちら側の内面が研ぎ澄まされていることを条件に提出されているかのようであった。このような可奈子の作品は川柳界でどう受け止められていたのだろう。大衆的基盤を第一とする作家と川柳の進展を求める作家との間にある感覚のずれは川柳の定義云々よりも文章に対する感応の問題であると思われる。それゆえ永遠に解消されようがない。川柳界のそうした環境は三〇年ほど前も同じであり、彼女の理解者は限られていたのではないかと想像していた。しかし「縄」や「藍」などの柳誌を読むとそこには川柳にとってすごく純粋な活動の時代が背景にあったのだとわかる。現代の川柳が簡単には超えられない作品の数々に出合い、ある種の安堵と焦燥を感じた。可奈子作品がこの歩みの中できちんと呼吸をしていたのだという安堵と、そして確認しなくてはならないものの多さへの焦燥だ。

揶揄らしい揶揄一輪 頭の夜明け

藍の天 左右の眼ゆきかうクルス

二月に焦がす裸形を妹と呼ばぬ

 心象句、叙情句という呼び方は好きではない。喩の海から掬い上げてきた可奈子の十七音は何よりも現実的だと思うからだ。「揶揄一輪」とは自己客観視の究極の姿であり、「左右の眼」が「ゆきかう」人間社会の価値観は絶えず入れ替わる。そして烈情は越えなければならない。これら、主題という一点を目指して書かれた句は強い。同時代、時実新子や福島真澄の句も文体の違いはあるがやはり強さというものを感じさせた。彼女達の撓るような句語の強さは時代の流動が影響したものであるように思う。一庶民のしかも女性で政治も経済も関係のないところで生きていても人間の精神活動は社会の鏡であり歴史の一部といえるからだ。

  終の水 ついの一滴までもさく

  背椎の綾から推して津のてのひら

 「ついの一滴までもさく」のついは終か、対か、墜かもしれない。さくは割くと読んだがはたして裂くかもしれないし咲くかもしれない。いや、模索かもしれない。「終の水」だけが動かない。作者自身の中に終の一滴が無数に訪れていると告げている。この句もそうだが可奈子の句には視覚で読ませる句が多い。眼に飛び込んできた文字が音よりも正確に像を結ぶ。「推して津のてのひら」からはひとつの意思が背の混沌を通り両手の湾に溜まっていく様子が浮かんでくる。加えて「綾」の句語が女性を滲ませていてせつない。わずかな言葉がなぜこれほどまでに迫ってくるのか。句語がしっかりと意味の鎖で繋がっている。つまりこの言葉でなければ句意は立ち現れないということだ。私はそこに可奈子の「表現者」への純粋な信頼を感じとる。

 片肺いちめんの河原 真紅の水曳いて

胎児せがめば日は蒼々と鳴き交わす

貰い受ける贄より熱いさらしの衣

作者自身が自分のために必要な作品というのは確かにある。自身の内面を何らかのかたちで書かなければいられない衝動が文芸なのだからそれは可奈子にもあったであろう。

生というもの、抗いながら受け入れるその暗部を可奈子は感情の中に没落することなく書ききっている。病苦の意識でこれらの作品を読めば作者をなぞる手段にはなるが私達がひたすら求めるものは表現であって作者の境涯に心を傾けることとは別のものだ。真紅の川が私達の胸へと流れつき、児への骨肉の思いは哀しいほど普遍的であり、押し戴く苦痛の象徴物は常に隣に存在する、と自覚的な生の位置するところをこの美しい表現が指し示してくる。可奈子の言葉から偶然は生まれない。常に鮮烈な意味が背景として立っている。

  風百夜 透くまで囃す飢餓装束

 そしてこの句をもって彼女の言語表現が攻めの姿勢であったことに改めて気づかされるのだった。

 歌集「かげろうの詩」には可奈子の短歌・詩も収録されておりその天与の才はまぎれもないものであることを知る。けれども十七音より少しだけ長いそれらは彼女の言語領域をわずかに具体的にする分、衝撃力が失われていると感じた。川柳の、削がれていく文体の強度、言葉の彫りの深さ、文節にある沈黙という最短詩型にこそ可奈子の本質が留められていると思うのは私が柳人だからだろうか。時系列で可奈子を追えば彼女が十七音の次に求めたものが何だったのか知ることも可能かもしれない。が、彼女の「川柳」を知った後ではそれはあまり意味を持たないことであるような気もする。

 目覚めは哀しい曲で始まる回転木馬

眠る可奈子の彼岸の耳に届くその曲が哀しい調べでないことを彼女を想う多くの人々が願うだろう。