良寛☆!さんの出会い。(^0^)

リンクが見つからないため管理人自ら取材に出かけました。 非常に暑い日で良寛さんの銅像に辿り着いた時には玉の汗でした。

ちょっと一服。

良寛は俗名は山本氏。越後出雲崎の人。

22歳の時、円通寺十世国仙の徳を慕って従い

得度修業精進。47歳の時帰郷。

国上山中中腹の五合庵に住み

人格高潔・純粋であり子供たちにも慕われ

特に、詩・歌・書に秀でていた。

天保2年(1831)没。74歳

おっと、円通寺の事を書くことを忘れている。

<円通寺>

場所は、新幹線新倉敷駅の南方で、車15分程度の距離です。

曹洞宗のお寺で、元禄11年に最初の庵が出来、高僧が相継ぎ現在に至っている。

中でも、良寛の師十世大忍国仙は、永平寺五十世とも成っています。

また、この地は円通寺を含めて山全体が公園となり、瀬戸内海の眺望も素晴らしい。



良寛堂

この建物は、もと円通寺へ修業にきた者たちが寝起きする衆寮であった。

昔時は数十名の若き修業者が常時いたとのことである。

良寛も、はるばる西国玉島の円通寺に来て、この建物で寝起きして修業した。

今では、良寛堂と呼ばれることになった。



<山頭火句碑>

         岩のよろしさも 良寛さまのおもいで

種田山頭火(明治15〜昭和15)は、諸国を放浪し数々の名句を残した求道の詩人であった。

昭和11年良寛の若き日の修業の地玉島の円通寺に足を運んで詠んだ一句がこれである。

岩の多い寺のその一つ一つに厳しい修業時代の良寛の面影を偲び、後年の遊戯三昧自在

の境涯に入った真人良寛様を遠く拝んだ句として有難い。(玉島文化協会のコメント)



良寛さんの歌

この里に
手まりつきつつ子どもらと
遊ぶ春日は
暮れずともよし


さけさけと
花にあるじをまかせられ
けふも酒々
あすもさけさけ


かたみとて
何かのこさむ春は花
山ほととぎす
秋はもみじば


今よりは
いくつ寝ぬれば春は来む
月日数みつつ
待たぬ日はなし


うらをみせ
おもてを見せて
散るもみじ


辞世の句をのこしてこの世を、後にしました。


私が、感じる七不思議です。
昔の、74歳が山に住んでいるのです。
凄い、結末が待っていると想像されますね。
そうなんです。
晩年の5年間、貞心尼に看取られて幸せでした。


天は、純粋な人物を放っておかない。
天をも感動させたのかも。


良寛さんとの出会い、分かっていただけたでしょうか。では、失礼します。(管理人)

平成13年7月29日製作(8月13日追加)