藤原家刀剣博物館

 藤原家は、元々鶴丸の家紋を使った森欄丸の末えいで、落ちぶれた武士から宮大工に蔵替えし、その後転々としながら断絶しかけたところ、大月家に救われ、現在に至っております。 

 銘  備中国水田住国光作  刃長 2尺2寸6分  時代 寛永頃
 名を、大月安左衛門と言い、大与五国重の弟であり正保2年に大阪へ移住してしています。備中水田で何か家督
問題でもあり、移住したと思われますが、不明です。大月家3兄弟の1人で、国重と名乗らず国光と名乗っていました。鬼神丸国重の父とも言われ、我が先祖代表の一人です。
 




 銘  鬼神丸国重  時代−江戸時代前期の寛文から天和頃  長さ−2尺3寸位 
備中水田の刀工で、大月長兵衛と称し、現在の上房郡北房町水田から大阪摂津の池田に移住し、池田鬼神丸・不動国重と号した。 業物

 


  短刀銘 備前国長田庄国重作 永禄12年2月
 大月左兵衛と称し、元々備中国松山「現在の高梁市」に住していたが、永禄年間の3年間だけ備前国長田庄「現在の御津郡加茂川町細田」に住み作刀した。



脇差銘  山城大掾源国重  江戸時代中期 
 大月勝兵衛と称し、山城大掾を受領、江戸でも作刀しこれを江戸水田と言う。山城大掾の二代目



日本の刀剣は、単なる凶器ではありません。 折れず・曲がらず・よく切れる の原則のもと1000年の昔から、刀匠が精神を込め折り返し鍛錬し制作された美術品であり、よく観賞され、また武士の魂でもありました。
日本固有の美術品である日本刀を大切に保存し、未来に伝えましょう。
                                        日本美術刀剣保存協会 会員


ラジオ博物館


    真空管ラジオが好みで、制作・修理をしながら楽しんで遊んでいます。 この外色々のラジオを保管しております。

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