旧市街
 ヨーロッパとアジアを結ぶ街


 イスタンブールは旧市街、新市街、アジアサイドで構成され、橋で繋がっています。円高の関係もありましたが、物価はかなり安いようでした。旧市街の港附近では露店が並び、人がにぎわっています。小さい子供がすりをしているのを初めて見ました。また、ネクタイ姿の人の靴をふく靴磨きの人も見かけました。ゴマパンや栗を売る人、体重計で体重を量って稼ぐ人もいます。運動靴のぼくにも、靴磨きの子供は近づいてくるのです。貧富の差が激しいのでしょうか?それによる人の目つきが・・・。やはり、お金か?
 ガラタ橋は旧市街と新市街を繋いでいます。橋の上では、サバを釣る人がかなりいます。名物のサバサンドは、レモン汁をかけて食べます。橋を渡って海越しに見るイスタンブールの旧市街は、オスマン・トルコ時代の名残が感じられました。旧市街は出島のような立地条件であり、ヨーロッパからもアジアからも攻めにくい場所だったのかもしれません。みんな、この街を目指していたのです。新市街を歩くと、やはり街は新しくきれいであり、現代を感じました?
 フェリーでウスキュダル(アジアサイド)へ渡り、丘に上がると、ここでも靴磨きの人が多いようでした。3地区はとても対照的です。聞くところによると、もっとトルコの東へ行かないと本当のアジアは感じられないそうです。
 高速バスで2時間半、少しヨーロッパ側のエルディネの街へ足を延ばしました。高速バスでは走行中に手へ香料を振りかけてくれて、コーヒーまで出ます。イスタンブール郊外は近代的な高層の住宅が多く、少し走ると広大な農地が出現しました。エルディネには、シナン設計のセリミエ・ジャーミィがあります。外壁、屋根は改修されたようで、黒い鉄板で覆われています。内部のアーチは茶、白色の大理石で構成されており、この建物にもメスキータとの共通性を感じました。


 ぼられる


 イスタンブールには、ブルーノ・タウトの自邸があります。日本情報文化センターで場所を聞くと、個人ではたぶん中が見られないとの話でした。そこで、アジアサイドのウスキュダルから新市街のタクシム広場までのバスを薦められました。その車中から、第一ポポラス橋の麓にお寺のような建物が見えます。屋根と壁は茶色で、清水寺のようにがけからはりだして支えられています。平面形状は海側が六角形、山側は長方形のような感じで、かなり小さいものでした。やはり、日本好みのようです。
 最終日に街の中をタクシーで移動したのですが、かなり遠回りされました。少し街を案内してくれて親切そうでしたが、ぼられました。ホテルから空港へ帰るまでのタクシーは夜メーターでした。これまた、やられました。なかにはいいタクシーの人もいたけど、印象悪いよね。本当に、親日の国かよ〜。
旧市街の港周辺
ガラタ橋
ガラタ橋の上より
海から
海からの旧市街
セリミエ・ジャーミィ
セリミエ・ジャーミィ
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