「進・学・和」の 市町村アカデミー  
       回顧 アカデミー


」人生凝縮の一週間

富士の裾野は美しい

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回顧 アカデミー

 平成元年9月12日、行政課題研修課程「監督者の役割」(第3期第1組)において所定の課程を履修しこれを終了した。 市町村職員中央研修所での充実した5日間の最終日である。5課程に約250人が学んだ。我がクラスは、北海度から宮崎まで全国各地の自治体から派遣された46名。職名は係長、課長補佐、課長、署長、園長などで、初対面では相当威圧を受けた。ちなみに、私は保健課主幹を拝命していた。
  「私は井の中の蛙だが、研修を機にアカデミーのシンボルであるカエルのように、大きくJAMPしたい。」と自己紹介した。9月5日のことである。他の課程の研修生とも大いに 交流する一週間が始まった。その最たるイベントに東京ディズニーランドツアーがある。人事管理課程有志の9名へ我が班から私と自治省公務員第二課係長の鈴木氏が随行した。日曜日には各自研修レポートを執筆しようと土曜日の夜の外出許可を得てのことである。
 食事会などでは、よくレポートのまとめ方が話題となった。私は「テーマが決まったら、結論から書け。文章は逆三角形がよい。」などと講習会を開いた。その席で、軽々にも「私が一席をとってやる。」と豪語してしまった。  日曜日、豪語への苦闘が始まった。図書室に何度も足を運び、図書を漁ったがまとまらない。二人同室の部屋は厨子市の山本氏が帰省しているから一人だ。夜の食堂以外は御法度のアルコールの力を借りるしかない。9月とはいえ、休日でエアコンの利かない部屋は暑い。睡魔と闘いながら、拾い集めの乏しい知識を原稿用紙に埋めた。




東京からの電話

 
年が改まった正月頃のことだったと思う。「あなたの論文を『季刊 アカデミア 春(8号)』に掲載することになった。」我々のクラスを担当してくださった伊達弘一教授からの電話であった。一課程から一人の論文が掲載されるのだ。躍る心で、早々に師への礼状をしたためた。  平成2年4月1日発刊のアカデミアと共に返却された原稿には、原口 忠行政経営教育研究所長の評が朱書されていた。
 
 論文中に述べてある自己法B.S、ライバルプレッシャー法、5W1H法の自己啓発は、通常の観点でない別の観点から見たものと受取りました。そして、文中の一専多能型人間、即ち監督者を裾野がひろい富士山に例えたものであり、それだけ積みあげていく努力が必要なことを述べていると考えます。ぜひ、人生の自己実現を目指して、効果のある自己啓発を実施してください。(原口)



伊達教授への礼状(要旨)

 
先生からの突然の電話に驚いた。伊達・原口両師のご指導の賜と、心から感謝申し上げる。  昨年は元号改正、消費税導入、マドンナ旋風と参院の保革逆転、スキャンダル短命内閣等々、めまぐるしい一年であった。「内平らかに外成る」、「地平らかに天成る」の願望をよそに、内外共に激動の一年であった。そうしたなか、アカデミー研修は、私にとって最たる出来事であった。  自己紹介で「私は井の中の蛙だが、研修を機にアカデミーのシンボルであるカエルのように、大きくJAMPしたい。」と、大層なことを申した。 今や論文を重荷に感じる。  今回の研修の成果は、全国に多くの友人を得たことである。今後各位にご指導賜り、微力を尽くす。  感謝申し上げると共に、ご健康、ご多幸、ご活躍を祈る。(平成2年1月19日)




監督者の自己啓発について

 “自己啓発” 某辞書によると『自身の知能をひらきおこすこと』とある。それは、自己実現の欲求充足の過程を指すのであろう。換言すれば『自分の成長・向上を促すあらゆる努力を行なうこと。』と言うことであろうか。したがって、自己実現の達成目標を常に掲げておく必要がある。
 さて、標題は「監督者の自己啓発について」である。監督者とは何か、その定義付けについて、改めて考えておく必要があろう。

タテ糸・ヨコ糸の要
 これまた辞書の解釈によると、監督者とは「監督し、指揮・命令を行ない、時には制裁を加える立場の者」とある。つまり幾人かの部下を持ち、その部下によって仕事を成し得る者のことである。監督者たる者は仕事に精通し、その仕事と人をうまく結合し、かつ部下から信頼される「仕事」と「職場」の、さらには「人間」としての指導者たる人物でなくてはならない。
 監督者の責任度合いは、職場規模によって構成されるいわゆる“人間ピラミッド”に占める地位によっても異なるが、発揮すべき機能として、次の5点があげられる。
(1)目的・方針を明らかにする計画機能
(2)目的・使途達成のための組織確立機能
(3)計画・方針に基づく命令機能
(4)計画・方針に基づく調整機能
(5)客観的な標準・規格の設定に基づく統制機能
 このように監督者は計画→割当→命令→(調整)→統制のたゆまないリサイクルの中で、@上司を補佐し、A横との連絡、調整を図る、B部下の監督にあたる。すなわち、監督者はタテ糸とヨコ糸の要なのである。

理想像と問題意識
 さて、冒頭の繰り返しとなるが、自己実現の要求を充たす自己啓発を行うためには、常に自身の将来的で明確な理想像を掲げておく必要がある。それは日々刻々として新鮮であり、けっしてセピア色の偶像であってはならない。めまぐるしい情勢変化に敏速に順応しうる能力を醸成し、自己理想像をも折々に軌道修正する必要がある。一方、そのバランスウエイトとして、問題意識を常に保ち続けることは自己啓発へ至らしめるプロセスとして最も肝要なことである。そしてそれらは、時として支点である自己を中心に揺らぐ「やじろべえ」であってよい。次に具体的な自己啓発法の私見を述べてみよう。
自己法「ブレーン・ストーミング」
 そもそもブレーン・ストーミング法は頭脳嵐と呼ばれるもので、数人のグループによる直感的な思いつきの中から、すばらしいアイデアを出そうというものである。この際どんなにばかげた思いつきでも、思いついたままを素直に、また、可能な限り数多く出すことが大切とされ、自分の思いつきを自己反省することは禁物とし、他人の思いつきに遠慮なく想像を加えることが重要とされている。
 自己法では思いつきに際限があるが、課題に対する思いつきを次々とメモしておき、連想ゲーム的に積み上げていくと、断片的な思いつきも結構まとまったものになっていく。まとめの段階で「効果性」、「実行可能性」についての評価と補足を行うことは、いうまでもない。自己啓発法というより、創造力開発の一手法だが、私は情報の収集、そしゃく、選択、結合などにより、これに心掛けている。
ライバル的プレッシャー法
 現代社会はストレス社会と言われている。肉体的にも精神的にも、ストレスは蓄積しない方がいい。しかしながら、ストレスにもコレストロールと同様、善玉があるらしい。そして、善玉ストレスによる負荷ならば、若者は享受した方が刺激となる。自己啓発法の原点であるヤル気を起こさせ、自分の身体にムチ打つこととなるからである。ランナーを背負って好投するピチャーも多い。
 前述のごとく、自己啓発とは常に掲げた理想像の完成へ向かって努力すること、と定義づけてきた。ここに言う理想像とは自画的理想像のことである。しかし、我が“ライバル的プレッシャー法”では、もう一つの理想像も掲げなくてはならない。時として甘んずる自我と自画的理想像を制するライバル的理想像である。両者に戒められ、励まされて自己啓発はいっそう強固なものとなる。
 このプレッシャー法は、自己啓発法の一つ「難問を数件、並行して持て」、「劣等感は能力開発の邪魔物だが、逆に自己啓発の推進力となる」などの考え方にほぼ共通する。
5W1H法
 さて、いま一つは5W1H法だ。文章の作法には起・承・転・結といった定型化した慣用がある。一方、記事と呼ばれる新聞など報道文は5W1Hで構成され、見出しやリードにニュースのほぼ全容が集約されている。多様な住民ニーズの中から新しい行政課題を見出し、施行する様はまさに文章作成そのものであり、マネジメントサイクルでもある。「起」は多様な住民ニーズを指すものであり、「承」は計画(Plan)を指す。「転」じて実施(Do)した「結」=結果は検討(See)され、次の計画に生かされる。
 こうした際のプランニングに5W1H法を導入するのである。しかし、さほど大げさに考える必要はない。一枚の報告書や復命書、あるいは会議用レジメを5W1Hにまとめる心構えがあればよい。自己啓発は気張らず、目標に向かって毎日コツコツ行う日常化から展開されていく。

六つの基礎食品
 世はまさに飽食、情報はん濫の時代である。努力さえ怠らなければ、いつ、どのような食物でも情報でも入手することができる。TVのコマーシャルや街角の広告板のごとく、情報に限っては自分の意思とは全く関係なく、目や耳から勝手に飛び込んでくるものもある。
 我々は情報の選択と、的確な情報管理をしなければならない。それぞれ過剰摂取すると肥満を招き、さらには成人病の引き金となる。新鮮な情報をできるだけ旬の間に早く消化、吸収し、逆に不要な情報は素早く体外に放出してやることである。このイン・アウトのバランスが崩れると、さまざまな成人病的弊害を起こしかねない。
 さて、情報入力の心得であるが、これも六つの基礎食品をバランスよく摂取しようとする食事の考え方と同じである。むしろそうすべきである。
 ここ数年、企業も自治体も、そして我々自己も大きく変貌してきた。企業ではリストラクチャリングが実施され、生き残りをかけた熾烈な戦いを演じている。その最たるものがJR・NTTの例であろう。雇用の形態も終身雇用から、いつ何時他企業へ移籍してもプレーイングできるといった有能な人材が増えつつあり、自己の判断による雇用期間の設定など、転職傾向も増加している。
 こうした情勢変化に対応するためには、自らが意識改革を行い、「一専多能型人間」の形成に向かう自己の啓発が必要となってくる。

富士の裾野は美しい
 種々の例を引用したが、以上が私の自己啓発のすべてではない。今回の研修を機として自己啓発を進めていくとき、このレポートは彩あせ、幼稚で不十分な一片の紙きれとなるに違いない。そうなるべきであり、そうなることを願って止まない。
 今回の研修で得た一番の収穫は、同じ立場に立つ全国の先輩諸兄姉と交流を深めたことである。この荷物にならない大きな土産を一生の財産として、これからの自己啓発に努めたい。
 開講オリエンテーションに続く自己紹介で、私は「井の中の蛙が大海原に出て戸惑っている。研修を積んで、当研修所のシンボルであるカエルのようにJAMPしたい。」と自分の気持ちを述べたが、結果、自分なりに目的は達成されたと思っている。そして、「監督者の役割」と題した研修のすべてを集約すれば「進・学・和」に尽きると確信した。
 「富士の裾野は美しい。」この研修で得た心のモニュメントである。富士は監督者の姿そのものだ。頂上に近づくにつれ、裾野は大きな広がりを見せる。「裾野あっての頂上」を肝に銘じ、今後の研鑚を積んで参りたい。

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