「落書き調査隊」の生い立ちと
基本スタンス…。
〜2008年ホームページ開設にあたり
岡山中心市街地「落書き調査隊」
隊長 岡崎久弥
「落書き消しって、すごく大変な作業だと思い込んでたけど、けっこう楽しいじゃないですか。次はいつするんですか?」
落書き一斉消去活動での参加者全員の感想です。この6年間で、調査隊が直接お手伝いした落書き消去の回数はおよそ35回。延べ4千名以上のボランティアの方々が、約3千8百箇所の落書きを消し、今では、町内会単位や学校単位、家族単位、個人単位など、自主的消去の輪が全県、全国に広がっています。
6年前、「日本一の落書き県」とまでいわれた岡山が、今では、「落書き対策先進都市」といわれ、全国の方々が「岡山方式」を参考に落書き問題に取り組み始められ、いまでは「割れ窓対策実践」として、地域特性にあった個性豊かな落書き消去活動を日々実践されています。
かつて、「落書きは、消しても消してもイタチゴッコ。落書きを延々消し続けるなんて、大人のやることじゃない」とまでいわれた中で、市民や子供たちが喜々として落書きを消す光景をいったい、誰が想像したことでしょう。
6年前の2002年、近所の国道に面した巨大な壁に、巨大な猥褻落書きが書かれ、あっけにとられたのが、活動のきっかけでした。しかし、よく見ると、街じゅうが落書きで溢れかえり、犯罪の空気が充満し、しかもそれに私たち自身が麻痺している現状に愕然としました。
それから市街地中心部の落書きを調べ始めて、さらに事態の深刻さに驚きました。
当初デジタルカメラで落書きを一個一個撮影し、その場所を住宅地図へ正確に落とし込み、住民へのヒアリングを同時並行で進めるというフィールドワークの手法で落書きを調査していました。イベント的には1回2時間程度やっただけですが、それだけでは、もちろん実態がわかるわけがありません。
その後1ヶ月ほど、毎日毎日、朝昼晩と、仕事の合間と終了後、そして土日を使って、500〜600箇所のデータを集めました。
そして、要因分析手法で事実関係を集約し、PC上の落書き写真と地図を暇があれば見比べるという、はたから見れば実に可笑しな作業をやっていました。
その結果、ある傾向が判明し、落書き犯罪対策の30ページほどの企画書をつくることができ、関係者へのプレゼンテーションを実施しました。もちろん、この6年間、ほぼ毎日のように、気づけば記録、記録、記録というやり方で延々続けています。(今では地域SNSでの市民監視体制が構築されつつあります。)
なかでも、街の住民の方々百数十名へのヒアリング結果が非常に重要で役に立ちました。
そこは情報の宝庫で、住民同士とのコミュニケーション、そして街と行政との関係、住民と警察とのやりとり、住民と青少年との意思疎通、街で働く若者と落書きとの関係や見解、犯罪動向と地域の対応、死角や場所と犯罪の傾向、薬物の取引と落書き実行犯の関係。ありとあらゆる情報が入手できました。
しかし、もっとも重要なポイントは、街の人々の悲しみと怒りの感情でした。それを目の当たりにして、もう「後に引けなく」なってしまった、というのが実情です。
「落書き一斉消去方式」など岡山発の活動は、今でこそ、東京・下北沢や、大阪・西心斎橋アメリカ村など全国規模で展開され、理論的・学術的裏づけも体系的に整備できています。しかしこの成果は、落書き被害の甚大さに義憤を感じた、町内会・商店会・PTAの会員、学校、大学関係者や、消防団、ロータリークラブやライオンズクラブさんなどのボランティア団体、YMCAやワイズメンズクラブなどの社会教育団体、青年団や青年団協議会、県青少年ボランティアなどの全県規模の青年団体関係者、ボーイ&ガールスカウト、警察官、自治体職員、マスコミ関係者から議会関係者に至るまで、広範な各層の市民が、まさに全身ペンキまみれになりながら、試行錯誤のなかで生み出した御近所の妙案なのです。
調べれば調べるほど、「こどものいたずら」でもなければ「たかが落書き」ではない、複雑で深刻な背景があることがわかってきました。
調査の結果、都市中心部の空洞化と高齢化等による地域自治管理・地域教育能力の低下と、街で生起する問題への社会的無関心の増大が、様々な「スキ」を生み、それが、落書きとして目に見える形へ可視化されてはびこり、重犯罪者の誘引効果を生み出し、犯罪の温床となっていることがわかってきました。
そのなかで「割れ窓理論」というものがあることもしりましたが、落書き被害マップは、それを見事に証明していることがわかり、ニューヨークでも同じ発想で対策が取られていたことは、大きな励みになりました。
しかも日本での落書きは、ストリートギャングがベースにあるわけではないことから、落書きという違法行為のスリル自体を楽しむ快楽犯罪のツールとして、実行犯のみならず、それを教唆煽動する一部の大人の側の商売の商材としても利用されている、とても陰湿な実態がわかってきました。
そして落書き犯は、対象を小さな店舗や高齢者のお宅などに集中させていることが膨大な写真記録から見え始め、犯罪特有の「弱いものいじめ」のメカニズムが見えてきました。落書き放置の現状は、放置され疎外された街の悲しい叫びのように見えてきたのです。街がいかに「仏つくって魂いれず」になっているかを痛感しました。
しかし、いざ消すとなると、話は違います。落書きは一定の規模でまとめて消さなければ、いたちごっこになってしまうことがわかりました。これは小さな落書き消しを繰り返している間に実体験としてわかったことで、被害者が挫折してしまう気持ちがよくわかりました。一方で、落書きは私有財産の破損ということで、「自己責任論」から、ボランティア活動の対象テーマではないという机上の理論を展開する人もいます。
しかし、理屈と現実にはいつもギャップがあります。落書き犯罪は前述のうように、地域自治、私有財産管理という自己責任論と、現実の都市経営資源の不足、そして管理手法の陳腐化が三位一体となって相互作用しながら自治管理の真空状態を作っているところに入り込んでいる現象なのです。 (企業経営でも都市経営でも、マネジメントの面では似ている部分が多々あります。「相互扶助」の精神は、不可欠の要素です。)
落書き消去で効果をあげる方法を試行錯誤で模索するなかで、「一斉消去」という方式に行き着きました。通常は「みんなで消せば楽しく消せるじゃん」という感じでやっていますが、人様の壁にペンキを上塗りするには事前の許可と段取りが必要で、たくさんの壁をボランティアで消すとなると、予想以上の手間がかかりました。
ですが、ここからが大切です。「ひたすらお願いして消させていただく」という、謙虚さが問われる準備の中で、地域との交流が生まれ、地域の中でも薄れていたコミュニケーションの(ハードルの少し高い作業を乗り越えるために)再構築が進み、かつ、ボランティア精神の再確認ができるのです。
その中で大発見がありました。子供や若者が落書き消しを心から楽しむ姿です。子供たちが傷ついた街を、汗を流して楽しく修復することで、「自分たちの街は自分たちが守る」という気付きが芽生え、消した壁を気にして見ることで、街への愛情を自然に育み、卑劣な犯罪を許さないという自覚を新たにするのです。得がたい体感教育になると思いました。もちろん、子供たちが消した跡に落書きがかかれることもあります。しかし、そこで、彼らは、「犯罪被害者」の気持ちを擬似体験し、こころのそこからの悔しさや悲しさを感じて、人の痛みを想像できるようになるのです。
今、我が国は、先進国の中でも、最も高い伸び率で犯罪が急増しています。色々な背景があるのでしょうが、凶悪犯罪現場に落書きが放置されている現状はテレビ画面でも容易に確認でき、報道関係者からも問題点が指摘されています。
「見て見ぬふり」は犯罪の土壌の一つになります。犯罪や街の危機に際して、いち早く危険信号を発し、市民が具体的に取り組むことができる身近な題材の一つが落書き対策です。落書きへの日常的なウォッチそのものが防犯活動の一つとなります。それが今では「人づくり」に新たな展開をはじめました。落書き対策は地域コミュニケーション・地域教育力の再構築手段の一つといえるかもしれません。
「謙虚に、やりたい時に、やれるだけ。落書きを楽しく消そう」これが私達のモットーです。市民の皆様と共に喜びを分かち合える活動をしていきたいと思っています。これからもどうか宜しくお願いします。
つづく