雑感


2008.11.28 ボランティアの原点再考

 よく「落書き調査隊」はどんな団体なんですかって聞かれるんです。
 でも、やってる側もよくわからないんですね。
 一応代表は面白半分に隊長という言い方もありますが、そんな名称にはあまり意味はありません。まじめに隊長だとかなんだとかいってるほうが、おかしすぎる。
 落書き消しの作業のたびに隊長を替わってもらうこともあります。
 みんなが誰でも隊長になったり、隊員であったりする。なんか、そのほうが楽しいじゃないですか。

 「落書き調査隊が岡山の落書きを消してるんですよね」って聞かれれば、それはNo!です。正確には「落書き調査隊消している」です。

 一般的に、ボランティア活動が広く知られるようになると、活動の広がりの根拠を、属人的要素から説明しようとする傾向が生れます。もちろん、人がやっているという意味では、属人ですが、実際には、特定の誰かが主に活躍したとか、特定の誰かのおかげで広がったとか、だれが仕掛けをしたとか、そんな誰かれの手柄話ではありません。

 市民県民の心が一つになり、長期にわたって少しずつ努力を重ねていった結果うまれた自然発生的要素を基調とする住民パワーの集合体なのです。だからこそ、全国の方々が、面白い楽しいって言われながら交流され、各地に落書き消しの輪が広がっているのです。

 「最初に落書きを消したのは誰?」なんてお話を聞くと、思わずクスッと笑いたくなるのは私だけでしょうか?
 工業所有権の話ではありません。
 落書きを消したのは、なにも「調査隊」とか特定の団体ではありません…。落書きを最初に消したのは、落書き犯罪の被害者です。つまり住民の方々です。

 さらに、付け加えれば、みんなで集まって楽しく落書きを消した例は、昔から、いくつもあります。被害者である(私も被害者ですが)住民は、前々からいたちごっこを覚悟の上で、努力して消しているのです。表町にも、何度も何度もお店の壁を消され続けているしっかりしたオーナーがおられます。そういう方々こそ、本来の街の大切な存在であり、意志なのです

 「落書き調査隊」ががんばったから、落書き対策が発展したんでしょうか?やはりNo!です。

 あくまで市民の皆さんの中に、どうにかしたい!という思いがあったからできたことです。それが第一で、しかもすべてです。「調査隊」含め、だれかれが上から「市民を動かした」ものではありません。私たちは、市民のみなさんの思いを少しだけ整理して、わかりやすく説明してみただけに過ぎないのです。
 「だれかれが、道を作った」みたいな言い方は、その動機によっては、休みの日にペンキ塗りをしてくださる市民ボランティアに失礼な話になるかもしれません。

 調査隊には規約も会則も、会員名簿も一切ありません。岡山の落書き調査隊に関しては、定常的な「組織」の形を取っていない、という、もっとも特徴的な性格をご紹介しておきたいと思います。

落書き調査隊に唯一決まりがあるとすれば、それは個人の自発性を最優先すること。そして、「謙虚第一。誰が誰に対しても偉そうにしない。命令しない。押し付けない。」といったものかもしれません。

 逆にこの点に関しては、ボランティア精神の生命線として厳守しております。
 私たちは事前登録型の活動ではないので、不特定多数の方が集まる落書き消しの当日では、一部交流ができた方々のほかに、どなたが作業に参加して下さったかわかりません。それがまた面白いところです。

 いろんな方が参加して下さるのは大歓迎です。
 隊の何を名乗ろうが、それも自由。というか、商標登録などしてないので、制限しようもない。当然のことですが。それが、岡山における落書き対策が発展している理由の一つです。

 ボランティアは、「俺が俺が」ではだめなんです。啓発活動は大切ですが、表に目立つことだけしか考えない傾向も要注意です。ある意味バランスは難しいですが、要は心のありかたの問題。主人公は市民です。

 もちろんこういう超お気楽スタイルを他の地域でお勧めはしません。すでに、立派な組織で落書き対策を見事に推進されている地域もたくさんあります。きっかけや、偶然性や、歴史や、文化性やそのほか、それぞれの地域特性があります。

 とくに東京や、大阪や、京都などは、街をしっかりと盛り上げ、維持しようとする市井の人々の町人文化的気質というのでしょうか、そういうものがしっかりとあり、とてもすばらしいと思います。

 岡山の「落書き調査隊」もそういう文化だと思います。ただ、最初から、こんなお気楽グループで始まったんですね。それで6年もやってきました。地域の方々に落書き消しの輪が着実に広がっているのですから、岡山は、それでいいじゃありませんかっていう感じです、ホントに…。