猫の鼻  


「何かさぁ・・・・変なニオイしねぇ?」

 ・・・・・?
 その言葉はあまりに唐突で。
 一瞬何を言われているのか分からずに、僕も周囲のニオイを嗅いでみるが、特に変わったところはない。
 再びくんくんと鼻を鳴らすようにして、隼人が顔をしかめた。
 そのままこちらに視線を固定する。
 失敬な!僕が何かしたとでも言うのか!?

「僕には分からないけど・・・・・・・あっ」
 原因を探ろうとして、ある事を思い出した。
「アル?」
 呼び止めようとする馬鹿の声を無視して、僕はあてがわれた部屋に駆け込んだ。
 案の定、和風の扉の隙間から煙が漏れ出している。
「shit!!」
 障子を開けるのももどかしく襖に上半身を突っ込んで、その状態に小さく舌打ちをした。
 これでこの薬品も底を突いたし、しばらく実験もおあずけだな。
 実験結果をきちんと纏められなかったのは悔しいが、日本家屋は実験向きに出来てないみたいだ。
 この押し入れとかいうスペースはもう少し湿度が低いものだと思っていたけれど。

「ばっか野郎!何だよこの煙とニオイ!!」
 もうもうと立ちこめる怪しい色の煙に驚いた隼人が窓を開けたのはほんの数分後。
 それまで激しく咳き込んでいたようだが、一体何をそんなに苦しんでいるのか謎だ。
 ARMSも煙を瞬時に分解するのは不可能だということか?
 それとも無害なのものに対しては機能しないということか。
 どちらにしてもあの馬鹿も騎士も今一理解不能だ。

 溜息ついでに肩を落として、僕は洗面所へと足を向けた。


 流れる水を止めて、手の水気を切る。
 カチャカチャと音を立てる実験道具がテーブルの半分を埋めていた。
 昔は聞き慣れた音だったけれど、ここ半年ほどめっきりご無沙汰だったので耳に良い。
 軽く水を切って後は自然乾燥に任せることにした。
 暦の上ではもう春だけれど、まだ風邪は冬のもので、空気も乾いて冷たい。
 これなら1時間程度で乾くだろう。


「こーのーおマメーっ!!!!」
 バタバタと訳の分からない怒声を上げながら隼人の馬鹿が走ってきたのは日も傾いた頃。
 綺麗に乾燥していたフラスコやビーカー・試験管を手にした僕は、さして広くもない廊下の壁に寄り掛かりその突進を難なく避ける。
 と、言うよりガラスの固まりを抱いているのだから衝突されては掠り傷では済まない。
 僕にはARMSがあるわけではないから、下手な怪我はしたくない。
 何よりも、痛いのは嫌いだ。
「テメェ!避けんな!!」
 理不尽なことを口にしつつ、階段を上る僕を捕まえようと無駄に手を伸ばすが、どうやら先ほどの突進の勢いを殺した時に足の指でも打ったのだろう。
 涙声で言われても『威嚇』の『い』の字の迫力もない。
「五月蠅い」
 いつも通り一言であしらって、僕は部屋へと引き籠もった。


 と。
「さっ・・・・寒い!」
 思わず歯の根が噛み合わなかった。
 十分やそこらではないのだろう。恐らく1時間以上は窓を全開にしてこの部屋の換気を行ったに違いない。
 ・・・・・・・あの馬鹿がっ!!
 沸々とした怒りも沸いてくるが、試験管などを粗末に扱うわけにはいかない。
 ―――しかし。
 収納スペースとして使っている押し入れを開けた瞬間、僕の怒りは頂点に達した。


 荒々しい足音をたてて、僕は今の障子をスライドさせた。
 激しい音に、隼人の馬鹿面がこちらを向く。
 手に持った湯飲みは置け!
「一体何なんだこれは!!」
「何って・・・・・脱臭剤」
 バーンと、僕が隼人の鼻先に突きつけたのは備長炭――の袋詰め。
 確かに木炭は脱臭剤や米びつの虫除けなどにも使われる。
 だが、今ここで問い質したいのは、それが何故僕の部屋の押し入れの中に幾つも置かれていたのかということだ!
 その辺りを問い詰めれば、この馬鹿はあろう事か『ホントはもっと置きたかった』と口にしたんだ!!
 この時期に人の部屋の窓を開けっ放しにしていただけじゃなく脱臭剤を放置していくなんて、何て侮辱だろう。

「お前・・・・・・・風邪ひいてるのか?」
「風邪もひかない馬鹿なお前と違って、僕は健康管理はきちんとしている」
「じゃあ花粉症か?」
「まだアレルギーを持った覚えはない」
「だったら・・・・・・・鼻詰まってねぇか?」
「お前は僕を馬鹿にしたいのか?」
 そこの見えない押し問答に痺れを切らして、僕は備長炭を投げつけた。
 当然顔面に。
 悔しながら直前で受け止められてしまったけれども。
「じゃー、何でだろうな?」
 そんなことで首を捻られても、こっちはさっぱり分からない。
 日本人は言葉が足りないから苦手だ。

「第X文型ぐらいできちんと状況説明が欲しいんだけどね」
 嫌味混じりで言えば、まだ説明してなかったか?との間抜けな返事が返ってきた。
 この男は・・・・・・!!
 微かに自分の口元が引きつったのが分かったが、怒鳴っても判る男ではない。

「なんて言うかさぁ。お前さっきの煙、薬臭くなかったわけ?」
「煙?」
 確かにさっきは湿度調整の関係で実験を一つ失敗したが、言われてみればその時煙が充満していたかもしれない。
 多少視界が悪かった気もする。
 しかしそれがどうかしたのだろうか。
「あぁ。さっき押し入れから出てた怪しい色の煙。無茶苦茶臭くて窒息するかと思ったんだけどよ。お前全然平気そうだし」
 ・・・・・それであんなに咳き込んでいたのか?
 けれど窒息とは誇張表現な。
 実際僕は何とも・・・・何ともない?
「僕には何も匂わなかったぞ?確かに視界は悪かったけれど」
「視界が悪いとかいうレベルか!?アレが!!」
 言い分は判ったからつばを飛ばさないでくれ。
 僕の渋面に何を感じ取ったのか、先ほどから握ったままの湯飲みを置いて僕にも座れと指示した。
 僕が腰を下ろすのと反対に、隼人は台所へと消えた。
 馬鹿の意図は分からないがとりあえず向かいに座る。
 ついでにお茶ももらう。


「おぉ。間接キスか?」
 しばらくして姿を見せたと思ったら、馬鹿はニヤリとした笑みを浮かべて下らないことを口走った。
「湯飲みを投げつけても良いか?」
「割れると困るから炭で勘弁してくれ」
 その言葉にこっくり頷くと、僕はテーブルの上に置いたままの炭を隼人の顔面に向かって投げつけた。
 今度は無事命中して、隼人の情けない声も聞こえたが、そこはそれ自業自得というヤツだろう。

「で。この漬け物の山は何だ?」
 梅干し、奈良漬け、たくあん、かぶ漬け、高菜漬け・・・・・・その他諸々。
 日本の代表的な漬け物の数々がテーブルの上を所狭しと埋めていく。
 タッパとか壷から混じって漏れ出すニオイに多少眉根を寄せながらもひとまず指差すことで原因の追及を行うことに決定した。
 何故今ココに漬け物が出て来るのか?
 必要性がさっぱり分からない。
「何だ。コレは臭うのか?」
「・・・・・・・・そんなモノ持ってくるな。腐ったニオイがする・・・・・」
 さらに隼人が持ち出してきた納豆とクサヤにめまいを覚えつつ、僕は痛むこめかみを押さえた。

 ―――ニオイに対する慣れ。
 つまりはそういうことらしい。
 簡単に言えば、漬け物などのニオイに慣れている日本人と、薬品のニオイに慣れている科学者の感じ方の違いというヤツだ。
 流石に毎日食卓に並べてあれば多少の免疫は付くが、それでもまだあの独特なニオイには慣れることは出来ない。


「良い匂いだと思うけどなぁ。あの変な煙の方がよっぽど臭い」
「湿度の問題であぁなっただけで、成功すればあんな煙は出ない」
 思い出したように苦々しげに呟くから、思わずこっちも口を尖らせて反論してしまう。

 僕たちがお互いの苦手なニオイを克服出来るのは果たしていつの日だろうか。
 先行きが不安なある春先の出来事であった。



良し!御免なさい!!(脱兎)
溜めてました。ずーっと放置してました。
思い出したようにUp。
意味不明で申し訳ないです.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆


BACK