水の中の紅 (ミズノナカノアカ)




 雨が降っている。
 もう何日も止んでいない。
 その降り方はまるで梅雨の時期のように、心を陰鬱に染めていくのだ。
 誰もが思うだろう。
 あの空を埋め尽くす灰色の雲に向かって―――

 あぁ、うんざりする。



 窓際で一際ウンザリした気分を味わっていた隼人は、しみじみとため息をついた。
「ため息をつくと幸せが逃げるのよ」
 洗濯物が乾かないから私だってため息出ちゃうけど、と廊下を渡るキャロルの言葉に
生返事を返しつつ。
 隼人は再びため息をついた。
 とびっきり深いため息を。


 いつもだったらもっと色々とやる事が浮かんでくる。
 部屋でゴロゴロするのも良いだろう、道場での鍛錬でも良いしK-1の試合のせいで
溜まってるビデオをまとめて見るのもアリだろう。
 ・・・・・だけど全てに対してやる気が出ない。
 無気力期間とでもいうのだろうか。
 どうにも、何をするのも億劫で堪らなくなっている。

 人、一人不在なだけで。

 それなりに大きくなって、身長だって自分に追いついてきたというのにそれでもまだ
生意気な子供の色を残すあの少年が、自分の心をこんなにも大きく占めているのかと
―――改めて考えてみればそれは凄くどうしようもない状態なんじゃないか?
 と、隼人は3日以上こうして窓際で曇天を眺めながら考えていた。
 それでも出た答えはいつもと変わらない。
 変わろうはずも無く。

「早く帰ってこい・・・・・」
 ポツリと呟いてみる。
 ただ一言しか出てくる事は無かった。




 時折アルは『ちょっと出かけてくる』と言い残して1週間近く戻ってこない事がある。
 そういう場合大抵は渡米して自分名義の研究所で何やら研究をしているらしいのだが、
それが上手く隼人の試合期間と重なれば問題は無い。
 だが今回のように明らかに手持ち無沙汰の時に居ないとなると問題は山積み・・・・・いや、
単に隼人の思考が鈍るだけなのだが。

「追いかけたいけどそうもいかないって云うのが、辛い所よね」
 ボーっと窓の外を眺める隼人の背中を見てキャロルが苦笑した。
 依存症までは行かないものの、隼人のアルへの執着はかなりのものだが当のアルは
色々な意味で名が売れているのであっちへこっちへと大忙しなものだから。
 その上隼人だって道場の師範代を勤めている上、K−1の選手だ。
 しかも……世界戦級??
 マスメディアに顔が売れている以上、街中を歩けば人目も引くというものだ。
 隼人はそれを気にはしないが、一緒に歩くのをアルは忌避することがある。
 『ウザイ』
 あの天才少年・・・・いや、あの青年が常では到底口にしないような単語だから
特になのだろうけれども。

 云い得て妙なその一言が隼人を尚もアルに固執させる。

 
 一種の強迫観念のような。
 根底に根付く『恐怖』が、ひどく露出する瞬間がある。
 それはアルの不在時や、時にはリングの上で。
 リングの上でなら相手への威圧だとも感じられるが、日常生活無いではそうもいかない。
 唐突に呼吸困難に襲われる様に。
 陸に打ち上げられた魚のように。


「あー。・・・・頭・・・・痛ぇ・・・・」


 例えるならば、酸素が足りないのだ。
 生きて行く為に必要な要素が一つ欠けている。
 呼吸をするように存在を傍らに感じつづけて来たから。
 無くなってしまえば生きてはいられない。
 いつのまにか、其れ程までの存在感を持って、あの青年は隼人の傍らに立っていた。
 ほんの数年前、唐突に医学の道へ進むと言い出して渡米してしまった時にはコレほどの
喪失感は無かったはずなのに。
 逆に、それ以降になって恐くなってしまった。
 『失う』という感覚を―――忘れていた痛みを思い出してしまったのかもしれない。


 雨に濁る隼人の視界が、赤く染まっていく。
 忘れられない戦いの記憶が思考を埋め尽くす。
 一面が真っ赤に染まっていく、脳裏にこびりついたイメージ。
 
 こんな日に一人で居ると不安になる。
 決して世界は平和ではないから。
 アルがその中に巻き込まれていないなんて、断言は出来ないから。


「早く戻ってこい…。世界が真っ赤になる前に」

 虚ろに吐き出された言葉は、今度こそ誰にも聞こえる事は無かった―――








……。敵前逃亡!!(脱兎)
書きためてるモノとか書き掛けで放置していた物とかを
徐々に書き上げて行ってるんですが、久々に続きを書くと
「アンタ誰なのよさ!!」ってカンジで心底ビックリです。
え?誰がビックリって書いてる自分が一番驚いてますよ。ゲフン(吐血)

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