丸洗い



 ある日、一磨さんは思いました。

 ―――人間と同じ、とは云うが どの辺りまでだ?




 最近ではめっきりクラスに馴染んでしまった野良犬を見ながら、魔王直通の携帯電話を弄ぶ。

 比較的傷の治りも早いし、身体の頑丈さも平均よりは上だろう。
 加えて 生来の頑固さもあってか、痛みへの耐性も高いらしい。
 魔界ではどうだったのか知らないが 人型でいることも、そう不自由そうではない。
 そうなると一つ気になることが出てくる。

 ―――水浴びは、させるべきか否か。

 先日 日差しが異常に強かった夏日に、実は熱中症になりかけていたらしいことは知っている。
 そして 台風が直撃した日には降り続く雨にぐったりとしていたことも。

 妙なトコロで繊細さを滲ませるモノだから、果たしてホースで水を浴びさせたものか、風呂へ入れたものか・・・・・。
 どちらにするか 表情を全く動かすことなく、ノラよりも皆の注目を集めるゼリー状の物体をぼんやりと眺めていた。






 中等部とはいえ、学校の敷地内には運動部用のシャワー室が完備されている。
 放課後、取り敢えず首輪を掴んできたものの 未だどちらにするか決めかねていた一磨はひとまず中間をとって シャワーを浴びせてみることにした。


「おいっ、今日は何なんだよコラッ!」
 ぐへっと首輪を持ち上げられた事に息を詰めつつ、それでもノラは噛み付いた。
「いい加減・・・・何とか言え、テメェ!!」

 ノラの方からしてみれば いきなり無言で引きずられれば文句の一つも言いたくなるというものだ。
 対する一磨はずっと考え込んでいるせいか終始無言で歩く。

「もうすぐ着く」
 ようよう口を開いたかと思えばその程度の返答しかない。

 体育館の脇を通り抜け 着いた先は部室棟の出入り口だ。
 勝手知ったる何とやら。
 人気のないソコへ踏み込み様子を窺うが、特に誰かが使っている気配はないのを確かめると 一磨は例によって片手でノラを室内へと放り込んだ。

「いてぇ!!」
「静かにしろ馬鹿犬」
 ガタンと床板が音を立てて揺れる。
「だから犬じゃねぇって言って・・・・・?」
 立ち上がった拍子にカタンと動いた足下の床にノラの視界が揺れた。
 脱衣所も兼ねている室内は、湿気を避ける為に 床が部分的にスノコになっているからだ。
 
「・・・・何だ、ココ・・・・・?」
 周囲を見回して、壁に設置された見慣れない棚を見遣る。
 何の為の物か分からず首を傾げれば、事此処に至ってようやく一磨が口を開いた。

「シャワー室だ。サッサと行け」
「行けって・・・・」
「シャワーを浴びて来いと言っている」
 端的に述べられた言葉に言葉を返せば、まともに問い返すことすら許容しない勢いで反論を封じられた。
 行けと言われた先にあるのは 磨りガラスの引き戸が一枚。
「な・・・・・っ何でンな事しなきゃなんねーんだよっっ!!」
 顎で示されて 不愉快さに牙を剥けば、逆に酷く不思議そうに一磨が切り返した。

「水浴びすら知らんのか」
「し ら ね ぇ わ け ね え だ ろ っ!!・・・・・・・・・っていうか、水浴びって何だ!?オレは犬じゃねぇっっ!!」
「知っているのなら問題は無いな。早く行け」
 いきり立って反論するが、そんなことは意に介さぬ とでもいうように一磨は再びシャワー室を示した。

 いつもと同じ扱いだ。
 傍若無人で不遜な物言いも。
 だが、いつにもまして腹に据えかねて ノラは一磨の胸ぐらを掴み上げた。

「だから、何でオレ様が―――」
『禁ずる』
「ごへっっ!!」
 再三に渡り意図を問いただそうとする動きは、一方的な圧力により排除されて終わった。

「貴様に言っても理解は出来んだろうが、色々と思うところはある。今は取り敢えずシャワーを浴びてこい」
 それとも 服を剥ぎ取られなければ分からないか?
 絞まる首輪に悶絶する中 更にそんな言葉を真顔で吐かれて、呼吸困難とは別のトコロでノラの顔が引きつる。
 ふるふると力一杯顔を横に振って応じれば、満足したのか 一磨が少し距離を置いた。

 嫌そうに。本当に嫌そうに服を脱ぎ、指図されるまま棚へと服を仕舞い、タオルを腰に巻く。
 一連の流れの中で 二人とも最低限しか口を利かなかったが、ノラの胸中で 居心地の悪さは 正にリミットブレイク寸前だった。


 ―――視線がイテェ!!


 それはまとわり付くような生理的に不快なものではないが、観察される様に 一挙手一投足を射抜くように観られれば、どうにも耐えかねる。
 元々堪え性のないノラにとっては針の筵と同じかそれ以上の苦行となった。
 文字通り『視線が痛い』。

 誰も使っていないシャワー室は湯気一つ無く、回る換気扇の音だけが大きく響いていた。
 視線から逃れるように カラリ、と磨りガラスのドアを横へスライドさせてシャワー室へ踏み込む。
 壁から生えたようなシャワー1機毎に壁と撥水性のカーテンで区切られた広めの個室は足下だけで繋がっていて、数カ所に設置された排水溝に水が流れ込む形になっている。


 無数に並ぶ個室の一つを適当に選んで入ったものの、さて 使い方が分からない。
 何気なくノラが壁から生えたノブを回すと、勢い良く冷水が降ってきた。

「つめてっっ!!!」

 不意打ちの様な一撃に、思わず大声を上げてしまった。
 撥水カーテンの向こうに居る一磨には確実に届いたであろう悲鳴は、慌てて口を押さえても今更掻き消せるものではない。
 取り急ぎ降り注ぐ冷水の原因になった青色のノブを逆方向に回せば、水は止まった。
 思わず零れた安堵の溜息は、しかし長く続くものではなかった。

「温度調節すら出来んのか貴様は」
 やや厚手のビニールカーテンの向こうから声がする。
 それはノラにとって恐ろしいものの声だ。

 時折、一磨の声に酷く背筋が冷えることがある。
 不機嫌さや怒りを滲ませている時とは異なる、妙に鳥肌の立つ声だ。
 それは溜息が混じっていても直感的に理解しているからだろう―――彼の声に滲む、好奇心に。

 咄嗟に押さえ付けたカーテンは、ノラの予感に違わず反対側からも力が加わった。
「ちょっと間違えただけだ!!」
 動揺した声で更に力を加えれば、正面から冷静な声で 壊れるぞ と声が掛かった。
 壊すのはマズい と、瞬間指先の力が抜けたところで 視界が一気に開く。

「え・・・・・・え!?」
 瞬きを数度繰り返すが、正面に見えるのは紛れもなく契約者その人だ。
「馬鹿犬」
 呆れたような声でそう一言口にすると、一磨は自分が濡れるのも構わず、シャワーの調節を始めた。

「あつっ・・・・!」
「もう少しぬるめが良いのか?」
 一度調節しきったところでノラに降り注いだ湯は、彼には少し温度が高かったらしく それを聞いて一磨は冷水のノブを少し回してみる。

 そんな遣り取りが済んで、程良い温水に ノラがほうっと溜息をついた頃、改めて一磨を見れば いつの間に着替えていたのか 彼は体操服に身を包んで そこに立っていた。

「制服のままで入る訳がないだろう」
 ボンヤリと不思議そうに眺めるノラに そう言い放ち、手近なボトルから不思議な色の液体を手の平に取った。

「ソレ、何だ?」
 興味深気に覗き込むノラに視線を移し 眉をひそめると、問答無用でしっとりと湯を含んだ銀糸へと指先を滑り込ませる。
 そして指を差し込んだは良いが、後頭部で結わえられた紐が邪魔だと一磨が思ったのと、ノラの悲鳴はほぼ同時に起こった。

「うぎゃぁ!!」
 一体何をつけられたのかと混乱してのものだが、当然身体は逃げようと動くものだ。
 反射的に屈めた身体を伸ばそうとするのを一磨が力ずくで押さえ込めば、流れ落ちる水に噎せたのか激しく咳き込む音が室内に響いた。

「野良犬、目を閉じて大人しくしろ。そうすれば放してやる」
 自分の胸元辺りに固定した耳元で そう口にすれば、苦しさからか やけに素直に縦に振られる頭。
 良し、と呟いて手を放すと 目を固く閉じたまま背後の壁へとノラの身体が寄り掛かった。
 咳と深呼吸を何度か繰り返して、呼吸を整える。
 鼻と口に入った湯が痛いのか気持ち悪いのか、なかなか咳が収まるようでは無かったが。

 恐らくこういう展開になるだろうと予測してはいたのか、一磨は個室の外から何かを引き寄せた。
「これに座れ」
 一磨が目を閉じたままのノラの手を取り触れさせたのは、教室にあるものと同じ椅子だった。
「なんで・・・・っ」
 息苦しいのか それだけを口にしたノラに、一磨は何でもないことのように答える。

「髪を洗いにくいからに決まっているだろうが」

 その言葉に、ノラは漸く先程の液体がシャンプーだったことに気が付いた。
 そして、一磨が何をしようとしているのかも 朧気に。

「・・・・そのくらい自分で―――」
「何がシャンプーで リンスで ボディーソープかも分からない癖にか?」
 これからの展開に怯えながら紡がれた言葉は、力強く一刀両断された。
 そう言われてしまえば 確かにその通りであり、同時に上手にやって見せたとしても難癖を付けられるに違いない。

 ―――何となくノラも一磨という人物を掴みかけてきたらしい。

 渋々と用意された椅子に腰を下ろせば、髪を留める3本の紐が解かれた。
 キッチリと結わえられたソレ等を外せば 締め付けられている頭部が少し楽になる。
 肩の辺りに温かなシャワーが当たるのを感じながら、再び一磨の指が髪に触れる感覚を追った。

 普段は括られている為分かりにくいが、実は量も長さもそれなりの物になるノラの髪は、やはり洗うのに手間が掛かる。
 2回ほどシャンプーを足しながらゆっくりと髪を泡立てていく一磨の手付きは それはそれは慎重なもので、もっと乱雑に掻き混ぜられるのではないかと警戒していたノラには、思いの外気持ちの良いものだった。

「・・・・・・んっ」
 髪を伝い、首筋や脇腹へ流れる泡がくすぐったい。
 額の生え際から 米神辺りを丹念になぞる動きも。
 軽く眉を寄せ我慢するが、しかし目を開くことが出来ない。
 ・・・・・シャンプーが目に入ると痛いのは、経験上知っているから。

「流すぞ」
 掛けられた声と共に、ゆっくりと染み込んでくる温かい水。
 水を含み重くなった髪に 洗い終わったことを知る。
 顔の方に水が行かないように と逸らされた喉に動物的な一抹の不安を覚えながらも。


「さて、次は―――身体だな」
 髪を洗う指先の心地よさに微睡み掛けたのもつかの間。
 続いた一磨の一言に、ノラの意識は一気に覚醒した。

 ―――先程も背筋を冷やした、例のあの声色に。

「い・・・・・・イイ!自分で洗う!!」
 行動の理由は理解不能だが、本能に訴えるように 警戒信号が脳裏で点灯を繰り返す。

 ・・・・・・何となく、これ以上はマズい。非常にマズい気がする。 
 漠然とした不安と恐怖に駆られて、ノラはソレまで腰を下ろしていた椅子から飛び退いた。
 たっぷり湯を含んだ銀髪を揺らしながら振り返れば、そこには既にスポンジにボディーソープを染み込ませ、泡立てている一磨が―――居た。

「遠慮はするな。徹底的に洗ってやろう」
 ニヤリ、と笑う口元は今のノラには無いはずの犬耳を伏せさせるには充分だった。

「だから・・・・!」
「禁じられて無理矢理洗われるのと、大人しく洗われるのと、どちらがイイか選ばせてやろう」
 逃げ出し掛けたノラの腕を掴み、引き留める。
 子供の細腕の何処にそれだけの力が秘められているのか分からないが、片腕でノラを引きずることが出来るだけの力を内包している。
 そんな手から、こんな状況下で逃れることなど、とても出来はしない。
 しかも出された選択肢だって、逃げ道などはない。

 そもそもこの二択は一体どうなんだ?選択になるのか?!どっちを選んでも結局同じじゃねぇか!!

 ・・・・・と、心の中での叫びは 口に出されることはなかった。
 どうせ言っても無駄だっただろうし、ノラには第三の選択を選び出すだけの思考力もなければ それを実行させるほど一磨も迂闊ではない。

 頭から降り注ぐシャワーがタイルに冷やされ、濛々と湯気を立ち上らせる。

 身体を伝い落ちる湯だって、別に嫌いじゃない。
 魔界に居た頃は 魔王がよく温泉とかに連れて行ってくれていたからだ。
 魔王の執務室は色んなトコロに繋がっているから。
 普通に入るだけなら、何も言うことはないのに・・・・・・・・・何でこんな事になっているんだろう。

 グルグルと色々なことが頭を回る。
 普段使っていない頭をフル回転といった感じだ。
 それでもやはり 一磨が何をしたいのかなんて サッパリ分からない。

「・・・・・・どっちも嫌だって、言ったら・・・・・?」
 そもそも答えの分かっていた質問だったのに。
 俯き、髪から滴り落ちる水滴を見詰めながら 答えの分かっている問いを口にしたら、即座に返ってきた。
「問答無用で洗うが?」
「・・・・・・・・あー、そーかよ・・・・・・」
 ボンヤリと霞んだ頭で吐き出された言葉には力など籠もってはいなかった。
 どうでも良いような気分、というヤツだろうか。
 それは酷く『らしくない』口振りで 一磨は目を見張る。

 のぼせたか?と様子を伺えば ややぼぅ、としてはいるものの のぼせているようでもない。
 掴んだ腕を引けば 大した抵抗もなく、容易く傍らへと寄ってきた。

 発端は 人間と実際の作りがどの程度違うのか、という点と 後は水浴びすらしていないのだから 汚れているのではないか? と思って始めたことだったが、一磨の見たところ 人間と構造が違うようでもない。
 少なくとも外見の上では。
 それに、髪を洗っていて気が付いたが 汚れらしき汚れというものがない。
 普段あれだけ犯罪悪魔と戦闘したり裏山でゴロゴロしていたりする癖に。
 湯船に漬ければ2回くらい湯を入れ替える必要があるか? と懸念していたが、そんな心配は全くいらないほどに。

 ゆっくりと腕からスポンジを滑らせていく。
 泡が肌の上に留まるのはほんの僅かな時間だ。
 すっかり観念したのか、何の反抗も見せず一磨の指示するままに背を向ける犬に 目を細める。
 背中から先に洗っていくのは 封身解放した時の翼の形跡がないかを確かめる為だ。
 しかしそれも杞憂で、傷一つ無い背中を辿る。
 そうやって、一つずつ確認しながら洗っていく。

 そんな中で判ったことが幾つか。
 耳や喉元、腹の辺りに触れると嫌そうに唇を噛み締め、全身に緊張が走るということだ。
 犬のソレに似た動きに 口元が緩む。


「・・・・・・なぁ、もう気が済んだんじゃねーのかよ」

 きつく噛み締められた唇が、開いた。
 寄せられた眉が、少し泣きそうに歪んで見えたのは 気のせいだろうか。
「まだだな。『徹底的に洗う』と言ったはずだが?」
 まだ洗ってないところがあるだろう、とスポンジを揺らしてみせれば 元々大して良くなかった顔色が、一気に青ざめた。

「イヤ・・・・・だ・・・・・。絶対にイヤだ!!」
 血の気の引いた顔をして、上げられた声は最早悲鳴だ。
 しかし 此処で引くくらいなら、始めからこんな酔狂なマネはしなかっただろう。

 ソープで滑りそうになる足に力を込めつつ、逃げようとする身体を個室の角に囲い込み ノラの左腕を掴み上げて、動きを制限する。
 身長的に劣るとは云え その程度で覆されるような力関係を形成したつもりはない。


「何をそんなに嫌がっているのかは知らんが、犬を洗うのは飼い主の義務なのでな」
「俺は犬でもねぇし、テメェに飼われてもいねぇ!!」
「大して変わらんから安心しろ。それに、現状を良く考慮して発言するんだな」
「そーいうもんか・・・・・?って流されるわけねーだろクソボケ!」

 せめて自分で洗うからソレを寄越せ!とスポンジに手を伸ばす。
 しかしそんな事を許す筈がないのだ。
 好奇心を満たす為には 何でもするお年頃なのだから。

「黙って洗われていろ、犬」
「・・・・・・・!?今『犬』って言ったなテメッ!!」
 繰り返されるやりとりの中で、ノラの気を逸らしながら 一磨の手が伸ばされたのは 太股の辺りだった。
 特に狙ったわけでもなく、単に腕の範囲内にあっただけだが。

 新たに加えられたソープのせいで フワリと立った泡が、膝裏辺りに垂れていく。
 その感覚に ノラの動きが鈍った。

 軽く息をのむ音が聞こえる。

 泡の伝う感覚や 指の触れる感触、水の流れる感じなど、どうやらくすぐったいことに弱いらしいと知ったのは 正に上半身を洗っている最中で。
 新しい発見の連続のなか、一磨が満足などするわけがなかった。
 しかし今日は純然たる観察と入浴のつもりで行動している為、深い意図があったわけではない。
 一磨にとっては比較的珍しい、思い付きでの行動だった。

 対してノラの方は終始混乱の極みだった。
 無言で連行された挙げ句、いきなりシャワー室に放り込まれ 仕舞いには全身くまなく洗うという宣言を受けて。
 今だって徐々にではあるが移動しているスポンジが ふくらはぎ辺りまで一度降り、足先を洗い また膝裏まで上がってきた所だ。
 身体を洗われるなんて事が、元々受け入れがたいというのに 何でこんな理不尽なマネをされなければならないのか。
 直訳すれば『ムカツク』といった所だろう。

 ただ。
 本音だけで言えば恐ろしいのだ。
 未だかつて、こんな形で他人に触れられたことなど無い。
 そもそも全身に触れられることなど、あろう筈がない。
 口には出来ない思いが全身を走っていく。

 ―――怖い。気持ち悪い。鳥肌が立つ。

 きっとこんな事、誰にされたって同じようにしか感じられない。
 他と比べて接触の多かった魔王ですらもしたことのない 暴挙だった。


 やけに大人しくなったな、と一磨がノラの顔を覗き込んだのは 正にその瞬間だった。
 怯えて硬くなった表情と、竦む躯。
 それを目にして、思い至ったのは・・・・・・・・・・・・野生動物と同じ、ということ。

「野良犬、顔を上げろ」
 いつもであれば必ず噛み付いて来るであろう 物言いに、ノロノロとした動きではあるが大人しく従う。
 それだけで 彼の余裕の無さが手に取るように分かった。
 太股まで戻ってきたスポンジの感覚に、より表情が硬く引きつる。
 それは恥ずかしさというよりは もっと本能的な 急所を晒すこと、また無抵抗に触れさせることに対する恐怖に起因するモノなのだろう。

 それまでは邪魔なモノなど無かった手に、濡れた布の当たる感触がした。
 何かと思って一磨が視線を落とせば、ノラの腰に巻かれたタオルが 水を吸い しっとりと肌に張り付いている。

 ・・・・・・・邪魔になる。

 そう判断の下されたタオルは、一磨の手によって易々と取り外された。
 断続的にシャワーの落ちるタイルの上に投げ出された布は、あっという間に流れに従い移動していく。

「っ!・・・・・サイアクだっ、テメ・・・・ッ!!」
 気休めとはいえ、身を隠すものが何一つなくなったことで ノラの動揺具合も一線を越えた。 
 
 追い詰められ、囲われていた個室の角から 逃げ出すべく、竦んでいたはずの身体が大きく一歩を踏み出す。



 睨み合っていれば 自ずと足下は疎かになる。
 気付かなかったのはどちらの落ち度か?


 ノラの踏み出した足下が滑ったのも、踏み止まろうとした一磨の身体が傾いだのも どちらも床に広がる泡のせいだ。


「ぅわ!!!」
「っ!」

 バシャリ!
 と 激しく水の跳ねる音が響き、辛うじて膝を付いた一磨とは対照的に ノラは完全にタイルの上へ腰を強かに打ち付けていた。
 個室に引かれていたカーテンを掴んで勢いを殺す という事すら、出来なかったらしい。
 一磨に片腕を捕まれたままだだった為、床に手を付く方を優先したらしいが どちらにしても体勢に無理がありすぎる。


 打ち付けた際のあまりの衝撃と 痛みに、気が動転しているせいもあるのだろう。
 上半身が個室から共用の通路部分まで飛び出すほど派手に転けたノラは、勢いに負け 床に寝転がるように身を横たえている。
 力無く投げ出された腕が、今更のように耐水カーテンを掴む。


「ぁ、イッテェ・・・・・・・・ッ」
 強打した腰が相当堪えたのか、ノラの眦にはうっすらと涙すら浮かんでいた。
 対して 膝で体重を支えた一磨も痛い事は痛かったが、ノラほどではない。
 むしろ痛みよりも『より洗いやすい体勢になったか?』と現状を冷静に判断していた。

 どうせ洗い切れていないトコロなど、ほんの一部なのだし。
 一人納得して 再びスポンジを動かし始めた。



「ぅぁ・・・・・!」
 足の付け根に新しく滴った泡に、ノラが小さく声を上げる。
 未だ掴んだままの腕に力が籠もったのが分かった。
「・・・・・んっ、や・・・・イヤだ!ヒッ・・・・・・ぁ!」
 腰回りから下腹部へとスポンジを移動させると、一際身を捩って逃げようとする動きが顕著になる。

「野良犬、じっとしていろ」
 制止の声など まともに届いているようではない。
 恐怖も、くすぐったさも、何もかもが一度に沸き起こって ノラ自身でも自制が効かなくなっているようで 固く閉じられた目元からは降り注ぐシャワーとは異なる水が止め処もなく零れ落ちていた。

「うっく、・・・・・・・うぅ〜・・・・っ!」
 よほど混乱しているのだろう。
 肩を震わせて泣く姿など、初めて見せる。


 何となく、一磨は手を止めてその情景に見入った。
 普段の喜怒楽が激しい分 哀の部分がこれほど静かに起こるものとは予想外だった。


「泣くな、馬鹿者」
 スポンジを手放して 泡に濡れたままの手で頬に触れる。
 そんな些細な動きにすら、肩を揺らして より強く瞼を閉じてしまう。
 言葉にされるよりも ずっと分かり易い恐怖心理だ。

 それでも、ただ 繰り返し頬に指を滑らせる。
 ゆっくりと 軽く。
 他意無く 宥めるような動作に、他の一切の行動を放棄した一磨の行動に ノラの身体に入っていた強張りが少しずつ解けてきた。


 今この瞬間に、あの色違いの瞳を見たいと思う。
 いつも鮮烈な存在感を周囲に焼き付ける あの 鮮やかな双眸が、揺れる感情をどう映しているのか 心から、見たいと思った。


 だから、今日はこの辺りで切り上げる事としよう。


「もう終わった。泡を流すから、体を起こせ」
 気休めではない、本当に終わっているから。

 右手で掴んだままだったノラの腕を放し、水に流されていたタオルを拾い上げ 固く絞り、腰に掛けてやる。
 そしてまた、宥めるように 頬に手を添えた。

 ひくり、と肩が揺れる。
 恐る恐る、といったように開かれる瞼は軽い震えを伴い 徐々に露わになる瞳には 困惑が色濃く残っていた。


 本当に?もう終わった?

 目は口ほどに物を言う、を地でいく視線に 一つ頷いて。

「もう出るぞ。早く泡を落とせ」
 自分が立ち上がるのに合わせ、ノラの身体も引き起こす。
 ただ、まだ力の入りきらない足許を考慮して 放置したままだった椅子に腰を下ろさせる。

 頭から温かいシャワーを浴びる事で 漸く実感が沸いてきたのか、詰められた息が吐き出された音がした。
 瞳にも普段の幼くも勝ち気な色が戻ってくる。
 少々勿体ない気もしたが、おいそれと他者に見せられるような代物でもなかったので 仕方がない。

 一人納得する一磨と、訳の分からない仕打ちから解放されて ようよう一息吐けたノラ。

 冷えた身体に熱が戻った所で 打ち付けた腰の痛みがぶり返してきたのか、しきりに気に掛けるノラの様子を傍目で確認しながら 保健室の薬品棚から湿布薬を失敬する算段を立てる。

 全身きちんと泡が落ちた事を確認して そそくさとシャワー室を後にした。

 閑散とした更衣室に 段取り良く用意されていたバスタオルできちんと水気を切り、衣類を身につけて。
 流石にドライヤーなんて物はないので 髪は一磨の手によって整えられた。

 黙々と行われる一連の作業の中で、お互い思う所は多々あったのだけれど。
 口頭には乗せない。
 特にノラは 藪蛇になりそうだったから。


 湯冷めされては困る、という一磨の主張の元 連れだって真狩家までの道を歩く。
 保健室から頂戴してきた湿布の匂いに文句を言いながらも、痛みに負け それを貼り付けたノラは多少歩くのが辛そうではあるが 当初に比べれば かなり楽になってきてはいるらしい。
 どちらかというか、張り付く湿布の感覚に違和感を感じているようだったが。

 夕暮れの道を急ぐでもなく歩く。

「多少は小綺麗になったか?」
「別に汚くなかたっての!!」

 噛み付くように切り返すが、視線が一磨に向けられる事はない。
 並んで歩く割には 微妙に距離が開いている。

 植え付けられた恐怖心は 易々と拭えるものでもないらしい。


「そう言うテメーは、何かやりたい事合ったんじゃねーのかよ・・・・」

 ボソリと 呟かれた言葉に、当初目的を問われた時に濁した言葉を思い出す。
 目的は そう、色々あった。
 そして幾つかは確認出来て、その他にも幾つかの新しい発見もあった。

「あぁ。目的の大半は果たしたのでスッキリしたな」
 頷きながら答えてやれば、あからさまにホッとしたというように肩が落とされる。

 だからまた一つ、爆弾を与えてやる事にした。




「近い内に 温泉にでも連れて行ってやろう。今度は自分で 全身くまなく洗うんだな」
「―――う゛・・・・・!!」

 ニヤリ、と一磨が意図的に浮かべた笑みに ノラの喉からカエルを絞め殺したような声が漏れた。




 そして一磨の好奇心にまた一つ火が灯る。

 ノラの安息の日は遠い。





























 その日の夜。

 一磨が風呂へ行くと言う事で 一人部屋に残されたノラに携帯電話の着信音が聞こえた。
 手に取り 確認すれば 呼び出しは魔王からのもので。
 嫌な予感に眉間に皺を寄せながらボタンを押せば、案の定禄でもない展開がノラを襲った。

『ノラちゃん、カズマ君にお風呂に入れて貰ったらしいじゃない!どうだったのかしら〜?』
 どこから聞きつけたのか、満面の笑みでそう問い掛けてくる魔王に 瞬間ギラリとした感情が向き掛かるが、そんなモノは 風船の空気が抜けるよりも容易く萎んでしまった。

『どんなお風呂に入ったの?まさかカズマ君の家のお風呂〜?!』
 妙に嬉しそうな魔王の物言いに、どうやら妙に断片的な情報しか届いていない事を知る。

 だから、正直に、伝えてみた。

「学校のシャワー室ってトコで、全身くまなく洗われた」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 何とも表現しがたい沈黙が降りる。

『・・・・・・・・え?』

「何度も言わねぇ」
『今、ちょっと凄い事聞いた気がしたんだけど・・・・・・・気のせいかしら?』
 コトリと傾げられた首が、理解不能でした と物語る。
 しかしノラも二度と口にしたいとは思わない。

『洗われたって・・・・・・・アタシの聞き間違いかしら。洗ったの?』
「洗われた、って言った」
『全身、くまなく?』

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 再び妙な沈黙が降りる。

「なぁ。綺麗にされたはずなのに・・・・・・・・そうじゃない気がするのって、何でなんだろうな?」
 今度はノラが首を傾げる番だった。

 ずっと一磨の顔をまともに見れなかったのは、ソレがずっと引っかかっていたせいだ。
 とても 本人に向かって聞けるような事ではない気がしたので、沈黙を守っていたが。


『・・・・・・・・ノラちゃん、そういうのを羞恥心って言うのよ・・・・・・』
 衝撃から立ち直った魔王が、やや虚脱した様子で それだけを口にした。

 ふーん、と 今一分かっていない様子のノラの返事を聞きながら 魔王は執務室でグッタリと机に沈み込んだ。




 カズマ君、あんまりノラちゃんにマニアックな事しでかさないでね!!



 魔王の心の絶叫は 果たして一磨に届くのか?
 それは誰も知らない。



エー、と・・・・・・・済みません御免なさい。
言い出しっぺのクセに書くの遅すぎです。
スミマセン!切腹!!(自害)

何はともあれ、文字通り御犬様を丸洗いってみました。
少しでも萌えの足しになれば・・・・良いなぁ、と思います。