NORA de ヌルイ字書きさんに50のお題


  01 退屈


 だからどうしたという訳でもないけれど、アイツが居なければすることの無い 平和じみた毎日は退屈で。
 だからどうしたという訳でもないけれど、外出しようにも 人間界の事など真面目に勉強する気は無かったから、一人でぶらつくのは少し面倒だ。
 だから仕方なく アイツの領域で時間を潰す。
 別に 待っている訳でもないけれど。

「早く来い」

 ぼんやりするのは、もう 飽きた。






















 02 涙のあと


 ふと、夜に目が覚めることがある。
 特に不快感があるわけでもなく、唐突に目が冴える瞬間があるだけだが。
 汚れ一つ無い天井が視界に入る。
 暗順応。
 今明かりを点ければ きっと目に痛いのだろうと思いながらも、リモコンに手を伸ばし―――かけて 腕が上がらないことに気付く。
 視線を移せば 月光に染まる鈍い輝き。

 あぁ、コレは犬の頭か。

 腕に乗った塊は、昨夜寝かし付けた馬鹿犬の軽そうな頭で。見た目よりも柔らかな銀髪が、こちらの身動ぎによって さらりと一房頬から落ちる。降りた髪の下から規則正しく聞こえる呼吸音。

 ―――起きる気配は、無い。
 髪に触れたい衝動に駆られて 頬に掛かる一房を掻き揚げれば、うっすらと光る水の雫。
 形の良い眦から、髪と腕に埋もれるこめかみへと 伝わり落ちていく。
 一条の 跡。

「オマエはいつも静かに泣くんだな・・…」
 呟きは 夜に溶けて消える。























 03 秘密の出来事


「秘密だよ?」
 唇に人差し指を当てて 沈黙を守る約束を。
 イイ歳をした男に見慣れない仕草。
 呆気に取られた瞬間に急接近されて、奪われた呼吸。
 触れる唇の熱に驚いて胸元を押し返せば、あっけないほど簡単に離れる身体。
 慌てて口元を擦るが 感触は消えない。
 不愉快にも、視界の隅には伊達メガネ(最近 比良坂に習った)。
「カズマ君達には、秘密だよ?」
 再度見せられたポーズに怒声を上げかけて・・・・掻き消される様に消失する その姿に、忌々しげな舌打ちしか打てなかった。

 ―――秘密のキス。

「こんな事 言える訳ねーだろ、クソボケ・…!」
 苛々と前髪を掻き上げて、もう一度 感触の残る口元を腕で拭う。

 誰にも秘密の出来事。



























 04 小さな勇気


 最近生徒会長が連れて歩くようになった やや柄の悪いSP。
 いつも会長に噛み付いては謎の方法で捻じ伏せられている、いわく『チンピラ』のような人。
 何だか時々教室の窓とかにくっついている不思議なゼリー状のモノの飼い主(?)のようだけれど、まともに会話をしたことは無い。
 初見で殴られた記憶も まだ新しい。
 比良坂さんは結構普通に会話をしている。良くお弁当とかをつつかれたりもしているようだし、藤本君も1回殴られたこと有るわりには比較的気安そうに声を掛けている姿を目にする。
 それは生徒会室に会長が閉じ込めて行くせいかもしれないけれど。
 いつもは誰かしら一緒に居るから気にはならない。
 いや、正直 先日起きた変な怪我の時とか、裏山で気絶した時とかに見掛けた気がするから 凄く気になる。
 けど、気にしないようにしている。

 ―――なのに。どうして今日は二人っきりになってしまったんだろう。
 そして、何故彼は ぼくの必要な書類を枕にしているのだろう……。
 今日という今日は、勇気を出して声を掛けてみなければいけないのかもしれない。

「あの、済みません・…・…」

 ―――意外に素直な良い人で、ビックリしました。























 05 笑顔の力


「カズマくん!見てみてコレがね、今回の秘蔵写真よっ!!」
 携帯のTV電話機能というのも善し悪しだ。
 いつもいつも下らない写真を見せ付けられてウンザリする。
 魔界の街並みや、雁首揃えた幹部階級の顔も。
 特にこの『秘蔵写真』ネタはろくな展開ではないことが多い。
 だから今日も下らない話を断ち切るべく ボタンに指をかけた。

「超レア!ノラちゃんの満面の笑顔スナップ!!」

 力を入れかけた指が、その瞬間にフリーズする。
 スピーカー部分からは未だに「ほらほら♪」と見せ付けるような理解不能物体の声が。

「アタシもコレ1枚しか持ってないのよねェ。ノラちゃんあんまり笑ってくれないから」
 可愛いんだけど、ホント残念・・・・。

 溜息混じりの呟きが耳に残る。
 そういえば、アレは自然な笑みなど 見せたことがないな。
 視線を手元に落とせば 現在の半分程度の身長に見える駄犬の妙に誇らしげな笑い顔が 鮮明に画面に映し出されている。
 今、こんな表情を見せれば あの水軍の連中など、文字通りイチコロなのだろう。

 ―――破壊力は なかなか強力だな。

 久しぶりに、少し絆された。




















 06 努力と根性


『この程度が出来んようでは メシを遣る気も失せる』

 あのクソボケが そう吐き捨てて置いていった幾つかのテキスト。
 人間のガキ向けの舐めた表紙が癇に障る。
 何で魔界最強の大悪魔のオレ様が こんな下らねぇ事しなきゃなんねぇんだ!?

 あまりの腹立たしさに殴りかかれば必ず禁止コマンドが発動される。
 しかも 態度がなっていない、とか文句を言われた上での連発だ。
 ムカツク事この上ない。
 屈辱だ。

 頭に来たから アイツ自身はどうなのかと あの女に聞いたら『会長はズーッと学年トップだよ!』と返された。
 ちなみにそれはごく最近 オレとの契約がされた後もキープされているらしい。
 チクショウ。隙がねぇ。

 手にした冊子をテーブルに叩き付けて。
 頭に来る が、しかし空腹には代え難い。
「やれば良いんだろ、クソッ!」
 好い加減 こっちの世界のルールにも慣れてきたトコロだしな。

 括弧内を埋める文字に時折首を捻りながらも 手にしたシャーペンが紙面を滑る。

 一つの事に集中するのは昔からあまり得意じゃない。
 だけどたまには アイツの鼻をあかしてやりたいと思ったりもする訳だ。

 生まれて初めての、努力とコンジョー?






















 07 告白


「ノラちゃんね、実はアレでも女の子なのよ?」

 突然放たれた衝撃の告白に、幹部会議の席に座していた全員が、一瞬にして凍り付いた。
 それまでの居眠りのお陰か、いち早くいつものペースを取り戻したリヴァンが扇子で挙手を示す。

「―――ナインペタンですけど?」

 魔王の優雅な手の動きで発言許可を得たリヴァンは どうでも良さそうな声で、更なる爆弾を投下した。
 その発言に更にダメージを増やした者もいる。
 ・・・・・・・発言の深い意味を悟って。

「まぁ、ソレは禁呪でちょっと細工をね・・・・・。あぁっ!人間界に行ったノラちゃんのテイソーが心配!!」
 明らかに演技だと分かる心配性ぶりで、ジェリーを片手に魔王が席を立つ。
 後半の台詞はどう考えても嘘だろう。
 しかし前半の言葉の濁しっぷりは如何にも怪しく、カインですら真意を図りかねた程だ。

 そして真実は闇の中。


「っくしゅっ!」
「夏風邪か、馬鹿犬。やはり貴様は馬鹿者のようだな」
「一々うっせぇよ!!!」

 とかなんとか。















 08 可愛い嘘


「テメェなんか大ッ嫌いだっ!!」

 事ある毎に投げ付けられる叫びに、投げ付けられた相手は 思わず口元を弛めてしまう。
 だから 手にした扇子で口元を隠す。
 笑っているのがバレると、今度は本格的に機嫌を損ねてしまうから。

 『嫌い』という言葉しか知らない子供の、精一杯の愛情表現。

「アンタに嫌われても、痛くも痒くもねーって、いつも言ってんでしょ?」
 傍目にも明らかな身長差を生かして、整えられた髪を片手でくしゃりと掻き混ぜる。

 頭を押さえ付けられて下向きに喚き散らす少年の見えない所で 小さく笑う。

 魔王軍秘蔵っ子の、小さな小さな 可愛い嘘。


















 09 怪我


「腕を出せ、馬鹿犬」
「うるせぇ!犬じゃねぇっっつってんだろ!!」
「吠えるな、五月蝿い。腕を出せと言っている」

 ジリジリと後ろに下がるノラを追い詰めるように一磨が距離を詰める。

「早くしろ、時間が勿体ない」
 ブラインドを閉じて尚 室内は夕暮れの色に明々と染まっていた。
 しかし もう半刻もすれば夜に足を踏み入れそうな時間でもある。

「じゃぁ、テメェはさっさと家に戻りやがれ!」
 その言葉に思わず『そんな言葉は自分の顔色を鏡で確認してから言え』と口走りそうになった一磨に非はないだろう。

 言葉だけは強気に。
 顔色はやや悪く。
 後ろ手に回された右腕からは、未だ固まりきらない血が溢れ リノリウムの床に滴っていく。

 既に、犯罪悪魔との交戦も終わって かなりの時間が経過しているというのに―――。

 胸の奥がざわつくのは、きっと保健室を汚されては 後々自分が困るからだ、と結論付けて。

「あぁ、帰らせてもらおう。・・・・その怪我の治療をしてから、だがな」
 息を継ぐ隙を見計らって、弛緩した身体を捕らえる。
「ぁい、っつぅ・・・・・っっ!」

 奥歯を噛み締め、苦鳴を殺す様は いっそ忌々しい程に頑固だ。
 痛みはシグナル。
 さっさと対処しなくては どんどん酷くなるばかりだというのに。

「―――理解できん」
 傍らのカウンターに用意していたオキシドールのたっぷり染み込んだガーゼを無造作に二の腕へ触れさせる。

 傷は、深い。

 薬液が触れる苦痛に悲鳴を上げないように唇を噛み締めて、硬く目を瞑る横顔。
 目尻にうっすら光るのは 涙だろうか。

 ―――オレを庇って怪我をするなど・・・・・・・愚の骨頂だ。




















 10 友情?


 石造りの廊下は建物の外観―――近代化されたビルのようだ―――に似合わず 酷くゴシックな内装をしている。
 恐らくそれは此処の主、魔王の好みに因るものなのだろうが。

 得てして石造りの建物というヤツは音が響きやすいのだ。

 カツカツと規則正しく軍靴が音を立てる。
 しかしその音にすら苛々と神経を逆なでされているように、一層強い音が足音の主の足下から生じる。
 怒りのあまり歩行という行為ですら何某かの発散の元としているような音を立てているのだから堪らない。

 その様は 廊下の突き当たりから出てきたオセルの顔に縦線を刻むには十分なモノだった。

「バ・・・・・バリク?」

 足音の主に、恐る恐る声を掛けたオセルすら射抜く鋭さが 上げられたバリクの視線には籠もっていた。
 小さく『うわっ!』と悲鳴が上がる。
 今日は珍しく水軍将が執務室にいると聞いたから、普段よりは気の張りようも和らいでいるかと思いきや どうにも全く逆の様子にオセルは驚きを隠せなかった。
 神経質そうに見えて意外に面倒見の良い―――曰く苦労性のバリクは 余程の事がなければ周囲に当たったり必要以上に殺気をばらまく事はまず無い。
 彼のストレスの一大原因を担う水軍将が大人しくしている今日は 何も原因を思い付かなかったのだが。

「どうしたんだよ、一体・・・・・」

 再び俯いたバリクの肩にそっと手を置けば、今まで狭い通路空間に充ち満ちていた殺気じみた空気が嘘の様に霧散した。
 コトリ、とバリクの頭がオセルの肩へと落ちる。

「俺は・・・・・つくづく上司に恵まれないんだな・・・・・」

 深い溜息と共に吐き出された言葉には、精彩どころか生気すら籠もっているかどうかも怪しいトコロだ。

 ―――どうやら、今日も逃亡されてしまったらしい。
 しかもノラ様が人間界に行かされてからというもの 水軍将のサボリ癖は輪をかけたように酷くなっており、しかも放浪範囲が格段に広がっているらしいと云うのが幹部階級内でのもっぱらの噂だ。
 今までは外界に行くのすら『面倒くせぇ』とのことで特殊階級エリアで釣りor昼寝 だったモノが、遠く人間界まで。
 これでは追いかける方も堪ったものではない。
 加えて、副将軍への負担は倍増どころでは済まないのだろうし。

 ―――今夜は 一緒に酒でも飲むかな・・・・。

 副将軍達の戦いは続く。






















 11 眉間のシワ


「かーいちょっ。またココ、皺よってるよ〜」
 比良坂が 楽しそうに此方を覗き込んで自らの眉間を指差す。
 揉み解すように指を動かして、今日もまた センスを疑う封筒を差し出してきた。

「あぁ」
 短く応えて封書を受け取れば、比良坂は何がそんなに楽しいのか 斜め向かいに座る駄犬の餌付けに戻っていった。
 わざわざ 馬鹿犬の為に弁当を作ってきたのだそうだ。
 馬鹿馬鹿しい。

「・・・・・・・」

 何にそんなに気分を害しているのかを、自分でも量りかねる。
 馬鹿犬に態々弁当を用意してくる比良坂にか。
 それとも、その弁当を嬉しそうに貪る馬鹿面の駄犬に対してか。

 ・・・・・いや、違う。
 それではまるで どちらかに好意を抱いているかのようだ。

「バカバカしい」

 口頭に乗せれば 不快感は尚一層募る。
 手にした封筒の悪趣味さに、眉間の皺は―――更に深くなった。






















 12 片思い


 報われないのは分かっているし、知っている。
 怖いのは、自覚している部分よりも 無意識に反応する自分の中の『男』の部分。
 誰にでもある衝動的な情動の発露が、今は一番恐ろしい。
 ・・・・無自覚に 周囲を魅了するアナタだから。

「げっ、バリク!!」
「ノラ様、今日という今日は水属魔法の基礎学習をして頂きます!!」
「うるせぇっ!追っかけてくんなっっ!!」

 此方の姿を確認するなり踵を返して走り出す。
 その銀糸の揺れる背を、いつから追いかけるようになったのか。
 気が付いたら 目で追い、声を追い掛け 姿を見れば対峙して。

 決して実る想いだとは思っていないけれど、せめてこの立ち位置だけは誰にも譲りたくないのだ。

 ―――いつまでも、片思いで構わないから。





















 13 囁き


『堕ちろ・・・・・』
 耳元で囁く声が聞こえる。
 反乱組織のボスが姿を現した、あの日の強制解放の時から 時折夢の中に黒くて、少しデカいアイツが出て来るようになった。
 黒いアイツは、自分を俺自身の魔力だという。
 そしていつだってオレをどこかへ流してしまおうと、魔力の奔流に飲み込ませてしまおうと 耳元で囁き続けている。

 そして 今日も―――

『何故抗う?どうせ逃れられはしない、オレはお前なのだから。委ねてしまえ 全てを』

 一面真っ白で、果てなど無いように見える空間なのに 背後には壁があるかのように追い詰められた。
 顔の両側に着かれた腕が、肘が曲げられて 見慣れたはずの知らない顔が近づく。
 落とされる囁きは決して心地良い訳ではないのに、抵抗を示す腕にいつものような力が籠もらない気がするのは アイツの姿をしていても、俺自身の魔力のせいか。
 夢の中だと分かっているのに、うつらうつらと眠くなる。
 意識が遠く 認識はぼんやりと。
 壁に押し付けられた身体が傾いで膝が崩れる。

 眠い。
 そう、このまま全てを手放してしまえばきっと楽なんだろう。
 魔王軍の事も反乱組織の事も、そしてあの人間との契約の事も全て 忘れてしまえばいいんだ。
 どうせ関係の無い事なのだから。

 流されるように瞼を閉じれば、背中を支えるように腕が回される。
 抱き寄せられて 夢とは思えない暖かい感触に、ゆっくりと全身から力が抜けていく。
 

 こちらの動きを追うように黒いアイツが身を屈め 抱き込んだオレの耳元へ声を吹き込んだ。


『―――どうせ、オレからは逃れられはしない』

 朦朧とする意識に閃く 悪魔よりも悪魔じみた黒い笑み。
 瞬間、頭に血が上ったように意識が覚醒する。

「ッ、放しやがれっ!!」

 それまでの眠さ怠さが嘘のように吹き飛ぶ。
 支える腕を振り払い 踏鞴を踏めば、喜悦の笑みを浮かべる黒いアイツが何事もなかったかのように立っていた。

『自分に正直ではないな。どうせ一つになるのだから、好い加減に諦めろ』

 あの時と同じく 崩れ行く姿に怒号を上げて、硬く握り込んだ拳を叩き込む。


 囁きと共に繰り返される 深夜の逢瀬。




















 14 独占欲


『禁止コマンド』
 それはノラにとって、現在最大級の弱点だ。
 しかも行使権一磨のみの特権。
 それを特別だと思うなと言う方が、土台無理な話なのだ。
 そうでなくともノラは 魔界でも殊更秘匿事項として扱われてきた『災禍の凶犬』ことケルベロス。
 一磨としてもそれなりの代償は払ってしかるべきだと考えた上で、手元に置いているのだから。

 ―――誰にも見せたくない。
 会わせたくないなどとは思わない。

 生徒会室で ケトケトとジェリーと戯れる飼い犬を見て思う。
 恐らく、これまで特定の相手以外との接触が全くなかったであろうノラは、人間界に・・・・一磨の元に来てから急激な成長を遂げている。
 それは 内面の成長。
 外見はどうしても時間の経過が必要になるが、内面 すなわち心の成長は時間が経てば成されると云うものではない。
 それが、一磨を起因として成立しているのだと 自惚れるくらいはしても良いだろう。
 事実 そうなのだから。

 自らの手で アレを育成する。

 それは一種の快楽のようなモノだ。
 一磨の想像を超えてどんどん確立されていく自我。
 その行き着く先にどんな結果が待っていようとも、手放す気など微塵も有りはしない。
 どれだけの代価を、代償を求められようとも。

「アレは俺のモノだろう?」
 誰にともなく呟く。

 これを独占欲というのなら、それも悪くはない。




















 15 コンプレックス


「私にコンプレックス?無いわよ〜、そんなの」
 にこやかに答えて、心の中で即座に否定する。
 ・・・・・ウソよ、って。
 だけどそんな事は顔には出ないわ。だってそんなに初じゃないもの。
 ニコニコと笑って画面向こうの少年を見詰める。
 幼い頃からあまり変わらないように見える表情の造作は、いつ見ても微笑ましい気持ちにさせる。
 それも当然、此方にお決まりの罵声を飛ばしていない時だけ だけれど。
『う゛ーっっ!!』
 魔王の魂以外の『何か』を探ろうとしているのかも知れないけれど、それはムダね。
 だってそんな弱みになりそうなモノ、幾つも持つはずがないじゃない。
 本当に可愛らしくて堪らないわ。

『もう、イイ。てめぇに聞こうとしたオレ様が間違えてた!!』
 ふて腐れたように画面から視線を逸らす。
 映った首筋に嵌る、犬の首輪。
 とても似合っているのだけれど、その下にクッキリ残る赤い特徴的な痕。

 あぁ、そういう事なのね〜。

 どうやら聞きたかったのは私の話ではなく、他の人から弱み聞き出す練習をしたかったみたい。
 あまりにも直球で聞かれたから 全然気付かなかったけど。
 せっかちなノラちゃんに ブチン、と一方的に電話を切られ 後にはツーツーという無情な音が掌中を満たす。

「コンプレックス、ね。カズマ君のだったら身長でしょう?」
 真っ黒い画面に溜息と共に行き場のない呟きがぶつかる。
 当然返事はない。
 沈黙を守る画面をゆっくりと撫で付ければ、ツルリとしたガラス質が指先に触れた。
 これがあのノラちゃんの頬だったら、肌理細やかで傷のない肌の サラリとした手触りが返ってくるのだろうけれど。

 私のコンプレックス。
 毎日顔を合わせていたっていうのに 何で分からないのかしら・・・・・。
 席を立ちながら首を捻る。

「あぁ・・・・今日はパックの日だから忘れないようにしなきゃね」

 あの若いだけの肌には負けないんだから!





















 16 薬


 それは突然の来訪。
 真狩家でご厄介になるのだけは避けたいと泣きを入れたケトケトは 情報屋で仕事をしていたが、思いがけない来客に 特注の丸眼鏡もずり落ちようというものだ。
 お客様の名は 真狩 一磨。
 ノラの契約者であり、ケトケトに軽くトラウマを与えた例のお屋敷の住人でもある。

「そういえば貴様は道具屋だとか言っていたな?」
「はっはぃぃッ!!」
 疑問系ではあるが断定的な雰囲気を纏い威圧感たっぷりに一磨が問い詰めれば、小柄なケトケトは泣きそうな返事で応じた。



「―――人間相手の取引も多いでヤンスからね。むしろ薬は人間に効果の出るタイプが多いでヤンス」
 傍らのバックから次々と瓶が取り出される。
 粒状、粉状、液体など 内容物も様々で。
 カウンターにずらりと並べられたラベルに目を通しながら 一磨は珍しく感心した。

 痩せ薬、美人の薬、髪を伸ばす薬、惚れ薬・・・・・―――。

 人間の欲望とは どうにも手が付けがたい。
 その思いに多少の苦笑と自嘲も混じる。

「これは完全封身とやらをした悪魔にも効くのか?」
 その言葉に、弄ばれる瓶をおっかな吃驚で眺めていた悪魔の瞳孔が細くなった。

「それは、ノラの兄貴に?」
「例えば、な」

 問う声に応じる一磨の目は喜色に富んでいる。
 好奇心が物を言うのか、それ以外の何かが吠えるのか。

「当然 効きやすよ。完全封身の悪魔は、身体構造も人間そっくりになりやすからね」
 商売人魂でスラスラと説明する猫ベースの悪魔に 一磨は一つの瓶を提示した。

「コレを貰っていく」
 軽く左右に振って、中の揺れる液体を見せれば ケトケトは元より大きい目を見開いて、続いて諦めたようにガックリと肩を落とした。
 相手が相手だし、物が物だ。
 非合法にも程がある。

「毎度ありー」

 力無く物を進呈した悪魔を背に、一磨は楽しげに掌中で薬瓶を転がした。





















 17 おやすみ


 簡素ながらも、高級な設えの調度品が壁面を埋めている。
 一人の為には広すぎる部屋。
 しかし 当の部屋の主はそれらを使う気は全くないらしく、手を付ける様子は見受けられない。

 ―――最も、使う必要もないのかも知れない。

 どちらかといえば八つ当たりの対象と化しているようだったが。



 月の光すら届かない特殊階級の一室。
 それはノラの為だけに設えられたものだ。

 同階級の他は彼を受け入れず、彼も他に気を許したりはしない。

 幼く未熟で気高い魂は 孤高で揺るがない。
 だからこそ傷つき易く、それ故に儚さが他者の瞳を捕らえて放さないのだ。
 特に 今は降りた瞼に隠されている金赤のオッドアイに宿る魅了の力は絶大。

 真っ暗な部屋の中を 真っ直ぐベッドへと近付く。
 ゆったりと外界と寝台を区切るように広がる薄いベールを手で遮って、新しい風を送り込む。

「いつまで経っても変わらないのね。ノラちゃんは」

 天蓋付きの大きな寝台の真ん中で 手負いの獣のように丸まって寝る癖は、魔王が彼を引き取った時から変わらない。
 それでも、ここへ来た当初はロクに眠る事すらしなかったのだから その事を思えば少しは慣れて・・・・・・気を許してくれたのかもしれないと思うのは、保護者気取りのエゴだろうか。
 軋り、と音を立てるベッドの端へ腰を下ろして 少年の額に浮かぶ紋章へと親愛の口付けを落とす。
 微かな身動ぎを微笑ましく見詰めて 頬へ散らばる髪を 細く長い指先で撫でるように払い、もう一度柔らかく子供らしい頬に手を添えて、お休みのキスを。

「お休みなさい、ノラちゃん。―――良い夢を」

 天蓋から垂れるベールを払い、眠る部屋の主を背に転移魔法を発動させる。

 後には 規則正しい寝息と、夜の静寂が部屋を埋め尽くしていた。
























 18 空腹











 19 元気の素


 別に、何時も元気が無いわけじゃない。
 ただ 何もかもがめんどくせぇだけだ。
 そういえばこの間、食事するのがめんどくさくて廊下で倒れたんだったか。
 ・・・・・その事をノラ様にからかわれたのは心外だったけれど。
 恐らくバジー辺りから聞いたんだろーが、何とも嬉しそうな顔で騒いでいた。

 子供特有の傲慢さの滲み出る、高飛車な態度は一体誰の影響を受けたのか。
 その姿を、オレは池に釣り糸を垂らしながらぼんやりと見ていた。
 酷くどうでも良いという態度で。
 実際どうでも良いのだから仕方がない。
「メシぐらい、きっちと喰えよリヴァン!!」
 自分は野菜を食べない事を棚に上げて。
 一頻り騒いで飽きたのだろう、ストンと草原へ腰を下ろした。
 投げ出された足は、すぐ隣にはない。
 微妙に取られた距離に 心の中で笑う。
 離れ過ぎもせず、かといって近くもない。
 とても、微妙な距離だ。
 双頭の蛇の尾が足と同じくパタリと音を立てて投げ出された。
「ノラ様こそ、野菜喰わねーと、頭 もっと悪くなりますよ」
 顔を向けもせず、釣り竿を揺らしながら水面に波紋を立てる。
「は?」
 一瞬こちらが何を言ったのか理解出来なかったのか、きょとんとした瞳を向けられた。
 瞳に色が徐々に鮮やかに染まって。
 直後、犬耳が跳ね上がり 癇癪を起こしたような怒声が上がった。
 子供はムダに元気だ。
 そして本当に頭が悪い訳でもないだろうに、魔法に基礎を対とも覚えようとしない頭を眺める。
「・・・・・・何だよ・・・・・・」
「あ?何がですか」
 注視される違和感からか、不審そうに上がった声に素で返せば 拗ねたようにぷいっと顔を背けられた。
 子供の考えてる事は分からねぇ。
 めんどくさい気分で溜息を吐けば、ノラ様の銀糸から覗く犬耳だけが しきりと音への反応を示していた。
 ぴょこぴょこと動いて、こちらの立てる音を逐一漏らさぬように。
 ――――コレは、警戒なのだろうか。
 口元が、少し緩んだ。
 思わず気配まで緩んだか、チラリと視線がこちらを伺うように向けられる。
 ・・・・・もしかしたら、楽しいのかもしれない。
 笑う、までは行かないまでも 目元まで柔らかくなってしまいそうで。
 手にした釣り竿を降ろし、上半身を重力に引かれるまま横へ倒す。

 そう。投げ出されたままの、ノラ様の膝の上へ。

「ぎゃぁっ!」
 驚きと衝撃に上げられそうになる足を重量で押さえて、再び大騒ぎするノラ様を言葉巧みに丸め込んで。
 柔らかく暖かい体温に引きずられる様に襲いかかる睡魔に身を委ねて。
 そして夢現で考えてしまうのだ。

 ――――どうしてこの人は、こんなにオレを突き動かすのかを・・・・。















 20 泣き笑い


「ひにゃぁぁぁっ!!」
 襟首を摘み上げられて悲鳴を上げる。
 足が着かない位置まで持ち上げられれば、いくら悪魔といえども悲鳴ぐらいは漏れると云うものだ。
 それが恐ろしい相手で有れば尚更。
「早くしろ。俺は気の長い方ではないぞ」
 低い声で脅しを掛けられれば 震える事すら出来ないまま、ケトケトは壊れた玩具のように首肯を繰り返した。

 この人間の機嫌を損ねて、再びあの恐ろしい人間共の巣窟へ連れて行かれるのは勘弁願いたい。
 慌ててバックの中を漁れば、要望の品がズラリと並ぶ。
 必ずしも購入する、という訳ではなく 魔界と人間界で遣り取りされるモノの内容が気になるのだと口にはする。
 単なる好奇心では済まされないモノを出せと要求される事も少なくはない。
 底無しではないが、常にストックを切らさない自分の商売人魂に感謝しつつ相手を伺えば、品定めを行っているのか 険しい表情を浮かべて木箱を見詰めている。

 今の内に逃げ出せ!と本能は訴える。だが、どうせ失敗するだろう。
 ……この人間が相手では。
 封身していて尚存在する猫耳がニット帽の中でヘタリと垂れる。

 その頭に、不意に重さを感じて見上げれば 其処には最近見慣れた銀髪の同族。
「てめぇは またコイツ泣かしてんのかよ」
「ノラの兄貴……」
 ぐりぐりと頭を撫でられて ウニャーと声を上げれば、優しくはないが それでも確かに『庇われている』と感じる。
 カズマは確かに怖い。
 だが、ノラに酷く心惹かれるのも事実で。
 魔王軍の幹部階級ですら頭を垂れる、謎の多い悪魔。
 けれど 後ろに隠れるようにギュッと足に抱き付けば、邪険にせず 間に立ってくれる。

 ―――決してノラが、安全にカズマを抑えられる訳でもないのだけれど。

 傍に寄っても、他の悪魔のように不必要に遠ざけたりはしない。
 そんな些細な事にすら 嬉しくて、滲んだ涙も忘れそうになるのだ。





















 21 空


 今日は一磨もまだ授業中で ノラの散策を邪魔するモノは何も無い。
 時間制限付きとは云え 珍しく得る事の出来た自由な時間だった。

 晴天を、大きく仰け反って見上げる。
 背後に引かれるままに倒れ込めば、河川敷の 何処か見慣れた下生えの草が視界の隅を埋めた。
 緑は同じ色をしていて、あの頃を思い出す。
 ほんの少し前まで居た、広く 何でも揃っている癖に、何も無いように感じた あの閉ざされた場所に。

 ―――無かったのは、唯一 空だけだった。

 ぼんやりと青空を見上げる。
 透き通るような色は、よく似ているがリヴァンの目ともバリクの目とも異なる青みを帯びている。
 特殊階級エリアにあった池も綺麗な青をしていた気はするが、この抜けるような底のない色とはやはり似ていない。
 何をするでもなく、ぼんやりと ただ見上げる。
 無限に近い広がりを見せる蒼天が、例えばあの場所にあったなら 果たして自分はどう思っただろう……何か、違うモノを得ただろうか、と。
 考えかけて、止めた。
 例え空があったとしても、魔王の目からは逃れられない。
 所詮籠の鳥だという事実には何の変化もないのだから。
「結局 自由になりてーのは、同じだしな」
 空を見上げて、流れる雲を見つめる。
 その自由さに憧れる。
 切実に『自由』という事象に胸が焦がれるのだ。

「あー、広ぇ」
 呟きは誰にも聞き咎められる事もなく、せせらぎに紛れて消えた。

 それは 一磨に呼ばれ 叩き起こされる迄の、数分間の淡き逢瀬。





















 22 宝物


「ドブス!俺のタグ何処にやったんだよ!!」
 携帯に向かって怒鳴る犬は、つい先程まで頻りに胸元を気にしていた。
 鳥頭でもあるまいに、犯罪悪魔とやらと一戦交えるまで気付かなかったらしい。
 キャンキャンと吠え立てる駄犬の首には立派な首輪がついている。
 そして、俺の腕にも同じようなデザインの物が。
 腕を動かせばチャリン、と薄い金属音を奏でるドックタグ。
『それならノラちゃんの近くにあるわ〜。きっと気付いてないんでしょうけど』
 スピーカーから微かに漏れる気怠い女の声。
「ブスブス ドブス!そんなんだから肌荒れヒデェんだよ!!」
『何ですってぇぇぇっ!ノラちゃんだって今まで忘れてたくせにっ!!キィィッ!!』
 眼前で繰り広げられる不毛な口論。
 馬鹿馬鹿しくて踵を返せば、シャラリと手首で澄んだ音を立てる。
 恐らく馬鹿犬の探しているのはコレの事だろう。
 きっと目にしても意識していないから見えてなどいない、二枚の金属片。
 未だ終わりを見せない口論を背に、指に触れるソレを弄ぶ。

 ―――コレは人質になるかもしれんな。

 宝物然として返却を要求する声に、俺は声を立てずに笑った。





















 23 優しい言葉


「可哀想に……とでも言って欲しいのか?」
「……馬鹿じゃねぇのか?」
 しゃがみ込むノラの足許には、まだ幼い犬がまとわりついている。
 ……恐らく捨て犬だろう。
 梅雨に入って連日降り続く雨の中、ふらりと外出したまま宿直室にすら姿が見えないと思えば こんな所で。
 一磨の盛大な溜息にバツが悪そうにしているのは、きっとノラにも分かっているからだろう。
 下手な情けは、より辛い現実を味あわせてしまうものだと。
 開口一番一磨が口にした言葉だって、分かって切り返しているのだ。
 自己中心的かと思えば、素直で 意外と流され易い。
 激情家な面が目立ちはするが、時に冷静に状況を判断している。
 それはまだ表立つものではないけれど。

 公園の芝生の中、立ち入り禁止の立て札を乗り越えて足を踏み入れれば、小さな鳴き声と共に子犬は身を縮こまらせた。
 ―――震えているのは、人間に怯えているだけではないのだろう。
 ノラの影になって多少は被害を避けているものの、土砂降りの下では焼け石に水だ。
「ンだよ……」
 差し出されたカサを不思議そうに見て、同じく身を屈める一磨と交互に視線を走らせる。
「馬鹿犬。俺は貴様の面倒だけで十分だ。連れて帰るなら、ソイツの面倒は貴様が見ろ」
 一時的な預かりなら付き合ってやろう、と雨を遮る一磨に 犬じゃない、とお決まりの台詞を返しつつ 胸元に柔らかい命を抱き込む。

 ……本当は どちらも分かっているのだ。この幼い命の残り時間を。

 言葉は交わさずに歩く。
 少しだけ触れる お互いの肩から熱を分け合って、優しい言葉の一つもかけられないまま、ただ 見送る為に。





















 24 夢中


「だぁぁぁぁっ!!」
「『禁ずる』」
「ぐへっ!」


 ばっしゃん。

 ―――河へと沈むノラの身体を、冷めた目で見つめる。
 一磨は至って退屈そうにノラの実らない努力を眺めていた。
「てめぇ!いきなり何しやがる!!」
 ザバザバと水を掻き分けて上陸したノラに、五月蝿かったからと切り返しつつ先を促す。
 完全に怒りを流された状態で、ノラは納得いかない表情のまま再び目を凝らして水面を見つめた。

「魔流、か」
 近頃頻繁に耳にするようになった単語を呟くが、人間の一磨には魔流の流れなど見える筈が無く、ただ夢中で魔法の強化を図るノラにこうしてダラダラと付き合っているのだ。
 普段なら絶対にしない事なのだろうが。
 時折何かを掴むように手を伸ばし、失敗したのか天に向かって吠え立てる 彼の飼い犬の様子を見るとも無しに見ている。
 その後ろ姿は一見退屈しているかのようで、実の所 一磨は一磨でそんなノラの一挙一動を夢中で観察しているのだ。

 目的は違えど、お互い微妙な時間を持ちつつ、今日も一日が浪費されようとしていた。



















 25 後ろ姿


 初めてその姿を目にした時の衝撃を、俺は一生忘れることは出来ないだろう―――


「貴様の元の姿は、何故あんなに巨大なんだ?」
 近すぎて全貌を捕らえることすら出来なかったあの日。
 解放の瞬間すら 後ろ姿を確認して終わったあの瞬間。
 今でも あの貴重な機会を逃したことを繰り返し悔やんでいる。

 そう、この俺が。

 組んだ足に肘を付き、顎を乗せる。
 床に座る犬を見下ろすには丁度良い高さだ。

「あ?俺が知るかよそんなこと」
 色違いの眼がこちらを見上げてくる。
 投げ遣りな言葉は それだけでは酷く横柄なモノに聞こえるだろう。
 実際の性格がお子様の上、拘束されながらも自由奔放に育てられた為か 発言が拙い。

 表情を見れば、そんな腹立たしさも霞むのだが。
 
「自分の事なのにか?」
「じゃぁ、テメーは何で自分がその身長に育ったか 説明出来るのか?」
「問いを問いで返すな」

 とは言え、珍しくまともな返答が返ってきたので禁止コマンドを使うのは許してやろう。
 しかし自然に育ってあのサイズということは産まれた時から相当な大きさだったということか、もしくは極端に長い時間を過ごしているかどちらかになるのだろう。
 どちらにしても 想像の範疇外だ。

 なので、より具体的な内容に絞って問いを繰り返す。

「魔界に居た間・・・・・そうだな、特殊階級エリアとやらにいた時もずっとあの姿で過ごしていたのか?」
「いや。魔王のドブスに強制封身掛けられてることが多かった」

「あの姿が原寸だとして、サイズの変更は可能なのか?例えるなら馬程度の体長になる、とか」
「んぁ?あー・・・・・遣ったことねぇから分かんねぇけど、多分出来る」

 最初の頃は嫌がっていた質疑応答にも慣れてきたのか、最近は余程のことで無ければ すんなりと答えるようになってきた。
 人間界に来た頃はロクに答えすら寄越さなかったため、往々にして力尽くで聞き出すことになっていた。
 もしくは、文字通り躯に聞くか。

 コレも一重に躾の賜物だろう。

「多分?そうか、では今度機会をくれてやろう。試してみろ」
 正直に答えた褒美とはいえないだろう、これは俺のエゴだ。
 あの禍々しくも誇り高く美しいと感じた姿を、もう一度この目で確かめたいが為の言葉。
 全ては己の損得勘定に基づいて。

「・・・・・・・・・・・・何か企んでんじゃねぇのか?」
 恐る恐る問い掛ける言葉は、此方の様子を伺う子供の瞳に相まって 不安気にへたれた耳を連想させる。

 畏怖対象が意識に定着してきたという事だろうか。
 それはそれで面白い。

「いや、純然たる善意だったが?そんなに疑わしいなら撤回して―――」
「待て待て待て!」
 涼しい顔で思ってもいない事を口にすれば、慌てて静止にかかってくる。
 これだから面白い。

 次は是非 後ろ姿ではなく、あらゆる方向から観察してやろう。

 あの衝撃を もう一度体感したいが為に。





















 26 花の名前


『それは魔界でも珍しい花だから 有効に活用してね、との魔王様からの伝言だ』

 例の如くお遣いに駆り出されたバリクが迷惑そうに伝えて置いていった、一輪の花―――いや、蕾。
 淡い黄緑色の蕾から察するに白い花を咲かせるのだろうその花は、シンプルな花瓶に一輪挿しにされて一磨の部屋に妙な存在感を醸し出していた。

 渡されてから早3日。

 枯れるどころか開こうともしない蕾に、一磨は眉間に皺を寄せた。
「活用、という事は 何か花が開くために必要なモノがあるという事か?」
 無駄に消費されている水を補充しながら口にするが、植物から返事がある訳もなく 空になったコップを傍らへ置く。
 一磨に直接手渡した以上、花自体を何かに加工しろという訳では無いのだろう。
「貴様は見た事があるのか?」
「ねぇよ、そんなモン」
 唯一情報源になりそうな相手がこの様では、手掛かりなど無いに等しい。
 バリクの伝言の中にもそれらしい言葉がなかったとすれば 恐らく自分で見付けて見せろという事なのだろうが。
 少なくとも、端からノラの知識など宛にしていなかった一磨が視線を外した瞬間、微かな声が上がった。
「どうした」
「ん、いや。ちょっと咲きかけてねーか?」
「なに?」
 その言葉に振り返れば、先程まで綻びもしていなかった蕾がうっすらと膨らみかけている。
「……どういう事だ?」
 あの一瞬に何か要素があったというのか。
 この3日というもの、ノラを部屋に連れ込んだ覚えがない。
「悪魔が傍に居れば開くのか……、いやそれではヒレ耳男が持ってきた意味が無い…」
 容器に入れられている訳でもなく、花自体を手渡しされているのだから辻褄が合わなくなってしまう。
 先程の、一磨とノラの たった二言程度の会話の中に、一体何があったというのか。
 首を捻る一磨の横で、蕾は自らが満開に咲き誇る瞬間を待ち侘びるように 空調に瑞々しいままの葉を揺らした。


「魔王様、あれで良かったのですか?」
 一輪の花を運ぶだけの作業にどれだけの意味があるのかとバリクにしては珍しく好奇心で問えば、魔王に優雅な微笑が広がった。
「あの花はね『真実の華』っていう植物なの」
 秘密よ、と赤く色付いた唇に指を添えて。
「その人の本音のこもった言葉にだけ反応して、花開くのよ」
 少し前に見付かったばかりの新種なんだから、と楽しげに笑う声には既に色々な企みが滲んでいて、バリクは背筋に冷たいものを感じた。
 魔王から一磨に渡すようにと指示を受けた時、伝言以外の会話はしないようにと注意を受けた意味を今更ながらに理解して。
 同時に、あの花には気を付けよう とも。
 嫌な汗をかくバリクとは裏腹に、魔王はウキウキとした様子でジェリーを豊満な胸へと抱き締めていた。

「カズマ君!早く気付いて面白い使い方をして見せてっ☆」

 魔王様を満足させる使い方が出来たのかどうかは、本人達のみぞ知る。






















 27 裏切り行為


 どっちも本物だと思うから辛いんだよ。
 自分に都合の良い方だけを選べば何も問題は無い。


「気付いているんだろう?彼を殺して解放されたい 君自身にさ」




 何度も何度も繰り返し囁く僕の言葉に 君の思考は麻痺する。
 ゆっくりと自分の口で呟いて、それがまるで自分自身の想いの様に 思い込む。信じ込む。


「アイツを殺して、自由になる―――」

 ソレは甘い誘惑。
 

 どれだけ強靭な精神を持つ者でも 弱い部分は必ずあるのだから。

 そうでなくとも 魔法と、僕の好みじゃないんだけど 薬を使って心も身体も拘束して。
 幼い君の心が気付いていない 彼を恋しく思う心をゆっくりと変形させていく。

 言葉を選ぶなら、変質。
 少しだけ 想いの方向性を変えてあげているだけさ。

 契約者を殺してでも 自由を渇望する心と、束縛されたとしても 存在を認められたいという心。
 相反する心はきっと、どちらも間違いなく君の本心だろう。

 だからこそ 君は罠に掛かる。
 


 闇に沈んだように何も見えない部屋の中で、君の双眸は何も写すことなく虚ろに揺れている事だろう。
 かつて 強い光を湛えていた色違いの瞳は 既に意志の欠片も残してはいない。
 自分でそうしておきながら何だけれど、ちょっと勿体無かった。
 僕は君の気の強さを表した目も大好きだったんだけれど。


「アイツを殺せば 自由に―――」

「アイツを 殺せば―――」

 何度も何度も呟いて、少しずつ壊れていく君のココロ。
 塗り替えられていく想いに、僅かに湧いた恐怖も嫌悪も 全て塗り潰されていく。


 抗うように流された涙を寄せた唇で掬い取っても 顔を背けることすら出来やしない。



 可哀想に、なんて 笑いながら呟く。
 今の君は僕が求めた君とは少し違ってしまったけど、どちらにしても彼を手に掛ければ君は確実に壊れてしまうだろう。
 それは、僕が彼を殺しても同じ。

 ただ、僕を憎むようになるかどうかは 今の方が予測がつかなくて面白いんだ。


 もう少し時間を掛けて狂わせてあげるよ?
 だって君は 災禍の凶犬なんだもの。
 どうせだったら人間界も魔界も、全部キレイにしてしまえば良い。
 そうなれば 魔王軍も反乱組織も関係ない。
 僕の言葉だけが君の真実になるように 変えてあげるから。



 君の頬を濡らす途切れることの無い涙の跡は しばらく消えずに残る。
 その事にすら『奪った』という充足感を得るんだ。

 怯える君も、悲しむ君も、憎悪に燃える君も・・・・・・そして、喜び 笑う君も。
 全て僕が施したことから生まれるものになるように。

 

 ポケットから取り出した携帯電話のモニターが燐光を生む。
 微かではあるが ノラ君に気付かれないように身体で隠しながら慣れた番号を呼び出せば、ワンコール待つまでも無く相手に繋がる。

 きっと待っていたんだろう、この電話を。

「あぁ、カズマ君?お久しぶり〜」
「っ!! 貴様・・・・・何処に居るっ」

 押し殺した声がスピーカーから届く。
 自らの非力と至らなさを噛み締める声色に、声を立てて笑いそうになるのを必死で我慢しながら更に怒りを煽るように軽口を乗せる。

「そんな事教える訳無いじゃない。常識デショ?」
「・・・・・・貴様の事など どうでも良い。馬鹿犬は何処だ」

 あぁ、本当にノラくんが惹かれるのも良く解る。
 でも だからこそ、僕の手でわざわざ引き離したんだから。


 瞬間的に焦燥を押し殺して冷静な対応に移る。
 全く本当に、只の人間にしておくのは勿体無いぐらいの意志の強さだ。
 流石に魔王サマがケルベロスの契約者に選んだだけの事はあるよ。

「そんなに怒らないでよ。ノラ君に会わせてあげるからさ」



 そして君や魔王軍にとって『裏切り行為』とも言える ノラ君のデビューを飾ろうじゃないか。
 全ては、僕の楽しみの為に。






















 28 束縛


「何処で何をしようと勝手だって、言ってやがったクセに」

 八重歯を剥き出しにして吠え立てられても、涼しい顔をして。
 一磨はノラを易々と教室の床に組み敷いていた。
 冷たい床の感触と 微かな汗の匂いに、ゾクリとしたモノがノラの背中を這い上がる。
 その感覚が嫌で、とにかく嫌で いつも対峙した時以上に闇雲に暴れ倒す。
 のし掛かってくる肩口を押しやって、足をばたつかせる。
 それを 全て無意味な行動だと瞳だけで笑うから、ノラは余計にムキになって。

「俺の品性を疑われるような事は許さん、とも言ったはずだ」
 懲りずに一磨の色違いの髪を掴んで引き剥がそうとするノラに 更なる拘束をかける。
 それは『禁ずる』の一言ではなく、全ては一磨の技術で 力で行われるもの。
 ―――同条件下での力の差を見せ付けるように、じわりじわりと力が込められていく。
 掴み上げられた腕を固められて、小さな苦鳴と共に生理的な涙がノラの睫毛を濡らした。
 髪と同じく色素の薄い睫毛は、それでも窓から差し込む夕日に照らされて 微かに色を宿す。
 外をふらついている割には焼けていない頬も同様に。

 朱に染まるのか、ただ 斜光に染められているだけなのか。


「暫くは俺の側を離れるな」
 懇願ではなく ただ命じるように耳元に言葉を落とす。
 囁きのように甘くはない。
 むしろ受け取った方は 単なる束縛にしか感じない口調で。

「冗談じゃねぇ!誰が・・・・ッ」
 キリキリと音を立てる視線はそのままに、離れ行く横顔に投げかけられた言葉は中途で全て途切れた。
 何かの苦痛を堪えるように眇められた一磨の瞳に見入る。
 この状況で苦しいのは 確実にノラの方で。
 なのに苦しむような色を目に宿すのは 一磨だ。
 表情は何一つ変わらない。
 けれど確かに違う何かを感じ取る。

 訳が分からない。
 その困惑は顔に出ていただろう。
 だけれども、そんな指図は受け入れられないと心の何処かが叫ぶから。

「・・・・・・まともなメシ寄越すなら、テメェが学校ってトコにいる間は 俺様も敷地内から出ないように譲歩してやる・・・・」
 相手の顔も、反応も見ない意志表示に硬く目を瞑って 顔も反らす。 
 悪魔は常に交換条件を望む。
 そんな変な認識を逆手にとって、ノラにとっては最大の譲歩。

 半ば諦めの入ったような姿を、一磨は刮目して見る。
 ふて腐れたような表情で顔を逸らす 彼の飼い犬を。
「―――交渉は成立だ。明日からは制服でも着用させてやろう」

 ノラが目立つのは仕方がない。
 だが目立たせるのは一磨の本意ではない。
 校内に居させるのなら尚更。

 他の者に触れさせたくはないのだ。
 自分の身近に縛り付ける事になったとしても。
 比良坂以外から食料を受け取っている姿を見掛けただけで、一磨の心には暗い火が灯る。

 これが嫉妬と呼ばれる感情だったとしても、一磨にはまだそれを抑える術はない。
 最も、自覚もなければ 独占欲の発露にすら目を背けている状況では抑制など出来るはずもない。

「そんな堅苦しそうなもん、着たくねぇ!!」
 身体の下で喚くオツムの弱い犬を見て 薄く笑う。
 いつもの調子を取り戻した一磨の表情に、ノラは背筋を凍らせた。
 自分の迂闊な発言を後悔しながら 慌てて緩んだ拘束の下から抜け出す。

「残念だったな、交渉は既に成立しただろう?」

 不敵に笑う一磨に、ノラは解放された腕を反射的に押さえた。
 腕への拘束は既に無い。
 だが しかし―――

 束縛は、消えない。





















 29 指先


 手を取り、そっと口付ける。
 浅く吐き出される吐息は 熱に浮かされたソレで。
 期待からか恐怖故か、詰められる息で喉が笛のような音を立てた。

 何をしたわけでもない。
 口付けも、直接煽り立てるような事も、何も。
 ただ 指先にゆっくりと触れる。

 指で、唇で、舌で。
 絡めたり、舐めたり、吸い上げたり。

 そんな事をしなくとも 視覚的、感覚的に追い込めるのは やはり相手が犬だからか。
 最初は、伸びた爪を切ってやると言って 手を取ったというのに。

「っツメ、切るなら切れよっ早く!!」
 伸ばした右手から視線を逸らすようにして喚く。
 促されたわけでもなく淡々と、開かれた手から 一本ずつ掴んで切り揃える。
 ヤスリで磨いて、滑らかさを確かめるように指の先をなぞり上げるたび、ひくり と閉じた瞼が反応を示す。
 長い、色素の薄い睫毛も揺れる。
 確かに指先には末梢神経が多くあり、人間でも過敏になりやすい部分ではある。

 ―――しかし、この敏感さは。

「馬鹿犬、知っているか?犬は指先を触られるのが酷く苦手らしい」
 貴様は どうなのだろうな。

 口角が上がるのが自分でも分かる。
 そして、目の前に腰を下ろす駄犬の目に宿る 苦痛以外の色も又、手に取るように解るのだ。





















 30 バスタブ(浴槽)


「……狭ぇ……」
「狭くはないだろう。ウチの風呂は充分大きい方だと思うが」

 浴室に反響する声。
 民家にしては確かに大きい風呂も、少年二人で入ればそれなりに狭くも感じるだろう。
 それも浴槽に、二人向き合って入れば。

「足、伸ばせねーし」
 髪まで洗って貰った負い目か、幾分小さめの声ではあるが 確実に積もる苦情に、一磨は眉を顰めた。
「足を伸ばしたいならこっちへ来い、と言ったはずだが?」
 事前に伝えて置いただろう と付け加えれば、無言で首が振られる。
 横へ、盛大に。
 飛び散る水滴に一磨が顔を顰めれば、察したのか ノラの首が竦められた。

「…馬鹿犬、来い」
 両腕を広げて命令口調で呼ばれても、おいそれと近付ける状況ではない。
「オレ様は犬じゃねぇ!」
 せいぜいそれぐらいしか返せはしない。
 だが再び呼ばれれば、次に来るであろう一言に予想が付く。
 幾ら覚えが悪くとも、2度3度と風呂で溺れそうになった事は根深い記憶として残っている。
 渋々と這い寄れば、盛大な音を立てて湯を零しながら身体を反転させられた。
「これで、充分足を伸ばせるだろう」
 木組みの縁にもたれ掛かりながら引き寄せられれば、ノラに逃げ場はなくなる。
 耳元で話されて、知らず震える体に更に身を固くしながら。
 スペースは出来ても 足など伸ばす、心の余裕は失われてしまう。
 知りつつくつろぐ一磨とは逆に、妙な緊張を強いられるノラの姿があった。
























 31 不器用


 風が頬を撫でる。
 清々しい空気だ―――だが、今のバリクにはそんな事は関係がなかった。

「将軍!リヴァン将軍ーッ!!」

 米神に青過ぎを立てて、何も無い草原に向かい 声を張り上げる。
 目的の人物が反応を示すとは思えない。
 例え此処に居たとしても。
 だが、この部屋の主……いや、この小さな世界の暴君は気付くのではないだろうか。

 例によって例の如く、今日もリヴァンは執務室から姿を消していた。
 バリクがカインの元に書類を提出するために席を外した、10分程度の間に だ。
 忽然と姿を眩ませた水軍将は、移動時に漏れる僅かな魔流の痕跡すら その気になれば掻き消してしまうほどの徹底した逃亡ぶりを見せる。
「どうして自分の我が侭のための手間だけは惜しまないんだっ、あの人はっ!!」
 普段は食事をする事すらめんどくさがって行き倒れたりする癖に。
 忌々しげに口に出すのも道理で、失踪したリヴァンを追えるのは魔王軍広しと言えどもバリクしか居ない。
 ―――そう。バリクにしか追跡出来ないのだから仕方がない。
 そうでなくとも他軍に迷惑を掛けられない、そして部下を減らされては堪らないという事に付け加えて……リヴァンの逃亡先が、バリクを動かしていた。

 ただ一人のために作り上げられた、無限に近い世界。
 と、其処に存在する 小さな王。

 リヴァンは結構頻繁にこの特殊階級エリアに来ては、釣りを楽しんでいる―――振りをしながらノラを見ている。
 勝ち気でやんちゃな子供のおいたに目を瞑るわけでもなく、時には本気でキレるくせに 何度も何度も。
 けれど、バリクからしてみれば それすらリヴァン特有のスキンシップだという事が分かってしまうから、止める事も出来ない。

 バリクには、彼の代わりは出来ないから。
 バリクは、ノラに嫌われているから。

「……別に、俺だって好きで小言ばっかり言ってる訳じゃ……」
「オレの事見るとすぐに文句言うのに?」
「それはノラ様がいつも不用心すぎるからで――― っは!?」
 耳元で風の唸る音が聞こえるほどの勢いで首を振れば、すぐ傍に立つノラの姿。

 気配に気付かなかったなんて、間抜けすぎるっっ!!

「オレが不用心だと、何か問題あんのか?」
 っていうか、不用心って何だよと 既にこの時点で癇癪を起こしそうな暴君に、迂闊にも聞かれてしまった本音を どうやって誤魔化そうかとか。
 そんな事ばかり考えてしまう。
 至極真面目に。
 分かってはいても、リヴァンのように発した言葉を煙に巻いたり逆手に取れる器用さのない自分に、バリクはただ肩を落とした。



























 32 孤独な時間


 一人じゃないって事は、別に仲間が居るって事じゃない。
 そんな事 誰に言われなくても分かってる。
 だからアイツ等はみんな敵なんだ。
 仲間じゃない。
 どいつもこいつも 同じ特殊階級のヤツらだって、オレとは違う。

 ……オレは ケルベロスだから。

 魔王の傍にいても、将軍のヤツらが来ている時も、安心とか そんなモノは感じない。

 ―――そんなキモチを、知らなかった。

 誰かが傍にいる。
 それが当然になってから、改めて気付いた。
 あの頃の俺は、きっと「孤独」ってやつだったんだ。

 独りでいる事の不快さを、初めて感じさせたのは 他でもない あの人間。
 オレが何かとか、関係なく 気が付けば傍にいる。
 離れる事を許さない 強引さ。

 昔 リヴァンにも少し感じた事があるが、アイツでもここまで激しくはなかったように思う。
 だけど。
 コイツも、単なる我が侭ってわけでもねぇから。

 ―――今更、あの時間には戻れない。

























 33 同情


「オレは、てめーなんか 知らねぇ!!」

 掴まれた手を振り解く。
 ただそれだけの事が 難しい。
 何故だか視線を合わせるのが嫌で仕方がない。
 本物のアイツは、まだ目線が変わらない。
 最近やたらと伸びている身長だって、漸くオレを抜いたぐらいで こんなに見下ろされる感じじゃない。
 ……性格的には ずっとそんな感じだが。
 それはそれでまたムカツク。

 だけど、それ以上にコイツは 何か嫌だ。

「何故だ?俺はオマエの魔力だ。知らないはずはないだろう?」
 振り解き損ねた腕を引き寄せられて、顔が胸板にぶつかった。
 頭一つ分。
 いや、それ以上の違いがある。
「この姿は、契約者の姿を模しているに過ぎない。そしてそれは、オマエのイメージだ」
 睨み付ける視線を、強引に胸元へ押し付けられる。
 頭を抱え込まれて 耳元に吹き込まれる言葉は、胃の底が焼け付くほど不本意な内容で。
 唯一自由になる右手で、背中を殴りつけた。
「放せ!放しやがれ!!」
 くぐもった声で叫ぶのは、何処までいったって拒絶の言葉だ。
 魔力に流されるって事は、オレじゃなくなるって事だって昔リヴァンが言ってた。
「てめーなんかの自由になって堪るか!!」
 自分で聞いても、まるで悲鳴のようだ。
 チクショウ!
 こんな感じ知らねぇ!!

 引き離そうにも 緩む事のない拘束は首に負担を掛ける。
 仕方なく滅茶苦茶に背を殴れば、耳に入る軽い溜息のようなものと同時に足許が揺れた。
「……あッ!?」
 反射的に握った拳が、スーツの背を掴んだ。
 濁流の押し寄せるような足下の衝撃に、踏み止まり損ねた脚が 引きずり込まれそうになる。

「深く、激しい流れだろう?これが本来の俺の姿だ。完全解放されたオマエの纏うべき魔流なのだから」
 顔が押し付けられた部分から伝わる、声の振動。

 ―――オレの魔力だというのなら、何で人間野郎の姿なのか。
 どうして、俺自身の姿ではないのか。
 流されないように必死で掴んでいるのが、どうして コイツなのか。

 封身解放する瞬間のように 額が熱い。
 ケルベロスの紋章が脈打つように熱を持っている気がする。
「オマエが俺を求めるなら……俺が本来のケルベロスに戻してやろう。古より語り継がれる、伝説そのものの姿に」
 腰に回された腕に力がこもった。
 呼吸すら苦しくなる勢いで圧迫される。
 まるで、取り込もうとするように。

「冗談じゃねぇ!オレはオレだっ!!今も昔もあるか、クソボケッ!!」

 オレを力で抑え込もうとしている人間野郎の顔が、頭の中を過ぎる。
 オレを、あの施設に閉じ込めようとするリヴァンの言葉を思い出す。

 ―――オレは、誰の思い通りにもならねぇ。
 魔王が隠している伝説が何なのかも知った事じゃねぇ。
「オレは自分で強くなる!てめーの力なんか欲しくねぇんだよっっ!!」
 流されてなんかやるもんか。
 自分を見失ったりなんか、絶対しねぇ!

 スーツの背を掴んでいた手も使って、全身で拒絶する。
 暴れ狂う流れに、渾身の力で抗って。

 突き飛ばした先で 驚いた目に、余裕の表情が浮かんでくる。
「今に、分かる。オマエは俺を受け入れるしかない時が、必ず来るのだから」
 歴代のケルベロスが、そうであったように。
 呟く声が耳に届く。
 けど俺は 前のケルベロスの事なんて知らねーし、知りたくもねぇ。
 牙を剥く俺に、奇妙な顔をして アイツは魔流に沈むように姿を消した。

 最後に浮かんだ、あの表情は一体なんだ?
 ……困ったような、それでいて遠くを見ているような。
 落ち着かない表情だった。

 魔流も消えて、真っ暗な世界に立ちつくす。
 何となく分かる。俺は今寝てる。
 夢の中だ。
 だから、これはきっと夢の中だ。
 手の平に、ギュッと力を込めて 握る。
 次に目を開けたら、またフツーの人間野郎が居るはずだ。

 あんな顔なんてしない、人間の方を見たい。




















 34 隠しごと


「ノラ様を人間界へ?」
「えぇ、そう。人間界にね、漸くノラちゃんと相性の良さそうな子が産まれるの」
 確認を取るようなカインの発言に、魔王は微笑した。
 かねてから考えていた事だと、しかも契約を交わすであろう相手すら産まれ出でる前から決めていたのだと妖艶に笑う美女に、カインは姿勢を正した。
 緩くウエーブを描くブロンドは、しかし絡まり合うこともなく玉座に広がりを見せる。
「人間に、ケルベロスが御せますか?」
 魔王の決定は絶対だ。
 覆る事もなければ、変更 延期すらもないだろう。
「ノラちゃんが成長する為には必要、というだけよ?」
 別に制御する必要なんて無いの。
 朗らかな笑みの裏に、酷薄な支配者の顔が見え隠れする。
 その様には普段の茶化した空気など微塵も含まれてはいない。
 伊達に魔王の名を冠してはいないのだ、と カインは昔馴染みの筈の上司を見つめた。

「先代の時は―――失敗したわ。……ノラちゃんは、絶対に完成して貰わないといけないのよ」
 遙か遠く、恒久ともいえる時間の果てを見詰める3つの目が、過去を憂う。
「魔王様」
「分かっているわ、カインちゃん」
 一瞬にして雰囲気は変わる。
「ノラちゃんの中に眠る扉、上手く開くように祈っているわ」
 それしか出来ないもの、と言って笑う。
 しかし拭いきれない魔王の真摯な瞳の光に、カインは静かに息を付いた。

 永らく仕える彼にすら、全容を話そうとしないケルベロスの伝承と、その真実。
 魔王の抱える隠し事は、女性を魅力的に見せる秘密とは桁を違えているようでもあった。

 ―――彼女の存在。
 それ自体が隠し事の固まりと言っても過言では無いのだから。





















 35 一緒に


 ノラのお気に入りの昼寝場所。
 それは特殊階級エリアで最も大きな水源地の傍らに生えている大きな木の傍だ。
 普段から封身を無理矢理破る事で魔王に放り込まれて大騒ぎしている癖に、ノラはこの水辺によく座り込んでいる。
 単純に暇な時も、将軍連中から逃げ出した時も。
 ―――まるで、他に行き場所など知らないかのように。

 しかし もう一人、其処を居場所と決め込んでいる人物がいる。
 言わずと知れた水軍将 リヴァンだ。
「また此処で寝てるんすか……」
 呟くリヴァンの手には釣り竿。
 もう一方の手にはバケツを持って。
 おおよそ一軍の将にあるまじき姿だが、釣りが趣味とのたまう彼にとっては常備品なのかもしれない。
 木陰に立って、足下に声を落とす。
「……」
 しかし反応はない。
 幼い手足が伸ばされ、大の字を描いていた。
「ノラ様、アンタ邪魔ですよ」
 ノラが気持ちよさ気に転がっているのは、リヴァンからすれば一番のポイントで。
 しかしその言葉も相手が聞いていなければ何の意味もない。
 無礼にも、リヴァンの爪先がノラの脇腹を押すが 眉間に皺を寄せて不愉快そうな声を上げただけで、ノラが動く事はなかった。
 例え動いたとしても大した広さは確保出来なかっただろうし、それ以前にノラの子供然とした高い声はリヴァンの機嫌を一気に降下させるものであったから。
 舌打ちもそこそこに、その場に腰を下ろした。
 慣れた手付きで釣り糸を垂らす。

 ―――今日はバリクも来ねぇし、静かで良い。

 ビチビチと跳ねる魚を厭わしげにバケツに放り込みながら、リヴァンはノラを見た。
 子供らしい、ふくふくとした手足に 柔らかそうな頬。
 成長途中らしい、周囲に無条件に愛されてもいい年頃だというのに―――ケルベロスであるが故に、当然の権利すら奪われて此処に閉じ込められている。
 けれど、ケルベロスでなければ 出会う事すらなかっただろう。
「きっと、俺はアンタなんて見なかった。それはアンタも、同じなんだろうな……」
 此処に幽閉されていなければ。
 魔界で普通に生活していたとしたら。
 ……どれだけ天真爛漫に育っていたのだろう。
 口にはしない。総ては思考の中だけの事だ。
 単なる連想ゲームに過ぎない。
 夥しい魔界人口の中で二人、一緒の時間を過ごす奇跡にタガも緩む。
 二人だけでは、穏やかすぎるのだ。
 光も、風も、音も。

 それでも永遠に閉じ込められていればいい。
 残酷なほど長い時間を、二人 一緒に……。





















 36 咳


 普段からキャンキャンとよく吠えるのだ、この駄犬は。

 冬の乾燥する時期に、水分補給もせずに喚き続ければ咳も出る。
 そんなことにすら頭が回らないのか、はたまたそういう環境があるという事を知らないのか。
 おそらく後者なのだろうけれど。
「・・・・・・っだよっ!」
 喉が痛い素振りも隠しきれないまま異色の双眸でギリギリと睨み付けて来る姿は、元気な病人のようにも見える。
 沈黙を守る此方に目を眇めて、
「気持ち、ワリーな!何とか言えよっ」
 続けざまにケホリ、と嫌な音を立てて 盛大に二酸化炭素を吐き出す。

 あぁ、本当に・・・・。

 ノラと会ってから生ずるようになった偏頭痛じみた痛みに米神を揉みながら、手にした物を投げつける。
 勢いが付きすぎたか、うわっ だの何だのという声を上げながら、ノラの掌中に収まったのは何処にでも売っているミネラルウオーター。
「イキナリ投げんなっ!前振り入れろ!!何とか言えっ!」
「なんとか」
「はぁ!?」
 再び同じ言葉を持ち出したノラに即座に返せば、間抜け面で首が傾げられた。 

 ―――1秒、2秒。

「・・・・って、バカにしてんのか てめー!!」
 ようやく此方の意図に気が付いたのか、憤りも露に咆哮を上げる。
 その手に中には タプンと柔らかい水音を立てるペットボトル。
「それでも飲んで喉を休めろ。いざという時に魔法を宣言出来ん、では笑い話にもならん」
 再開された無駄吠えを強制終了させても良かったが、もっと確実に 無駄に存在しているとも言えるプライドとかそういったものを擽って。
「む・・・・・っ」
 満面に不服、という感情を貼り付けながらも喉の痛みには耐えかねたのか 透明な中身煽った瞬間に、
「間接キスだな」
「―――っ!?っごふっ!!」
 呟いた俺の言葉に、いっそ面白いほど咽て。
 喉はしっかり潤ったが、繰り返される咳に 勢い眼まで潤ったらしい。
「ご、ごふっ てめっ バカ、じゃねーのか?!」
「失敬なことを抜かすな。俺は事実を述べただけだが」
 元々は自分の為に買ったものだし、貴様があまりにも醜態を晒すから恵んでやったんだろうが。
 蓋だって開いていたのに気付かなかったのが悪い。
 それより何より、何の意図もなく口を突いて出た単語なのだから 仕方あるまい?
 此方がしれっとした態度で返せば、自らの指摘の方がおかしいのかと不審そうにしながらも 再び水を口に運ぶ。

 それでも、動揺以外の何かで頬を染める様子は眼に楽しいのだから―――大概自分も甘くなったものだ、と自覚するのだ。





















 37 恐怖心


薄暗くした室内に緊迫した空気が満ちる。
食い入るような目で画面に見入っているのはノラ一人だったが。

海の大型生物が画面内を悠々と泳いでいた。
登場人物の顔が一様に恐怖に歪み、引き攣る。
その空気に飲み込まれているのか、ノラの呼吸までが止まってしまったかと錯覚するほどに潜められた。
迫る音楽、競り上がる水面−−−がばりっ。

「ぅひぁっ!!」

画面の中では、ジョーズが一口で男優を半分程の大きさに変えていた。
と、同時に素っ頓狂な声を上げたノラも 背後から襲い掛かった衝撃に口から心臓が飛び出さんばかりの勢いで酸素を補給している。
一磨の胸元に触れる細身の背中からは早鐘を打つ音が聞こえて来るかのようだ。
ちょっと驚かすつもりだっただけなのに、束縛の為に回した腕にはしっかり指が絡んでいて、引きはがそうとするよりも寧ろ縋り付こうとする力の方が遥かに強い。
平気そうな顔をして……のめり込む様に見ていたからてっきり楽しんでいるものだとばかり一磨は思って居たのだが、実はそうでもなかったらしい。
「野良犬、落ち着け。アレは映画だ、作り物にすぎん」
ギリギリと爪を立てられる腕を動かして、あやす様に軽く二の腕に触れる。
「ぉ……おぅ。分かってる、そのぐれー」
返る声はそれでもまだ緊張を孕んでいて。
次の山場に向かって力の篭る指先に、この状況は結構美味しいのかもしれない、と思う。
普段決して一磨を頼ろうとはしないノラが、一磨に縋って それでも続きが気になるのかジョーズの動向を見守っている。
果たしてこれがホラー映画だったらどうなるか。
想像するだに面白そうな状況に笑う一磨。
ノラはその腕の中で、正面で起きている惨劇とは別の恐怖感に身を固くしていた。
























 38 キス


 不意打ちのように近付く顔。
 詰まる距離。

 既に何度も経験している、柔らかい粘膜同士の接触。
 目を開けたままキスをする。
 競り上がる焦燥感を腹の底で捻じ伏せて、絡む舌の音や唾液の立てる艶かしい水音にも無意識に耳を塞いで。

 互いに喰らい合うような、深い深い口付けでも―――

 決して目は閉じない。
 目を眇めても、眉間に皺を寄せてでも 絶対に。

 コイツにだけは、負けたくないから。

 たかがキス。
 されどキス。

 互いに一歩も譲らないから、深い所で繋がる気がする。

 ―――本当は、その想いが一番背筋を粟立たせるのだけれど。





















 39 手料理


「何か……あったんじゃねーだろーな……」
ノラの目の前に広がる光景は文字通り垂涎もので、本能は今にも飛び掛かりたいと訴える。
だがしかし、それを示した相手はノラにとって一筋縄ではいかない人物で。
「文句が有るなら席を外せ」
「そうじゃねーけど……」
卓上に乗せられている皿からは作り立てとも云えそうな温かい湯気すら感じる。
しかし今日は作り手の多磨緒は慎一郎と共に旅行だと、一磨自身が口にしていたはずだ。

……作り置きを温め直したんだろう。きっと。

一人脳内会議で討論した後、沸き上がる動揺を押し殺してノラは箸を手にした。

黙々と箸を進める一磨を視界に納めることもなく、一心不乱に料理を掻き込む。
「馬鹿犬」
「いうあえぇっ」
「飲み込んでから話せ」
きっとやるだろうと予測していた行動を、寸分の狂いもなく再現されて、一磨は改め禁止コマンドの使用を止めた。
第一、今使ったらきっとちょっとグロい。
手元に差し出された温めの茶をあおって、一息。
「オレ様は犬じゃねぇ!!」
何があっても譲れない一線なのか、律義に言い直したノラにヒタリと黒の焦点が合う。
その目が真摯なものだけに、ノラは思わず顎を引いた。
「感想は?」
「……はぁ?」
警戒していただけに拍子抜けというか−−−とにかく間の抜けた声が出た。
「カンソーって……、いつものよりちょっと味が薄ぃ気はするけど…」
問われているのは料理についてだろうと当たりを付けて、言われてみればいつもと少し味が違う。
けれどそれは別に嫌なわけではなくて。
「オレはこっちの味の方が、ウマイ…かも」
いつものもうめーけど。 うんうん唸りながら言葉を選ぶ。
ノラの言葉に、一磨は ほぅ、と感心したように頷いて手元の肉料理をノラの前へと移動させた。
「それもくれてやろう」
「……っ変なモン入ってねーだろーな……」
「欲しくないのなら−−−」
「そうじゃねーけどっ!!」
下げられそうになった皿を慌てて引き寄せて。
警戒しながらも肉への欲求は強く、幸せそうに食事を進めていく。
あれだけ嫌いだなんだと騒いでいた野菜も調理法によっては食べられないことはないらしく、今日はきちんとノラの皿の上からも消えていた。
一磨に言わせれば単なる食わず嫌いということなのだが。
「ごちそーさまでした。マンゾク〜」
卓上の皿を綺麗に片付けてしまうと、一磨に散々躾られた様に手を合わせて食後の挨拶の後 畳の上へと手足を投げ出した。
ごろり、と居心地の良い体勢を作って転ぶ姿に一磨は眉を潜めるが、今日ばかりは何も口にしなかった。
−−−ノラがこうも気を緩めるのは、本当に旨いと思うものを心行くまで堪能した時だけだ と気付いているから。
餌付け成功に口角を上げる契約者になど気付きもせずに、ノラはまったりとした時間を謳歌していた。

果たして、真実を知り 驚愕するのは何時の日か……。


















 40 永遠


 恐らく、人間からしてみれば『永遠』に等しい時間を生きているのだろう。
 眼前で下らない口論を繰り広げるノラとバリクを止めもせず、一磨は二人を見据えた。
 完全封身した外見だけでは其れと特定出来はしないが、ノラはともかくバリクもその上司のリヴァンもかなりの時間を生きているはずだ。
 ―――それは一磨と話す魔王の発言の端々から読み取ることが出来る。

「馬鹿犬、貴様幾つだ?」
「〜〜っ何がだよっ!……って、バリクてめーっ!!」
「あなたこそ少しは真面目に……っっ!」

 ろくに問い掛けにも答えられないほど激化しているらしい。
 お互いの発言からでは、部下と上司の遣り取りとはとても思えない。
 あまつさえノラの方が上司などと……とても信じられはしないだろう。
 それが実力によるものでは無くノラの特殊性によるものであったとしても、だ。
 内面の成長が年月に正比例しない代表例に違いない、と一磨は冷ややかな眼でノラを見た。
 勿論、バリクはその問いに鼻でせせら笑う様にノラを挑発したが。

「精神年齢なら十歳児ですかね」
「ふざっけんなっ!てめーが老けてんだよ、レナード見てーにハゲやがれ!!」
「あ…あんた何口走ってんですか!レナード将軍は禿げてないでしょう!?」

 あんなにフサフサしてるのに何処がそう見えるんですか!視力検査しますか今すぐ此処で!!

 そんな絶叫も聞こえるが、果たして悪魔に定期健診などというものが存在するのだろうか。
 一応軍隊という社会組織を形成しているからにはそれなりの状態管理というものもあるのだろうが、人間が行っているものとどれだけ違うのだろうか。
 一磨の中に次々と生まれる疑問にはノラでは答えられない。
 だからこそ、一磨は輪を掛けてノラに深く興味を引かれる。
 それは一磨が『知らないから答えられない』などと言うのならば自分自身で調べ上げればいいと考える人種だからだ。

「リヴァンのせーでハゲそうなのは、てめーもだろーがっっ!」
「あんたも一因でしょう!?」
「オレ様を巻き込むんじゃねぇ!」
「渦中の人が知らばっくれないで下さい!!」

 子供の喧嘩のように胸倉を掴み合い殴り合いに至る。
 永の時を過ごしているとはいえ、皆がそうであれば時間に膿むということも無いのだろう。
 一磨から見る『永遠』も、ノラ達から見ればごく一般的な時間の流れにすぎない。

 まるでそれは―――人との昆虫の寿命差にも似ている。

 人間が火を使うように、悪魔は魔法を使うのだろう。
 似て非なる存在の異質さに、理解はしていても不自然に腹腔を焼く感情は生じる。
 眼前に繰り広げられる二人の遣り取りに、煩いと感じる以外の感覚をおぼえて。

 一磨の口から漸く『禁ずる』の一言が滑り落ちた。



















 41 歌声


 自分の内の どこか奥深くから聞こえる。

 愛してはいけない。
 誰も愛してはいけない。

 ―――誰も。


 だったら、俺は誰に どうやって愛してもらえるというのか。
 そもそも愛とはどういったものなのか。

 大きな手でゆっくりとあやす様に頭を撫でられると 胸が苦しくなる。
 まるで病気みたいにギュ〜ッと。
 だけどそれと一緒に 安心するような、ふわふわとした暖かな感じもする。

 でも、それはダメなんだ。

 頭の奥で、そう 声が聞こえる。

 愛してはいけない。
 求めてはいけない。
 気を 許してはいけない。

 この声を、魔王は俺の『本能』だと言っていた。
 その顔が どこか寂しそうだったのは覚えている。
 でもそれだけだ。

 全て、忘れてしまう。 この声に掻き消されてしまう。

 歌う様に綴られる言葉に。
 焦がれるような遠い昔に 耳にした気がする、あの歌声に。

 誰かを慕うことすら、許してはもらえないのだ。





















 42 ケンカ


「禁ずる禁ずるって、うっせーっ!連発すんなクソボケ!!」
「何故連発されるかも気が付かないのか?さぞ頭部の内容量が少ないのだろうな。『禁ずる』」
 言い返すべく吸い込まれていた空気が 急激に絞まった気管に耐え切れず、ノラに普段以上の苦痛をもたらす。
 呻く事も出来ずに繰り返される咳と喘鳴に、一磨の口元に薄っすらとした笑みが浮かんだ。
 椅子に腰を下ろし、見下ろす一磨の視線は愉悦を含んでノラに合わされる。
 そのやり取りを恐ろしげに見つめる人影があった。

「真狩・・・・・SPに対してえげつねぇよな・・・・」
 言葉も態度も、だけど。
「嬉しそうな顔して見てますけど・・・・・・」
 そんな事は怖くて とても口には出せませんけど。

 生徒会室で繰り広げられる惨劇に、壁に縋る様に矢野と藤本が身を寄せ合って怯えていた。
 一方比良坂はといえば、
「ケンカするほど仲が良いって、昔っから言うもんね〜」
 どんな状況にも流されることなく、逆に慈母の笑み―――朗らかな笑顔を絶やさずに眺めている。

 真狩一磨率いる天陵学園中等部 生徒会、その管轄下にある一室では 日毎そのような遣り取りが繰り返されている。

「何時も思うけどよ。ホントここの教室、人通り少ないトコで良かったよなー・・・・」
 藤本の溜息は、未だ終わりを見せない凶悪&凶暴な二人のケンカによって掻き消された。





















 43 光


 どんな微かな光でも拾い上げて朧げな輝きを放つ―――いや、身に纏う。
 まるで彼という存在を周囲に知らしめるかのように。
 その身の内から湧き出すような濁りの無い光は、彼の本質を示すもの。

 陽の光に強く、月の光に凛とした姿。

 ―――を、汚したいと思うのは僕の本質。
 いや、悪魔の本能のようなものだろう。
 彼自身も悪魔だというのは、笑える矛盾だけれど。
 皆出払っているのか、気配の無いアジトの中を横切る。
 ケルベロスが人間界に来ているのを見付けたのは良いけれど、ボスから手出し禁止の通達が出たのはとても惜しい。
「まぁ、気分次第なんだけどね〜」
 ねぇ?と振り向けば、影のように付き従う愛しくも忠実な隷僕がその姿を現していた。
 真に冷たいその身体を従えて、魂も無いまま真新しい廃墟を徘徊する。
 ―――それは、何処にいても同じ。
「炎を使うのにさ、こんなに冷たいだなんて可笑しな話だと思うでしょ?」
 答えなど無いと分かっていても、つい癖で問うように声をかける。
 どんな演技だって繰り返せば十二分に身に付く。
 だからあえて一人芝居を繰り返し紡ぎ上げて、一時の仲間すら真実のベールの奥へと押しやって死神の様に暗い昏い奥底に独り立っているのだから。
「だからノラ君欲しいんだよね。ホントの所」
 彼は面白そうだし、便利そうだし……何より暖かそうだから。
「一つくらい明かりがあっても、悪くないと思うんだけどさ」
 それでも何時か、その光すら自分の手で消してしまいそうなんだけれど。
 考えるより、本能が薄ら寒い笑みを形作る。

 求めて止まない、この世にたった一つの光―――
























 44 ベッド(布団)


 騒がしい目覚ましなどセットしなくとも、一磨はかなり正確に目を覚ます。
 大体、毎日同じ時間に。
「……ん?」
 まだ陽も上がり掛けぐらいの薄暗い空が、目に入る。
 部屋に設えた窓から覘くいつもとは違う景色に、一磨は数度瞬きを繰り返した。
 二度寝するには遅く、行動を起こすにはまだ早い。
 そんな中途半端な時間に目が覚めるのは珍しい事で、どちらにしろ起きるしか手は無いのだから と身を起こしかけて……止めた。
「……珍しい事もあるものだ」
 なぜこんな不自然な時間に目が覚めたのか。
 ―――困った奴だ……。
 手負いの動物のように丸まっているくせに一磨に擦り寄り、あまつさえ胸の上に頭さえも乗り上げている。
 胸元に見える、形の良い頭頂部。
 豊かに流れる人間には無い銀色の髪。
 寝しなに暴れたので解けたままになっているのだろうが、長い割には縺れた所などついぞ見たことが無い。
 髪を伸ばした過去を持たない一磨からしてみれば不思議だが、ノラの本来の姿を考えれば当然のことかもしれない。
 いくらノラでも寝相で蛇の尾が絡まって解けなくなることはないだろうから。
 それにしても、シングルのベッドに成人ではないとは言え男二人が転がればどちらかが落ちそうになっても良いぐらいなのに、今日も予想外に余裕がある。
 寝入り際には必ず『こっから寄ってくんなよ!!』と騒ぐにも拘らず、その条約を破るのは決まってノラだ。
 野生動物のように身を丸めて、けれど暖を取るように寄って来る。
 夏だから暑いだろうに。
 暑いのが苦手なのは見え見えなのに。
 手を延ばすのは一磨が先でも、それは考えた末のこと。
 けれど、このノラの動きはもっと本能に根ざした純粋なものに感じられる。
 ……少なくとも、一磨には。

「約束を破った事に、罰を与えた方が良いのか?」
 すうすうと、一息も乱すことなく眠り続けるノラにベッドをセミダブルに替える用意は本当に必要なさそうだなと密やかに笑って。
 擦り寄る頭を抱き寄せた。






















 45 口癖


「以前から思っていたのだが、物事を全て好みで判断するとは本当に幼児程度の思考形態か?」
「……はぁ?何いきなり訳わかんねー事言ってんだクソボケ」
 内容は良く分からないが取り敢えずムカついた、と反論する。
 最近は少し考えて話すようになったノラを見ていると、本当にしみじみと考えることがある。
 『嫌い』『いやだ』『ムカツク』元々はその程度だった誤謬も、よくもまぁ増えたものだと。
 勿論、一磨の影響は大きい。
 実際にノラが使う言葉にはならなくても、ニュアンスは理解するようになったし似たような事を口にするようにもなってきた。
 後は人間界に来て受けた、比良坂達から聞いたのだろう少々偏った単語だとか。
 その癖きちんと覚えていないせいで妙な言葉になっていたりするのだが。
 ―――目の前で、砂が水を吸うように学習していく様子を見るのは物珍しく面白いものだと思う。
 それが自らの手でなら、尚更。
 どこかの育成ゲームのように自分好みに育てるのも一興かもしれないが、そんな思い通りになる人形にはこれほどの興味は沸かないのだろう。
「少しは口の利き方にも注意を払ってみたらどうだ?」
「ぐへぇっ」
 禁止コマンドを前置きに指摘する。
 魔王軍の、一体誰に似たのか言葉尻に必ずと言って良いほど余計な一言が付く。
 その全員を知るわけではない一磨に思いつくのは、十中八九寝起きは最悪だろう水軍の低血圧男。
 個人的な衝突などあろう筈も無かったが、ノラを挟めば話は別だ。
 魔王軍の中でもノラとの衝突っぷりは、部下のバリクと並ぶだろうから。
 ちらりちらりと垣間見えるその影に、胸に小波が生じるのを感じる。
 ―――今までの一磨の中には無かったもの。
 最近ようやくその感情に名前がついた。
 ……これは、嫉妬だ。
 ノラが来てから、一磨の中にも確実に変化は起こっている。
 弱さとして、受け入れた訳ではないけれど。
「気に入らんな」
 ノラを見据えて、その奥の姿を鋭く射抜く。
「な…何がだよ!」
 その視線に引け腰のノラの脳裏を掠めた事があった。

 ―――てめーだって十分好き嫌いで判断してんじゃねーか!!

 とても、今の一磨に対して口に出来たものではなかったけれど。




















 46 幸せの予感


『自由になりたい』
 その主張は良いだろう。
 だが、この馬鹿な犬にはその先がない。自由になって、解放されて何をするのか。
 そういったものが全く無いのだ。
 自由になる為の手段も、強くなって他を圧倒し、打ち倒し、自分を認めさせたいという。
 それでは駄目だと、それだけでは災禍を背負ったままだと気付いてはいない。
 ただ力を行使するだけならケルベロスの本能のまま暴走するのが一番簡単なのだから。
 問題は、むしろその制御を行うノラ自身の成長だというのに。
 何故 認められて『自立』しようとしないのか。
 ―――認められたいと思う気持ちはあるのだろうに。
 必要とされたいと、求める術を持っていないのだろうか。
 誰にも必要とされない所に押し込まれていたが故に……。

 一磨の目が携帯越しに魔王を怒鳴りつけるノラへと向けられていた。
 相変わらず子供じみたことを口にしてはいるが、あの理解不能物体がまともに取り合うことなど無いだろう。
「……って、何時までもてめーの思う通りになると思うなよ!オレ様が今よりもっと最強になって文句なんて言わせねーよーにしてやるんだからな!!」
『ん〜、そーねぇ。カズマくんにちゃんと鍛えてもらえばホントのホントに最強に成れるかも知れないわね。あ〜、楽しみだわー』
「バカにすんな!オレ様が何であんなクソ人間なんかに「『禁ずる』」―――ぐぇぇっ!?」
 勝手な事を言い合って、それでも子供を手玉に取るような魔王の声には明らかな喜色が混じっていた。
 悶絶したノラの手から繋がったままの携帯を毟り取り、耳へと宛がう。
「悪魔らしい身勝手な発言だな」
 言葉ほど声には毒は篭っていないだろう。
 むしろ、自分の方こそ心待ちにしていたモノを手にしたのだから。
『そうね。でもアタシは魔界の王様だから、みんなの幸せを考えてるのよ?』
 嘯く魔王の言葉にも、らしくない色が含まれていた。
 ―――だってこの出会いは、みんなが幸せになる為の第一歩なんだもの。
 電話越しにも妖艶に微笑む様子が想像出来る。
 これが、ノラの庇護者なのだ。
「ぅ、え……何だよ……っ」
 未だ禁止コマンドの余韻が抜けないのか、立ち上がる事もしないまま喉を擦るノラに触れる。
 その行為に驚いて声は訝しげなものに変わるが、改めて避けようとはしない。
 これは、変化と呼んでも差し支えは無いのだろうか。
 少しずつ深度を増していく接触を、どこまでノラが受け入れることが出来るだろうか。
 勿論、逃がす気などは無いし拒絶などさせる筈も無いのだが……それでも。

 余裕を湛える魔王への苛つきよりも、これから先の駄犬の懐き具合にこそ 予感を覚える。

 幸せは そう遠いことではないのだ、と。






















 47 昔話(過去話)


「さて、じっくり聞かせてもらおうか?野良犬の鼻たれ時代のことを」
「俺は犬じゃねぇっ!それに鼻なんて垂れてねーっ!! っぐへ!」
「ノラ公、論点はそこで良いのかよ」
 騒ぐノラの首根っこを掴んで既に聞く体制バッチリの一磨に、バジーが豪快に笑った。

「そーだなぁ、さっきリヴァンに何回も殺されかけたってのは話したよな?」
「あぁ。貴様が面白がって馬鹿犬をけしかけた事もな」
「じゃぁ、そーだな。ノラ公が我侭ばっかぶっこいてたレナードとの訓練の時も面白かったぜ〜?コイツがテーブル引っ繰り返して逃走するもんだからよ、レナードの奴いっつも大慌てで探しに行ったりとかな」
 ノラが散らかしたものを片付けるのが先か、ノラ自身を捕まえるのが先か、生真面目で苦労性なレナードはよく悩んでいたものだった。
 もちろん、必ずノラを探すことを優先してはいたのだが。
「今やっている事と大差ないな」
 一磨が軽く鼻を鳴らした。
 バジーの回想が伝わったわけではないが、一磨がテキストを目の前に積み上げた時もノラは同様の反応を示した事があるからだ。
 但しレナードのようにむざむざ逃亡を見逃すはずもなく、即座に禁止コマンドで足止め兼制裁を加えていたのだけれど。
「あっ てめー今バカにしただろ!?」
「自惚れるな。馬鹿扱いすることすらおこがましい」
 一磨の態度を嘲笑と取って掴みかかる。
「……っこの!!」
 伸ばされた手はしかし、一磨の胸倉をつかむことなく空を切った。
 二度、三度。
 ノラの動きが以前に比べ格段に良くなったとはいえ、幼い頃から体術を修めている一磨とは足捌きが違う。
「足元がお留守だぞ」
「ゲッ!」
 闇雲に掴みかかる手を打ち払うことすらないままに、勢いづいたノラの足を軽く引っ掛けて。
 体勢を崩したその首輪を再び捕獲した。
「ぎょばっ!! はーなーし−やがれーっ!」
 思わず詰まる息にはいつまでたっても慣れはしないし、暴れてももがいても一磨の手は外れない。
 そんな事はとっくに経験済みなのだが、だからといって耐えられるかと問われれば話は別だ。
 禁止コマンドは確かに嫌いなのだが、それ以上にこの首輪を掴まれるのをノラは酷く苦手としていた。
 何しろ中途半端な位置で固定されると背中や腰が痛い。
 下手をすると息が詰まることよりも尾を引くからだ。
「ハハハッ!仲良さそーじゃねーか!!」
『どこがだ?』
 ジタバタと足掻くノラと、真顔でその光景を見詰める一磨を傍観していたバジーが思わず吹き出した。
 間髪入れず問い返される多重音声が、その笑いに拍車を掛ける。
 バジー達と比べれば流石に短いとはいえ、密度の高いノラと一磨の今の環境でテンポの良い言い合いが成立しない方が可笑しい位なのだが、それにしても。
「そーいやバリクと居てもそーやって喧嘩ばっかしてやがったよな。特にジェリーが迷子だとか何だとか……」
 笑いの衝動を何とか収めてバジーが更に記憶を辿る。
 子供のノラの手に余るジェリーと、ノラがそのまま外部に紛れ込まないようにお目付け役を押し付けられていたバリクがセットになった姿を頻繁に目にしていた。
 その原因は大概水軍のゲートが開けっ放しになっていた事で、閉め忘れていたのは当然彼の上司だったのだけれど。
「違うっての!アイツすげぇ脱走ばっかしてやがったんだよっ。探さねぇとドブスがうるせーし、仕方なく―――」
 飯抜きは嫌だったし、とまでは口にしない。
 一磨に知れればまたきっと絶対にからかいのネタになるだろうから。
 けれどその都度特殊階級エリアの外に出ることが出来ていたのも確かだから、ノラも面倒くさいばかりでもなかったのだ。
 まぁ。おまけのバリクが邪魔だったのは本当だし、いつも小言聞かせられてたからムカつくことも多かったのだけれど。

「要するに躾が出来ていなかったのだろうが」
「別にジェリーはオレのペットじゃねーからそんなモンいらねー」
「ほぉう。では貴様は自分が俺の飼育動物だという自覚があるのだな?」
「あるわけねーだろ!!」
「誤魔化す必要はないぞ?良い心掛けだ」
「勝手に決め付けんじゃねぇぇぇぇぇっ!!」
 ギャンギャンと噛み付くノラを上手く弄ぶ一磨に、バジーが首を傾げた。
「何か、兄ちゃんはメルフィアに似てるんじゃね―か?」
 さらりとノラをあしらう所とか、掌で転がすような話し方とか。
 しかしその意見にはノラから物言いがついた。
「似てねーよっ何でこんな奴とアイツが……!」
「あぁ?人の話聞いてねートコとか似てねぇか?」
 それは貴様も同じだろう、という意見は珍しくも一磨の喉で押し殺された。
 大人しく聞いていれば、ノラ自身が語りはしないであろう過去の出来事より多く聞き出せそうだったからなのだが―――続いて飛び出したバジーの言葉に耳を傾け、深く眉間に皺が刻まれる。
「触りたくねーっつってたのに、乳に押し付けられてたじゃねーか」
 真顔で例を挙げるその内容は傍から聞けば一体何をしているのかと常識を疑いそうになるものだったが、恐らくノラの妙に世間ズレした感覚はそういった所から形成されてきたのだと知る。
「……メルフィアの乳ってドブスの乳と別モンだよな?」
 照れたり恥じたりするどころか、硬かったんだよ胸板、と真顔でノラも応じた。
 その立ち入れない、かつ一聞にもきせない内容に一磨の機嫌が目に見えて急降下したのは仕方の無い事だろう。
 気配に気づいてノラがギョッとしたが時既に遅し。

「『禁ずる』『禁ずる』『禁ずる』」
「ギャァァァァッ!うげ、げほっ!!」
 連発される禁止コマンドにノラがのたうつ。

「昔話にも嫉妬か。しっかり愛されてんじゃねーか、ノラ公」

 見守るバジーの顔には同情にも似た苦笑が浮かんでいた。






















 48 夢


 それはまるで予定されていた出来事のように。
 ゆっくりと崩れていく身体、膝がまるで言う事をきかない。
 薄れていく意識。利かなくなる視界。
 ゆっくりと、泥の中に沈み込んで行くような、意識の沈殿。
 そして、全ては真っ暗な闇の中。

「―――〜〜…っがぁっ!!」
 柔らかなベッドの上で暖かな布団を蹴り上げて吠えた。
 それは最悪な意識の覚醒。
 急激に起こした体は上手く脳に血が流れない。
 酸欠でくらくらする頭を打ち振るって意識を戻す。
 荒い息を抑えるために押さえられた胸元は、握り締められた布地に跡が付きそうなほど力が篭っていた。
 シィンと静まり返る室内。
 白を基調とした部屋の中は、月光に照らされて淡い黄色と宵闇の鈍い青銀色に彩られている。
 あとは、微かな消毒薬の臭い。ツン、と鼻に付くその臭いに頭痛は加速する。
 頭を抱えて立てた膝に額を付ける。
 脳裏に翻る映像は、どこまでもノラの苦悩を増大させた。

『本心では、オマエは俺を求めている』
 褐色の肌をした一磨―――ノラの魔力は濁流のような魔力の流れから踏み止まり損ねたノラを片腕で引き釣りあげる。
 その動きが本来の姿の持ち主と似ていることに、酷く動揺するのだ。
『それとも、契約者を―――か?』
 ゆっくりと意味深に耳元で囁かれる声は現実の一磨よりも低く、更なる声変わりを経た成年のもので。
 封身の解けた犬耳には、それすらも刺激となって肩が震えた。
 ―――求める?オレが、何を……強さを?それ以外に何か……。
 意味が分からない。
 ぞくりと背筋を走る痺れも、黒い一磨の言葉も。
 理解出来ない。
「ぁっ、つ……ぅ」
 掴まれた腕に痛みが走る。
 当然だ、片腕で全体重を支えているのだから。
『立てないのなら、大人しく沈めば良い。流されれば良いだろう。決してお前を傷つけたりはしない』
 長身を生かして、引き上げたノラの腰へ腕を回す。
 摑まれた腕が解放されるまでに、大した時間は掛からなかった。
『あぁ、これ以上は傷むのか。仕方がない、それはオマエの本当の姿ではないのだから』
 ノラの事は、ノラ自身以上に理解しているとでも言うかのように。
 脆さも弱さも傷つく事も、自分の元へ流されてくれば全てを退けてやろう とノラの首筋の辺りで笑いを耐えている。
 似ている、と思う。
 記憶の中にある一磨の笑い方と似ている、と。
 だが、決定的に違うのは一磨はこんな風にノラを甘やかさない。
 誘惑するようなことを言って、楽になる道へと導いたりはしない。
 けれど、ノラ自身でもない。
 ノラの魔力のくせに、ノラとは別の意思を持つ存在。
 ケルベロスの本質、に近いのだろうか。
『どうして逃げる。何故足掻く?この腕の中に居れば、力も世界もオマエの望むままだというのに』
 暴れるノラを一層強く抱き寄せながらも、逃がすまいとする腕が少しずつ揺らぎ、形を失っていく。
 渦のようにノラを取り巻きながら、足下の魔流と溶け合いながら。
「オレはてめーの思い通りになんてならねーって言ってんだろ!!」
 一度目の出会いから、魔法を使った日に限ってノラの夢を侵食する魔力の化身。
 これがケルベロスが『災禍の凶犬』と呼ばれていた原因になるものなら余計に、気を許す事など出来はしない。
 ―――間違ってもその腕に身を委ねる事など、出来るはずもなかった。
 甘言を駆使してノラの意思を揺らがすことは出来ても、この世界の主導権はまだノラにある。
「しかもあの野郎の顔して……触んじゃねーよっ!」
 ゆらゆらとした魔力の流れから目を逸らす。
 だが、見ていられないのは引き摺られない為か、それともその手を取ってしまいたい欲求を抑え込む為なのか、それすらも分からない。
『そうやって拒絶するのか。―――俺にはオマエしか居ないというのに―――』
 本音だとは思わない。
 けれど、何度も顔を合わせているのにそんな言葉を聞いたのは初めてで。
 演技であったとしても、細められた瞳を咄嗟に見返してしまった。
 マズイと思ってももう遅い。
 自己愛よりも深い何かを含んだ手が、頬を撫でる。
 腰を抱きかかえる腕の力は変わらないのに、強引さよりも ただ離したくないという感情が伝わって来るようでとても視線が逸らせない。

 ―――ヤバイッ溺れ……っ!

 気が付けば、眠りから覚めていた。
 いつもなら目が覚めれば『夢』だと割り切れていたことなのに、いつまで経っても頭から離れない。
 あの顔も、あの言葉も、あの声も。
 荒れ狂うだけの力を受け入れれば暴走を引き起こすだけだと知っているのに……手を取ってしまいそうになった。
 今は契約の定めとして一磨の預けられているだけの、ケルベロスの魔力。
 それは元々ノラの中にあったものだ。
 ただ、ノラの中で大人しく眠り続けていただけの魔力だったはずなのに。
 同族も無く、この世界に独り。
 ケルベロスの魔力を受け止めてやることが出来るのは、ケルベロスであるノラだけ。
 ノラが拒絶すれば、戻る所すらないのだ。
 夢の中での遣り取りを思い返して、忘れられる筈も無いのに、誤魔化す様に膝頭へ強く額をすり寄せた。
 抱えた膝と身体の間にある、月の光すら差し込まない真っ暗な闇が視界を埋める。
 ―――あの野郎が居るのは、きっとこんな感じの所なんだろう。
 頬に触れた手は、体温など無かったけど暖かかった気がする。
「くそっ!」
 駄目だと思っていても、どこかで惹かれている焦がれている想いがある。
 強さにも、自由にも。
 けれどあの顔であんな表情をされると酷く動揺する自分を知ってしまった。
 その理由は、分からないけれど。

 夜毎 夢に惑わされる。
 けれど魔法を使わずにいられる日は少ないのだ。

 一晩に一度だけの逢瀬に、今夜はもう出てこないだろうと安堵にも似た溜息を吐きながら再び布団へと潜り込む。

 また会うことがあったなら、その手を取る日は近いかもしれない―――




















 49 すべて


 訳も分からぬまま、いきなり消えたかと思えば 二ヶ月ぶりに目の前に戻ってきた契約者。
 その 以前とは似ても似つかぬ姿に、文字通り ノラは度肝を抜かれた。

「5年・・・・・・って、バカじゃねーのかてめーはっっ!!」

 思わず上げた怒声に、驚いたのは寧ろノラ自身で。
 何で、腹が立っているのか 自分でも把握してはいない。
 ただとにかく、やり場のない憤りが泉のように湧き出てくる。
 身長が伸びて、掴み難くなった胸倉を締め上げて 手が白くなるほど力を込める。
「何でっ、そこまでするんだよっ!」
 人間なんだぞ!?
 うっかり忘れそうになることも多いが、それでも確かに一磨は人間なのだ。
 脆く、弱い 悪魔などより遥かに容易く死んでしまう生き物なのだ。
 どれだけ力をつけようと、傍若無人に振舞おうとも、人間であることには変わりはない。
 ―――変わりはないのだから。

 理由もなく高ぶる感情に、ノラの大きな眼に水の被膜が生じる。
 泣きたい訳じゃない。
 けれど、我慢することも出来ない。

「何とか言えよっクソ人間!!」
 沈黙を守る一磨の目は、それでもノラを映して揺るがない。
 揺さぶることすら出来ない 鍛え上げられた肉体に、経過した年月を身に沁みるように感じる。
 認めるのは悔しいが、ノラから見ても一磨は他の者より優れていると思うし、周囲の反応を見ていても分かる。
 人間として生きていれば、何不自由の無い生活を送れただろうに・・・・・と、考えれば考えるほどに理解出来なくなる。
 分からないから、混乱するのだ。
 理解したいから、分かりたいから 悔しさなんてものを感じる。

 一磨がノラを理解するほどには、ノラは一磨を把握出来てはいない。

 それが 悔しいと思う。
 まるで見透かされているようで。
 口を開こうともしない一磨に、ノラも胸元を掴む手を放した。
 視線は絡んでいるのに、動揺しているのはいつもノラばかりだといういう事実に今更の様に胸が痛くなる。
 見ていることも見られていることも苦しくなって俯いた瞬間、それまで微動だにしなかった腕が 初めて動きを見せた。

「っ!?」

 驚くノラの頤を掴んで 視線を元の位置まで引き上げる。
「眼を逸らすな 馬鹿犬」
 無理矢理合わされた視線の先には、ノラが身を震わせるほどの 黒く力強い支配者の笑みが浮かんでいた。

「―――もう忘れたのか?代償など覚悟の上だ。『命でさえも惜しくは無い』と言っただろうが」

 ノラが初めて一磨に刻まれたケルベロスの紋様から流血しているのを知った、あのネルとの一戦を思い出す。
 そして、一磨が消失する直前の事も。

 蛇に睨まれた蛙の様に硬直するノラに耳元に 一段と低音を増した声で囁きかける。

「必要なら すべて くれてやる。―――貴様も覚悟を決めておけ」

 払った代償分は、手に入れるぞ? という意味を込めて。
 びくり と肩を揺らして一磨の目を見返したノラの瞳に、弾かれた様に怯えを超えた決意の色が戻ってくる。
 その宝石よりも鮮やかな輝きに満足そうに眼を眇めて、一磨は くつり と喉を鳴らした。





















 50 ハッピーエンド