動物愛護週間



 ……何か、変なモンでも喰ったんじゃね―だろうか。

 口一杯に唐揚げを頬張りながら、ノラは目の前に座る相手を盗み見ていた。
 意地汚くがっつく割には 失極まりない内心を抱えたまま。
 その視線を感じない一磨でもないだろうに、彼の視線はノラに向けられることはなく手元の辞典へと落とされたまま。
 チラリとも上がらない視線もノラからしてみればちょっと異常だ。
 いつもなら、ノラが喚こうと暴れようと嫌がらせの様に食事風景を観察しているというのに。

 ―――しかも肉なんて、ロクに寄越した事ねーくせに。

 けれどそこに関しては言及しない。
 普段出されるパンや牛乳ではとても保たないのだから、下手に口を開いて折角の食事を取り上げられては堪らない。

「食べ終えたなら棚の上へ置いておけ」
 昼休みの終わりを告げる予鈴に腰を上げる一磨を未だ疑問の拭い切れない奇異の目で見詰めながら、こっくりと一つ頷いた。
 その口元にフォークが銜えられたままな事に一磨の眉が神経質そうに持ち上がったが、反射的に身を固めるノラに対し、禁止コマンドが唱えられることはなかった。
 生徒会室を出て行く後姿を穴が空くほど見詰めて、不本意ながらも見送る頃には漸く口の中の物も片付く。

「……キモチワリー……」

 この幸せに感じられる一瞬が 既に嵐の前の静けさに感じられるほど、ノラの一磨への印象は渋いものだった。

 すっかり空になった箱を前に、ノラの表情が綻んだ。
 恐らく人間界に放り出されてからは初めてではないかと疑いたくなるほど幸せに満ち足りた顔をして、渡された時と同じように箱を積み重ねていく。
 一磨の言うことを聞くのは癪だが、久々にまともに肉を喰えた事で気分が良い。
 はっきり言ってノラは一磨の母親―――多磨緒が苦手だが、流石に料理は美味いと思う。
 だからといって直接会いたいとは思わないのだが。
 その、恐らく多磨緒の手によるものだろう料理の入っていた重箱のような形の弁当箱を言われた通りに壁際の棚の置いて、校外へ徒歩を進めた。
 無人の校庭を歩きながら背伸びをして、目的の場所を確認する。
 生徒会室でも時々するのだが、やはり昼寝場所は裏山の方が好きだと思うのは特殊階級施設を彷彿とさせるからだろうか。
 外から閉じられているあの空間は、ノラの為だけの場所。
 時にリヴァンのような邪魔者が居ることもあったが、生徒会室のように一磨に妨害されることも無ければ学校の屋上のように人の気配に苛つかされることも無い。
 それよりも何よりも、ノラの気に入っていた穏やかな草木の香りが晴天突き抜ける青空の下に広がっている。
 陽光を上手く防ぐ枝振りの良い樹の根元に転がれば、一層強くなる自然の気配。
 空腹を誤魔化すためではない満ち足りた眠りに、何の抵抗も無くストンと落ちていく。
 珍しい事もあるもんだ、とちょっと虚しい感想までも抱きながら。


「……ん。……?」
 西日が頬を照らす。
 その暑さに身動ぎして、妙に安定感のある所に頭が嵌っていると思った。
 不思議に思って目を開けようとしたが、柔らかく頬に触れるものが心地好く、再び眠りの淵へとノラを誘う。
 誘惑に逆らわず寝直そうとしてもう一度身じろいだ瞬間、変な事に気がついた。
「……くろ?」
 寝言のように掠れた声は、ノラの薄っすらと開いた狭い視界の隅に映る地面の色を問うていた。
 しかし、そんなはずは無い。
 ノラが選んだ場所は大樹の根元で草も多かった。
 仮にノラの寝相が喩えようも無く酷かったとしてもせいぜい茶色の地面か緑に覆われた地面しか見えないはずなのだ。
 仮に影が濃いだとか、日が暮れでもしない限り地面が黒いだなんて。
 もそり、と体をずらして瞼越しにも突き刺さる午後の日差しを避けると、そんな些細な出来事など錯覚であったかのように思える。

 見間違いかもしんね―……。

 取り敢えず、夢見心地の脳は早々に原因の究明を放棄した。


 意識がゆっくりと浮上する。
 覚醒を始めた意識に逆らわず目を開ければ、辺りは既に薄暗い。
 木の覆い茂っている分だけ山の日暮れは早いのだろうが、それ以上に、やはり何か黒い物が視界の半分近くを埋めていた。
 しっかりと目を開いて、触って確かめる。
 ぺたぺたと触れるその黒い物はちょっとした弾力と丸みを帯びていて―――そして、言葉を発した。
「そろそろ、起きたらどうだ?」
「ぎゃぁっ!」
 思わぬ声に、見苦しいほど狼狽してノラが視線を上げた。
 顎に頭突きされては堪らないと、直上に回避された宵闇の仲にも浮き上がる金の髪。
 覗き込むようにノラを見下ろしていたのは、寝始めには確かに此処には存在していなかったはずの人物で。
 しかも何故かノラと樹の間に腰を降ろしている。

 ……腰を 降ろして?

 ゆっくりと、牽制するように上半身を起こしてその姿を確かめれば、間違いなく一磨本人だと思う。
 誰かに操られているだとかそういった感じは受けないし、何より視線の圧力は変わらないままだ。
 けれど、ノラの記憶の中にある一磨がこれほどまでに充実した眠りを提供してくれたことは無い。
 むしろ禁止コマンドをフル活用しての安眠妨害もいいところだろう。
 しかし、現に一磨は此処に居て、あまつさえノラが身を起こす為に手をついたのは一磨の脚だった。
 ノラの目に黒く映っていたのは制服のスラックスに違いない。
 安定感があるのも道理だろう、胡座をかいた脚の間に頭を乗せていたのなら。
 一体いつの間に!? と聞いたところで答える相手ではないだろうし、ノラとて気配に気づかなかったことを自ら白状するほどの動揺からは抜け出していた。
 どちらかといえば、目の前で何事も無かったように立ち上がりノラにも立つように促す手の存在に、意識を奪われていただけなのかもしれないが。



 睡眠も、食事も。
 いつもと違いすぎる対応に喜びよりも警戒の方が先に立つ。
 そのくせ何時もと変わらないあの視線の強さに押されるように一磨の家へと向かい、またも満ち足りた食事と睡眠を得た。
 一磨の家で、という点には文句を言いたくもあるがそれ以外では元々ノラが一磨に主張していた改善点をそのままなぞったかのようだ。
 あまりにも不自然なほどに。


 屋上から見下ろす校庭には球技に励む生徒が散らばり、ノラの見上げる空にはいささか早い秋晴れの空が広がっている。
 屋上へ抜けるドアからは死角になる非常梯子で登る一段高い場所。
 学校の敷地内ではノラが最も気を抜ける場所で、視界を遮るフェンスなんて無粋なものも此処からでは関係ない。
「ようやく、オレ様の凄さに気が付きやがったか?……な訳ねーよな……」
 風に流されていく雲を眺めながら考えに考えて導き出した結論は、しかしあっけない自己否定によって脆くも崩れ去った。
 ノラから見て、一磨の様子がおかしくなったのは二日ほど前から。
 正しくは『様子がおかしい』ではなくて『態度』だ。
 態度があまりにも違いすぎる。
 よほどノラが周囲に迷惑を掛けない限り静止もしなければ、犯罪悪魔を探すわけでもないのに放課後に河川敷を散策したりだとか。
 ノラの自由意志が尊重されているのだ。やたらと。
 扱いが良くなっていることには文句は無いが、唐突に真逆に近い態度を取られてはノラにはとても着いていけない。
 単純すぎて方向転換が苦手なせいもあるのだろうが、実際の所それだけでもなかった。
 安易に受け入れれば後で何をされるか分かったものではなく、完全に撥ね付けるのも危険だと本能が告げていたからだ。
「訳わかんねー!何なんだよアイツはっ!!」
 元来頭で考えるわけではない性質なので、こういう事態の対処法を知らない。
 面倒くさくなって早々に思考を投げ出すが、気が付けばまた一磨の事ばかりが頭を巡っておちおち昼寝をする気にもなれなかった。
 苛々と前髪を掻き上げて、少なくとも自分よりは一磨の事を知っていそうな人物を脳裏に描き出す。
 一人、二人……三人。
 今一掴み所が無いくせに、何かと接触の多い一人の所へと足を向けた。

 思いの外簡単に捕まえられた相手は、ノラを見て嬉しそうに小走りに寄って来た。
 ノラの方が思わず一歩引くような勢いで。
「え?会長が優しいの?」
 場所を移して話し始め早々に彼女が口元を隠した。
 驚きに、というよりは楽しげに緩む口元をノラから隠す為、というようにも取れる。
「アレのどこがだよ。そうじゃなくて何かここん所キモチワリ―んだよ、こー態度とか……」
 小首を傾げて問う比良坂に間髪入れずに否定の言葉を吐いて、ここ数日の一磨の変化を説明する。
 とは言ってもノラの要領を得ない話の内容に、比良坂が根気良く付き合ったのだが。
「ふ〜ん。それで、SPさんはそれが嫌なの?」
「嫌って言うか、キモチワリ―じゃねーか」
 油断させておいて……とか。
 口にして眉間に皺を寄せるノラを目にして、比良坂の顔に同情めいたモノが浮かぶ。
 それは一体どちらに対してのものだったのだろうか。
 しかし、そんな表情は一瞬後にはすっかりと拭い去られていた。
「そーいえば、ウチも今週はジョンに優しくしてるよ」
 いつもしてるけど、最近は特に!!
 拳を握り締めての力強い主張へ、今度はノラが首を傾げる番だった。
 そんなノラの瞳を満たす疑問へ答える気があるのか無いのか、楽しげに、本当に楽しげに彼女は満面に笑みを浮かべて口を開いた。
「だって今週は『動物愛護週間』だもん!」
 いつもの二割増で溺愛中〜!!
 愛犬の名を呼び、キャーッとテンションを上げる比良坂の前で、ノラにも沸々と湧き上がるものがあった。


「あのクソ人間 ブッ殺す―――っっ!!」



 廊下にまで突き抜けるノラの怒りに満ちた咆哮は、壁に凭れて様子を窺っていた一磨にも確実に届いていて。
「出来るものならやってみろ」

 ノラが気付こうと気付くまいと、今週は存分に『動物愛護』を満喫する計画に些かの揺るぎもありはしない。
 実に愉快そうに空気を揺らしながら、一磨はその場を後にした。


 果たしてノラが何処まで坑せたかは また別の話―――






動物愛護週間ですよ。
ノラ様愛護って、どんな感じですかね?
一磨さんの事だからもっと……ねぇ?(笑)
そんな展開誰かが書いてくれることを心より祈りつつ。
他力本願万歳!!



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