季節外れの強風が通過する。 それは一過性でありながら、この島国を度々席巻していくもの。 風と雨による強者の蹂躙は、果たしてあの愚かな犬の住んでいた世界にもあったものなのか――― |
雨空見上げて |
すでに夏も過ぎ、秋に気配を色濃くする中で、最後の悪足掻きとばかりに今年最大級の台風が迫っていた。 時折、ごうっっと音を立てて生徒会室前の並木が揺れる。 鉄筋コンクリ−トの校舎は下手な民家などよりも遙かに強固な作りをしており、風に嬲られた窓の立てる神経質な音に耳を傾けない限り、そうと判る揺れなど無いに等しい。 「あ〜、もうすぐ台風が来ちゃうんだねー」 「ヤベェ!俺、今日傘持ってきてねぇよ!」 「天気予報によれば、傘を差していたら飛ばされるそうですよ・・・・」 どんよりと曇りだした空を眺めて、生徒会室の面々は口々に天気の話に花を咲かせる。 上空では地上よりも遙かに強い風の流れが細かい水蒸気の固まりを常にはないスピードで動かし、空一面に広げていく。 「警報も出そうだな。早々に片づけて引き上げるとするか」 ガタリ、と音を立てて椅子を引く。 リノリウムの床と椅子のゴムが擦れてイヤな音を立てた。 室内に広がる、ややしっとりとしてきた空気が雨が近いことを知らせる。 「雨が降るな。せいぜいカゼには気を付けろ」 風にか風邪にか、微妙なニュアンスで一磨は役員に告げた。 その生徒会長の一言により、それぞれが荷物を手に教室を後にする。 全員が教室から出たことを確認した上で、一磨は生徒会室の電気を消す。 最後に鍵を掛けて一人、徐々に消灯されつつある廊下に佇む。 「・・・・・・馬鹿犬を拾って帰らなければな」 揺れる木々の枝に目をやりながら、呟く。 いつも閉じ込めている体育館倉庫も、今日に限っては運動部が休みということで早々に戸締まりがされている。 そしてそれ以上に、あの部屋には湿気がこもるのだ・・・・。 普段はノラの動向について比較的無頓着な素振りをしているが、一磨は意外にその行動をチェックしている。 日中は何をしているか。 何について怒り、何について興味を示すのか。 自分自身で把握しているよりも遙かに、一磨はノラに興味を持っていた。 とはいえ、安易に表情に出したりはしない為か周囲に気付かれてはいなかったが。 「そういえば今日は何処に・・・・・・」 いつもは大体校舎とは反対側に位置する裏山やうっかりすると町中―――特に公園をふらついている事もあるようだったが、今日は何処にも姿を見せていない。 通路を移動しながら旧校舎の方も確認するが、それらしい姿はない。 「また何処かを彷徨いているのか・・・・・?」 今日は宿直の教員以外では自分が最後になるはず。 見付からない訳はないと思うが、しかし一磨はあえてノラを縛り付ける気は無かった。 どうも、そうすることであの犬の何かが失われてしまうような気がしていたからだ。 ただ、それが何かは未だ掴み切れてはいなかったが。 下駄箱までの道のりを、周囲の確認に時間を割きながら歩く。 階下に着いたところで一際大きく唸る風に、一磨は眉をひそめた。 バタバタと大粒の雨が激しい音を立ててガラスドアを叩く。 思っていたより時間を食ったためか、確実に台風が近付いてきていた。 このままでは一磨自身の帰宅が何とも手間の掛かる行為になることは考えずとも分かりそうなものだ。 自らの愚行と、そこまでして見付からなかった駄犬の行動範囲に忌々しげに舌打ちをすると、靴を履き替え外部へと通じるのガラスドアを押す。 ――――――と、其処に見付けたのは捜していたはずの銀毛の犬。 雨に煙る校庭のほぼ中央に、ソレは佇んでいた。 吹き荒ぶ風も、打ち砕くような雨も気にする様子もなく、ただその人影はグラウンドの中央で空を見上げている。 いつもは勢いよく跳ねている髪が水を吸い重く垂れ下がり、意志の強そうな色違いの瞳は降り注ぐ雨を避けるためか軽く伏せられているようだ。 その立ち姿があまりにも自然体で、思わず一磨は声を掛けるのを躊躇った。 まるで、祈りを捧げる聖人のように。 あたかも、贖罪を求める咎人のように。 声を掛けるのを憚るような静謐な空気を醸し出していた為に。 「ココは息苦しいけど、こういうのは似てるな」 うっかり呆然としていた一磨に、不意にノラが声を掛けた。 何時から気付いていたのか、水浸しの地面を足音も立てずに目と鼻の先にまで来ていたらしい。 それでも立ち位置はまだ遠く、雨の中に立っている。 声には懐かしさを、伏せられたままの瞳には憧憬を。 常にはないそういった感傷を乗せながらノラは一磨を振り向いた。 長い髪から滴る雨は身体の線を伝い、地面に混ざる。 一連の動きに無駄がないことも珍しい。 「台風がか?」 こういうの、が強い雨と風を指し示しているのならば。 「あぁ。こういう風の強いヤツ。タイフウ・・・・っていうのか」 吹き付ける風が雨の照射線を歪ませ、まだ軒下にいるはずの一磨の足下を濡らす。 一層風が強くなった。 吹き付ける風も雨も強くなっているのに、それでもノラが動く気配はない。 「俺は帰るが貴様は―――」 「帰る場所なんて、端からねぇじゃねぇか」 痺れを切らしたように口を開いた一磨に、ノラは吐き捨てるように言葉を重ねた。 度々主張している魔界への帰還を却下し続けている事を指しているのだろうか。 それにしては言葉に滲む感情が違う。 「どういう事だ?」 その発言はまるで人間界を指しているようではなく、もっと広い意味での意味に取れる。 「貴様にも帰る家ぐらい―――」 「テメェは、ココまで来れないだろ?」 拒絶されたと、感じた。 遮られた言葉よりも、うっすらと歪んだ口元に絶対的な拒絶を。 此処と指しているのが本来ノラが立っている場所という訳ではなく、彼を扱うという・・・・・悪魔というモノと契約をするというそのリスクを指しているのだろう事は読み取れる。 今の一磨とノラの立ち位置は、あらゆる妨害によって阻まれた距離を保ったまま現在まで至っている。 禁止コマンド、主従関係、契約。 そんなモノで強制的に作り上げられたこの距離は、お互いにとってとても危うい。 どちらかが戦線を離れる事にでもなったら、もう一方は破滅だ。 軒下で、危険をかわしているだけでは駄目だというのなら、多少の危険を冒してでも認めさせてやろうじゃないか。 キュリッ、と音を立ててスニーカーの底が濡れたタイルを踏みしめた。 軒下を出れば、アスファルトが大量の雨に薄い水の膜を作りスラックスの裾を湿らせる。 グラウンドまで出る頃には頭から爪先まで、文字通り水浸しだ。 吹き付ける風は時を追う毎に強くなり、今では移動だけでもかなりの気を使う。 そんな状態でも、一磨はノラの正面に立ち首輪を掴んだ。 「本気でそう思うのなら、何故そんな所に立っている」 強くなりすぎた風のせいで、すでに普通の声では会話が成り立たない。 掴んだ首輪で顔を引き寄せる事により、大声で喚く事を避けた。 吹きつける雨のせいで、大きく口を開けば呼吸すら怪しいからだ。 「『捜すな』と書かれた手紙は捜して欲しい人間のすることだ。今の貴様の行動はソレと同じだという事が何故判らん」 額が触れ合うほどに近づけられた状態で睨み付ける。 「何を・・・・!」 「帰る場所がないのなら云え。今の貴様には拒否権など無いがな」 逆上し掛けたところに文字通り水を差し、一磨は強引にノラを引きずり再び軒下へと戻った。 ふて腐れているのか、黙りを決め込む駄犬を後ろ目に軽く髪を打ち振るうが、全身水浸しになっていては全く意味がない。 どちらにしろこのままでは風邪を引きかねない。 すでに成ってしまったものは取り返しがつかないのだから、このまま自宅まで帰る事にする。 そう。 野良犬の首輪を掴んだままで。 「帰るぞ馬鹿犬」 強く首輪を引けば、蛙を踏みつけたような声が漏れる。 「知るかボケ!勝手に帰れ!!」 それでもまだ憎まれ口を叩くのか、と今度は水の滴る髪を掴んで力一杯引っ張れば苦痛の声と共に振り解かれた。 「放せ!一人で帰ればいいじゃねぇか!!」 「黙れ馬鹿者。貴様に拒否権など無いと言っているだろう」 「だから・・・・・!」 「形式的にとはいえ契約により主従関係が成立している以上、貴様は俺のモノだ」 文句は言わさん、ときっちり言い切ると再び首輪に手を伸ばす。 「巫山戯んなよ!何で俺様がテメェのモンになんか・・・・!!」 「吼えるな。言いたい事があるなら後でじっくり心行くまで聞いてやる。だから今は黙ってついてこい」 再び有無を云わさぬ勢いでソレだけ述べると、一磨は今度こそガッチリ首輪を掴んで正門へと足を向けた。 雨の空を見上げて、台風の中心が近い事を知る。 弱まってきた風と雨、そして手にした駄犬の抵抗。 「これまでの事は知らん。だが、今帰る所がないというなら此処に戻ってこい」 風に掻き消されない程度のボリュームで、眉間に皺を寄せる犬に伝える。 「俺が貴様の飼い主だ」 そして台風の目が深夜を静寂に陥れる。 やがて再開される暴風雨の中へと身を晒す事を知りながら、それでも手放すには惜しいモノを手に入れてしまった。 これが試練というモノか――― 床に敷かれた布団で眠る、知性の幼い犬を眺める。 自覚のない秘密を多く抱えるこの愚かしい犬が自分をどれだけ楽しませてくれるのか・・・・・、これまで見ているだけでもとても面白いと感じた。 この夜より暗い闇を抱えている様を思う。 再びシトシトと降り出した雨の音を聞きながら眠る。 明日も新しい発見が待っているのだろう――― |
スミマセンゴメンナサイモウシマセン・・・・・・・・!! これより逃亡を図ります。捜さないで下さい(脱兎) |
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