「古来より、狼男はバンパイアに従う者なのだろう?」
 首輪から垂れ下がる鎖を引きながら一磨は底意地の悪い笑みを浮かべて嘯いた。
 『禁ずる』と口にされた訳ではなくとも、物理的に力を加えられれば首輪は絞まる。
 うげっ、と息を詰まらせながら引っ張られる鎖に釣られて蹈鞴を踏む。

 ―――こんなヤツと契約させられたのか・・・・・・・っ!!?
 魔王のドブス!人選最悪だチクショウ!!

 今更の様に、改めてガックリと肩を落としたノラは 力無く、しかし確実に心の中で魔王を罵った。











Sentimental Algorithm









 それはまだ平素の登校時間にしてはずっと早く、いつもならば校庭を使用する一部の運動部員が数人姿を見せるだけの校内に、早朝だというにも拘らず日中と何ら変わらない数の生徒たちがひしめいていた。
 眼下にわだかまる人の群れに視線を向ける。

 あまりの人だかりに眩暈がしそうになったが。

「くぁー……っ」

 動きだけは猫のソレのように、きゅーっと背筋を反らせて欠伸をする。
 日差しは強くとも、やや涼しくはある生徒会室の窓に腰を掛けて見るともなしに校舎を慌ただしく出入りする人影を眺めた。

 目に映る生徒たちの服装が、常のものとは異なるように感じる。
 とは云っても、いつもは同じような服装の団体が今日は個性豊かにバラバラの格好をしているのに気付いただけだが。
「今日は何か、いつもと違うのか?」
 再び欠伸をしながら、ウトウトとサッシに寄り掛かる。
 朝早くから無理矢理引きづられて保健室を後にしたため、ノラの睡眠欲求は時間と共に募る一方だった。


「あぁ!いたいた!!SPさん発見ー!」
「……おぅわ!!」
 ガラリ、とドアを引く音と共に高い声が室内に響いた。
 バタバタと視界の隅で複数の足音が聞こえたが、当のノラはそれどころでは無くなっている。
 不意打ちのように掛けられた声に、バランス悪く窓枠に掛けていた体重が妙な方向へとずれ込んだ。
 曰く、窓の外へ。

「きゃぁ!!」
 眼前の光景に、女子生徒の悲鳴が上がった。
「SPさん無事〜!?」
 続く比良坂のものとおぼしき声。
「…………別に、問題ねぇ」
 若干の間を開けながらも、ノラは返答を返した。

 足だけ窓枠に引っかけたような状態で、それはまるで逆さ吊りのようではあったけれども。

 妙な体勢で窓枠に身体を固定した為、彼は全く認識していなかったのだ。
 室内に駆け込んできたメンバーが皆一様に魔女だ何だと、仮装をしている事に。

 そしてこれから巻き込まれる乱痴気騒ぎの気配すらも―――





 落ちかけた窓から腹筋の力だけで室内に舞い戻りはしたものの、ソコに待っていたのは奇妙な格好をした比良坂とか名乗っていた女生徒とその友人という数名の天陵学園中等部在籍の生徒達だった。

 生徒会室の主はノラを文字通りこの部屋に放り込み、それ以降姿を現してはいない。
「やっぱり会長、何も準備してないみたいよ?」
「用心棒さんお菓子用意してる風でもないし、持って来て良かったかもね」
 室内を見回して、何やら捜している風だがどうやら目的のモノは無かったようで。

 いつもと変わらぬノラの軽装を見て、持ち込まれた段ボールが開かれた。
 ゴソゴソと中のものを漁って少女たちの目がキラリと輝く。
「じゃ、これ着てください!」
 はいっ! と取り出されたのは柔らかな何か。
 一見大きな布の塊としかノラには認識出来なかったが、着ろという言葉通りに広げられた其れは確かに服だ。
 ただし、どう見てもドレスとしか称し様の無い淡い色の衣装にノラの全身の毛が逆立った。
「こんなモン着れるかぁ!!」
「えぇー?会長と並ぶと凄く良いと思ったんだけど……勿体無いなー」
 差し出された衣装を受け取るどころか全身で嫌悪感を示すノラに心の底から残念そうに溜息をつきつつ、再び彼女はダンボールを漁る。
 中世の貴族令嬢もかくや、という先程広げられたままのドレスは、此方も同様に心残りを残しつつ溜息をつく女生徒達が渋々としかし丁寧に折り畳んでいく。
 勿論その視線を感じないわけではない、が だからといって易々と受け入れられる提案ではない。
 何せノラの記憶にその手の服に関して碌な記憶が無いからだ。
 ここ暫く直接顔を合わせていないとはいえ、魔王のかつての所業が薄れるわけもなく。
 そうでなくともノラの耳は先程の比良坂の言葉に警戒心を強化していた。
 きっと碌なことは無い、と。

「取りあえず、こっちで良いと思うの!!」
 次に比良坂から差し出されたのは、灰色のモコモコとした固まり……に見える。
 不審気に仮装グッズ一式を受け取るノラに、比良坂はご丁寧に―――かつ強制的にサクサクと装着させていく。

「耳と、肉球付きのミトンでしょ?後は尻尾とー……」

 出来上がったのは、どこからどう見てもマニア受けしそうな犬耳姿の青年だった。
 銀の髪に埋もれるように溶け込む淡いグレーの犬耳―――正しくは狼男の仮装オプションなのだろう―――が、違和感無く溶け込んでいる。
 当の本人、ノラですらも耳と尻尾に関しては気にした風でもなく、ただ手にはめられた ぬいぐるみじみた犬足をワキワキと動かしながら渋面を作っていた。
「動かしづれぇ……」

 その犬足は、むしろ女性用なのでは?と疑わしいぐらい可愛らしい作りで、お世辞にも差し込んだ五指が動かし易そうには見えない。
 まだ眠そうに瞼を瞬かせながらも、ノラはそれしか知らないように繰り返し手を開閉させていた。

「あ。忘れてました。これも付けて下さい」
 ハイッ!と差し出された物体を反射的に受け取って。
 視線を落とした掌中に乗っていたのは犬の鼻面……と言うか何と言うか。
 つけっ鼻のような物だが、鼻だけではなく口も覆ってマスクのように被るのだろう。
 狼の顔はシャープで長い。
「…………」
「付け方分からないですか?この横のゴムを耳に引っ掛けて止め―――」
「……って、こんなモン誰が付けるかぁっ!」
「わぁっ!」
 卓袱台を引っ繰り返す作業宜しく、ノラは振り上げた腕でそれを床へベシリと叩きつけた。
 やっている事は酷いが、確かにその鼻面?になるのが嫌で皆が敬遠した為残っていた仮装衣装だっただけに誰も非難はしなかった。
 比良坂の、きっと似合うのに……という心の声以外には。

「ところで今日は一体なんなんだ?って言うかてめーらのその格好何なんだ?」
 は、と正に今気付きましたとばかりに手を止めて 改めて視線が集団へと向いた。
 黒のローブに長い箒、大きなカボチャの形をした不自然なまでに鮮やかなオレンジ色をした塊を手にした姿に思わず首を傾げる。
「SPさんハロウィン知らないの?」
 その仕草に逆に驚いたのは彼女達の方で。
 一磨が今日の事について一切何も伝えていないという事実に首を傾げた。
「会長から何も伺ってないんですか?」
 おかしいなぁ、と問いかけた少女はその直後 肌で直接感じる違和感に思わず一歩退いた。
 ノラがふつりと唐突に動きを止めたのとほぼ同時の行動だったのだろう。
 妙なオーラを立ち上らせながら堰を切ったようにノラが雄叫びを上げた。
「あぁっ!?あのヤロー人のこと無理矢理引き摺って来たくせにてめーはさっさとどっかに行きやがって!今日が何かなんて聞いてねーし人間がちまちまやってることなんて一々気にしたことねぇから知らねーよ、クソッ!」
 怒り心頭とばかりに、それまでの眠気に茫洋とした瞳に漸うと光が灯る。
 吹き飛んだ眠気の代わりにノラの思考を満たすのが腹立たしさか不愉快さなのかは定かではない。
 けれど苛々とした空気に混じって伝わる感情は確かにある。
「今日はですねハロウィンって云う、外国のお祭りの日なんです」
「うちの学校では仮装パーティーみたいなものですね。学校行事なんですけど」
「自主参加なんですけど、校内に居る以上 仮装しないと襲われますからねー」
 カナリヤの様に口々に説明されて、傾げた首もそのままに困惑気味に言葉を返した。
「襲われるの分かってんならやり返せばいーじゃねーか」
「そうじゃなくて、そーいうお祭りの日なんだよ。『イタズラかお菓子か?』ってみんな聞いてくるから、お菓子あげないと悪戯されちゃうの」
 手にしたカボチャ型の入れ物の蓋を開いてみせる。
 促されるままに中を覗けば、幾つかに袋分けされた焼き菓子や色とりどりのキャンディーが詰め込まれている。
「……人間って変な事考えるんだな……」
 けれどその祭り好きな思考は、記憶の中の誰かを刺激する。
 大々的に何かをしていたのかもしれない。
 だが特殊階級施設の中ではエリア外での催しのことなど窺い知る事の出来ない。
 けれど何故だろう。
 薄っすらとした昔の記憶の中で、魔王が嬉々として大量のお菓子を用意していた事がある気がするのは。
 妙に気になるが、どうしてだろう思い出し切れない。
 訳が分からないというように席に腰を下ろすと、気だるさにぐったりと机に伏せた。

 眠い。
 ひっじょーに眠い。
 
 そもそもこんな行事があると知ってさえいれば、ノラは今日は校内で眠りこけてなどいないつもりだった。
 ここの所連日一磨に連れ回され、禁止コマンドを連発されて文字通り気力と体力の限界に挑戦しているような状況だったからだ。
 生徒の少ない早朝は保健室貸し切り状態のノラにとって格好の安息時間だったというのに―――
「SPさんも一緒に行こう?」
 ぐったりと机に延びたノラに比良坂達が声を掛ける。
 一方ノラの反応は「うー」だの「あー」だのその程度で、とても動き出す様子は無かった。
「もう。会長来ちゃうよ」
「そろそろですね」
 ぽしょぽしょと交わされる彼女達の会話すら、既に耳には入っていない。
 そう、彼にとって天敵たる人物の登場を事前に感知するチャンスを逃すほど とにかく疲れていたのだ。
 ―――そして眠りを破るのもまた、その人物に他ならないのだけれど。

 無造作にカラリ、と開かれたドアから差し込む影。
 くるりと室内を見渡したそれは、おもむろに一言呟いた。
「『禁ずる』」
「ぅっ……げぇ!!」
 安らかな呼吸を保っていたところに、唐突に首を絞められるなど堪ったものではない。
 伏せた机の上で派手に咳き込むノラを尻目に、影は室内に足を踏み入れた。
「会長お帰りー」
 逆光だけではない。
 室内に入ってすら黒々とした色を崩さない生徒会長こと一磨は、西洋において夜の貴族と呼ばれるバンパイア公爵の衣装を身に纏っていた。
「……て、めーなぁ!!」
「あぁ。……やはりこの格好で落ち着いたか」
 憤りも顕に噛み付くノラを相手にするでもなく一瞥するだけに留めると、そのまま視線を比良坂へと移した。
「やはり無理だったか」
「うーん。物凄く嫌がられたよー」
 くすくすと笑う彼女に微かに眉根を寄せて、再びノラへと顔を向けた。
 未だ一磨に向かって唸り続けるノラの姿は身に付けられた耳や尾と相俟って、正に犬そのもので。
 はっきり言って他人を威嚇させられる確率は非常に低いといっても良い。
 そうでなくともノラの威嚇などそよ風程度にしか感じていない一磨には効果など皆無に等しい。
 寧ろ逆効果だと云っても良いだろう。
「お似合いだぞノラ犬」
 顔を背け、口元を抑えながら放たれた一言に何の事かと不審気に眉根を寄せて。
 耐えかねるとでも言うように微かに震える肩に、細めた双眸が驚愕に見開かれた。
 瞬時に顔色を悪くしたノラが本当に今気が付いたとばかりに頭へと手を伸ばす。
 ―――髪に埋もれた、犬耳へと。
「『禁ずる』」
「……ックショ!!」
 外す事は許可しない。
 何と言っても今日はハロウィンなのだから。
 咄嗟に首を庇う為に首輪との間に差し込まれた指は、勿論犬耳を外す余裕などある訳も無く。
 けれどそんな事で抑えきれるはずも無い拘束はギリギリとノラを締め上げる。
 楽しげに、目を細める一磨へと怨嗟の声を上げるが所詮は無駄な足掻きだ。
「さて馬鹿犬。貴様に学習能力が無い事は知っているが、生憎俺はこれから構内を見回らねばならん」
 精々大人しく付いて来い。
 それが何より難しいことを承知していながら、床にへたり込むノラに用件だけを伝えると一磨はポケットから紐状の物を取り出した。
 長く、重量を感じさせる音がジャラリと床を打つ。
 視界の端にその反射を映す間もなく、先端がノラの首元へ押し付けられた。
 カシンッと響く音に、ノラの喉が低く音を立てる。
 繋がれたのは、人工的な光沢を持つ銀の鎖。
 反対側を掴むのは、他ならぬ一磨の手。
 それを目視した瞬間ノラから滲み出したのは、校内に満ちるざわめいた空気を遮断する程の純粋な怒気。
 表情を隠す前髪の陰から、怒りにも屈辱にも燃える瞳が見下ろす一磨を鋭く射抜く。
 噛み締められて音を立てる奥歯に、つられて一磨の口角も上がった。
 優秀すぎるが故に、刺激になる事が少ない。
 一磨にとって、いきり立つノラは活きの良い獲物のようなものだ。
 おいたも過ぎれば仕置きが必要だが、ノラの本質を滲み出させるこの眼が、空気が、瞬間が何物にも変えがたい喜悦を沸き立たせる。
 その輝きのまま、牙でも爪でも繰り出して来ればいい。
 手加減など出来ないぐらい高揚した状態で。
 そんなノラを捻じ伏せる事でどれだけの充足感を得られるかなど一磨自身にも想像が付かない。
 ただ確実なのは、間違いなく冷静ではいられないだろうということだけだ。
 ノラの手が鎖を掴む。
 リノリウムと爪先が擦れて耳障りな音を立て―――小さな舌打ちが、一磨の耳朶を打った。
「……さっさと終わらせやがれ」
 苛々とした空気こそ押し留められていないものの、それでも何とか湧き上がるものを抑えて身を起こしたノラに一磨は表面には出さないまでも大いに感心した。
 これまでの態度と、先程までの行動が行動だっただけに大人しく立つ事すらしないと思っていたのだが。
 深く息を吸い込む後ろ姿に理解するのは、ノラが酷く眠そうにしていた事。
 ノラの疲労は先週連れ回された事だが、一磨にとっては大した運動ではなかったのだから連想も遅れるというものだ。
 しかしノラにしてみれば対一磨戦において意地を張り続ければ、それこそ永遠の眠りにつかされかねない。
 それに、どの道ここにいても騒がしさは変わらないのなら いっそ一磨を利用して静かな所を探した方が得策だろう。
 腹が立つことには変わりないが、眠気には勝てない。
 ただ、未だに繋がったままの鎖を不機嫌さ丸出しの表情で引くことは忘れなかったが。


「TRICK or TREAT!」
「ハッピーハロウィン!」

 大本の意味を失ってはいるが、あちらこちらで景気良く上げられる声を耳にしてノラが珍しげに顔を向ける度 頭上の耳も軽やかに動く。
 飾りだとは分かっていても、その妙な一体感に誰もがポカンと口を開けた。
 一歩進むごとに硬質な音を立てる銀の鎖と、腰元で揺れるふさふさとした狼らしい尻尾。
 はしゃぐ比良坂達の扮する魔女団の後ろで不貞腐れた表情を浮かべていつになく大人しくしているというのに、いつもより遥かに人目を引いている。
「まだ拗ねているのか?」
「ンなわけねーだろ……っつか、拗ねるって何だよクソボケ。それにしても何でこんなにウルセェんだか……」
 構内をぐるぐると見回って。
 既に鎖からは手を放しているものの、付かず離れず気配でノラを拘束しつつ一磨が周囲に目を配る。
 文化的に根付いていないものだからか、ハロウィンの一番のお楽しみは中学生ともなればお菓子以上に仮装だ。
 いつもは出来ない服装や格好、それによる個人の特定の難しさが羽目を外させてくれる。
 良い意味でも、悪い意味でも―――質の悪いイタズラを仕掛けても、だ。
「子供とはいえ息抜きは必要だということだ」
 大していつもと変わらない姿のくせに周囲から最も浮いた存在が何を言う、という一磨の内心の声はノラに聞こえることは無い。
 混ざらず交わらない異質さは一磨とて縁遠いものではないのだが、流石にノラは本質から異なる為か仮装に対する興奮などは感じないらしい。
 どちらかと言えば文化の違いか。
 一磨の脳裏に描き出されたノラの保護者(とその周囲)はこの手の催し物を十二分に楽しめる要素を持っているだろう。
 要はノラ自身の資質の問題か、もしくは圧倒的な知識 経験値不足か。
 どちらにしろ一部のはしゃぎ過ぎた生徒による悪戯が行き過ぎないように、という名目で既に校内を一周してきた。
 自然一磨の足が生徒会室に向かっていることにノラも自然と欠伸を噛み殺す。

 一磨のしなければならない事、というのは現時点でほぼ終了だ。
 流石にチョークまみれの黒板消しを出入り口にセットという古典的な仕掛けは無作為に発動するので撤去、同様に引っ掛けでバケツの水をぶちまけるという影響範囲の大きい仕掛けなども同様に。
 テンションが上がるせいで限界や制限が極端に薄くなっているらしく、どう考えてもお菓子と引き換えに出来る悪戯の範囲を超えている

ことに自然と一磨の眉間の皺も深くなっていたのだが。

 ―――漸く寝れそうだ。

 ノラが抑えきれない眠気に口を開けた瞬間、其れは飛び出してきた。

「会長!Trick or Treat!!」
 廊下へ飛び指してきた男子生徒は片手を一磨へと差し出し、残る手を意味深に背後へ回している。
 普段冷静に振舞う生徒会長に鼻を明かしてやろう!という魂胆が見え見えの動きに、ノラは静止した欠伸を続けることにした。
 此処に来るまでに、校内の各所で取り交わされる『Trick or Treat』という遣り取りを何度か目にしてどうせ大した事ではないと理解はしている。
 それに同じような手合いは、やはり何人も居たのだ。
 男子生徒だろうと女子生徒が相手だろうと、一磨はその全てに同じ答えしか返してはいなかった。

「どんな悪戯だ?見せてみろ」

 暗黙の了解で差し出されるはずのお菓子は、当然ながら出て来ていない。
「えっ!? ……や、その……」
 むしろ早くしろと顎で示されて、けれどそう待たれては思い切り出来るはずもなく。
 かと言って助けを求める視線はノラの横顔を滑り抜けるのみだ。 
「出来んのなら此方が―――」
「……真狩……男前すぎるからお菓子渡してやれよ。そいつ泣きそうだぞ?」
 腕を組み既に待ちの体勢に入っていた一磨が常套句を口にする前に、全く正反対から助け舟が入った。
「助かった藤本!」
「馬鹿やってんなって……」
 ややもすれば腰を抜かしかねない状態を救われて、生徒は教室へと逃げ込んだ。
 慌てて走り込んだせいか盛大に物を巻き込んでこける音が廊下にまで響く。
 ひらひらと手を振って窘める藤本に、一磨が笑った。
「もう少し脅しつけても良かったか?」
「こえーから止めとけって。おぉ、コーラ持って来た」
 お疲れさん、と声を掛ける藤本も矢野と共に一磨とは逆方向から矢野と共に校内を周回してきた帰りだ。
 生徒会室まで戻る道すがらに今の現場を見掛けたのだろうが、何だかんだで結構律儀な性格なのだろう。
「ついでに報告も終わらせとくぜ?南棟は異常なし、行き過ぎの奴らは声掛といたし問題ねーだろ」
「このまま僕らは教室へ戻りますが、会長はどうしますか?」
 肩を竦め一磨と同様に生徒会というだけでちょっかいを出されたが上手くかわしておいたという事も付け加えながらの報告に首肯して、矢野の提案に一磨の意識が視界の外に居るノラへと向かう。
 一磨を含む生徒同士に遣り取りになど興味がないと言いたげに余所見をしているノラの周囲には何人かの生徒が無条件にお菓子を渡しに集まっている。
 近くに比良坂が居るのも分かっているのであえて禁止コマンドを使うつもりもないのだが、しかし。
「後で一度生徒会室に戻る。ここで解散で構わんだろう」
「よっし!じゃーなっ」
「ああ」
「あっ、ちょっと……!では会長また放課後に……、って 待って下さいったら!」
 勢い付いてくるりと向きを変えた藤本に慌てて矢野も向きを変えた。
 律儀に挨拶をしている間に相方はすっかり人波に溶け込んでいる。
「……放課後で構わん、か」
 生徒でごった返す中に駆け込んでいく二人の後姿に思うことは、廊下は走るなという事だけだ。
「戻るぞ」
 見送ってしまえばどうでも良い事の様に踵を返して。
 そのくせノラを見る事もなく呼び付ける。
「命令すんな」
 ムッとした反応に触発されるように空腹の埋め合わせに使われていた飴が無残に噛み砕かれる。
 けれどこの場所に留まり続けるのはノラにとっても得策ではない。
 人垣状になった生徒の輪から抜け出て渋々と後を追うノラに、比良坂が酷くにこやかに手を振った。

 廊下を躊躇うでもなくずんずん進んでいく。
 戻る、という発言からてっきり一磨は生徒会室に直行だと思っていたノラが嫌そうに顔を歪めた。
 生徒会室向かう階段はとっくに通り過ぎた。
 最近になってノラが定住しつつある宿直室まで送り届けたり、という気味が悪いほどの気遣いを見せる男ではない。
 この期に及んでまだどこかへ行くのかと思うと正直こっそり距離を取って方向転換したいところだが、生憎とそれを許す契約者でもない。
 無言で歩き続ける一磨に焦れて、ノラが無人の廊下で声を張り上げた。
「どこまで行くんだよっ」
 人気の無い老化では紛れるざわめきもなく、壁に吸い込まれなかった声がくぐもる様に響く。
 しかし一磨からの返答は無いまま、振り返ることすらしない。
「おい!てめ―――っ!?」
「眠いのだろう?」
 不意に立ち止まられて、蹈鞴を踏む。
 振り向かない。
 けれど歩みが再開されることは無い。
「眠いのだろう?」
 重なる問いに戸惑いながらもノラが小さく肯定を返せば、ついて来いと再び進行が始まる。
 怪訝に思いながらも後に続けば、通路はいつしか見知った場所へと繋がっている事に気がついた。

 保健室。

 ドアを見れば『保険医不在』と書かれたプレートが貼り付けてある。
 当然のように鍵を取り出して進入を果たせば、予想外の静寂がノラを迎えた。

 通常であれば保健室など繁盛していそうなこの日だが、逆に小さな怪我が生じることの多いこの日は保険医の方が構内を巡回しているせいで予想もつかない穴場になっているのだ。
 ベッドもある。
 同じ校内だというのに端の方にあるというだけで喧騒から切り離されているこの部屋は、不足した睡眠時間を補うには十分足りえる空間だ。
「終日誰も踏み込まん。好きにしろ」
 珍しいと言えば珍しい言い分で。
 しかし素直に言葉に甘えるには些か抵抗がある。
「てめーは何してんだよ・・・・・・」
 好きにしろ、といった割には出て行く気配も無く丸椅子に腰掛けてベッドの傍で休憩している―――様に見えなくも無い。
「俺のことは気にするな」
「気になるわクソボケッ!!」
 一磨が陣取っているのは窓際のベッドのすぐ横で。
 ノラとてどうせ寝るならこの時期少しでも暖の取れる窓際のベッドが良い。
 というより、そもそもそのベッドで寝る以外の選択肢が頭に無いのだ。
「オレ様は寝るんだから、出てけっ。気が散る!」
「睡眠に集中力が必要か?」
 どうせすぐに寝付くのだろうと暗に示されればムッとしないはずも無い。
 だが、一磨が其処に居るというだけでより良い場所を譲るのは、それはそれで癪に障るのだから仕方が無い。
 此処が一番良い場所なんだから此処で寝る!
 ノラは元々ムキになる性分ではあるが、こと一磨の前ではその発露が特に激しい。
 ブーツもミトンも八つ当たりのように放り出してしまえば酷く身軽になった。
 そこに一磨がいる事実を無理やり捻じ伏せて布団の中へ潜り込む。
 冬の空気に晒されたシーツは室内の空気と同じく冷たいが、陽光を浴びた掛け布団は薄く暖を取るにはやや不向きな作りではあるものの熱を吸って暖かい。
 普段なら肩口まで引き上げるに留める上掛けを陽光からも一磨からも顔を隠す為に必要以上に引き上げてみれば、それだけで意識がうとっと傾いた。
 確かに睡眠に集中力など必要ない。
 寧ろ此処に来るまでの道すがらの方がずっと集中力を要していたぐらいだ。
 何のかんのと文句は言うが、カズマの気配は酷く静かで実際には妨げにはならない事だって本当は知っている。
 暗闇と安息を求めて下りた瞼が瞬く間にノラの意識を離れた。
 あぁ、やっと寝れる。
 勿論 お休み、などという甘ったるい挨拶はどちらの口頭にも上らない。
 ただ場を満たすのは程なく聞こえ出す安らいだ寝息のみ。

「やはり、必要ないだろうが」
 呟く声は小さい。
 視線すらベッド上の膨らみに向けないまま、口元を緩める。
 集中力も、出て行く必要もありはしない。
 根底の部分でノラは一磨を敵とは見做していないせいだろう。
 コレが例えばネル辺りが同席していたとしたら、どれほど眠くとも睡眠を唆され様とも寝付きはしないのだろうが。
 顔まで被った布団で息苦しいのか身動ぎを始めた塊に右手の人差し指だけを手助けに出してやる。
「っぷ、は」
 指先に引っ掛けた上掛けを僅かに引けば生じる空気の通り道。
 口付けの後、酸素を求めるのと同じ音が微かに耳に届いて可笑しさに肩が揺れた。
 無論声は殺しているが、何の衒いも無い姿にその本質を見る。

 誰にも邪魔されなければ、一磨の前ですらそんな姿を晒す。 
 いや、寧ろ一磨の前だからこそ そんな風に振舞う。
 ノラの身に掛かる全ての畏怖を、制約をものともしない一磨にだからこそ ノラの根底は揺らぎを生じない。
 人間である一磨相手だからこそ、ノラの表層は漣を立てる。

 仮装などしなくとも、コレは悪魔だ。
 ここに居るのは化け物だ、とでも言ってやればノラの根底を揺する事は可能だろうかと詮も無いことを考える。
 下らない、と吐き捨てたいが 反面どうすれば効率よく深く強く自分の存在をノラという存在の中に深く刻み込めるか何時だって考えている。
 手首に触れる。
 そこに嵌る腕輪など、ノラの首に嵌る首輪など 他人に縛られた契約など高が知れている。
 ―――いつかは切れるものだ。
 一磨がノラの教育を望み、ノラが最強の称号を強く渇望したとしても 他の誰かの意思一つで容易く切れてしまう、その程度の絆だ。
 少なくとも、今はまだ。
 もう一度手首に触れ、手の平を握りこむ。

 Trick or Treat

 そんな一時の驚きや、甘さなど欲しくは無い。
 そんな生易しいものでは全然足りない。
 飢えているのは、ノラよりも一磨の方だ。
 望みを口にできる者よりも、真実己が望みを自覚していない者の方がずっと貪欲に出来ているのだとノラに出会って初めて理解した。

 ―――欲しいのは、この存在そのものだ。

 容易く触れられぬ存在であれば良い。
 その方が掌中に堕ちてきた時の充足感も高まろうというもの。
 口元だけで笑う。
 けれどその顔に浮かぶ笑みは思考に反して酷く柔らかいもので。
 背負う不穏な空気とは真逆に、ノラの睡眠を邪魔する事無く日が傾くまで一磨も静かに休息を取ることを自分に許した。












……何も…何も言わないで下さい!
『今更ハロウィンかよ!』とか『年明けにも程がある!!』とか
もー、本当に泣きたいぐらい重々承知の上です……orz
そして何よりもハロウィンしてなくてスミマセ……ッ!!(土下座)



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