プシュッ。

 雑踏の中にでも居れば簡単に紛れてしまいそうな音だったが、ぼんやりと空を眺めていたノラの耳には噴出すガスの流れすら聞き取れた。





07 コーラ





 昼日中の校内とはいえ屋上は静かなものだ。
 人間界に来てすぐの頃は一磨が授業を受けている間結構自由に公園をぶらついていたりした事もあったが、如何せん街中は誘惑が多い。
 主にたべものとかタベモノとか食べ物とか。
 そのくせノラの手元には先立つ物が無い。
 かといって魔王にそれを乞うのは嫌だったし、一磨の財布を失敬することなど不可能だし、仮に出来てもやりたくは無い。
 一磨の懐を寒くするのは痛快だろうが、どうにも借りを作る様で嫌なのだ。
 勿論そんな事態が本当に発生したなら、正しく一磨はそのような態度をとるに違いないのだが。
 まぁ、そんな諸々の事情から不愉快ながらも一磨がいなければ魔法が使えないことも相俟って、次第にノラの行動範囲は狭まっていた。
 寝る時以外は無論、一日の大半は居ついてしまっている。
 そうでなくともノラ一人で行動するには、人間界はややこし過ぎる。
 何せ徒歩以外での移動手段すらない。知らない。
 知っていても実行出来ないのでは意味が無い。

 故に、屋上なのだ。

 天気さえ良ければ気兼ねなく空を眺めていられる。
 魔界では見ることの叶わなかった太陽や空、夕焼けも宵の空ですら誰に咎められることもない。
 特殊階級施設では身近にあった 静寂もある。
 天陵学園では生徒に屋上を開放していない為だ。
 生徒達の喧騒は階下。近くとも閉ざされた鉄扉の向こうと、隔絶されている。

 何処に居ても一人。

 それに嫌があるわけではない。
 ノラ自身が元々一人だと思っている。
 共に居るものもなく、独り。

 見ていて飽きないその空間を崩したのが、先程の音だった。
 身に慣れぬ、しかし耳慣れてしまった音。
 その発生源がゆるりと歩を進めた。
「飽きんのか?」
 掌中の赤い缶がゆっくりと傾けられる。
 重い金属扉の開く音にすらノラは気付かなかった。
 いつの間に入って来たのか、声の主はフェンスに身を任せノラの居座る一段高い場所を見上げた。
「てめーこそ、その変な水飽きねーのかよ」
 空を見上げても、特に注目すべきものは何も無い。
 毎日、其処に存在しているのが当然だと認識しているからだ。
 一磨の視界に入るのは錆びた鉄扉と、コンクリ壁横の梯子と風に揺れる銀色と―――眉間に皺を寄せた彼の使い魔の顔。
「……飽きんな」
 変な水、と言われて何の事か訝しんだのは一瞬にも満たない時間。
 手にしたコーラは、そういえばノラには碌な思い出が無かったな、と思う。
「だったら訊くんじゃねーよ」
 単に好みの問題だ、とでも言いたいのだろうか。
 恐らく一磨がその辺りを問い詰めても上手く説明出来ないのだろうが、多分 ニュアンスとしては伝わった。
 一日に三本はコーラを消費する一磨を、奇異の目で見る矢野と藤本を思い出せば尚更。
 既に一磨に興味を失ったとばかりに視線を空へと戻していたノラが、再び一磨へと視線を向けた。

 ―――正しくは手元の缶へと、だ。

「何でてめーはいつもソレなんだ?」
「好みの問題だろう」
 つい先程の会話の繰り返しか、それほど馬鹿か。
 酷い感想を抱く一磨の中でのノラは意趣返しが出来るほど知能的ではない。
 しかしノラはそうじゃねーよ、と身体後と向き直って指先を戻した。
「他の奴等は何かこう……フタ閉まるヤツ飲んでるじゃねーか」
 胸元で折り曲げた指を交差させる仕草はペットボトルの開閉によく似ている。
「何でいつもソレなんだ?」
 一磨が手にしているのは確かに今時コンビニではあまりお目に掛からないプルタブ式の350ml缶だ。
「…………」
 口元で傾ける。
 炭酸の弾ける音が耳と喉に滑り込み、清涼感は胃へと滑り落ちていく。
 その感触を好まないのだろうノラがちょっと嫌そうにその一連の動きを眺めている。
 流れ込む褐色の液体に喉が上下して、口元から離れるなりベキリと音を立てた。
 握りこまれた指先が手の平に触れる。
 缶自体が細いわけは無い。
 だが、立て続けに起こるベキバキという異音がそれを可能にしていた。
「深い意味は無いな。一々キャップを閉めねばならんほど長時間持ち歩くことは無いせいもあるだろうが」
 既に原型を留めないアルミの塊の、それでもまだ元は円筒形であったことを主張する上部の円形を掴んで揺らす。

 それはもうゴミだ。

 ノラの気にした容器の部分は一磨の欲するものではない。
 中身が無ければ既に無用の長物。
 しかし屋上にゴミ箱は無いので一先ずドアの横に放置して。
 一磨の手は扉ではなく梯子へと伸ばされた。
「珍しい事を気にしているな」
 興味があるのか?
 コーラへか、それとも一磨へか。

「気になんかしてねーよ クソボケ」
 気になるのは寧ろてめーがアレ入れてるトコの方だろ、と。
 近づくな、と牽制するノラの言葉に首肯した。
 ズボンのポケットからよく取り出すコーラの缶を級友にも怪奇現象を目撃した瞬間のような顔をされることがある。
 成る程そう見えるのか。
 納得する部分はノラが本来主張したい所とは大幅にずれていたりだとか。

 登り切った一磨のカッターシャツが強く吹き抜ける風に弄られる。
 ノラの髪も、Tシャツの裾も。
 けれどそんなものは全て感覚だけで、どちらの瞳にも映ってはいなかった。

 重なる影が、離れる。

「……ンだよ」
 甘ぇ……。
 ノラが口元を押さえるのは校内に広がる甘さのせいだ。
 不本意に濡れた唇を手の甲で擦るのは残る感触を消してしまいたいから。
「ここはなかなか気持ちが良いな」
 時折靡く風に目を細めながら先程まで寄り掛かっていたフェンスを足下に見下ろす。
「お裾分け―――いや、お返しか」
 ノラの好む領域へ踏み込んだ対価として、一磨の好むものの味を ほんの触りだけ。
「いらねーよ、ンなもん!」
 むぅ、と見せ付けるように眉間に刻まれた皺は深いが顔を覆うように広げられた手の奥には薄く色付く頬。
「いらねーよ……クソッ」
 繰り返す言葉は照れ隠しによく似た響きをしていて。

「ならば返してもらおうか?」
「返すかっ!」
 笑いながら再び顔を近づける一磨に、ギャァッと慌てて腰を浮かした。



 昼休みの終わりを告げる鐘まで もう3分。












コーラ関係ない。関係ないよ一磨さん!(笑)

そしてこちらは 『NORA - ノラ - 題』様の所からお借りしてきました
『ノラ受派さんに10のお題』でございます。


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