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実際のところ、ちょっとした腹いせと暇つぶしと、そして興味にすぎなかった。 あの小生意気な人を少し懲らしめてやったら、一体どんな反応をするだろうか、と。
本当に、それだけだったのだ。 ―――あの瞬間を迎えるまでは。
憐廻干渉
「―――――っ!!」 ザザァッ!!
打ち出した拳ごと身体を弾き返され、ノラは危ういところで体勢を立て直す。 床と派手な摩擦を起こした靴裏が、じん、と強い熱を伝えてきた。
「ったく、めんどくせぇ……いい加減に諦めたらどうですか?
ある施設の、奥まった通路内。 対峙するのは、水軍将と特殊階級。 傍目から見れば何か重大事の勃発かと危ぶまれる光景だが、実のところ、そうそうシリアスな内容を含んでいるわけでもなかった。
ともかく、心底めんどくさそうな声で言って捨て、誉れ高き水軍将――リヴァンはやる気なさげに頭を掻く。 事実、彼にやる気などまったく存在しない。魔王補佐官直々の命令でもなければ、重い腰をあげることすらしなかっただろう。 それでも、動いたら動いたで、あっさり逃亡者を捕捉できるあたり、やはり腐っても将軍ということか。
「うるせぇ!めんどくせぇんだったら最初から出てこなきゃいいんだろうが!」 「ヤですよ、んなことしたらまたカイン様に叱られるじゃないですか。あの人おっかねぇんだから」 「………だったら普段からもう少しまともな勤務態度とれよ………」 「へー、ノラ様からそんなお堅い台詞が聴けるとは。アンタ段々バリクに似てきましたねぇ」 「嬉しくねぇよ!つかむしろ最悪だ!いーから大人しく道を譲りやがれ!」 「ヤです」 「………このっ……!!」
きれいに堂々巡りになるやり取りに、当然キレたのはノラの方だった。 ダンッ!とぎりぎりまで上体を倒した姿勢で床を蹴り、瞬時に相手と肉薄する。 低くした体勢から伸び上がると同時、一級のスピードで繰り出された拳を、しかしリヴァンは難なく避け、先程と同じように身体ごと弾き返そうとした。 が、 「………!」 刹那、ぴくりと右の眉をひそめ、身体をひねって回避の軌道をずらす。と、間髪いれずその空間に容赦ない蹴撃が打ち込まれていた。
「―――ちっ!」 「へぇ、少しは頭を使うようになったんですねぇ。アンタがフェイントを使うなんて」 「うるっせぇな!感心してんのか馬鹿にしてんのかどっちだよ!」 「あー、一応両方ですかね。1対9ぐらいで」 「ほぼ馬鹿にしてるだけじゃねぇか!手の込んだ皮肉言いやがって――!」
ぎゃんぎゃんと喚きながら、ヤケクソのように攻め込むノラを、リヴァンはいかにもかったるそうにいなしては、気紛れで的確な反撃を加えていく。 こうなると、癇癪を起こした子供をタチの悪い大人があおってるようにしか見えない。 事実、ノラの身体はまだ成長過程で、青年と呼ぶには足らぬ体格だった。 故に、スピードはあっても攻撃自体に威力がない。その上、百戦錬磨の将軍と対峙するには、あまりに彼の戦闘術は幼く、素直で、 ―――その前提からはじき出される結果は、およそひとつしかなかった。
「………ッァ……!」 ダンッ!
徐々に重みを増す反撃に、必死で耐えていたノラだったが、ひとつの判断ミスが呆気なく勝敗を決めた。 死角から襲ってきた攻撃への感知が遅れ、慌てて対処しようと注意を散じた瞬間。 それがフェイントだと気づいた時にはもう、閃きの如き速度で壁に打ち据えられていた。
「……げほっ……っは……」 「ホラ、もういい加減気がすんだでしょう? そろそろ戻ってもらいますよ、ノラ様」
よりにもよって首を捕らえられ、鈍くむせ返るノラに、リヴァンは常の間伸びた調子で言い聞かす。その声音には緊張のカケラもうかがえない。 実際、彼は実力の一端すら出していなかった。あの速度で首から固い壁に叩きつけられた――人間の身体なら即死ものだ――ノラが、軽度のダメージしか負っていないことが、何よりの証拠だろう。 また、それに気づかないほどノラも愚かではない。そろそろ、いくら抗ったところで無駄だと実感できた筈だ。 そう考えて、リヴァンが相手の首にかけていた手を外そうとした瞬間。
「!」 バシィッ!と激しい音とともにそれが振り払われる。 その過剰ともいえる反応にリヴァンが瞠目する間、ノラは再び彼から大きく距離をとっていた。
「……気安く触んじゃねぇよ!俺は行かねぇっつってんだろ!」 何をそんなに慌てているのか、やたらと呼吸は粗く、肩を上下させる回数も多い。 が、不可解さより先に不愉快がたったリヴァンは、それまでの気だるげな雰囲気をがらりと一変させた。
「………っとに聞き分けがない人ですねぇアンタは。意地はったところでどーにもならねぇって、まだ分からないんですか?これ以上手間かけさすなら、力づくで連れていきますよ?」 「……っ、やってみろ、よ」 「またそんな強がりを言う。今の、完全に魔力を封じられたアンタに、何ができるっていうんです?」 一言一言、噛み砕くようにして突きつけてやれば、ノラは酷く悔しそうな表情でうつむいた。
『災禍の凶犬』が魔王軍の特殊施設に半幽閉されて幾歳月。 常日頃から何かと騒動の耐えないノラが今回引き起こしたのは、端的にいって『逃亡』だった。 つまるところ、軍のとある研究施設への『協力』を拒み、研究員の隙をついてそこから勝手に逃げ出したのだ。 ケルベロスはその存在自体が極秘扱い。故に、捕獲にかり出されるのは必然で幹部クラスになるわけで。 ただでさえ仕事山積みの上役連中にしてみれば、文字通りいい迷惑でしかない騒動だった。………もっともリヴァンは他と違って仕事のほとんどを腹心に押し付けているのだが。
「こういう展開になることを見越して、予め魔王様がアンタの魔力を封じておいたっていうのに、ほんと無駄な世話をかけさせてくれますねぇ。……そんなに薬や注射が嫌なんですか?」 まるでガキみてぇだ、とわざと相手の自尊心をくすぐる物言いをしてやれば、案の定ノラはばっと首を元に戻して「ンなわけあるか!」と噛み付いてくる。 面白いほど予想を裏切らぬ反応だ。この一種異常なまでの無知と幼さは、強制からくるものかそれとも彼の本質なのか。
「じゃあどうして?アンタが研究施設の協力を拒むのに、他に何か理由でも?」 「理由もクソもあるか! 圧倒的に不利な状況に怯みながらも、精一杯の虚勢をはって吼えたてるノラに、リヴァンはぴくりと眉をよせる。 成程、と思うには思った。確かにどう外聞を取り繕おうと、研究者からみれば所詮彼は『貴重』な実験体にすぎない。それを疎ましく思う気持ちもわかる。だが、
「……まだご自分の立場がわかってねぇんですか、ノラ様。魔王軍に属している以上、軍に貢献するのは当然の責務。特にアンタのような稀少度の高い種族の研究が進むことで、軍にもたらされる恩恵ははかりしれないと」 「うるせぇ!黙れ!……ふざけんなよ、何が軍属の責務だ。てめぇらが、勝手に俺をここに閉じ込めてるだけじゃねぇか!」 「っ!?」
ボンッ!!
どこか、悲痛な響きさえともなった怒号が放たれた直後。ひとつの破裂音とともに、一瞬にして通路が白煙に包まれる。 ―――考えるまでもない、煙幕だ。しかし、それをこの場でノラが隠し持っていようとは、さすがに予測外だったリヴァンは、文字通り間隙をつかれる結果となった。 誤算はみっつ。この隠し玉と、先程リヴァンから逃れたノラが飛びのいた先は、退路ではなく進路だったこと。そして、この煙幕にはご丁寧にも催涙ガスの類が含まれていたことだ。
「………………」 扇子で顔を隠して薄れかけた煙幕を突破するも、当然その先に銀髪の子悪魔の姿はない。 思わぬ反撃をくらったリヴァンは、そこに至って元々丈夫じゃない堪忍袋の緒をぷちっ、と切り捨てた。
「………あの悪ガキめ、もう手加減ナシだ」 地を這うようなトーンの声と、座りきった眼差し。自分の怠慢はハナから棚上げしてるところが彼らしい。 パチン、と顔のそばで扇子を閉じ、しばらく通路の奥を凝視して。 やがてトン、と一度、軽く足を鳴らした。
「っは、は……ざまーみろってんだ、あの嫌味ったらしのキザ男め……」 乱れる呼吸を必死でならしつつ、それでもノラはしてやったりと口端をつりあげる。
研究室から脱出する際、失敬してきた開発途中(らしい)煙幕弾。それを咄嗟に放ってその場から逃げ出した。本当は敵に背を向けるなんてマネ御免だったが、魔力を完全に封じられている状態ではどうしようもない。 さっき、相手から逃れたのが進行方向だったのも幸いした。走れるだけ走って目的の区域に到達したあとは、そこらへんの手近な部屋へと滑り込む。これで、逃亡はおよそ成功したとみていい。 なぜなら、この界隈には同様の空部屋が数多く存在するからだ。あちこち交錯する長い廊下の両面に、これでもかと居並ぶドアの数。あの、やる気の無さにかけては右に出る者はいないほどのモノグサ悪魔が、それらをひとつずつ確認するなんて面倒な作業、するわけがない。 更には完全封身されている今、魔力の波動で居所がバレる心配もないのだ。
「さーて、と……アイツらが諦めるまで、ここで一眠りすっかな」 現在未使用の室内は、当然真っ暗だったが、元々夜目のきくノラに問題はない。 彼は備え付けの簡易ベッドに寝転がると、早々に眼を閉じた。元は仮眠室か何かだったのだろう。剥き出しになったマットは多少埃っぽいが、前述の騒動に少なからず疲労していた身体は異議を唱えることもなかった。 緊張が解けた途端、ぐん、と瞼にかかる圧力が増す。そしてふわりと漂い始める意識の端で、酷く投げやりなことを考える。 悪態のような、弱音のような、――感傷のような。とても曖昧な思考。
(――馬鹿な連中だ。ちょっと抜け出したぐらいで、あんな大騒ぎしやがって)
ふらりと居なくなることぐらい、誰でもやってることじゃあないのか。あのリヴァンがいい例だ。 なのに、どうして自分ばかりが。 ―――どうせ、この無機質な檻のなかから本当に逃亡することなど適わない。そんなこと、嫌というほどわかっているのに。
「………けっ」 もやもやと蟠る息苦しいモノを吐き出そうと、ノラは一度大きく深呼吸する。 そうして、ごろりと寝返りを打ち、ドアに背を向ける形になった。 刹那。
「ッ!!?」
バァン!とほとんど蹴破る勢いでそれが開け放たれ―――否、開け放たれた、という認識を、五感が得るより先に。 ノラの身体は、真上からの容赦ない強力によって、瞬く間に押さえ込まれていた。
「………ゲームオーバー、ですね。ノラ様。いつも以上に手を焼かせてくれて、まったくありがたい限りですよ」 刺々しい口調で吐き捨てて、リヴァンはぐ、と拘束する力を増やす。 背後からほとんど馬乗りになり、両腕の関節を完全にキメた状態で、更に力をかければどうなるか。まがりなりにも上司に対してシャレにならない行為だが、彼とてシャレで済ませるつもりはなかった。つまりは、それだけムカついているということだ。 「痛っ……ぅ、ぐっ!」 びき、と摂理に逆らった腕の筋が嫌な音をたて、ノラは噛み殺しきれなかった苦鳴をもらす。 それでも、途切れる息の下から「畜生!」と怒声を発し、僅かに自由のきく足をばたつかせた。 「……っな、せ!退けって、このっ……!」 「無駄ですよ。アンタも少しは体術をかじったことあるんなら、抜け出すのが不可能だってことぐらいわかるでしょ?」 「うるせぇ!だい、…たい何でお前に俺の居場所が……!」
急所を押さえられている為、必死の抵抗もさしたる効果をあげず、ノラにできることといえばもはや口頭での反撃のみだった。 しかし、それも所詮、空しい試みにすぎない。リヴァンは混乱している相手を冷めた眼差しで見下ろしてヤレヤレとわざとらしく溜息をつくと、
「アンタって人は本当に間が抜けてるというか、ツメが甘いというか………さっきの煙幕弾、おおかた研究室からかっぱらってきたんでしょ?」 「あ?……それと何の関係が、」 「アレ、おそらくは逃亡用じゃなくて、追跡用に開発されてた途中だったんでしょうよ。 「………?」 「………まだ気づかねぇんですか?ったく、人間の体ってのはホントに鈍感でいけねぇ。ホラ」 頭にハテナを浮かべるノラに呆れ返って、リヴァンは関節技を解かぬまま、器用に右手だけをノラの鼻先に近づける。 反射的にびく、と肩を竦めた彼は、しかしそこに至ってようやく表情の様相を変えた。
「……なんだ、この甘ったりぃ匂い………」 「なんだ、はネェでしょ。さっき、アンタが俺に思いっきり浴びせかけてくれた煙の匂いでしょうが」 眉をひそめて顔をそらすノラに向かい、リヴァンは直球で種明かしをする。取り上げたいのは、そんなことではないのだ。さっさと納得させないことには話が進まない。 「煙って……煙幕弾?何でンなもんに匂いが」 「だから、追跡用っつったでしょうが。俺はそれを追ってきたんですよ。用途も考えずあんな至近距離で爆散させりゃ、アンタの体に移るのも当然だ」 つまるところ、俺にこうやってあっさり捕まったのはアンタが迂闊だったからですよ、と最後まで言い渡し、ようやく面倒な説明を打ち切った。 かたやノラといえば、リヴァンの露骨な嫌味に激昂したのか、居たたまれなくなったのか。また全身で抵抗し始める。
「も、…離せ、よ!いつまで人の上に乗っかってやがる気だ!」 「へぇ。こんな無様な格好晒しといて、相変わらず威勢だけはいいんですねぇ。 拙い抵抗を易々と封じられ、あからさまな侮辱を囁かれて、カッとノラの瞳が怒りに染まる。 ドアの隙間からもれる僅かな明かりだけが光源の、薄暗い室内においても、なお爛々と燃え盛るオッドアイ。 そんな稀少な輝きも、しかし今は憐れみを誘うものでしかなかった。
「ふざけんな!魔力が戻れば誰がてめぇなんかに……っ!」 「あんま無駄に吠えないでくださいよ、みっともねぇ。裏を返しゃあ、魔力がなけりゃ何にもできねぇってことでしょうが」 「………! ……っ、こ、のっ……!」 ざくり、と平素の顔のまま決定的な一言を投げつけたリヴァンに、ノラはまるで本当に斬り付けられた時のようなカオになって、それまで後ろに向けていた顔を前に戻す。 咄嗟に言い返すこともできないほど、怒ったのか、傷ついたのか、それとも別の何かか。何にせよ、リヴァンの目論見どおりであることには違いなかった。
小生意気で口が悪くて、不遜で傲慢で身の程を知らない、およそ気に食わない要素ばかりで構成されている、魔王の愛玩動物。 そんな小憎らしい存在を、少し懲らしめてやったら、どうなるだろう。 小さな世界の暴君であることを黙認され、その扱いに疑問を覚えようともしない、甘ったれた性格が、少しは改善されるだろうか、と。 今の口撃で相当まいったようだが、その程度で勘弁してやる気はハナからない。注射が嫌なのか薬が嫌いなのか知らないが、ともかくガキそのものの癇癪を起こして、周囲…とりわけ自分に多大な迷惑をかけた罰だ。
と、自身もたいがい大人気ない性格であることを自覚した上で、リヴァンはなおもノラを苛むことをやめようとはしなかった。 「……っ?」 損傷が出る一歩手前までキメた、両腕への関節技はそのままに、する、と背後から手を首に滑らせる。 途端、びくっ、といささか過剰な反応が生じるのは予測の内。そうして嫌がってもらわなければ意味がない。コレは正しく嫌がらせなのだから。 「お、い…リヴァンっ。いい加減に、離せってっ……!?」 僅かだけ身を捩り、掠れた怒声をあげかけたノラは、しかし直後に語尾をつまらせる。 何故なら、うなじの辺りを彷徨っていたリヴァンの手が、いきなり腰にまで滑りおりたかと思うと、予想もしない暴挙に出たからだ。 ベルトを外し、緩んだ衣服を一気にたくしあげ、あらわになった象牙色の肌に、鋭い爪先を軽く沿わせる。 薄い皮膚を傷つけぬ程度には柔く、しかし、紙一重の圧力をもって。
「な、なに……おい、リヴァン?おいって、ふざけんのもいい加減にしろよ、なぁ!」 先程より不自由さを増した体勢が、ノラに再び振り向く余裕を与えない。だから、仕方なく声だけで抗議をよこすも、リヴァンはそれに応えない。 ふざける。まさにその通りだ。これは腹いせも兼ねた悪ふざけに他ならない。 だが、果たしてノラは、そんな単純な受け取り方などできなかったようだ。 先程の叫びを最後に、それきり彼からの悪態は途絶える。 なおも滑らかな背に指を這わせ、時折意図をもって爪をひっかけても、返るのは大げさにも思える震えばかりで。
(………んだ、つまんねぇな)
もっと盛大に嫌がって、あの少ないボキャブラリーで罵声を飛ばしてくると思っていたのに。 それに強烈な皮肉をかえして、身体的にも精神的にも苛め抜いてやろうと企んでいたのに。 これほど期待と現実が違っては、まるで面白みがないではないか。
既に大人気ない、とかいう範疇を超えたリヴァンの思考に、しかし生憎異議を唱える者は誰もいない。 ならば、と彼は上体を倒し、乱れた銀髪からのぞく耳に唇を近づける。 シーツに伏したノラの顔はうかがえなかったが、今必要なのはそちらではなかった。 「ノラ様、もう抵抗は終わりですか?案外、聞き分けがいいんですね」 「っ………!」 左耳に、これ以上ない卑近から囁けば、また大きく肩が揺れる。 とりあえず、無抵抗無反応を装うつもりはないらしい、と判断し、戯れに軽く耳朶を噛んでやる。その際、軽く歯を立てることも忘れずに。 「っ、ひ……」 「ん、どうしたんですか?まるで食い殺されるみたいな声出して。最強の大悪魔が、この程度の状況でもう虚勢すら張れないと?」 言葉でいたぶることを止めないまま、つ、と唇を相手の後頭部に滑らせて、うなじのあたりを舐めあげてから甘噛みする。
封身しても犬歯の尖りは健在だ。少し力をこめれば、若い肌など簡単に切り裂けるだろう。 しかしいくら怒っていても、本気で傷つけるつもりまではなかったリヴァンは、そんな風にもう少し相手を脅かしてやるつもりだった。 だった、のだが。
「………?」 首から肩にかけての辺りを同じように弄んでいた彼は、ふと、異常に気づく。 相手の両腕をおさえつけている己の手に、妙に強い震動が伝わってくるのだ。 訝しく思って唇を離し、上肢を軽く持ち上げて……そこで、更に眉をひそめる。
震動、の出所は、相手の両腕、そして、それが置かれている背中。 否、最早そのしたたかな震えは全身に及んでいて、さしものリヴァンも僅かに動揺する。
「ノラ様……アンタ、さっきの煙で具合でも………?」 がたがたと、痙攣にも近いそれに、まさか煙幕に含まれていた薬の作用かと危ぶんで、彼はノラの拘束を一旦解く。 だが、自由になった腕は報復に使われることもなく、ただ背中から滑り落ちた位置で、シーツを弱々しく握り締めるだけで。 その尋常ではない様態を見て、リヴァンは舌打ちをしながらノラの上から完全に退き、床に足をおろす。 そしてベッドに腰掛けた状態で改めて、相手の顔を覗き込んだ。 相変わらず、シーツにきつく埋められた顔は見えない。 その無駄な頑なさに渋面を作りながらも、ぐ、と震える肩を掴んで、
「ほら、容体を見ますから仰向けになってください。早く、手間をかけさせ……っ!?」
掴んだ瞬間。 予想だにしない俊敏さで、その手を振り払われる。 同時に相手の上体が浮き、次いであらわになった顔に、リヴァンは愕然とした。
「ノラ様………?」 「……っわ、るな……っ。……いあく、だテメェ、……なんか……」 舌足らずな、涙声。 蒼白になった顔に、依然とやまない酷い震え。 何より、恐怖に塗り潰されたオッドアイを目の当たりにして、ようやく理解する。
さっき、通路で、首に触れてきた手を、過剰なほどの強さで振り払ったこと。 背後を晒すことを激しく拒絶し、触れるだけでこんなにも酷い恐慌状態に陥ったこと。 そして魔力を奪われていたにも関わらず、今回の接触が不可欠な研究実験から死に物狂いで逃げ出したことも、すべて。
「……っ……ぅ、っく………」 シーツというちっぽけな砦を纏い、おさまらない震えを必死で消そうとする姿を前に、リヴァンの胸には苦いものが湧き上がる。 日常で多く見続けてきた、ノラが『何か』を拒絶する場面。それは結局のところ、誰しもが思い描いていたような、薄っぺらな動機からではなかった。
そう、注射でも薬でも、実験体扱いされることでも、なく。 彼が真に嫌い、怖れていたものは―――同胞と呼ぶべき、我々の方だったのか、と。
「ノラ様……そんなに、俺達に触れられるのが怖いんですか? 皆、あんたの同志なのに」 「誰、が……っ!ふざけんな、何が同志だ…! 恐怖の余韻にひきつった声で、なおも歯を食いしばって吠えてくる。 その血を吐くような宣言に、偽りなど一片もないのだろう。確かにその通りだ。魔王の意図が凶犬の擁護であれ、表面的手段がどれほど穏便であれ、事実だけは変わらない。彼は不可視の鎖に繋がれたまま、抑圧を強要され、生きながらに殺されている。他ならぬ『同志』の手によって。
「……でてけよ……やく、俺の前から失せやがれっ……!」 「ノラ様」 「お前なんか、大っ嫌いだ……」 「ええ謝りますよ――酷いことをした。だから、少し眠りなさい。文句はその後で聞きますから」
なおも暴れる相手を捕らえ、素早く首に手刀を入れる。 途端、糸が切れたように力を失った身体を受け止めて、リヴァンは複雑な溜息をつく。 こんな形でしか、誰かに身を任すことができない、幼く哀れな幽囚の徒に。
「可哀想に―――ってコトバは、こういう時に使うんだったか………」
らしくもない感傷を口に乗せ、ノラを抱いたまま立ち上がる。 軽い身体だ。人間でいえば歳は十三・四だろうか。悪魔に限って外見と実年齢に強い結びつきはないが、ひとり立ちしようと必死に足掻いている年頃、だと解釈すれば納得がいく。 期せずして目の当たりにした―――この、歪んだ環境が彼に刻み付けた、生々しくも根深い傷。 敵もいないが味方もいない、孤立しきった牢獄のなかで、果たしてどれほどの懊悩に耐えてきたのか。
「………ひとまず、俺の部屋に連れてくか……あ〜ぁ、カイン様の雷が今からおっかねぇ……」
安らぎも悦びもなく、他者の傍らにただ、恐怖と嫌悪しか見い出せぬ憐れ子に。 いつか、その不毛な循環を断ち切れる日が来るのだろうか、と。
ノラの頬に残る、かすかな涙の痕を撫ぜながら、リヴァンはそんな埒もないことを考えた。
何とも微妙な話を失礼致しました…(平伏)
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| ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 何を仰いますやら!!感激のあまりモニターの前で悶えました☆ 将軍!将軍格好良いです!堪りません!! 怯えるノラちゃんにもソワソワしっぱなしですよ!(*´д`*)ハァハァ 本当に有り難う御座いました!このお礼は又何処かで・・・・(笑) |