2005/02/25 |
人を信じるというのは難しい。 ある人を信じようとする時、まずはその人が「嘘偽りなく語っているか」という点が大きな問題となるだろう。当然「嘘」がある場合、それは信じるに値しない。例外もありますがね。まぁそれはまた後で話すとして、じゃぁその人の語り口に嘘がないとしても、そのまま簡単に信じられるわけではない。その「話」自体の真偽はまた別の問題になってくるからだ。間違った情報を思い込みで語られている場合だってある、ということだ。ここで見極め為るには、その事象に関して自ら再検証する必要が出てくる。もちろん再検証した時点でその人を信じていないことになってしまうわけだが‥‥。 さて、今度は語りが嘘の場合を考えてみよう。嘘の場合にも実は2種類あって、悪意のある嘘・ない嘘がある。後ろめたさを持った嘘は簡単に見抜けるだろうが、人を騙すことに悪意を感じない人間の嘘は見抜きにくい。で、例外の話。嘘だとわかっていても乗ってやらなければならい、乗ってあげたい事もある。それは今までのその人との関係からくるものであり、ただ‥‥この場合「信じている」とは言い難い。信じてないけど信じる振りをしてやる、といった感じだろうか。だから「信じ(ている振りをす)るに値する」が正解。 「今までの関係」と書いたが結局その人の話を信じる・信じる振りをするかどうかはその一点にかかってくるんだと思う。だからと言ってよく知らない人間は信じられない、というわけでもない。間接的に知っているだけでもそのバックボーンしだいではアリだし、まったく知らない人間でも理論が破綻していなければ乗ってみるのもいいだろう。なんせ「信じる(振りも含む)」ということは非常に疲れることだと思う。同様にまた「疑う」というのも疲れることだ。むしろこっちの方が精神衛生上よろしくない気がする。でももっと疲れることもある。それは自分を信じてくれる人を裏切るということだ。ワシは‥‥人間だからね、小さな嘘はついたことはある。が、他人を裏切るようなことはしてこなかった‥‥つもりだ。いや、いやいやいや、なんでこんな話になってるんだ?(笑) 別にワシが誰かに裏切られた、誰かを裏切った、ってわけじゃないから。そうじゃなくて、信じるって難しいって話。 けどね‥‥クサい話でもなんでもなくて、そこに愛があれば信じるってことはものすごく簡単になる。というか「あたり前」の行為になってくる。いやいやいや、そんな話でもないぞ(笑) なんか軌道修正できなくなったので終わり。なんせいろいろたいへんだなぁってことで。 |
2005/02/11 |
![]() |
2005/02/10 |
![]() それにつけても旅行のお供にPSP、非常に重宝いたします。時間潰しにピッタリ。で、そんなPSP、ポポロクロイスが発売されたのを機にもう1台買っちゃおうかなぁという物欲も。嫁さんがポポロのファンなんだけど、RPGだからね、やり始めるとしっか腰据えてやりたいだろうし、だからと言って占有されるとツライ。携帯ゲーム機なだけに、最近は暇さえあれば触ってるPSPだからねぇ‥‥。それに2台あれば無線通信でも遊べるしな。どこでもいっしょとか楽しそうだしな。まぁ‥‥明日ゲーム屋行って在庫があったら考えよう。うむ。 |