職員旅行,家族旅行で行った京都(清水寺,金閣寺,銀閣寺,龍安寺)の写真です。
金閣寺
正式名称は鹿苑寺(ろくおんじ)。足利義満の北山文化の時代を象徴するお寺で、漆塗りに金箔を張った輝く舎利殿が世界的にも有名。湖面に映る金閣寺は大変美しく、季節ごとにまた違った顔をみせてくれます
銀閣寺
正式名称は慈照寺(じしょうじ)。室町幕府8代将軍の足利義政により創建され、東山山荘の楼閣建物を「銀閣」と呼ぶことから、寺院全体が銀閣寺と称されています。
龍安寺
龍安寺は室町時代、細川勝元によって創建されたお寺です。有名な枯山水庭園は簡素な造りで禅文化が盛んだった当時の時代背景を色濃く残しています。龍安寺最大の見どころはなんといっても日本を代表する枯山水の庭園です。枯山水とは水を使わず石や砂などにより山水の風景を表現する庭園のことをいいます。石庭は75坪ほどの敷地に白砂を敷き詰めたものです。その中に15個の石を点在させたシンプルな庭園です。
東アジアでは古来、歴史的に「天子様の住む都」「首都」を意味する普通名詞として京(きょう)、京師(けいし)が多く使用されていた。西晋時代に世宗(司馬師)の諱である「師」の文字を避けて京都(けいと)というようになり、以後は京、京師、京都などの呼び名が用いられた。
日本でも飛鳥京や恭仁京などが京都とも呼ばれた。平安京において「京都」が、定着したのは平安後期からで、京や京師という呼び名も併用されていた。その後、次第に「京の都」(きょうのみやこ)、「京」(きょう)、「京都」(きょうと)が平安京の固有名詞のようになり、定着していった。造都当時は「北京」とも呼ばれた。対して奈良のことを「南京」と呼んでおり、以後長らく奈良の代名詞「南都」として多用された。
京都と洛陽 ・長安
京都は、古く詩文において中国王朝の都に因み、洛陽、長安などと呼ばれた。一説に、平安京を東西に分割し、西側(右京)を「長安」、東側(左京)を「洛陽」と呼んだという。ところが、右京すなわち「長安」側は湿地帯が多かったことなどから程なく廃れ、市街地は実質的に左京すなわち「洛陽」だけとなった。このため、「洛陽」とはすなわち京都を指す言葉になり、その一字を採って「洛」だけでも京都を意味することになったとされる。また一説に、平安初期の文学に現れる洛陽、長安はそれぞれ左京、右京を指しているとは考えられず、ともに都全体を指していると考えられるところから、長安とも洛陽とも呼んでいたものが、のちに洛陽のみが使われるようになったと考えられるという(「平安時代史事典」『洛中』)。現在でも「洛陽工業高校」など固有名詞に残るほか、洛南・洛北・洛西・洛東といった呼称が使われている。また、東京を含めた京都以外の地方から京都へ行くことを「上洛する」「入洛する」ということがある。特殊な例として「下洛」という語が平家物語に見られる。山法師が京中を侵すことを指した。また京域内を「洛中」と呼び、京域縁辺を「洛外」と呼んだ。