平成10年6月1日発行 機関誌「まほろば」第139号
  
ウォー・ギルト・インフォメーション政策と平和記念館問題(上)
明星大学教授   高橋 史朗

《講師紹介》  代表・三 宅 將 之
  高橋先生のご著書に初めて触れたのは、『検証戦 後教育』ですが、その冒頭は占領政策であります。 その後の先生のご活躍を見てをりますと、歴史教育 と感性教育が二つの柱となってゐるやうです。本日 は先生が、くらしき作陽大学の公開講座、「百人百話」でお話になることをお聞きし、その後をこの例会 でお話し戴くことになりました。
  先生は昭和二十五年のお生まれで、昭和五十六 年から、米スタンフォード大学フーバー研究所に留学 されまして、そこで占領政策の教育関係の文書をご研究になりました。
  帰国なさってからは、登校拒否生徒の問題に携はられ、さういふ関係の現場を数多く廻られ、生徒の 立ち直りのために大変ご活躍になってをられます。
  一人の人間が立ち直るといふことと、自分の国の歴史を正しく評価し、自信を持って過去を振り返る やうになることとは、根は一つではないかと私は思ひます。最近中学生の凶悪事件が続発し、評論家・心 理学者の大部分がこの問題を「非行」といふ限定された観点の中だけで考へてゐるやうですが、それだ けでは出口が見えて来ません。これは五十年前の占領政策と決して無関係ではないのではないか、その やうな思ひを持ちながら先生のご著書を読んでをりました。
  本日はそのやうな視点から、最近岡山でも問題に なってゐる平和記念館の問題も、この占領政策とど のやうな関はりで結びついてゐるのか、先生のお話を お聞きしたいと思ひます。


      ◇占領政策文書の探求

私が大学に入った頃は学園紛争の時代で、東大、東京教育大の一部の入試が中止になりました。私が早稲田大学に入学した時も、入学式が一日だけありまして、翌日から無期限バリケード・ストライキに入りました。六ヶ月後に大学が開いてみますと、内ゲバがあひ次いで血を見ない日がないといふ異常な状態でしたが、異常が日常化して来ますと、誰もそれを異常とは感じなくなる、そんな時代でした。
 私が学んだ戦後教育は、「平和」と「民主主義」が二つの柱でした。しかし、大学のどこにも平和も民主主義もないのです。そんな中で、戦後教育或いは戦後の時代そのものに対する疑問が、非常に根強く私の中にございました。
 高校の日本史の授業では、私が習った先生は、日本が如何にひどいことをやったかといふことを、ニヤニヤと笑みを浮かべながら話されました。この先生はどういふ思ひでかう語ってゐるのかと、私には納得のいかないものでした。
 占領政策については、GHQの文書がアメリカに持ち帰られ、段ボール箱で一万二百八十三箱あります。そのうち陸軍・海軍の文書が、二十五年、三十年経つと公開されるといふことが、全ての全国紙の一面に大きく報道されました。私は、学生時代から抱いた疑問を解くためには、アメリカに行ってそれらの占領文書を研究すれば何かが分かるかも知れないと思ふやうになりました。
 アメリカに行く前に、私は準備としていろんな方にインタビューをしました。例へば、私は学校で教育勅語のことを学んだことは一度もありません。ところが、教育勅語を教へられて来た世代の人達が、昭和二十三年六月十九日、衆参両院で全会一致で否定するといふことが行はれました。どういふ理由なのかといふ素朴な疑問から、生きてゐる方々にインタビューしたわけですが、皆さんの答はバラバラでございまして、ある人は、 「民主主義の世の中になったのだから、勅語といふ形式がなじまないのだ」
と答へられました。ある人は、
「教育基本法の中に、教育勅語の良い精神が含まれてゐるのだ」
とおっしゃいました。私にはどこがどう引き継がれてゐるのか全く理解できないので、更に質問して行きますと「問答無用」と言はれました。これはもう生き証人の口からは、納得のいく答は来ないのだと腹を決めまして、やはり自分で探し出す以外にないと、アメリカに渡った次第です。
 ところが二年半、当時は年間百枚しかコピー出来ませんで、私が筆写した資料だけで十箱を超へ、ほとんど箸も持てない状態でしたが、まだ目指すものに行き当たりません。同じ時期に江藤淳さんがアメリカに行ってをられ、アッといふ間に「戦艦大和の最後」の検閲の資料を発見され、
「自分は護国の英霊に導かれたのだ」
といふ感動的な講演をされました。私はその講演を部屋の片隅で聴きながら、大変落ち込んでゐました。
 そこで妻を日本に帰し、人に会ふことも全て断り、二百四十万頁と格闘する日々を過ごしました。さういふ中で、今日お話しする「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」、「神道指令草案」、さうして教育勅語が廃止になった英文資料等を発見しました。これらのベースになる資料は、三年ゐた最後の半年になって発見したものです。
 その間、占領軍の幹部とも議論をする機会がありました。マッカーサー記念館で占領のシンポジウムがございまして、当時はまだマッカーサー夫人、今上天皇に英語をお教へしたヴァイニング婦人も生きてをられ、或いは日本国憲法草案を作ったケーディスなど、生き証人がズラズラとゐて直接会話出来るといふ、恵まれた機会が三回ありました。

      ◇歴史意識に地殻変動が起きてゐる

 さういふ議論を通じ、現在では、最終的には「日・日問題」であり、アメリカの問題ではないのだと気づいてをります。といふのは、後ほどお話しする全国の平和博物館は、まさにアメリカの占領政策を日本人が継承し、拡大再生産してゐる、マインド・コントロールが日本人自身の手により、税金を使って日本の子供たちに洗脳が行はれてゐるといふことで、これはもうアメリカが悪いとか占領政策が悪いといふ話ではなくて、日本人自身の問題であると感じてゐるわけであります。
 今日本の子供たちが、「自分は駄目な人間だ」と、自己肯定感を持てないといふことが大きな問題点であります。最近文部省の中央教育審議会が「心の教育」についての中間報告を出しました。その中に日本の小学生の自己評価があります。国際比較をすると、どの項目を見ても日本の子供は最低なのです。つまり、どの項目についても自信がなく、自分に対して肯定感がないのです。自分を暖かい目で見られない人は、友達を暖かい目で見られないし、親や国に対しても暖かい目で見る事は出来ません。
 私は日本に帰って来た翌年、三十四歳で政府の臨時教育審議会の委員になりました。それがきっかけで全国を飛び回り、中高生に毎月最低一回講演をするやうになりましたが、自分を暖かい目で見るといふことが分からないと、国や歴史を暖かい目で見るといふことが分からないのです。
 湾岸戦争の時、私は三百人近い学生に、
「もし日本がクウェートのやうに不当に侵略されたら戦ふか」
といふ質問をしました。「戦ふ」と答へたのは、僅かに一人でした。後はみんな「逃げる」と答へたので、愕然としました。中には、
「先生、日本は守るに値しない国ではないか」
と、真っ向から挑戦して来た者もゐます。そこで、
「では君は、親を愛するのは、守るに値する親だから愛するのか」
と聞きますと、彼は一歩引きました。
「自分が親を愛するのは、隣の人と比較して立派だからといふ理由からではない。自分を生んでくれた親だからだ」
「では、国も同じではないか。自分を生んでくれたお父さんお母さんだから愛する、自分を生んでくれた国だから愛する。これは自然の思ひではないか」
と、そのやうに話を進めて行きますと少しづつ分かって来るのです。
 湾岸戦争の当時は、「攻める」といふ言葉の反対はと聞くと、みな「逃げる」と答へて、「守る」とは言ひませんでした。「守る」といふ中身がなかったのです。しかし、最近また同じ質問をしましたら、「守る」といふ答が大分帰って来るやうになりました。総理府の世界青年意識調査でも、
「国の利益のために自分の利益を犠牲にしても良い」といふのは今までずっと最低でしたが、下から三番目になりました。それで別に誇れるわけではありませんが、少しづつ違って来てゐる面も出て来てゐます。
私は新しい歴史教科書を作る会を、藤岡信勝先生、西尾幹二先生と始めたわけですが、その中で小林よしのりといふ漫画家が入って来て、彼が最初の記者会見で、二百人ほどの記者を前にして、
「日本の若者の歴史意識に爆発的な地殻変動が起きてゐる。あなた方にはそれが分からないでせう」
と言ひました。私は今もいろんな講演をしてゐますが、日曜日になると中学生や高校生が参加して来ます。
 先日も、藤岡先生と私で、岐阜でシンポジウムをやりましたが、中学校の生徒と担任の先生がたまたま参加してゐました。シンポジウムが終りますと、生徒が
「先生、今日のやうな歴史の話をどうしてしてくれなかったのですか」
と、先生を突き上げてゐるのです。先生は、
「いや、自分も勉強するためにここへ来たのだ」
と、苦しい返事をしてゐました。
 日教組の一月の教育研究集会で一番問題になったのは、中学生が『サピオ』といふ雑誌で小林よしのりの漫画を読んでゐて理論的に反抗して来る、我々がこれを勉強して反論しないと中学生に対応出来ない、といふことが非常に大きな議論になったと、新聞記者から聞きました。
私も昨年、『歴史の喪失』といふ本を出しましたが、これは初めて「です・ます」調で、サラリーマンなど若い人向けに読んで貰うやうに書きました。それで、たくさんの方から手紙が来るやうになりました。それを読んでをりますと、確かに若い世代の中に新しい歴史意識が芽生へつつあるといふことを痛感してゐます。
 今まで三回、東京で新しい歴史教科書を作る会のシンポジウムをやりました。三回目は古代史をテーマに九段会館でやりましたが、これは『正論』五月号に全部収録されました。もちろん、三階までぎっしり席が埋まりました。
 最初のシンポジウムでは、私が会場係をやりました。私は千五百名の会場を当たったのですが、西尾会長が「教科書問題などといふ堅苦しい話に、千五百名も集まる筈がない。せいぜい五百名だ」
とおっしゃるのです。私は、
「いや、先生、さうぢゃありません」
と言ったのですが、なかなか折り合ひがつきません。そこで中をとって、朝日生命ホールを借りました。ところが、ハガキで申し込みを受け付けましたら、千五百名を超えました。やむなくお断り状を出して、さういふ方は次のシンポジウムに案内することに致しました。第一回目の当日は、会が始まる前から、若者たちがまるでコンサート会場のやうに、ずっと列を作りました。
三回目のシンポジウムでは、私は歴史教育の中に神話をきちんと位置づけなければならないと話しました。それに対して拍手をするのは二十代の若者たちで、目を疑ひました。ほとんどが若い世代なのです。確かに、若者の中に何かが起きてゐます。小林さんの場合は特に若い読者が多いものですから、中学生や高校生、二十代の若者から二千通を超える手紙を持って来てゐました。
今まで本当の日本を知らなかった若者たちが、「教科書が教へない歴史」を渇望してゐるやうです。 藤岡先生を中心とする自由主義史観研究会が作った『教科書が教へない歴史』は、第一巻だけで五十二万部出ました。全部合はせると、百二十万部を超えてゐます。ああいふものがこれだけ多くの人に読まれるといふのも、地殻変動が起きてゐるからです。さういふ中で、少しづつ日本の国、歴史に対する見方が変ってゐるといふことは事実でございます。

      ◇自分だけを責める構造

 私は登校拒否問題の指導をしてをりまして、戦後の日本国家は、実は「国際的登校拒否」であったと思ってをります。或いはまた、「国家的自閉症」とも呼んでをります。
 湾岸戦争が起きた時、日教組が平和教育の分科会で特別決議を挙げました。これは三つの方針で、一つは「イラクのクウェート侵略に反対する」、二番目は「国連軍の軍事介入に反対する」、三番目は「日本のあらゆる国際貢献に反対する」といふものでした。つまり、徹底した反戦主義なのです。これは「見て見ぬ振り」です。
 私は、イラクの行為は明らかに国際正義を踏みにじった侵略戦争であったと思ひますが、その不正義に対して結局何もしてはならない、といふのが日教組の平和教育です。これは、学校の弱い者いぢめに対して、今の子供たちは何もしない、それと同じ行動なのです。つまり、戦後教育の優等生が今の子供たちです。
そのことをさらに痛感したのは、『いじめ、自殺、遺書』といふ本を読んでゐましたら、いぢめを苦に自殺した子供たちはみな同じ遺書を書いてゐるといふことを知った時でした。どういふ点で共通してゐるかといひますと、自分をいぢめた子を庇ひ、自分だけを責める、といふ点です。
 愛知県で自殺した大河内君といふ子が有名ですけれども、「ボクをいぢめた子を責めないで下さい。ボクがなんでも言うことを聞いて、何でも『ウン』と言ったボクが悪いんです」と、自分だけを責めてゐるのです。 私がそれと全く同じ心理構造だと思ふのは、長崎前市長の本島といふ人が、広島平和教育研究所の機関紙に、
「広島の原爆ドームを世界遺産に登録することに自分は反対だ。広島は侵略戦争の拠点だった。だから、日本は原爆を許せ。日本はアジアの人たちに大変な迷惑をかけた。それをまづ世界に対して詫びるのが先であり、和解の先頭に立つべきだ」
と、徹底した「一国性悪説」なのです。自分だけを責めるといふ戦後の子供たちの心境と、日本だけが悪いのだと言って、その背景にあった問題を全く考へないという「一国性悪説」といふのは、構造的に非常に似てゐると思ひます。
 素朴な疑問として、長崎の原爆資料館になぜ日本の侵略と謝罪ばかりが強調されるのか、と思ひます。本来は原爆のことを考へるのが、原爆資料館である筈です。ところがここでの展示では、皆さんもご承知のやうに、所謂「南京大虐殺」の写真が三回取り替へられました。しかし三回目に取り替へられた写真も、それを写した方が「これは南京虐殺の写真ではない」と言ってをられます。
 私がここに持ってきたのは、いまアメリカで大変話題を呼んでゐ、アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』といふ本に載せられた写真の一部のコピーです。この中の写真は、既に十以上が偽物として問題になってゐます。長崎の原爆資料館やこの本に載せられてゐるこれらの写真を一つ一つチェックをして行きますと、明らかにこれは資料的証拠にはならないといふものがたくさん出て参りますから、東京では「偽写真集」を出さうといふ話にもなってゐます。

      ◇消し去られた歴史

例へば長崎の原爆資料館で、何故偽写真を使ってまで日本の侵略ばかりを強調するのか。実はその構造と私がこれからお話しする「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」といふ、今から五十年以上前に占領軍がやった政策とは、深くつながってゐるのです。
 まづ一つの事例をお話しします。永井隆博士といふ方が、『長崎の鐘』といふ、自分が長崎で被爆した体験を本にしたものがございます。当初占領軍は、その本の発行を認めませんでしたが、六ヶ月経って発行を許可しました。ところが、それには「マニラの惨劇」といふ、日本がマニラでどんなにひどいことをやったかといふことを載せること、といふ条件が付いてゐました。これは分量的には『長崎の鐘』の半分を占めてゐます。  スポールディングといふ出版部長は、
「これを出すことは、日本が侵略或いは加害した犯罪と、アメリカが原爆を落とした罪と相殺され、プラス・マイナス、ゼロとなることを意味する」
と言ってゐます。これが、これからお話しする、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の第三段階の政策、戦争についての罪悪感を日本人の潜在意識に植ゑつけるための情報宣伝計画の一つなのです。  ミラン・クンデラといふチェコの作家が、『笑ひと忘却の書』といふ小説で、登場人物に語らせてゐる象徴的な言葉があります。それは、
「一国の人々を抹殺するための最初の段階は、その記憶を失はせることである。その国民の図書、その文化、その歴史を消し去った上で、誰かに新しい本を書かせ、新しい文化を作らせて、新しい歴史を発明させることだ。さうすれば間もなく、その国民は、国の現状についてもその過去についても忘れ始めることになるだらう」といふものです。
 私は、それと全く同じことが戦後の日本に起きたと思ふのです。今、「日ソ不可侵条約」について知らない大学生がたくさんゐます。私は日本史を出題することが多いのですけれども、正解率は本当に低い。八月十五日が何であったかといふことすらも風化しつつあります。アメリカが敵国であったといふことも知らない。そのやうに、戦後五十数年経って、さういふものはすっかり風化しつつあります。
 ミラン・クンデラはまた、
「歴史を消し去った上で新しい歴史を発明すれば、その国の過去についても忘れ始めるだらう」
と言ってゐるのですが、消し去られた歴史は「大東亜戦争」であります。私たち戦後世代は、大東亜戦争といふことを学校で学ぶことはありませんでした。教科書にももちろん出て来ませんでした。さうして占領軍、GHQが発明した歴史が「太平洋戦争」でした。

      ◇罪の意識の刷り込み

 もと戦時情報局員でGHQの民間情報局企画課長のスミスといふ人が、『太平洋戦争史』といふ本を書いてゐます。この「太平洋戦争」は、言ふまでもなくアメリカ人にとっての歴史観であり、日本人は太平洋だけで戦ったのではありません。歴史観をメガネに喩へれば、『太平洋戦争史』といふ歴史はアメリカ人のメガネです。アメリカ人が書いた、勝った国が書いた歴史です。 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の第一段階は、この『太平洋戦争史』を徹底して日本人に叩き込むといふことでした。ですからこれを、昭和二十年十二月八日から、一斉に日本の全ての全国紙に連載を強要しました。
 そこで強調されたのは、「南京虐殺」であり、「マニラの惨劇」でした。つまり、日本人が如何に悪逆非道を行ったかを強調したわけです。それまでは、
「日本は武力の戦ひ、物量の戦ひでは負けたけれども、道義の戦ひでは負けてゐない」
と、日本人は信じてゐました。しかしながら、南京やマニラではこんなにもひどいことをやったと書き立てられて、道義の自信をすっかり失ってしまひました。
 私は、日本の子供たち一人一人が自己信頼を失ってゐることが元気を失ってゐる源だと言ひました。同じことが、日本の国家にも言へるのです。日本の歴史に対する自己信頼を失ってしまった。特に「南京虐殺」を読んで、まさにそれを真に受けたわけですが、そのことが日本人の道徳意識に与へた致命的な打撃は、深い心の傷になってゐます。
 この『太平洋戦争史』には、基になる本がありました。それは一九四三年にアメリカの国務省がまとめた『平和と戦争』といふ本です。これは日本語に翻訳されてゐますが、バーンズ国務長官が序言を書いてゐます。ですから、これはアメリカの国務省が編纂した、アメリカの公的な歴史観をまとめた本であります。底には「米国史観」がはっきりと読みとれます。
 所謂「東京裁判史観」とよく言はれますが、この前提になってゐるのは米国史観であります。米国史観とは、徹底的に自国を正当化する歴史観ですが、例へばこの『平和と戦争』の歴史観を端的に申し上げれば、次のやうになります。
 あの第二次世界大戦は米英民主主義国の、日独伊全体主義国に対する正義の戦争であった。つまり、単純な善玉・悪玉史観で、良い国の民主主義国が、悪い全体主義の国を正義の戦争で裁いた、といふものであります。
 ところが、この驚くべき単純な善玉・悪玉史観と全く同じことを、戦後五十年の朝日新聞の社説が書いてゐるのです。朝日新聞はもちろん、マインド・コントロールを受けてゐるとは当然思ってゐませんでせうが。 朝日新聞は、戦後すぐに変ったわけではありません。鳩山一郎さんが原爆批判をしたのですが、それが占領軍の逆鱗に触れ、朝日新聞が発行停止になり、以来「プレス・コード」といふのが出来ました。これが朝日新聞には決定的な影響を与へました。戦後五十年の特集を読んでをりましても、朝日新聞自身がこれを認めることを書いてゐます。「自分たちは、発行停止になることが致命傷だから、それ以来自分たちで自主検閲をするやうになった」と。占領政策に反するやうなことは、自分たちで書かないやうにしたのです。
 最初は当然その意識はありました。しかし次第に、マインド・コントロールと言って良いと私は思ふのですが、戦後五十年経って、一九四三年のアメリカの歴史観と朝日新聞の歴史観が全く同じだといふ事実に、私は驚いたのです。
 ところが、読売新聞は、朝日新聞の社説を引用して、その歴史観を真っ向から否定する社説を書いてゐます。これは大きな変化だと思ひます。
 実は占領直後、GHQは日本人について詳細な調査をして、それを『マンスリー・レポート』といふ月報に表してゐます。それを見ますと、敗戦直後の日本人には、戦争についての罪の意識はない、とレポートしてゐます。つまり、日本人が意識を持つやうになったのは、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」を徹底して潜在意識に叩き込んだ結果なのです。
 「南京虐殺」がどれだけ日本人に影響を与へたかといふことについて、少し御紹介しておきます。例へば、占領軍が占領政策に反するものをチェックするための検閲を上げてみますと、このやうな文章が検閲にあってをります。昭和二十二年に発行されたものです。
「敗戦後明白にされた日本人の外地・内地における破廉恥行為の数々の暴露において、僅かに武力戦には負けたが道義戦には勝ち得たかと考へた自信さへも失墜し、日本人としての自尊心を完全に亡失してしまった。」  これはまさに当時の日本人のことを正直に言ってゐるわけですが、これは検閲で削除されました。
 或いは大江健三郎の先生で東大の渡辺一夫といふ方が、かういふ文章を昭和二十一年に書いてゐます。
「南京事件は、中国人のみに加へた犯罪ではない。それは日本国民が自分自身に加へた犯行・侮辱である。尊い倫理的命題を暗唱することだけに一切の責任をおき、これを護符の如く保持した国民の自己崩壊の例証である。」
 教育勅語を丸暗記したけれども、それを学んだ軍人たちのやったことは「南京虐殺」ではないかと、さういふ自己崩壊の例証だとするものです。これは、如何に「南京虐殺」といふものが日本人の道徳的な自信喪失につながったかといふことを物語ってゐます。

      ◇徹底した「敵のすり替へ」

 この『太平洋戦争史』は、「真相はかうだ」といふ十週連続のラジオ番組にもなりました。その中でやったことは、敵をすり替へることでした。敵はアメリカではないんだ、あなた方を侵略戦争に駆り立てた一部の軍人と政治家が悪いんだと、敵は日本の一部の政治家と軍人だといふ風にすり替へたのです。
 この「真相はかうだ」は、『太平洋戦争史』をラジオ・ドラマ仕立てにしたものですが、例へばその一部をご紹介してみます。
 アナウンサー・「我々日本国民は、我々に対して犯された罪を知ってゐる」
 声・「我々は罪を犯した軍国主義の軍人が誰かを知ってゐる」
 複数の声・「誰だ、誰だ、誰がやったんだ?」
 アナウンサー・「まあ待って下さい。三十分のうちに名前をお教へします。犯罪の事実も、お教へします。事実を基に皆さん一人一人が結論を出し、日本の犯罪人に対する審判を下して下さい」(音楽は最高潮に達し、やがて消える。)
    アナウンサー・「この番組は日本の全国民に、戦争の真実と戦争に至る出来事をお伝へするものです。暗闇に光を当てる、あなたの為の番組なのです」
と、日本人の「戦争犯罪者」を暴き立てるといふ構造でずっと続けたわけです。
 それに対して、文学者たちが批判をした座談会が、ある雑誌に載りました。ところがそれは、全部削除されてゐます。座談した文学者は、石川達三、中野重治、河上徹太郎、中島健蔵、舟橋聖一と、錚々たるメンバーです。
 河上・「さう思ふね。つまり『真相はかうだ』なんてのは」
 中野・「あれはいかんね」
 河上・「あれぢゃもう一つその裏に『真相はかうだ』がいるな。『真相はかうだの真相はかうだ』といふのが。
 中野・「あれは放送局がいかん」
 石川・「あれは進駐軍の指図でやったのだらう」
 中野・「どこの差し金か知らんけれども、英語ではあれで通過したかも知れないけれども、あれはウソだ。あんなのをやるのは、放送局が不埒だ」
 石川・「実に軽薄だね。ああいふ軽薄な暴露ならば何も作家がやらんでも、どなたでもやって下さい。
  ああいふ作家のやり方は、自ずから別のものがあるべきだと思ふ」
 このやうに、真っ当な批判をしたものは検閲で全部消えてしまふのです。痕跡がどこにも残らない。
 私が見たのは、メリーランド大学にプランゲ・コレクションといふ、二百六十リール分の検閲の資料があります。これは『トラ・トラ・トラ』の原作者のプランゲといふ人が寄贈したものです。

      ◇思想戦に敗れた日本人

 私はアメリカに行った当時、同大学の博士課程に籍を置いてゐたのですが、バイトでその整理をしてをりました。だから検閲資料だけは実に細かく見てゐるのです。占領軍の検閲は労働組合のチラシに至るまで、実に細かくチェックしてをります。
 戦時中は「鬼畜米英」と言ってゐたのが、私が見たマッカーサーへの直訴状を見ますと、「女子学生の憧れの的マッカーサー」、「偉大なる救世主マッカーサー」へと、八月十五日を境に一気に変ってをります。この劇的な変化を、私は複雑な思ひで見た覚えがあります。毎日新聞は、マッカーサーがアメリカへ帰る時、絶賛する記事を書きました。国会ではマッカーサーへの感謝決議がされました。
 もちろん、私は占領軍がやったことはみなマイナスであったとは思ってはゐません。プラスの面もあったと、それは正当に評価しなければならないと思ってをります。しかし残念ながら、日本人は昭和二十年八月十五日といふ日に、実は思想の戦ひが始まったのだといふことを自覚しなかったのです。私は、思想や文化の戦ひでどういふ火花が散ってゐるかを見るために、アメリカへ行ったのです。
 日本人は占領軍を「解放軍」と呼びました。戦争の苦しみから解放されたといふ意味で、さう呼んだ気持ちが理解出来ないわけではありません。しかし、明らかに思想的・文化的には抑圧された政策が行はれたわけですが、そのことに対して日本人がどれだけ主体性を持ってゐたかといふことが、私が問題にしたいことであります。
 最近よく議論をしてゐるのは、マインド・コントロールをしたアメリカ人よりも、マインド・コントロールされた日本人の方が悪いといふことです。私は今日の現状を見てゐて、これは日本の文化的・思想的主体性といふ問題として、この五十数年間を捉へ直す必要があると思ってゐます。
 同プログラムの第二段階では、戦争映画を作りました。これは三千万人が観たと言はれます。これは、日本の軍部や一部の政治家たちが如何に日本を戦争に導いたか、といふことを徹底して扱ひました。
 例へば、大映製作の『犯罪者は誰か』は観客三百万人、松竹が作った『喜劇は終りぬ』が観客三百五十万人、松竹の『人生画帖』が観客三百万人、松竹『大曽根家の朝』が観客四百万人、『民衆の敵』は東宝製作で二百万人といふ具合です。
 『犯罪者は誰か』は、勇気ある政治家が戦争に反対し、軍国主義者による抑圧にも拘はらず勇敢に転向を拒否する、といふ内容です。『喜劇は終りぬ』といふのは、日本の戦時の官僚制と軍国主義的な圧制に向けられた風刺映画です。『人生画帳』は、時局迎合的な戦時の恐喝者に関する風刺と、かうした者の戦後の行為を、その使用人で日本再建に邁進してゐる者とを対照させる風刺映画。『大曽根家の朝』は、軍国主義の台頭のために地位を失ふけれども、降伏の日に圧政から解放された一家族のドラマです。『民衆の敵』は、軍国主義者と財閥の悪が描かれてゐます。
 かういふ調子で、三千万人が観た映画が作られてゐます。さうしてその中で、徹底して日本の軍国主義者が告発されてゐます。つまり、敵はアメリカではなくてあなた方の中にゐたんだといふ、敵のすり替へであります。そのことと、日本人がアメリカに対して敵愾心を持たないで「解放軍」と呼んだことは深い関係があると、私は思ってゐます。

      ◇徹底した検閲

 第三段階でやったことは、一つは原爆投下の批判を許さないといふ、徹底した統制を致しました。先程申し上げた、朝日新聞が発行停止になったのは、鳩山一郎さんが原爆投下を批判したコメントが載ったことが占領軍の逆鱗に触れて起こったものでした。
 もう一つは、東京裁判の判決を批判するやうな報道を一切禁止したことです。「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と検閲とは表裏の関係でありまして、一方で例へば「大東亜戦争」といふ、日本の価値観を表現する言葉を、全ての新聞・雑誌・単行本から徹底して削除しますが、他方では「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」により、「罪の意識の刷り込み」と「敵のすり替へ」を徹底して宣伝したわけです。 「大東亜戦争」が消えて「太平洋戦争」に変ったといふことは、単なる呼び名の問題ではありません。これは、戦争をどう見るかといふパラダイムの転換を意味するわけです。ですから非常に重要なのです。
 検閲の例で申しますと、昭和二十一年二月四日に、「教科書検閲の基準」が出来てをります。私が見たものは、社会科の教科書だけで段ボールに百箱でした。全部英語に直されて検閲を受けてゐます。
 どういふ言葉が禁止になったかといふことを申しますと、まづ天皇に関する言葉、例へば「現御神」。これは今の大学生には読めません。みな「ゲンゴシン」と読んでしまひます。これは、かういふ言葉が禁じられたからです。その他に「現人神」等、天皇に関する言葉はほとんど禁止されました。
 二番目は日本の国が外国に進んで行く、国家的拡張を表す、「八紘一宇」「躍進日本」「南進日本」等の言葉が全部禁止されました。
 三番目に、「国家」「国民」「我が国」といふ言葉も否定されました。これはつまり、愛国心そのものを否定したものです。ここに、戦後の教育に対する大きな影響を与へたものを見て取れます。単に軍国主義を否定しただけではなくて、愛国心そのものを否定したわけです。従って国家的英雄を否定しましたから、東郷元帥もその後ずっと出て来ませんでした。
 「我が国」といふ言葉を消した最も分かりやすい例としては、家永三郎さんが最初に書いた歴史教科書『国の歩み』の検閲があります。この中で家永さんは、「我が国を立て直す」といふ言葉を使ひました。英語に訳すと "reconstruct our country" となります。この「我が国」の "our" は愛国心につながるから駄目だとして、まづ占領軍は消しました。 "re" といふのは接頭語で「再び」といふ意味ですが、良い国があったといふことを認めることになるからとして、これも消しました。さうして "construct a democratic country"と、"a democratic" を挿入して、民主主義の国をこれから初めて作るのだ、といふやうに書き換へました。かういふ検閲の例が、社会科の教科書だけで百箱存在するのです。
 一番厳しい検閲を受けたのは、神話です。今私は、西尾幹二先生と藤岡信勝先生と三人で世界の歴史教科書の比較分析をしてゐます。これはアジアもヨーロッパも含む膨大な量になります。世界の教科書を読んでをりますと、英雄が出て来ない教科書は一冊もありません。国家的英雄が出て来ない教科書なんてあり得ないのです。

      ◇東京裁判史観とコミンテルン史観の合体

 もう一つ私が注目したのは、占領軍が共産党を利用して歴史教科書を作らせようとしたことであります。つまり、占領政策とマルキシズムの癒着といふ問題が、実は戦後の歴史教科書と歴史教育のベースになってゐるのです。共産党が日本の国家と歴史に対する最も過激な否定論者だったので、占領軍が意図的に共産党を利用したのです。
 占領軍は、共産党員の多い「歴史学研究会」(通称歴研)の学者たちに教科書を書かせようとし、或いはラジオ番組で「ラジオによる日本人民の歴史」を作らうとしました。これは私が発見した資料で、アメリカの陸軍情報部が「フレンドリー・ジャパニーズ」(友好的な日本人)といふ文書を作ってをりまして、「占領軍に協力することが期待される人物」三百六十三名をリスト・アップしてをります。その教育関係者の中には、たくさんの「歴史学研究会」のメンバーが含まれてゐます。つまり、占領軍は共産主義者を最初から「友好的な日本人」としてリスト・アップしてゐるわけです。或いは、「フーズ・フー・オブ・ジャパニーズ・リベラル・エデュケイター」、リベラルな教育者のリストとして、これも歴研のメンバーがずらりと並んでゐます。
 やがては朝鮮戦争が勃発して、レッド・パージの時代となって共産主義を排除して行くのですが、実は占領政策といふのは殆ど占領初期に作られたのです。その占領初期においては、アメリカの占領政策とマルキシズムとが合体して歴史教育作りをしてゐました。最近では、コミンテルン史観と東京裁判史観が合体したといふ言ひ方をしてゐますが、これも一つの重要な視点です。 一九三二年、コミンテルン(日本共産党はその支部)は、世界を共産化して行くためのテーゼを出しました。東京裁判は、満洲事変以降─(私たちは「十五年戦争」として学びました)─の歴史を裁いたのですが、日本の歴史教科書は日清・日露戦争まで侵略戦争として書いてゐます。その歴史観は、東京裁判史観に基づくものではありません。コミンテルンの一九三二年テーゼは、共産革命のためにはまづ明治の「天皇制絶対主義国家」が侵略の源であるとしてこれを打倒しなければならないとしました。つまり、明治の時代から侵略として捉へるのは、実はこのコミンテルン史観に源を発してゐるわけです。
 アメリカの東京裁判史観と、ソヴィエトに起源を持つコミンテルン史観といふ、全くあひ異なるものが占領初期において癒着し、そこから歴史教育が始まってゐるわけです。さうして今や時代はもう全く変ってゐるのに、その不思議な癒着が未だに根底をなしてゐるのです。

      ◇自己信頼の欠如

欧州十二ヶ国は、四年かけて統一教科書を作りました。これは大変なことです。例へば日本と韓国で統一教科書を作ることが出来るかといへば、共感的に理解することなら出来るかも知れませんが、到底不可能です。欧州十二ヶ国の統一教科書を読んでみますと、そこにはアジアの植民地支配のことは書いてゐません。イギリスの教科書には、アヘン戦争のことは一行も出て来ません。つまり、自分の国に都合の悪いことは、書いてないのです。どこの教科書でも、義務教育の歴史教科
書はことごとく自国の歴史の良い点を教へてゐます。つまり、まづ自己尊重を教へてゐるのです。
 これは非常に重要なことでございまして、私は、信頼の回復といふことは、登校拒否や歴史教育に共通するテーマだと思ってゐます。誇張と隠蔽が信頼を損なふ
のです。例へば、所謂「従軍慰安婦」の「強制連行」を言ふのは、明らかに誇張です。慰安婦がゐたことは事実です。だから、慰安婦は一人もゐなかったと言へば、これは隠蔽になります。「南京虐殺」が三十万もあったと言ふのは誇張です。一人もなかったと言ふのは隠蔽になります。でも、三十万とゼロとでは、限りなくゼロに近いのです。
 誇張は日本人の自己信頼を失ひ、隠蔽は世界からの信頼を失ひます。本当の意味で、自国への信頼といふことは、自国の良さをしっかり教へて、それから今度は、反省すべきことを考へて行くことです。ところが日本の教科書は、まづ自国の立場をキチッと教へることをしてゐません。日本の中学校の教科書は、なぜ「近代」の扉を、反日義兵闘争の、日本に銃口を向けてゐる写真にしてゐるのか。ソウルの刑務所から出て来て万歳してゐる人の写真が、なぜ日本の中学校歴史教科書の「現代史」の扉になるのか。これでは韓国の立場ではありませんか。
 つまり、まづ日本の立場をきちんと理解して、その上で例へば韓国の立場で日韓の歴史を考へ、アメリカの立場で日米の関係を考へるといふ、さういふ子が高校や大学で出て来ることは必要です。
 まづ自国への尊重を教える、そこが日本の教科書では抜け落ちてゐるわけです。何故抜け落ちてゐるかといふと、占領政策、つまり戦後の出発点において、国を愛すること自体を危険だと考へたことによります。これを「国家的自閉症」と呼びます。これがずっと尾を引いて来たのです。
 四番目は、道義的人物としての皇族が日本にゐたといふことに触れてはならない、つまり、立派な皇族がゐたといふことに触れてはならない、といふものです。
 天皇のみを中心に歴史を書けば、これは「皇国史観」の批判を受けるでせう。しかし、明治天皇を抜きにしては明治といふ時代は語れません。これは客観的事実です。ところが日本の歴史教科書に明治天皇は正当に書かれて来たかと申しますと、ことさらその存在は消えてしまひました。昭和二十一年二月四日といふ遙かな昔にGHQにより強制されたことが、未だにトーンとして流れてゐるのです。
 私はこの状態を、オーム真理教の第七サティアンと呼んでゐます(笑)。第七サティアンとは、中からは解体されないで、外部から解体するしかないといふものです。時代がこんなに変り、世の中もこんなに変ってゐるのに、未だに旧態依然たる歴史観が教科書の中で続いてゐるのです。

(以下次号) *岡山国民文化懇談会五月例会講演会より


   東西南北

◇(豊中市)国民文化研究会理事   布瀬 雅義
 ホームページ開設とのこと、おめでたうございます。さっそくアクセスしてみましたが、File Not Found となり、アドレスが正しくないやうです。
 現在、国文研会員+ネットワークを通じて知り合った同志の方々と、インターネットを利用して次のやうな活動を行ってゐます。三宅(將之)先生をはじめ、「まほろば」の皆様方とも、ぜひいろいろな面で力を合はせて、活動を展開できればと希望してをります。
E-mail:  nihon@mvh.biglobe.ne.jp
ホームページ http://come.to/bus  -a Bunch of Upright Spirits-

◇(東京都)東京大学名誉教授    宇野 精一
 今回ブリアートから見えたクロヒーチン氏のお話、武道の型ばかりでなくその精神に注目されたのは流石と思ひます。日本人こそそれを忘れてゐるのではないでせうか。又、丹養塾の吉田さんは以前から存じ上げてゐますが、詳しい経歴は初めて承りました。今後とも頑張って発展されることを祈ってゐます。

◇(久留米市)九州大学名誉教授   山口 宗之
 海洋少年団、幼稚園教育に携って居られます心ある先生方のお姿をしのび、嬉しい限りです。今日国民の半分は〃リベラル左翼〃との言がありますが、小生現勤務先(私立工業単科大)聴講学生六十六人中四十人は将来とも天皇が存続せられるのを望んで居ます。大多数国民は、すぐれた指導者を待って居ます。

◇(東京都)『私の見た東京裁判』著者 冨士 信夫
 四月二十九日夜九段会館大ホールで映画「プライド」の第一回目の試写会が催され観ましたが、すばらしい内容で、上映時間二時間四十二分が少しも長く感じず、感激の裡に終ってしまひました。見終って真っ先に感じたことは、この映画を戦後日教組の誤った教育を受け、いはゆる「東京裁判史観」なる誤った歴史観に汚染されてゐる青・壮年の方々、一人でも多くの方々に是非観て戴きたい、といふことでした。

   編輯後記

小紙ホームページ開設についての先号のお知らせは、アドレスが一部間違ってをり、また立ち上げ作業の方も遅れ、早速アクセスして下さった方には大変失礼しました。実は、インターネット通信などは未だに苦手で、ホームページに関する作業は全て次男坊に頼り、Eメールで送って来たアドレスを、小生が誤って記載してしまった次第。

二十五日、映画『プライド』を観た。月曜日午前の部とて人影もまばらだったが、映画の内容は、東京裁判に真正面から取り組んだ、力の入ったものだった。中でも、東條元首相とキーナン検事の対決場面は圧巻であった。▽この映画の上映に対し、内外から様々な批判が起こってゐる。しかし上映を中止せよといふ要求は不当窮まる。アメリカで出版された『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』といふ赤本を、販売中止し回収せよといふのと同じ要求だと、日頃「表現の自由」を主張する人々は何故気づかないのだらう。 (昭三・記)

☆岡山国民文化懇談会六月例会(第二五三回)
日時 平成十年六月十三日(土) 18:30〜22:00
場所 岡山ロイヤルホテル 受付で会場ご確認を
主題 『東京裁判・日本の弁明』輪読
会費 千円

☆倉敷文化懇談会六月例会  (第一四〇回)
日時 平成十年六月二十日(土) 18:30〜21:30
場所 倉敷紀念病院五階会議室
主題 『東京裁判・日本の弁明』輪読
会費 五百円