平成10年6月1日発行 機関誌「まほろば」第140号
 
ウォー・ギルト・インフォメーション政策と平和記念館問題(続)
明星大学教授   高橋 史朗

      ◇精神的武装解除

 占領軍の行った検閲の五番目は、神社とか神道に言及してはならない、といふものです。何故言及してはならないのかといふことは、占領政策の基本に触れないと分かりません。
 従来の占領といふものと日本に対する占領は、全く違ふものでした。従来の占領といふものは、政治の仕組、経済の仕組を変へるといふ制度改革でした。ところが日本に対する占領は、哲学の破砕、精神的武装解除であり、バーンズ国務長官は、「教育の民主化といふことは、精神的武装解除である」と明言してゐます。
 占領政策については、一九四二年からのアメリカの国務省文書といふものがあります。アメリカは戦争に勝つ三年も前から検討を始めてをります。それを見てをりますと、
「対日占領の究極的目標は、非軍事化にある」
と書いてあります。つまり武装解除です。この武装解除を長期的に保証するために、教育を民主化するのです。一時的に武装解除しても、日本精神、日本の哲学を破砕しない限り、やがてまた愛国心が復活して軍国主義が台頭し、アメリカの軍事的脅威になる。だから長期的にこれを保証するためには、民主化の美名の下に精神の解体、哲学の解体をする。
 このことは具体的には「神道指令」として、昭和二十年十二月十五日に出されました。二番目には、翌年一月一日の、天皇の所謂「人間宣言」です。さうして教育勅語の廃止。いはば三大国体破壊政策を実施したわけです。占領軍は、日本精神の根幹にあるのは神道だと思ひました。
 全国の平和博物館で上映されてゐる「ザ・バトル・オブ・チャイナ」といふ戦時宣伝映画があります。それを見ると、神道の中に侵略戦争の源がある、諸悪の根元は神道にあると、かういふ見方をしてゐます。
 私がアメリカで発見した資料によって、「神道指令」と「天皇の人間宣言」はセットで準備されてゐたといふことが、新たに分かりました。今までは、天皇の所謂「人間宣言」は、日本側が自主的に採った政策であるといふ俗説がありましたが、私が発見した神道指令のスタッフ・スタディーといふ指令を作成した担当者の文書がありますが、その文章等の中に、
「これだけでは不十分だ。天皇の人間宣言を出すことにより、この二つで目的が達成出来る」
「人間宣言は神道指令の千倍の効果がある」
とあります。
 日本軍が特攻隊など生命を捨てて敢闘した理由は、天皇に対する信仰のためで、その根幹にあるのは神道だ。天皇の神聖性を否定する人間宣言を天皇自らに出させて、この二つによって精神的武装解除が達成出来る。占領軍はそのやうに考へたのです。
 アメリカの国務省は、神道神社を三つに分けて考へてゐました。一つは原始的な宗教としての神道で、本来は平和的なものであって占領政策に害はない、と書いてあります。二番目は、その平和的な本来の神道に、異質な国家神道といふ接ぎ木がなされてゐて、平和的な神道と国家神道が合体してゐる神社がある。三つ目は、国家神道一辺倒の神社である。そのやうに分類してゐます。
 三番目の神社とは個人を祀る乃木神社、東郷神社などを言ひ、二番目の神社には伊勢神宮─この辺は全く認識が間違ってゐますが─のやうな神社を入れてゐます。本来の平和的な神道或いは神社は占領政策には全く害はないから、これは認めても良い。二番目の神社は、必要なら閉鎖しても良い。三番目の国家神道の神社は閉鎖すると、かうなってゐます。
 神道指令を作ったのは、バンスといふ宗教課長ですが、私はバージニア州に住んでゐた彼の家を、神道指令の草案を持って訪ねました。そこで国務省文書を取り出して、
「あなたはこのこの国務省の考へ方をどのやうに判断しましたか」
と聞きました。
「知りません。そんなものは読んでゐません」
といふ答でした。つまり、実際の政策は占領軍の担当官の裁量の中で行はれてゐたわけです。彼は、
「自分は実は大学改革を担当することで日本にやって来た。ところが、日本にやって来ると、宗教改革・神道を担当する者がゐないといふことで、急遽そちらを担当することになった。そこで、ホルトムといふアメリカ人の神道学者の本を猛勉強した」
と言ひました。
 そこで私は、彼に教はった本を、アメリカで初めて片っ端から読みました。ホルトムは日本にもゐたことがあり、例へば天皇の宮中祭祀についても詳しく書いてゐます。ところが、彼は神道と軍国主義を混同してゐました。その誤解がそのままバンスの神道指令に受け継がれてしまひました。
 だから私は、バンスさんと会ったとき開口一番、
「あなたは神道と軍国主義を混同しましたね」
とお話ししました。すると彼は、
「イエス。その区別は今は分かる。でも、当時は分からなかった。神社の方も神道の学者も、自分に説得力のある説明をしてくれた人はゐない」
と答へてくれました。本当にさうだったのか、彼が弁明のためにさう言ったのかについては分かりません。

      ◇教育勅語の廃止

 教育勅語についても、私は国会で何故全会一致で廃止したのか良く分かりませんでした。アメリカで資料を探してゐるうちに、たった一行のメモが眼に焼き付きました。それは、かういふメモでした。
「民政局の要求で、国会で取られた措置」
 占領文書は二百四十万ページありますので、閲覧しながら重要なものかさうでないかを瞬間的に判断しながら斜め読みするのです。このメモが劇的に目に入ったものですから、それからゆっくりと一つ一つじっくりと調べて行きますと、教育勅語を廃止する英文の文書が出て参りました。
 文書の上には、"H. R. draft" とあります。この意味が長い間分かりませんでした。ある時ハッと気づいたのは、これは "House of Representative" 衆議院の略なんですね。"draft" は草稿、草案の意味です。衆議院では、昭和二十二年六月十九日に教育勅語を廃止してゐますが、その英文草案です。
 いろんな方にインタビューして分かったことは、教育勅語は「口頭命令」で廃止させられたといふことです。神道指令は指令で行ったのですが、昭和二十二年には占領軍はもう高等な戦術を使ひまして、口頭で命令するといふ戦術に変ったのです。そのメリットは、指令だと日本人に命令、押しつけだと分かるわけです。そこで衆議院、参議院の文教委員長を呼んで、占領軍の国会課長が、国会で教育勅語を廃止するよう口頭で命令したのです。この他に分かってゐるものとして、祝祭日の廃止も口頭命令です。
 そこで日本側では仕方なく、如何に占領軍と妥協するかを必死で考へました。長い過程がありますが、重要なポイントとしては、日本側は、
「教育勅語には、部分的には真理が含まれてゐる」
といふ文案を考へ出しました。全部が真理だといふと、占領軍は納得しないので、時代を超へ国を超へた道徳の部分はアメリカ人も分かってくれるだらうと思ったのでした。
 実際にアメリカ人が教育勅語をどう見てゐたかといふ文書を見ますと、占領軍は決して教育勅語を全面否定はしてゐません。これが悪用されたことが問題だといふ書き方をしてゐます。或いは「一旦緩急有レバ義勇公ニ奉ジ」といふ部分が問題だとしてゐます。
 ところが、「部分的には真理が含まれてゐる」といふ、日本側が作った案分は全部消されました。結果的には、教育勅語は全面否定されたのでした。
 もう少し専門的になりますが、日本側案文には
「教育勅語の中には神話的な国体観といふものがあり、それが基本的人権を損なひ、かつ国際信義に対して疑議なしとしない」 といふ、微妙な、官僚が得意とする文章があります。「なしとしない」といふのは、may といふ助動詞の過去形 might を使ってゐます。では、「ないのか」と問ふと「ないとは言へない」、「あるのか」と問ふと「ないとは言へない」。これは日本人の得意とする文章ですが、ケーディスはこれははっきりさせまして、might を削除しました。このことによって教育勅語は、国際的な信用に対して疑問があるのだ、といふ国会決議が行はれました。それにより、日本人の考へが大きく修正させられたわけです。

      ◇日本人自身の問題

 今日の「教育の荒廃」といふ問題は、一つは価値観の混乱から来てゐます。今年三月末に中教審が出した答申にいろんな統計が出てゐます。例へば、日本とアメリカの高校生の比較があります。
 「どんなことをしても親の面倒を見たい」と答へた日本の高校生は十五・八%、アメリカは四十六・四%です。「徳性の獲得に影響を与へたもの」といふ項目で、「いやなことがあってもじっと耐へる」といふ徳目について、「お父さんから影響を受けた」と答へた日本の子供は十八・九%、アメリカは五十一%です。「誰からもそんなこと(忍耐)は教はらなかった」と答へたのは、日本は四十%。「自分が損をしても正しいことをする」といふことを「お父さんから学んだ」は、日本は二十一・七%、アメリカは五十一%、「誰からも学ばなかった」と答へた高校生は日本が四十二%です。
 例へば忍耐する、自分が損をしても正しいことをする、犠牲になる、さういふ不易な価値といふものを、戦後失ってしまったと言へます。まさに不易な価値をうたったものが教育勅語でした。
 それが占領軍の口頭命令により、しかも日本側は何とか妥協しようと思ったのですが、「部分的には真理が含まれる」といふのは認められませんでした。そのことによって価値観が大きく混乱してしまひました。
 親が自信を失ってしまったといふことが、今日の教育の荒廃に大きな影響を与へてゐると私は思ひます。
 「ムカツク」「切れる」といふ言葉が盛んに使はれます。「腹が立つ」とか「アタマに来る」といふ言葉がありました。「プッツンする」といふ言葉もあります。今の子供は、「切れる、切れる」と予告しながら切れてしまふ。「腹が立つぞ、腹が立つぞ」と言って腹を立てた子はゐません。要するに、「ムカツク」「切れる」といふのは、誰か止めてくれといふ叫びなのです。
 何故自分で止められないかといふと、家庭で親が自信を持って、「悪いことは悪い」とぴしっと教へてゐないからです。家庭と地域の教育が崩壊してゐることにあります。なぜそれが崩壊したのかといふ原点は、やはり敗戦・占領にあります。個を超へた家族等といふものは封建的である、国家といふものは軍国主義で戦争につながるとし、個を超へて残ったものは、唯一会社だけであります。家族の絆、縦の秩序といふものはすっかり否定されてしまひました。
親たちも自信を失ひ、誰も歴史のことを語らない、家庭の躾のことをきちっと言はない。今の若い親たちを見てゐると、私は母性も父性もなくなったと思ってゐます。それは自分もきちっとしたことを受けてゐないからで、それが悪循環でどんどん拡大再生産されてゐます。だからもう、アメリカが悪いとか占領政策がどうだかうだと言ってゐる問題ではない、日本人自身の問題だと思ってゐます。しかし、原点は飽くまでもしっかりと見つめておく必要があります。

      ◇教育基本法と教育勅語

 教育基本法は、教育勅語が廃止される前、昭和二十二年に出来ます。これは、教育界の憲法と言へます。私たちの世代は、「教育勅語を否定して、教育基本法を作った」と教へられました。これが戦後教育の定説です。ところが、これを作った当時は、教育基本法は法律で、教育勅語は道徳だと考へられてゐたのです。当時の国会の答弁書を見ますと、
「教育基本法と教育勅語は、補完併存の関係である」と言ってゐます。教育勅語は道徳で、基本法は法律である、両方で完結するものだと。ところが前提となる道徳が否定され崩壊してしまったので、いつの間にか法律万能主義に陥ってしまったのです。
 もう一つ、衆議院は教育勅語は憲法違反の詔勅として廃止しました。ところが教育基本法を作った当時は、憲法違反の詔勅だとは認識してゐません。
 詔勅といふものには、必ず大臣の副署があります。ところが教育勅語には大臣の署名がありません。それにどういふ意図があったかといふことは、起草者の井上毅が時の総理大臣・山縣有朋に送った手紙に見ることが出来ます。その中で井上は、
「教育勅語は政治上の絶対命令ではない。君主の社会上の著作・公告である」
と言ってゐます。
 「社会上の著作・公告」といふことは、命令ではなく、個人的なお言葉を書いたといふことです。御製、歌を詠まれるのと同じやうなことだといふわけです。ところが実際には、あたかも政治上の命令のごとく扱はれました。起草者の意図と扱はれ方にギャップがあったのです。そこで混乱が起きたわけです。
 副署がないのですから詔勅ではない。法的な効力を持つものではないのです。だから、本来「憲法違反の詔勅」である筈がないのです。ところが昭和二十三年六月十九日に、「憲法違反の詔勅」として衆議院でこれを否定してしまったのです。日本人自身が混乱したといふ、一つの現れです。
 教育基本法を作った時には、
「教育勅語は廃止する意思はない。教育勅語には不易な価値が含まれてをり、しかも憲法違反の詔勅ではない」
とはっきり答へてゐるのです。それが、占領軍の口頭命令により、結果的にかういふことになってしまったといふのが事実であります。
 教育基本法の前文には、日本側の案文では「伝統を尊重して」といふ言葉が入ってゐました。ところが占領軍のトレイナーといふ人が削除を命じました。私はアメリカでその方に会ひまして、
「あなたは何故日本の教育基本法の前文から、『伝統を尊重して』といふ言葉を削除されたのか」
と問ひました。彼は、
「自分は当時日本語は読めなかった。通訳にどういふ意味かと聞いた。すると、『伝統を尊重する』といふことは、封建的な世の中に逆戻りすることだ、と答へた」
 つまり、伝統イコール封建的といふ誤解によって、教育基本法から「伝統を尊重する」といふ字句が削られたのです。私がアメリカに行く前にインタビューした生き証人の中に、教育勅語の良い精神が教育基本法に含まれてゐるのだと言ったのは、前文に「伝統を尊重して」といふ言葉で残ってゐるのだと言ひたかったのだと思ひます。ところがそれは占領軍によって消されたわけですから、日本側には受け継がうとする立法の意志はあったけれども否定された、といふことで、本来は連続してゐたものが断絶したといふことになります。
 或いは音楽の教科書から「君が代」を削除したといふ例があります。これは文部省の係官が削除したもので、占領軍の担当官が激怒してその係官を怒鳴りつけた、さういふ文書がありまして、私は眼を疑ひました。担当官は、
「何故国歌君が代を音楽の教科書から削除したのか」と追求してゐます。すると文部省の係官は、
「パルプ(紙)が足りないから削除しました」
と答へてゐます。担当官は、
「では他の歌をどうして削除しないのか。君が代を取れとは言ってゐないではないか」
と言ってゐるのです。
 私は、これは非常に重要な問題だと思ひます。マッカーサーは昭和二十四年一月一日に、
「これからは、新しい平和憲法の精神で、国旗を掲げて欲しい」
との声明を全国に向けて出しました。ところが当時の新聞を読んでみると、特に地方新聞の社説が書いてゐるのですが、
「マッカーサーが日の丸を掲げて欲しいと懇願をしてゐるのに、何故日本人は日の丸をかかげないのだ」
と言ってゐるのです。
 つまり、日本人自身が、日の丸は戦争につながるといふ先入観念を持ち始めたわけです。これも日本人自身の問題であるわけです。
 また、検閲で非常に目立ったのは、剣道・柔道・華道等、「道」と名の付くものは全部検閲されてゐます。その理由が英語で説明してあります。「道」と名の付くものは、全て「ミリタリスティック」、軍国主義的と書いてあります。これも先程の、伝統イコール封建的といふ誤解と同じ種類の理由に基づくものです。
 占領軍の通訳や翻訳を担当したのは、全て日系二世です。彼らは日本に来る前に特訓を受けてゐます。私はその資料を、スタンフォードの大学のフーバー研究所で発見しました。その試験問題の中身は、例へば、
「吉田松陰は軍国主義の先駆者である」とか、
「『古事記』は中国人を感動させるために書かれたものである」
といふのが正解であるとされてゐます。単純なマル・バツ式で、ものすごく表面的な歴史を学んできてゐるのです。本当は日系二世が日本とアメリカの文化ギャップの間に立つ潤滑油として期待されたのかも知れませんが、残念ながらさういふ役割は果たせなかったわけです。

      ◇「感性教育」の現場から

 私は「守・破・離」といふ言葉を大切にしてゐます。私は中学時代卓球部に入ってゐましたが、一年間は素振りばかりやらされました。もういい加減に自分の型をやらせて欲しいと思ったものですが、一年間徹底して素振りをやったことにより、つまり型を守ったことによって、その後それを破って、自分の個性や創造性を作ることが出来たと思ひます。「守」は基礎、「破」は応用、「離」は創造であります。
 個性や創造性は、文化を守ることからしか生まれないのですけれども、文化といふとそれは封建的といふ誤解があったのです。家庭においても、文化を受け継ぐといふ機能があったわけですが、それが今ではなくなってしまひました。躾といふのも文化です。さういふ秩序感覚が、親の世代でなくなってしまった。型を守ると言へば押しつけ教育だ、画一教育だと言ふやうになったことと、そのことは深い関連があると思ひます。
 ちょっと話が飛躍しますが、私は全国の「感性教育」の現場を廻ってをります。新潟の赤倉小学校といふ生徒がたった九人の僻地校がありますが、そこにS君といふ、幼稚園でいぢめに遭ってとても内向的になってしまひ、幼稚園に通へなくなった子がゐます。その子が劇的に立ち直ったのは、伝統文化である赤倉神楽を地域の人と一緒に踊りながら、ちょっと踊れるやうになると褒められて少し自信を持つ、といふことを繰り返しながら、今ではとても元気者の小学生になってゐます。つまり、伝統文化を受け継ぐ体験活動を通して自己実現を遂げて行ったわけです。
 いぢめの中で生徒が殺されたあの明倫中学校には、私も講演に行ったことがあります。長いお手紙を親から貰ひました。その内容は、
「あの事件が起きた後、殺した少年たちは正直に取調官に自白してゐた。ところが裁判が始まると、弁護士が入って来て『加害者にも人権がある』とふ教育を始め、少年たちは前言を翻しやってゐないと言ひ出し、『十四歳だから罪に問はれないんだよな』とシラを切り始めた」
 つまり「加害者の人権」といふ法の論理が入ることによって、教育が混乱したのです。
「明倫は今、大混乱だ。親も教師も子供も、何が正しくて何が間違ひなのかわからなくなってしまった」
とありました。
 今日も昼の講演会では、小学生を殺害した神戸の少年のこともお話したのですが、彼が犯行声明を書いてゐる中に、「透明な存在」といふ言葉が三回出て参ります。「悲しいことに、僕には国籍がない」とも書いてをります。つまり、自分のアイデンティティーと日本人としてのアイデンティティーの両方を失ってゐることの表現です。
 国立大学・私立大学半々の、教員を目指す二百七人の大学生の内の三%が、その二つの言葉に対して「とてもよく分かる、共感出来る」、三十二%が「一部共感出来る」、二十六%が「共感出来ない」、三十九%が「分からない」と答へてゐます。「分からない」のが多いのですが、「共感出来る」の方が「共感出来ない」よりも多いといふことに注目する必要があります。
 同世代の中学生でも、インターネットでアクセスを求めたら、四十九%の中学生は、「行動は理解出来ないけれども、気持ちは分かる」と答へてゐます。そこには共通した問題点があります。
 今の教育の中で、秩序感覚といふものが溶けてゐます。家庭の中で、父性と母性の秩序感覚が溶けてゐるのです。何故新しい歴史教科書を作らうとしてゐるかといふと、日本人といふのは歴史を奪はれた民族である、勝った国のアメリカ人が書いた歴史を、自国の物語として教へて来たわけです。さうして家庭でそのことが語られることはなかった。戦争を経験して来た世代は、誰もそのことを家庭で自信を持って子供たちに語らなかった。私たち戦後世代は、何が正しく何が間違ってゐるかよく分かりませんから、自信を持って語れる言葉がない。当然、歴史教育は学校の先生だけに任されました。でもその学校の先生と歴史教科書は、私が言ふ「第七サティアン」の人たちによって動かされてきたのです。そこで、歴史を自分たちの手に取り戻さなければならないといふことが、一つの国民運動として必要な理由だと思ふのです。
 文部省の報告書とか、臨教審とか政府の審議会の報告書には、必ず「伝統文化を守る」といふことが必ず入ってゐます。ところがそれを、生きた言葉で語れないのです。
 西岡常一といふ、法隆寺の棟梁が、
「修学旅行で京都や奈良にたくさん子供たちを連れて先生方がやって来る。ところが先生方が何を言ってゐるか聞いてゐると、何年の歴史があるから尊い、とそれだけを言ってゐる。日本の伝統建築には民族の知恵、伝統建築の生きた知恵がある、それを教へて貰ひたい」と言ってゐます。
 「伝統文化の尊重」といふのは、ある意味でスローガンになってしまってゐます。私が「感性」といふ言葉を何故今の教育界に広めて行かうと思ってゐるかといふと、日本の伝統文化は、まさに「感性」が中心になってゐるのです。例へば、日本には古くから「残し柿」といふ風習があります。初冬に鳥たちが飢ゑてしまはないやうに柿を残しておく、それは鳥と共に生きるといふ日本人の生き方の表れです。或いは里山、奥山といふ発想があります。里山は自然と共生する山で、奥山は狩猟はするけれどもそれ以上は干渉しない山です。
 私は兵庫県の出身ですから、小学生殺害事件が起きた時に神戸に行って、関連する場所をいろいろと訪ね歩いてみました。聞くところによると、高度成長時代に山を切り開き神社を移動して、ポート・アイランドに土を運んだ後に作られた新興住宅です。私が歩いてみても何となく潤ひのない、冷たい空間です。もう何十年も経ってゐるのに、何故地域づくりが出来てゐないのだらうか、何故そこにぬくもりがないのだらうか、といふ印象でした。つまり、経済の成功の原因が教育の失敗の原因になってゐることを実感させる場所でした。
 里山、奥山といふ、自然を征服するのではなく、日本人が自然と共に生きて行くといふ、さういふ日本人の感性を忘れてしまった結果が、まさにああいふ事件につながってゐると思ひます。
 或いは刀といふものは、もともと殺す武器でありました。その殺す武器である刀の先が、やがて曲がるやうになります。それは、自分の品性を磨いて、自分の心も技も磨かなければ人を斬れないといふ、殺すといふことと自分の品性を磨くといふことを統合して行く一つの道、さういふものが日本人の感性にある。
 或いは「浜組」「丘組」といふ、佐賀県にあるお祭りもあります。これは浜組が勝つと豊漁、丘組が勝つと豊作といふ、どちらが勝っても良いといふ、対立を超へた考へ方であります。
 日本人といふのは、さういふ感性といふものを大切にして来た民族だと思ひますが、それは剣道・柔道・華道・茶道などの中に凝縮されてゐるわけです。それを軍国主義だとした、ここに占領政策の典型的な誤りを私は感じるのです。
 問題はこの先です。私が最初に学んだ大学はメリーランド州立大学ですが、そこでメイヨーといふ日本史の先生に出会ひました。この人は、百人を超へる占領軍の幹部にインタビューをしてゐますが、みんな同じ結論を言ってゐるのです。
「我々は日本占領を終へて、日本を去る頃になって、日本文化の名状しがたさに打たれた」
 つまり、誤解をして、日本の文化は野蛮なものだと思って占領政策を行ったわけです。ところが、実際に地方で日本の文化に触れてみて、例へば神社に行ってみると、そこには軍国主義には全く関係のない、非常にピュアーな、純粋なものがあるといふことを、彼らは肌で感じたわけです。そしてアメリカに帰る頃になって、右のやうな感想を持ったわけです。

      ◇自虐的自己否定への道

 長崎・広島の原爆資料館を始めとする全国の平和博物館には、子供が見学に行くわけで、これはすごい数になります。例へばピース大阪の展示の場合、日本軍が如何に残虐なことをやったかといふことを、これでもか、これでもかとウンザリするほど展示してゐて、これを見た子供たちが感想文をたくさん書いてゐます。私はこれを読んで、愕然としました。
広島の平和教育アンケートがありまして、「原爆投下は人道上許せない」といふ項目と、「戦争を終結するためにやむを得なかった」といふ項目があり、このやうな展示によって「やむを得ない」がどんどん増え、「人道上許せない」が落ちてゐます。
 これはまさに、今日私が申し上げた「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の延長線上にあるのです。日本が如何にひどいことをやったかといふ展示をやってゐるわけです。原爆記念碑に書いてあることは、
「二度と過ちは繰り返しませぬから」
なのです。広島・長崎は、原爆を投下した過ちをまづ反省して貰はなくてはならないのに、日本が侵略戦争をやった過ちを「繰り返しませぬから」と、日本の過ちにすり替へてゐるのです。そのことをパール判事は激怒したといふことです。
 「インフォメーション・プログラム」では、日本人の罪の意識を徹底して刷り込まれたわけですけれども、それを今拡大再生産して、それも日本人が税金を使ってやってゐるのです。大阪の国際平和センターでは二十九億円もの税金を使ってゐます。東京では辛うじて、藤岡先生が先頭に立たれて一生懸命になって、計画段階で大きな見直しをしてゐます。
 長崎の原爆資料館では、たくさんのヤラセ映像が指摘され、撤回させたものが百何カ所あるといふ、膨大な修正がありました。ところが、あらうことか一長崎の原爆資料館の展示に、「南京の写真を取り替へるとは許せない」と、中国の『人民日報』が介入して来たのです。一地方自治体の展示内容に、中国が介入するといふ事態が起きたのです。
 このことは皆さんご承知の通り、教科書誤報事件に端を発してゐます。さうして、何でこんなに「従軍慰安婦」の問題が教科書問題で大きくなって来たかと言ひますと、実は文部省の教科書課の責任者の意識がもう変ってしまったのです。我々はいろいろとやり取りを行って来ましたが、教科書検定課長の中にはまだ、所謂「従軍慰安婦」とか「南京虐殺」とかについてはどうも、といふ風に、私たちの考へに近い人たちの割合が圧倒的でした。今の検定課長は違ひます。文部省の中で世代交代が起こってゐて、援助交際を肯定する宮台真治を愛好する文部省の若手官僚が一杯ゐるのです。敢へて名前は言ひませんが、最近台頭して来てゐる若い官僚も、さういふ人達と脈絡を通じてゐます。
その中で、教科書調査官の質が落ちて来てゐます。これは私が政府臨教審で盛んに強調して来たことですが、文部省の教科書調査官は身分が低い事務官です。給料も落ちます。課長さんなんかよりずっと下ですから、誰もなり手がないのです。教科書を書いてゐる執筆者は一流の学者で、それを審査する調査官はオーバー・ドクターの人たちばかりですから、もう制度的に金属疲労してゐるわけです。
 昭和五十七年の「侵略を進出に書き換へさせた」といふ教科書誤報事件は、日本テレビの記者が文部省の記者クラブで間違って報告してしまったもので、あれが誤報だったことはみんな分かってゐるのです。六月になると、たくさんの教科書が白表紙本で出ます。文部省の記者たちは一人で全部読めないものだから、分担してそれを読み、持ち寄って発表し、それを一斉に報道してゐたのです。日本テレビの記者が問題の教科書を担当し、あらうことか「侵略を進出に書き換へさせた」と間違って発表し、それをみんな鵜呑みにして報道してしまったのです。さうして中国、韓国からクレームが付いた。
 宮沢官房長官は、「近隣諸国に配慮する」といふ官房長官談話を出し、更に検定基準に「近隣諸国条項」といふのが加はりました。それが入ったために、それを根拠にされると調査官はクレームを付けにくいといふことになり、検定がをかしくなった原因となりました。 実は、「平和博物館を作る会」といふ会があります。市民運動をしてゐる人たちのシンポジウムの記録を読んでをりますと、反戦平和の運動をやって来てゐたが、平和博物館は税金を使って展示し、そこへ学校の児童・生徒を見学に来させることが出来る、最も理想的な形で反戦平和を宣伝出来るとしてゐます。彼らは戦後五十年といふ時期に、意図的に全国に総合的な、特に「十五年戦争」を告発する平和博物館を作らうといふ運動をして来たのです。
 『国民の油断』といふ本が出ましたが、国民の一つの油断は教科書でした。親たちは書店で普通の本は読めますが、教科書は読めません。だから、こんなにひどい教科書になってゐるとは、夢にも思はなかったのです。しかし、もう一つの油断は平和博物館です。ほとんどの人はあまり行きませんね。この平和博物館もまた、まさに「第七サティアン」の世界です。
 大阪には、私が申し上げた、占領軍が裏で介入して作られた戦争映画が、たくさん放映されてゐます。また中国の「南京屠殺館」に展示されてゐる、「日本を滅ぼさないと中国の将来はない」といふやうな、まさに日本を敵視したものが展示されてゐます。
「何故大阪の国際平和センターでかういふ反日的なものを展示するのか」
と聞きますと、
「いや、これは事実だから」
と、中国の「南京屠殺館」で展示されてゐるものだから事実だと言ふのです。

      ◇「本当の自分」「本当の日本」の再発見を/B>

 何が足りないのか、といふと、自国の立場といふものをすっかり見失ってゐるわけです。まづ自国の立場で、日本の国の歴史の中で、私は「未見の祖国」と言ってゐますが、本当の日本を見出さなければなりません。今の子供たちが立ち直るのは、「未見の我」、本当の自分を発見するところにあります。自己発見をし自己尊重をするところにあります。同じやうに、まだ見てゐない「未見の日本」に気づいた時に、その良さに気づいた時に、日本の現状からの立ち直りがあると思ひます。
 例へば家庭裁判所の指定した補導施設で、入れ墨をした非行少年たちが、銘石といふ自然石の傷を磨きながら、劇的に立ち直ってゐます。自分が人を殺したといふ犯罪に心がいっぱいで、自分は非行少年のレッテルを貼られてどうにも立ち直れないと思ってゐる。ところが石の傷を磨きながら、「僕の人生を磨いていきたい」「僕の心をピカピカに磨きたい」といふ感想文を書いて、弁護士・お医者さんになったりしてゐるわけです。体験を通して、人を殺した現象の自分の他に、それを超えてゐる自分といふものを発見してゐるのです。
 これは、神戸の小学生を殺した少年がいみじくも書いてゐます。
「自分の中には猫を殺して喜んでゐる自分と、もう一人の嫌悪感を抱いてゐる自分がある。ところがその心の魔物の方は、熟練された人形師のやうに自分を操る」と書いてあります。あの事件を起こすまでは、「心の改革が根本だ」と書いてゐます。つまり、心の魔物の自分から、それに嫌悪感を抱いてゐる自分の方に心を変へることが根本だ、といふ意識があったのです。でも、あの事件を起こしてしまってから、「良心と理性を失った」と彼は書いてゐます。
 心の魔物、これは私たちの小さい頃にはあまり意識出来なかったことです。ところが、情報化社会の中でホラー・ビデオなんかも氾濫してゐます。七月四日に中学一年生が自殺をしました。遺書には、
「僕の中にも同じやうな残虐な心が住んでゐる。それを人生において実現してしまはないうちに死にたい」と書いて死にました。これは、情報化社会の影響です。自分の中の残虐な心、ホラー・ビデオを見てゾクゾクと感動してゐるその自分を、一方で意識してゐるわけです。だから、きれい事で「人間は美しいものだ」と言っても、「何をきれい事を言ってゐるのだ」となるのです。
 だから、心の魔物の現実をしっかり見つめた上で、それを超えてゐる本当の自分といふものを体験的に発見させるといふことが、劇的に回復するきっかけになるのです。
 私は高校の先生から、日本の悪いことばかり教はって来ました。でも、未だ見てゐない本当の日本といふものがあるのぢゃないか、と思ってゐました。今日本の若者たちが日本の歴史に対して非常に関心を持ってゐるのは、「未見の日本」に注目をしてゐるからだと思ふのです。さうして未だ見てゐない本当の日本を発見して、日本への信頼を取り戻し、誇りある反省をすれば良いのです。
 銘石の施設の花輪学園長は、かう言ってゐます。
「自分は三十年非行少年を疑ったことはない。人を殺したといふ犯罪とか問題行動は、コップに着いたゴミのやうなものだ。ゴミとコップは違ふのだ。人格と行為は区別しなさい」
 我々は行為が汚ければ、特に人殺しといふ重大事であればあるほど、コップそのものが汚れたと思ってこれを否定し、これを破壊してしまひます。
 例へば、所謂「従軍慰安婦」とか「南京虐殺」といふ問題は、それはコップに着いたゴミのやうなものです。さう言ったら「けしからん」と怒る人がゐるんですが、日本の歴史全体から言へばゴミのやうなものなのです。さうしてコップの美しさをしっかりと認識すれば、ゴミはありありと見ればいいのです。これを隠す必要はありません。しっかり自分自身の良さを、人格の良さを、コップといふものを認識できれば、ゴミや汚れを恐れることはないのです。そこから本当の「誇りある反省」が生まれるのです。
ところが、誇りを教へないで、ゴミばかりを教へるから、自虐的な反省になってしまふのです。それが日本の今の問題です。ですからまづ自分に対する信頼を取り戻すこと、自国への信頼を取り戻すこと、さうして「誇りある反省」といふものが必要なのだと思ってゐます。

      ◇家庭と地域の教育力を/B>

 最後に一言だけ申し上げますと、私は「感性教育」といふことを盛んに言ってゐます。最近、かういふ光景を眼にしました。電車の中で、女子高生が袋に入ってゐるものをムシャムシャ食べこぼしてゐました。その横に老婦人がゐて、注意しました。
「ちゃんとしなさい。公共のマナーがあるでせう」
 女の子はムッとしました。さうして電車を降りがけに、その老婦人を思ひ切りひっぱたいて出て行きました。さうしたら中年の男性がトコトコとやって来て、
「おばあちゃん、最近の子は怒っちゃ駄目」。
 ここに全てが象徴されてゐるやうな気がします。つまり、きちっと言ふことを言はなくてはいけない、これは老婦人が正しいのです。ところが、いまお父さんたちが、だんだん言ふべきことを言はなくなって来ました。何故ムカつき切れるかといふと、言ふことを親が言はなくなって来たから、先生が注意すると言ふ方が悪いと思って、逆恨みして刺したりするわけです。
 もともと教師と学校に教育力があったのは、家庭と地域に教育力があったからなのです。神戸の長田中学校に、「スリー・デイズ・チャレンジ」といふ試みがあります。阪神大震災で全壊した、荒れた中学校として有名だった中学校です。その長田中で、三日間自分の好きな仕事を選んで就労体験をする試みが実施されたのが、「スリー・デイズ・チャレンジ」です。
 さうすると、遅刻者が何割もあった学校が、三日間就労体験をしただけで、遅刻者がゼロになったのです。レストランでジャガイモを蹴っ飛ばした生徒がぶん殴られた。学校でやったら、体罰です。
 私は夏にスクーリングの授業で先生方に道徳教育を教へてゐますが、最近中学校の先生から悩み事相談を受けます。若い先生がかう言ひます。
「最近生徒が私のネクタイをつかんで、『お前、殴れないだらう。やれるならやってみろ』と挑発するんです。それで熱くなってウッとなると、先輩の先生から呼ばれて、『熱くなるな、クールに』と言はれます。僕は熱くならうと思って教師になったのに『クールになれ』なんて、やってられません。小学校の先生になりたい」
 私は「教育界出る杭ネットワーク」の提唱者です。ちょっと出るから打たれるんで、ドンと出ませう、といふものです。
 長田中が何故うまく行ったかといふと、校長が「出る杭ネットワーク」を話すとたちまち意気投合して握手したやうな方だったからです。この人は、
「どんな事故が起きても全部自分が責任をとるから、生徒の就労体験の受入をあちこち頭を下げて廻って頼んで来なさい」
と、先生方に命じた。先生方は余り乗り気ではない頭を下げて、その社会性が育ったといふ余録もあったといふことですが、「どんな問題が起きても、みんな自分が責任を負ふ」といふことで成功したのです。
 教育界は、みんな「総論賛成」なんです。所が、誰が責任を負ふかとなると、みんな責任逃れするんです。例へば、兵庫県はこれから「トライやる・ウィーク」といふ、生徒に地域で一週間好きな体験活動をさせる試みをやることになってゐます。三百五十八校が一斉にこれをやりますが、私はこれが大きな風穴を開けると思ひます。三日間でこんなに変ったのですから、一週間やればもっと強力です。ところが、反対してゐるのは全教といふ共産党の組合です。最も革新的な全教が最も保守的だと言って教育委員会が怒ってゐました。
 全教は、「我々に負担がかかる。誰が責任を取るのか」と言って反対したさうです。実は、PTA会長も反対したといふ裏話があります。この試みでは生徒四、五人に一人地域のボランティアが付くのですが、今はPTA役員にさへなり手がないのに、ボランティアをたくさん集めなければならないとなると、現実的に無理だ、といふわけです。それを克服して実施が決まりました。
 そのやうに、家庭と地域の教育力を取り戻すことによって教育を立て直さないと、学校だけ建て直さうとしても無理なのです。  だから、歴史教育も学校の先生だけでは駄目なんです。家庭に歴史を取り戻さないと駄目なんです。そのために今『国民の歴史』といふ歴史教科書の家庭向けパイロット版を、西尾幹二先生が一年間断筆宣言をして取り組んでいらっしゃいます。
 先程お話を伺ったら、高森明勅さんのお母さんと弟さんがご参加だとのことです。実は西尾幹二先生は、古代史は自分は一番苦手だ、とおっしゃってゐたんですが、その後高森さんが入って来まして、彼はなかなか雄弁で説得力もあります。最近は彼からいろいろ話を聞き、いろいろ本も読んで勉強されまして、
「高橋君、日本史は古代史だよ」(笑)
と言はれるやうになりました。今日では『古事記』や『万葉集』『日本書紀』等を一生懸命読んでをられまして、神話も一生懸命勉強してをられます。さうして「世界の教科書で神話を書いてない教科書はないぢゃないか」
と、神話もきちんと書かうといふことになってゐます。 先日章目次が出て参りましたが、「第一章・神話と科学」となってゐます。人物案の中でも、天皇が相当出て参ります。そのやうに、今までのタブーを大きく破って、新しい教科書が作られやうとしてゐます。私たちはまづ国民運動としてこれを拡げる、まづ国民の意識改革が先です。まづ家庭と地域の協力を取り戻して、そこから学校を変へて行かうといふ発想を考へないとだめです。もう、責任を学校と教師に転化する時代は終ったのです。
 あちこちへ話が飛びましたが、これで今日のお話を終ります。(拍手)

*本稿は岡山国民文化懇談会五月例会の講演会テープから起こしたもの。文責在編輯者。

   東西南北

◇(広島市)軍事史研究家 畝本 正己
 毎回「まほろば」を御恵送いただき、啓発、感嘆しつつ拝読いたしてをります。  御申越しの『南京戦史』、同資料集T・Uの三部作につき、早速偕行社編集部に電話いたしましたところ、残部があるやうです(有償)ので、貴所宛お送りするやうに依頼いたしました。  『ラーベ日記』発刊と時を同じうして、アメリカでアイリス・チャンが対日悪宣伝(ウソ誇大)をし、日米離間、米中接近を国民に訴へて、世論操作の大謀略線を展開してゐるやうに思ひます。日本の学者先生もいろいろと評論を発表してをられますが、私は以前からの関係もあり、主として戦闘の実態に視点をおいて『ラーベ日記』、これに関連する東京裁判、大虐殺論者の資料の一部を批判して、小冊子を発刊すべく東京で印刷作業中であります。 三宅(將之)先生の御説のやうに、「南京事件」「南京戦要約」の英訳本を出版必要と、五十八期の森川氏(六月より一ヶ月ポーランド出張)からも便りがありました。外務省の抗議が出されたやうですが、日本悪玉論、罪悪史観否定=正論を対外的にPRする必要があると存じます。謝罪、叩頭で済む問題ではありません。  広島の或る会合での小文を同封します。『ラーベ日記』の検証に関連する私見です。ご笑覧下さい。  藤岡先生、東中野先生とも連絡いたしPRにつとめてをります。  *畝本様からは右小文の他に、『偕行』『ゼンボウ』 に掲載された「『ラーベ日記』・総括─南京事件の真 実は─」をお送りいただきました。有り難うござい ました。

◇(岡山市)会社員         宮原  進
 先日は早々に『まほろば』を送付していただき、ありがたうございました。このときの話を何かで残せたらと思ってゐたところだったのでありがたいです。  高橋史朗先生のお話を聞くのは初めてであり、具体的なウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの話が聞け、内容は衝撃的でありました。日本人が自分の国のことをよく言はないのはこのためだったんだといふことがはっきりしました。  この前の日曜日は新しい歴史教科書を作る会のシンポジウムにいってきました。六人のパネリストの方々がそれぞれの役割を担ひ、取り組んでをられる課題について一人一人語られてゐることは、当然今の日本の問題点でありますが、この国は何でこんなになってしまったんだらうかと思ふと、たまらない気持ちです。  第一三七号に波多先生と卒業生のことが書かれてゐましたが、私は同校の卒業生で、卒業してちゃうど二十年になります。非常に懐かしさと親近感を覚えました。波多先生は存じ上げませんが、文中に出てゐた矢田部先生は担任でした。

◇(久留米市)九州大学名誉教授   山口 宗之
 高橋教授の玉稿興趣深く拝読致しました。昭和二十五年生のお方が、戦後日本の病痕の深さを、史料を通して抉剔されましたことにたゞく感じ入ります。まさに仰せの如くマインドコントロールはアメリカ人にあらず日本人の責めであります。しかし先日申しました如く、大多数の日本人は決してをろかではないと思ひます。

◇(東京都)埼玉大学教授     長谷川三千子
 毎号充実した記事を、興味深く拝読いたしてをりますが、今号の高橋先生のお話はとりわけて感動的でございました。つねづね高橋先生の御研究には感服いたしつつ、色々と参照させていただいてをりますが、そのかげにはこれだけのご努力がおありだったのか、と納得いたしました。また、先生の会―歴史教科書を作る会―に若い方々が沢山参加してをられる由、心強いかぎりでございます。どこか貴会の御活動と相通ずるものがあるやうに感じられます。

◇(東京都)『私の見た東京裁判』著者 冨士 信夫
 岡山国民文化懇談会五月例会におきます高橋史朗教授の御講演は、戦後の占領軍の占領政策を始め、今日までの日本人としての歴史・教育・文化・社会などに関する受け止め方について、極めて示唆に富む内容であり、感銘深く拝読致しました。次号が楽しみです。 五月二十三日の映画「プライド」の上映開始以来、この「プライド」の事を事前にお知らせしておいた方々から連日、電話、手紙、はがきで同映画を観ての感動・感激の気持ちをお知らせ戴いてをります。私は多くの方々がこの映画を御覧下さることにより、パール判事がその意見書の最後に述べてをられる、「…正義の女神がその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変へる事を要求する『時』」の、日本へ近付く歩みが更に速く大きくなることを確信してゐます。  既に一日に済ませた講演を含め、六月中には東京裁判の講演を六回行ふ予定で、津山、兵庫にも出かける予定です。

◇(岡山市)歯科医         三浦  晰
 田中正明先生の「日本の無罪を叫び続けて―真の独立国たれ!―」を拝読し、万感胸を打つものがあります。東京裁判は裁判ではない!リンチである。日本を徹底的に骨抜きにする仕組…今やその通りになってゐる。官僚の腐敗、低年層の不所行、教育問題等、元はと言へば我々日本人の幾千年もの傳統を持つ大和魂の休眠である。第一、国を挙げて祭祀せねばならぬ靖国神社へ、首相を始め国政を司る人たちが参拝しないやうで、我が国はどうなる。  英霊の遺書、死を目の前にして自らを育んだ祖国日本へのあつき想ひ、父母をはじめ家族への心配り、未来の日本の繁栄を願ふ切々たる願ひ……。若き命を国の為家族の為捧げた英霊の想ひを振り向かうともしない現代の日本・日本人……。愛国心、国を想ふ事即ち家族を想ふ事に通じ、人の為世の為に通じると信じます。  日本の美、それは美しき自然、礼節を重んずる心、他人に対する思ひやり、同一民族として連帯する心で、戦後占領軍によって作られた法律(憲法・教育基本法)を再点検する事。もはや右か左か、護憲派とか改憲派といふ発想は古い、未来の国づくり、人づくりのあり方を求める自由は我々国民にある。誤った歴史教育を正し、国旗日の丸を高々と掲げ、国歌君が代斉唱を誰憚る事があらうか。今こそ日本人総て、戦後眠れる傳統ある魂を目覚めさせなければならない。

◇(Eメール)       平田 裕英
 はじめまして。当方GNP(五百羅漢ネットワークプロジェクト)といふインターネット上のプロジェクトでのホームページ担当をしてをります平田と申します。突然のメールお許し下さい。  このたび大阪の布瀬さんよりご紹介をいただきまして「まほろば」ホームページを拝見させていただきました。志を同じくするものと解釈して大変励まされました。また、「リンクフリー」とのお言葉に甘へて、当方より貴ホームページへリンクを張らせていただきます。  そこで提案でございますが、出来得れば貴ホームページより当ホームページへリンクを張っていただけないでせうか。当方のホームページは  http://www.hi-ho.ne.jp/gnp_hp/ です。是非一度ご覧いただきご検討いただければ幸ひでございます。 * ご連絡有難うございました。この他、英文での発信をしてゐる「日本ちゃちゃちゃクラブ」もあります。 http://www.dix.or.jp/-kaien/nihon/index.html

   自由主義史観研究会 岡山地方第1回定例会のお知らせ

 本年3月21日(土)に藤岡代表をお招きして岡山市内で講演会を開催したことを契機として、岡山地方自由主義史観研究会が発足しました。その旗揚げ第一回定例会として、吉永副代表の記念講演と現場の教師によるパネルディスカッションを下記の通り催します。多数の県内および近県会員の参加をお待ち申し上げます。


1)日 時 平成10年7月25日(土) 午後2時〜5時
2)場 所 中国短期大学(JR山陽本線庭瀬駅より徒歩15分)
3)参加費 1,000円(学生・他県会員・会員外は500円)
4)内 容 @開催校代表挨拶 中国短期大学助教授 佐生 武彦 氏
      A基調講演 神戸大学教育学部助教授
           自由主義史観研究会副代表 吉永 潤 氏
      Bパネルディスカッション 「歴史教育をめぐって」  
 C討 論
5)参加方法  当日直接会場においで下さい。
6)問い合わせ先
  岡山地方自由主義史観研究会 小笠原幹夫
           086−523−0888(くらしき作陽大学)
岡山の教育を考える会     086−273−6660
                (岡山県友愛会 [FAX兼用])
7)主催 岡山地方自由主義史観研究会(代表 小笠原幹夫)
 共催 岡山の教育を考える会
 後援 産経新聞社岡山総局  
協力 岡山日報社 烏城新報社 中備新聞社 内外ニュース岡山支社

   編輯後記

六月十六日の産経新聞「主張」欄に、「南京事件―外務当局は沈黙を守るな」と題する一文が掲載された。その中で、中国系米国人アイリス・チャンの『レイプ・オブ・ナンキン』に対し、日本人学者グループが外国人記者団に記者会見し、初めて海外に向けて反論したことが取り上げられてゐる。

藤岡信勝東大教授は同書の誤用写真や合成写真を指摘、中村粲獨協大教授、東中野修道亜細亜大教授は「虐殺」の誇大な数字、当時の記録などを根拠を示して反駁したものである。

この記者会見は六月十二日に開かれたものだが、その際の中村、東中野両教授の英文原稿が、本会の三宅將之代表の元に送られてきた。かねて、このやうな問題について積極的に世界に向かって英文で反論・主張することの必要性を訴へてゐたことへの、先生方のご配慮と思ふ。お許しをいただいて、これは『まほろば』のインターネットホームページに搭載するつもりである。

急激な円安の動きは、中国が元の再切り下げをちらつかせることにより日米協調介入へと動き、やっと一息ついた。円高=円の強さが、中国をも含めた東アジアの経済成長を支へてゐたことを象徴する出来事だった。

ところが、東アジアの決済通貨はドル偏重であり、日本からの投資は一旦ドルに換へられて各国に受け入れられ、日本の経済事情により投資の引き上げが始まると、これも各国通貨からドルに換へられて日本に還流した。資本移動に伴ふドル需要の増加は、円安圧力の一因ともなった。

東アジア各国の通貨はドルペッグ方式であったため、外貨準備高としてのドルの減少は相対的に各国通貨の実力不足を来たした。また、九四年の中国元切り下げのため、輸出競争力を次第に失ってもゐた。そこを、国際的金融投機筋に集中的に狙はれたのが、タイ、インドネシア、マレーシア、更には韓国にまで拡がった金融不安の大きな原因である。

六月十七日から始まった産経新聞の「『円』力圏」は、アジア各国がドル偏重(ドル支配)の失敗による手痛い経験から、決済通貨としての円の役割に期待し始めたことを示してゐる。

日本に於ける「金融ビッグバン」とは、まさに東アジア全体の経済に果たす役割といふ観点からも評価され直されなければならない。  (三宅昭三・記)

 ☆岡山国民文化懇談会七月例会(第二五四回)
日時 平成十年七月十一日(土) 18:30〜22:00
場所 岡山ロイヤルホテル 受付で会場のご確認を
主題 『東京裁判・日本の弁明』「ワーレン弁護人、岡 本弁護人冒頭陳述(満洲問題)」より
会費 千円

 ☆倉敷文化懇談会七月例会  (第一四一回)
日時 平成十年七月十八日(土) 18:30〜21:30
場所 倉敷紀念病院五階会議室
主題 右同。「オクスフォード大学刊『一九三六年の 太平洋の諸問題』」より   会費 五百円