Welcome to my Family Trip in ITALY in 1999.











§1 きっかけ ・・・・・ 
私はこれが原因で家族旅行を約束してしまいました。

1998年暮れの某日

その日、酔っ払い親父と化していた私は、弾みで言ってしまいました。
「春休みにどこか旅行してみようか。海外へ。」
4月になると上の娘は中学2年になります。親と一緒に出かけるのは、何か買ってもらうときくらいです。それ以外はおいしい話で釣ろうが、なかなか 「うん」 とは言わない歳になりました。おそらく、家族旅行へ行く機会は最後でしょう。
普段は、「べつに〜。」とか、「どっちでも〜。」などと、父親の話に乗ってこない娘たちですが、この時ばかりは違っていました。言葉ではストレートに喜びを表現しませんが、あきらかに目が輝いています。しかし、こんな時くらいはもう少し喜んでもいいんじゃないの?

旅行宣言をしてしまった私にとって、酔いが醒めていくのにさほどの時間はかかりません。4人で海外旅行。半端な費用ではありません。軽くグアムあたりのリゾートへ行けば親としては楽ですが、子供をリゾートへ連れて行くのは意味のないことです。そこで、ひとつの提案をしました。
行きたい目的地とその理由を考えておけと。場所はどこでもよい、などと。太っ腹な(見てくれもそうですが。)ところを見せつつも、頭の中で電卓はフル回転。なんとかして、バックパックの貧乏旅行に持ち込まねば。

最近は、小学校でも国際理解などといったテーマで、海外と積極的に交流を図っています。それによってどこまで成果を得ることができるかは別としても、少しは海外に興味が向けられるのは良いことだと思います。
思いつきで行き先を子供に提案させる事にしたのですが、大人が発想しないような地名を口にしてもらいたいと思っていました。費用と期間の問題はありますが、今の世の中地球上で行けない場所はありません。紛争地だけは嫌ですが。

小学校4年生の下の娘は、「赤毛のアン」のプリンスエドワード島を希望しました。女子児童らしくて、なかなかよい考えだったのですが、調べてみると3月の末では雪に埋もれていて、博物館も閉館中との事。残念ながら見送りました。私は知らなかったのですが、アンのふるさとは観光地としてはかなり有名なようです。

上の娘はというと、少し嗜好が違います。おしゃれなイメージのある地域へ行きたいようです。性格の違いでもあるのですが、私のミーハーな部分の血を受け継いでいるようです。リゾート地を候補に上げますが、それは却下することに決めていたため、具体的な希望がなかなか出ません。
やはり、東南アジアやインドには興味がないようです。安く行ける場所は本能的に察知するのでしょうか。本当に面白いのはそういった地域なんだと、いくら水を向けても興味を示しません。興味の湧かない土地へ行ってもつまらんだろうし。

結局イタリアに決まりました。旅の目的地というものは、何かきっかけや思い入れがない限り、当り障りのない地域に決まってしまうようです。なんだつまらん。

私には、北イタリアの一部だけですが旅行の経験がありました。今回は南イタリアも考えられるのですが、入門編としては、やはり北かな?前回は一人旅で、今回は4人です。しかも子連れでは治安も気になるし。あまり無理はしたくありません。ローマだけは見せておきたいし。あ、根っからパックツアーは考えに入れていませんでした。




§2 そうとなれば私も楽しむぞ。 旅行の準備もまた楽しい。

1999年1月〜3月

仕事の関係から日程は1週間が限度でした。
まずはインターネットで安売りチケット探しです。アリタリアの\96,000-。春休みですからやむをえない数字です。アリタリアはイタリア国内の1フライトがおまけでついてきます。イタリア国内限定で旅するなら有利な航空会社だと思います。

イタリア関係のホームページにもお世話になりました。掲示板の書き込みを見ているとほとんどの情報を手にいれることができます。旅行に対する情報収集をしない方が、新鮮に旅できるのですが、私はできるかぎり資料集めするタイプです。特に期間が短い場合と、今回の私のような子連れの場合は、トラブルは避けたいと思います。

現地での交通手段はレンタカーに決めました。なんと言ってもイタリアといえば自動車でしょう。ユーレイルパスは高すぎます。4人いればレンタカーの方が断然格安です。しかもイタリアの田舎道を走るのは、私の最大の願いでもありました。
Hertz のホームページを見て料金を調べます。国内でクーポンを購入するより現地で支払う方が安いこと。乗り捨て無料であること。クレジットカード等で、割引を受けるためには事前に申し込みが必要なこと。私はJAFにて割引証を発行してもらいました。
返却する営業所は事前に決めなければならないのですが、日程的に返却が日曜日になってしまうため、これもホームページで各営業所の休日と営業時間を調べるとともに、地図で安ホテルの多い地域の近くにある営業所に決めます。

ホテルはミラノ到着日の1泊だけ予約します。わたしの場合、選択の基準は、旧市街であることと料金です。Italy Hotel Reservation というhpや、「地球を歩く旅」掲載のホテルなど検討します。ミラノは見本市開催と重なると料金が上がります。全てのホテルが上がるわけではないのですが、極端に安いホテルは日本では情報が入りません。
今回の旅行ではじめて、Faxや電話で問い合わせしてみました。ても、たいして価値のある情報には巡り会えません。旅行代理店で紹介してもらったリストの中から選びました。

予約関係は整いました。次に旅行に持っていくバッグです。たかだか8日間の旅行に大きなカバンは必要ありません。レンタカーを使用するので、バックパックはもちろん不要です。
今回は、機内持込に焦点を絞りました。衣類は向こうで買え、下着は一番ぼろを着ていって使い捨てにしろ。さすがに女性にはホテルのくずかごへ下着を捨てることは難しいようですが。とにかく持ち物を最小限に絞りました。
下の子供はデイパック、妻と上の子供はボストンバッグ、私は出張用の大型ショルダーバッグ。わたしの場合出張カバンといっても図面を収納するため、皆さんがお持ちのものよりひとまわり大きいのですが。このショルダーバッグは優れもので、出張に使うぐらいですから、多少の衣類を詰め込んでも書類の出し入れ簡単。後に大変重宝しました。




§3 いざ出発、そしてミラノへ。

1999年3月25日木曜日 12:55関西国際空港発 AZ795便

18:05Milanマルペンサ空港着。
10時間の禁煙ののちミラノへ到着しました。予定どおり、一番乗りで入国審査を終え、両替の後レンタカーを借りてミラノの町へ出発です。高速へも順調に乗りました。あたりはすでに薄暗くなってました。早くチェックインしてうまいレストランを探そう。今日は何を食おうか、などと考えつつ。

あっれー。高速の降り口がわかんなーい。ホテルの住所はわかってても道路標示にそんな住所書いてません。あたりまえです。道路標示に通り名まで書かれていた日にゃ行数が多くって読み切れません。高速は適当に降りました。というか、いつのまにか一般道を走っていました。

迷いました。
同じ道4回走りました。Milanの郊外には怪しげなレストランが多いなあ。多くはありません。ただの一軒を何度も見ただけなのでした。とっくに日は暮れています。住宅街を走ろうものなら、人っ子一人歩いてやしません。2時間近くミラノの町を走り回りました。おかげで異国の運転には慣れてしまいましたけど。

やっとのことでホテルの近くにやってきました。住所の通り名と街角の標識はあっています。でも、それらしき看板は見当たりません。誰かに道を尋ねよう。あ、あそこに人が立っている。
んっ?
たちんぼうだ。
超ミニで、ケバイ格好をした女性に道を尋ねるのは、子連れの父親としては遠慮しました。近くのレストランで聞こうかな・・・・中から音楽がガンガン鳴っています。これじゃとても尋ねられない。何とか歩いているおじさんを見つけて、やっとのことでホテルにたどり着きました。

予約していたホテルは当然ながら一般のホテルで、(その手の方々向けではないという意味。)
フロントマンも親切そうなお兄ちゃんでした。
よかった。
そして、ああ、楽しかった。




§4 ミラノ

3月26日金曜日

昨夜はチェックインが遅かったためと、機内の椅子でじっとしていたため食事に出かける元気もなく寝てしまいました。なぜかワインとビールは手にしておりましたが。アリタリアはギャレーに行くと飲み物とおつまみは何でも手に入れることが出来ます。こういう時、機内にバッグを持ち込むと便利ですね。 

宿泊したホテルの窓から顔を出している子供たち

朝起きると、窓越しに子供たちと話をします。ツイン二部屋でしたので、お隣さんと言うわけです。ついでに窓越しに写真もとりましたが、緑のあるロータリー上の広場に面していて、なかなかのロケーションでした。子供たちにとって、外国で迎える初めての朝としてはまずまずの眺めだったと思います。

ホテルで食事を済ませると、小雨の中をさっそく表に出てみます。さしあたって必要となる、飲み物や傘などを買おうと思っていたのですが、適当に歩き始めたのでなかなか見つかりません。いったんホテルへ戻ってもう一泊する旨を話し、部屋を移動しました。じつはミラノは素通りしてすぐに出発しようと思っていたのですが、せっかくのミラノだし、というわけでいきなり予定変更してミラノ観光決定となったわけです。

まず最初は、「最後の晩餐」のある、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。
二度も?道を訊ねるだけで、すんなり到着。入り口に行くと修復中のため公開していないとの事。
いくら、かっこいい垂れ幕(イタリアの垂れ幕ってかっこいいのです)で断りの文句が並べられていても、入れないのでは仕方ありません。そういえば、インターネットでもそういった情報流れていたなあ。きれいな中庭が見れたのでよしとするか。皆さんもインターネットの情報は信用しましょう。

次は、ドゥオーモ、ガッレリア、スカラ座とその博物館。このあたりは、定番コースですので解説はガイドブックにお任せ。あ、スカラ座の中で弦楽4重奏の練習をしていました。得した気分です。高級ブティック街を歩いてみても、幸い我が家のブランド志向は私だけのため、散財はしませんでした。長女が DIESEL というショップで買い物していましたが・・・。この DIESEL は、偶然見つけたのですが、けっこう注目のヤングカジュアルブティックです。もちろん、後でわかったことですが。

夕食は、地球の歩き方でめぼしをつけた Post di Conversazione 。この店はナヴィリオ地区にあり、運河沿いの下町といった感じで、ミラノの中でも風情がある場所です。ホテルから歩いて行ける距離にありました。というよりも、あえてこの地区にあるホテルを選んでいたのですが。

この旅行では、食事に対してだけは倹約するつもりはありませんでした。せっかくのイタリア、旨いものを食わずして帰れようか。ワインも食事もおいしくて、ヴォーノ(旨いの意味)の連発。だって、ギャルソン(イタリア語でなんていうのか忘れてしまいました。)のお兄ちゃんが陽気な上に料理を持ってくる度に訊ねてくるのですから。「ヴォーノ?」「うん、ヴォーノ!」旨い以外返事のしようがありません。もちろん旨かったわけですが、不味いという単語を知らないのですから。何食ったかは忘れてしまいました。前菜、セコンド、メイン、デザート、ワイン1本、全て食い尽くしました。

ここで、大失態をやらかしてしまいました。食事も終わりかけの頃、私が気分悪くなってしまったのです。疲れていたのかもしれませんが、貧血のような状態になって、表の涼しいところで、しゃがんでいました。妻が様子を見に来て、帰ろうということになり、チェックを済ませるよう頼むと子供たちを連れて、レストランの外に出てきました。私もだいぶ良くなったので帰ろうとしましたが、もしやと思って、妻に、「チップ渡した?」と訊ねると、「渡してない。」今さら店に戻ってチップだけ渡しに行くのもなんか変。シカトシカト。あれだけ大騒ぎして食べてたのに、彼には悪い事したなあ。子供たちにも愛想を振りまいて、楽しく食事させてくれたのに。

こうして善良な日本人の夜はふけていったのでした。




§5 エミリア街道。フェッラーリ博物館も見たぞ。

3月27日土曜日

さあ、今日は今回の旅行のメイン、エミリア街道のドライブです。出発前にフロントで地球の歩き方を見せながら、希望するホテルに予約を入れてもらいました。我々が泊まるような安ホテルは英語の話せる人が少なく、もちろんわたしの英語力では、宿の予約をするにも不安はあるのですが、とにかくフロントを利用するに越したことはありません。今日のようにチェックインが夜になりそうな時は、インフォメーションセンターをあてにしていると閉まっていたりしますので。

もうミラノ市内では迷いません。運転も充分に練習できています。たまには道に迷うのも良いのかもしれません。高速道路に乗って、エミリア街道最初の街、ピアチェンツァを目ざします。高速道路は快適です。わたしの借りたレンタカーはオペルの1200cc。でも、イタリアでは標準的なサイズです。これで 120km位でぶんぶん走ります。

高速でのマナーは非常によく、トラックが追い越し車線を走ることもなければ、遅い車が延々と列の先頭で粘るようなこともありません。速い車にすばやく道を譲ります。合流車線が短いために注意が必要ですが、それもすぐに慣れます。といってもそこはイタリアン。どんなに小さな車でも目いっぱい飛ばしています。追い越された車の運転手がおじいちゃんだったのがわかると、「マケタ」などと思ってしまいました。まったくイタリアンは、みんながみんな自分のことを F1 レーサーだと思っているに違いありません。絶対に言い切れます。

高速を降りてピアチェンツァの街に入りました。城壁の内部は迷路のような感じで、なかなか中心部にたどり着けませんでしたが、それでも何とか駐車場を見つけ、広場の方に向かいました。中世の都市といった感じで、非常に生活感のある街並みです。観光地というより、地方の中核都市といった感じで、しかもそんなに大きな街ではない。生活するには手ごろなサイズの街といった印象です。

広場では、土曜日ということで、朝市をやっていました。全て日常品。食料、衣料、アクセサリー、花、何でもあります。食料品は量が多すぎて、買っても持ち運びに困るだけです。妻と、子供たちは安物のアクセサリーを懸命に漁っています。銀製品は量り売りでした。チーズもデカければブラジャーもでかい。ミラノでは見かけなかった太ったイタリアおばちゃんがここにはいっぱい。この力強さがイタリアなんでしょうね。

アクセサリーショップにて

その後、お茶とケーキを食べて、なんとガチャポンがあったので、お土産用にふたつばかり購入。次の街パルマへ。

パルマはピアチェンツァよりは大きな街です。観光地でもあります。ここでも朝市は開かれていたようですが、既に店じまいの途中でした。通りも広いし、建物も大きい。パルマの領主がピアチェンツァを支配していたそうですから当然なのでしょうが、私にはピアチェンツァの方が親しみやすくて好ましく思えました。生活の場では、路地の狭さが親密感を生み出すようです。車社会のため、日本でも道路幅は最低でも4mになってしまいましたが、2mから3mの路地裏におけるご近所感覚が地域社会にどんなに貢献してきたか。建築に携わってはいるものの都市計画にまで関わることのない職業ですので、いかんともしがたいのですが、路地裏文化の主張者には耳を貸さなければならないと思います。

ここでは、おいしいジェラート(アイスクリーム)を見つけました。

さあ、つぎは Modena の南にある Maranello 、言わずと知れたフェッラーリ(フェラーリにあらず)。工場と博物館、ワクワクしますね。一般道を走りながら向かいます。といっても、主要地方道110km、一般国道90kmの制限速度は、国道以上に注意が必要です。片側1車線で、速度を落として標識を見ていようものならすぐにクラクション。くそー、自分の車ならなあ。いつのまにか、私も F1 レーサーと化していたのでした。

Maranelloに着きました。おおー、工場の建物が見える。うっわー、かっこいい。おっタンクローリーが走ってる。レース用の燃料ジャン。すっげー!
失礼、取り乱してしまいました。もちろん父親が子供たちの前でこんな事叫んだわけでなく、あくまで心の中だけでした。彼女たちがなんといおうと。

博物館の場所がわからなくて、工場の守衛所へ訊ねに行きます。道を歩いている人がいなかった為、わざわざ守衛室へ訊ねに行った訳で、決して少しでも工場に足を踏み入れたいなどと思ったわけではありません。けっして。

博物館はちょうど昼休みのようで、表のゲートで記念撮影。これまたサーキットのゲートみたい。ほんと、彼らは煽るのがうまい。デザインが優れているだけでなく、雰囲気を盛り上げるすべを知っています。知らないうちに、中学生のガキに混ざって入り口が開くのを待っていました。そうです、私もガキになっていたのでした。

私の嬉しそうな顔が見えますか?

展示してある車を見ていると、中学生がいつのまにかシートに座ったりしています。「まさか、ここではすわらせてくれんの?」案の定係りの人に厳重に注意されておりました。でも、注意されても乗ってみたかったなあ、ディーノに。

ディーノ!

上階へ上がりエンツォ御大の復元された書斎等を見た後、ショップでお土産を探します。当然自分用に。ついでに友人用のも。いっぱい買ったので、Tシャツおまけしてくれました。うれしい。

フェッラーリグッズは、博物館の隣にあるショップ "Warm-Up" のほうが充実していますので、友人向けはこちらで買うことをお勧めします。Ferrari 製のモデルカーはあまりにも高く、私にも "burago" 製のものしか手に入れられませんでした。"Ferrari 250 TESTA ROSSA"

買いました 「Ferrari 250 TESTAROSSA」 ほんものだったらなあ!

ここでの買い物のおかげで、バッグを買わないことには荷物が入りきらなくなってしまったのでした。

近くのカフェでサンドイッチ他で昼食。天気が良いのでテラス(道路脇の空き地のこと)で食べる。

ほんとうは次のボローニャで昼食にしたかったのですが、すでに午後3時。大急ぎで移動になりました。フィレンツェの宿は確保しているからといって、あまり遅くなると夕食にありつけなくなります。なにしろ、イタリアでの夕食は5回しか摂ることが出来ません。一度でも逃すと悔しいじゃありませんか。ボローニャは、中途半端な観光地の印象でしたので車を置いての観光はしませんでした。街の中心を探しているうちに、ポルティコ(柱廊)のある街並みも見てしまったことだし中世の街並みは堪能していました。少なくともフィレンツェを見るまでは堪能した気分になっていました。

高速に乗って、今日の宿、フィレンツェに向かいます。再び車の話になって恐縮なのですが、Smart(Benz-Swatch の開発した小型車。)の広告塔がありました。それは、ガラス張りのタワーパーキングになっていて、Smartの色違いがタワー状に展示されているのでした。すごい発想ができるものです。Benzの入れ込みようも確かにすごいのですが。あれだけは、ドイツ人ではないはずです。イタリアンな発想だと思うのですが、どなたかご存知の方がいらしたら教えてください。

そのうちに日は暮れて、心細い夜の高速をひた走り、山越えをしてフィレンツェにたどり着きました。どうしても街の中心へスムーズにたどり着くことが出来ません。高速の降り口の分岐で誤り、遠回りをしてしまいました。とにかく、フィレンツェ駅を通り過ぎたら、直に宿のある通り。Hotelの名を探して、ひとまず、駐車場所を尋ねるためにフロントへ。ここは旧市街ですので、建物は古く、エレベーターは外の見えるカゴ状態です。充分じゅうぶん。古いほうが味があっていいんだよなあ。部屋は見てないけどいい感じだよ。フロントで、予約確認の書類を差し出し名前を伝えます。おじさんは怪訝そうな顔をしています。英語は通じませんが、どうやらホテルが違うといっているようです。えっ?

なんと今朝のフロントのお兄ちゃんは、ホテルリストのひとつ上の段に予約してくれていたのでした。わざわざ赤でまるをつけて渡したのに。予約確認書を確認しなかった私もそそっかしいのですが、そんな単純な間違いするか?とにかく、再び移動です。もし次のホテルが良くなければ戻ってこようと、名刺と地図をもらって。でも、予約の入っていたHOTEL Bijouもかなり良かったです。あのお兄ちゃん、悪気があったのではないようでした。バス・トイレ別。4人部屋。小さな窓の向こうには何も見えません。古ければ喜んでしまう私は変でしょうか?

荷物を解くと、食事に出かけます。既に10時近くなっていましたが、ヨーロッパの夜は遅いので気にすることはありません。本日のディナーは、フィレンツェ風ステーキ(普通のステーキでした)。でっかい。サラダ。これもでっかい。こんなに食えないよと言いながら、ワイン1本とともに平らげてしまった私たちの胃袋は既にイタリアン。




§6 フィレンツェこんなこともありました。

3月28日 日曜日

昨夜は疲れていたし、食事を終えてホテルに帰ると既に12時近く。みんなで倒れこむようにベッドに横になりました。シャワーも浴びずに。

翌朝私は6時ごろ目覚めてしまいました。とりあえず階下にあるバスルームへ。
もちろんバスタブはありませんが、お湯はたっぷり使えます。便器にしゃがんで(正確には座って)タバコに火をつけると、横の窓から中庭が見えることに気が付きました。
隣の建物も同じ中庭に面しています。
通りに面した窓は、表向きの表情をしているのですが、中庭に面する窓からは生活の表情がうかがえます。
キッチンの窓であったり、私が見ているようにバスルームのトイレの横の窓であったり。食器の音や話し声なんかも聞こえてきます。旅行者の私にとって、こういった生活の一部を垣間見る機会があると、なんだか得した気分になります。
部屋に戻ろうと廊下に出ると、パンの焼ける香りが漂っています。バターたっぷりの香りに思わず朝食に期待が膨らみます。焼きたてほかほかのパンが食べられるのですから。

部屋に居てもつまらないので、屋上へでてみようと階段を上っていきました。簡単な掛け金をはずし、木の扉を開けると、なんとも素敵な景色が広がっています。赤い屋根のつらなりの向こうには教会の鐘楼も見えます。
高いところから見る街並みも景色としてはすばらしいと思いますが、屋根の上レベルから見た場合には、街を覗き見ているような楽しさがあります。
カメラを取りに部屋に戻り家族を起こしました。屋上の景色を話すよりもパンの焼ける香りを話したほうが、目覚めは良いようです。再び屋上へ戻り飽きずに眺めていると、シャワーを済ませて上がってきた娘たちの写真がこれ。

イタリアのパンは概してまずいのですが、ここのホテルのパンはグッドです。クロワッサンの焼きたてをふたつにカフェラッテ(カフェオレのこと)。もうだめ、動けない。

ホテルといっても5階建ての建物の4階と5階を家族の住居とホテルに使用しています。つまり民宿とよんだほうが近いでしょうか。エレベーターも剥き出しの籠状態。駐車場はホテル前の路上。路上といっても、先客がぎっしり詰まっているわけで、駐車禁止の取り締まりにあわないスペースを確保することが、ホテルのサービスな訳です。

・観光地を徒歩で巡ることができる。
・景色が良い。
・温水シャワーをたっぷり使える。
・美味い朝食。
・駐車場完備。
高級ホテルではなく、フィレンツェBijouホテルのファシリティーでした。

さて、今日は花の都フィレンツェの観光です。
まずはドゥオーモへ。
ドゥオーモ
さすがは観光名所フィレンツェ、大変な人出でした。おまけに朝市のように路上でみやげ物を売っている店が連なっていて、歩くにも苦労するほど。さすがフィレンツェ。そうか。今日は日曜日だ。どうりで、イタリア人の観光客がいっぱいのはずだ。

適当に見ながらメインのウフィツィ美術館へ。なんか静かだぞ。誰も並んでない。訊ねてみると既に受付終了。午後は?午後はないの?
「地球の歩き方」情報不足だぞ。そんなことだから「地球の迷い方」なんて言われるんだ。
悔しいが仕方ないので、ヴェッキオ橋やピッティ宮を見て歩くことにしました。
それでもフィレンツェの一部しか見てはいません。1日で廻るのは無理な話ではあるのですが。

ヴェッキオ橋

夕刻、購入したみやげ物を置きにホテルへ戻り、洗濯物を持って近くのコインランドリーへ。ホテルにチラシが置いてあったのですが、行くと旅行者風や、何をして暮らしてるのか不明な人でいっぱい。さすがに主婦はいなませんでした。
コインランドリーの向かいに自転車屋がありました。
残念なことに既に閉店しています。
ウィンドウガラスに顔をくっつけて覗き込んでみると、高級なものはおいていませんが、スポーツバイクが並べられています。なんだか小物もいろいろとありそう。う〜ん悔しい。明日の開店を待っているとローマに入るのが遅くなるし。せめて店の写真をと思っても、洗濯にカメラは持参してません。なぜかフィレンツェでは悔しいことの連続です。

ちなみに次女は二日目に洗濯をしていたので、ほとんど洗濯物はなし。他の3人は怠けていたので、ここで一気に洗濯ができました。几帳面な性格が裏目に出た例でした。

イタリアでは夕食が遅い。
昨夜は食事の途中で眠くなるほどだったので、早めに夕食をと思ってもレストランは賑わってこないのです。
もちろん開店している店もあるのですが、客の入りで店を判断しなければならないので、どうしても遅くなってしまいます。それでも何とか10時過ぎには食事を終え、ホテルへ向かいました。

帰りの路上で、事件勃発。
妻がジプシーのスリにやられてしまったのです。
スリがいることも、その手口もインターネットで知識を得ていました。
それなのに、みごとやられてしまいました。
私も子供も近くにいたのですが、まるで気がつきませんでした。
新聞を売ろうと胸に押し付けてきて、振り払おうとしてる隙にウエストバッグのファスナーを 開けて抜き取る手口です。
幸いたいした金額ではなかったのですが、悔しいったらない。
ワインの酔いも一気に醒めた夜でした。
やはりフィレンツェは相性が悪いのかもしれません。




§7 ローマ前回の旅で投げたコインのおかげで再びやってきました。

3月29日 月曜日

今日はローマへ移動の日です。 きのう一日だけでフィレンツェを堪能できたわけではありませんが、どんなに詳しく見て歩こうが、そこが観光地である限りその街を経験したという点においては大なり小なりです。 乱暴な言い方をするようですが、旅の醍醐味は人と接することにあり、その相手は観光産業から遠い存在であればあるほど味わい深くなると思います。 もちろん実物の美術を見て、芸術作品を目の当たりにし、それを生み出した街に身を置くことだけでもかけがえのない経験になるのですが。

私は、職業柄ヨーロッパの建築には興味があります。 ただし、私が現地に行って嗅ぎ取ろうとするのは、街の匂いに他なりません。 そこにある空気です。騒々しさや静けさ、あるいは石の磨り減った様子や汚れた様子です。 ですから、私にとってのヨーロッパの街は、そこに立つことだけでも大いに価値あるものになります。

とにかく、ウッフィツィ美術館を除いてですが、めぼしい観光名所とちょっとしたエピソードを手にした私たちは、ローマへ向けて出発しました。 もちろん、朝の屋上と美味しいパンを堪能してからですから、そんなに早くはありませんでした。
高速へ乗る手前の道では、フィレンツェの街が一望にできる丘を通ります。後に解かったのですが、どうやらミケランジェロ広場だったようです。

フィレンツェからローマへは高速道路の旅ですが、途中の景色もなかなかのものでした。サービスエリアにあるスーパーで買い物したり、それなりに楽しいドライブになりました。

どこかの紛争(忘れました)の鎮圧のために、軍隊の車がたくさん走っていました。サービスエリアの食堂で一緒になった軍人さんの中には、当然のことですが、それっぽい人も居れば、まるでそこいらのお兄ちゃんといった風情の人もおりました。イタリアには徴兵制度があります。(このあたりのことは詳しくはないので書けませんが)だからというわけではないのでしょうが、軍人的な威圧感が少ないように感じました。たとえるなら、興味のないお寺を連れまわされる、修学旅行生みたい。

車はローマに近づいてきました。 今度こそ迷わないように、先ほどの休憩のときに地図の予習もしてきました。
にもかかわらず、やっぱり迷ってしまう私です。
昨夜電話で予約したホテル Golden は、ローマの北、ピンチアーナ門のすぐ内側にあります。 高速道路はローマの北側からアプローチしていきます。 したがって、ローマ市内を走ることはほとんどなかったはずなのに、2回の縦断、3回の横断、挙句の果ては、門のすぐ外に居るのに内側のホテルのある地区へは一方通行で入れない。 おかげで、ローマの街での運転にはだいぶ慣れました。


ローマ流運転のコツをお教えいたしましょう。

1.車線変更をしない。車線自体ありませんので、ハンドルを切るな!
同じ道路でも普段は2車線ですが車が増えると4車線になります。私が車線変更の隙間を見つけたときには、既に他の車が割り込もうとしていることがよくありました。反射神経の勝負と言えます。

2.車間距離を開けない!
6mで4輪、3mでスクーター、1mで歩行者に割り込まれます。割り込まれること自体は一向に構わないのですが、知らぬ間に曲がりたい方向への車線から追い出されてしまいます。割り込みは前方だけでなく左右にも気をつけなくてはなりません。

3.信号待ちで停車したなら、どんなに後ろに並んでいても、青になったら一斉に発車すること!
すぐにクラクションを鳴らされます。これなら信号待ちの渋滞はありえません。合理的です。

4.アクセルはスロットルではない、スイッチだ!
おわかりですね。全速力か停止しかありません。

なお、上記のとおり運転し、事故の加害者になっても当方は一切関知致しません。
ずいぶん脅すようですが、道を知っていればそれほど難しくはありません。ただ、アクセルを床まで踏んだことのない人にはお勧めできません。


何とか、ひとりの犠牲者も出すことなくホテル Golden を見つけました。よかった!
フロントへ行くとすぐに表に出てきてくれ、駐車スペースを空けてくれます。なんと他の車を路上駐車させて、場所を確保してくれていたのでした。切り替えし5回ほどで、車の長さ+60cm位の場所に押し込みました。車をぶつけてスペースを空けて駐車するのが有名ですが、めったにやっているわけではなく、仮にやるにしてもバンパー同士を接触させてから押すので、それほど傷をつけるわけではありません。もちろん、私もやりませんでした。ほんとうはやってみたかったのですが。
車の話が長くなってしまいましたが、イタ車好きですので勘弁してください。

チェックインして、荷物を運び込むのですが、ツイン2室です。しかもランクが少し違うため、親子で部屋の取りあいです。最後にはじゃんけんで決着をつけましたが、もちろん親の威厳をかさにきて強引に勝負を決めたのは言うまでもありません。この間の戦いを、フロントの兄ちゃんにしっかり見られていました。

ここのホテルは、やはり民宿のようなものですが、フィレンツェのホテルより設備はあきらかに上です。値段も上です。ただし、美味しいパンもなければ、眺めの良い屋上もありませんでした。で、どっちが良かったかと問われるとフィレンツェの HOTEL Bijou です。

レンタカーを返却しに行きます。ちなみにレンタカー代金は、4日間で40万リラ。日本と同じくらいでしょうか。レンタカーでローマ市内を移動するのはかえって不便です。運転が怖い、駐車場所がない、道に迷っても地元の人は地図が読めない。日本人にとっては不思議ですが、地図が読めるひとってそれほど多くありません。イタリア語の地図でさえそうですから、日本語の地図を見せて道を尋ねることはやるだけ無駄です。お気をつけください。

車を返した後は、観光です。ローマ市内の観光は、簡単です。
一つ目は、トレビの泉からパンテオン経由で、ナボナ広場へ至る道。 このナボナ広場での休憩は、落ち着けてとても好きなんですが、そこのカフェーで見かけた母子はかなり目立っていました。ブラウスに黒いパンツルックの母に、黒いワンピース姿の10歳くらいの女の子。センスのいいローマっ子って感じですね。 何が目だったかというと、そのガキの生意気そうなこと。よくぞここまでくそ生意気なしぐさができるものだと感心するくらい。母のほうはそれほどでもないが、それでも上流ですよ〜の空気が漂っている。周囲にお付きや警護を探したが見当たらなかったので、俄か上流でしょうねきっと。
ナボナ広場
タクシーでポポロ広場へ移動し、ボルゲーゼ公園の外周路を歩いてスペイン階段の上に出る。ちょうど夕焼け時で、まさに瀟洒な建物の間からの眺めは、贅沢といってよいものでした。スペイン階段にしばらく腰掛けて休憩。その後高級ショッピング街のコンドッティ通りで買い物。 う〜ん、ローマの休日。
スペイン階段はこんな状態です。
ほんとローマって観光には都合よくできています。 半日で廻れるルートがいくつか用意されていて、休息ポイントも上手に配置されています。 おまけにショッピングと美味い料理。映画「ローマの休日」で、世界にローマのCMが流れつづけています。あらためて観光の先進国だと感じずにはいられませんでした。

今日はここまでにして、トラステベレ地区のレストランへ行って夕食となりました。 シーフード料理の店を電話で予約してあります。 「アルベルト・チャルラ」。すごく賑わっている店でした。味はもちろんですが、イタリアらしい騒々しさの中で、うまい料理を気楽に食べることのできる楽しさは最高です。
この笑顔がすべてを語っているしょ?


3月30日 火曜日

イタリアも今日が最後の日となりました。明日の朝には空港へ向かわねばなりません。でも、そんな感慨を味わう暇もないほど、毎日楽しんでます。

宿の近くのバールで朝食を取りました。サンドウィッチやその他もろもろ。おい、おい、そんなに食っていいのか?
一人旅の場合だと、トラットリアで一人さびしく豪華料理もむなしいだけですので、自然にバールやピッツェリアで簡単に済ませることが多くなってしまいます。4人で旅すると食事も楽しいので、バールで簡単に済ませることはまれでした。ここのバールは、サンドウィッチの種類も豊富でおいしかったです。
ちなみに、もちろんイタリアではサンドウィッチでは通じません。中にはさむもので呼び名は違います。当然私たちは、見て決めるのですが、勘の鋭い方が旨いものにありつけるわけです。

今日の観光は、バチカン宮殿からスタートしました。復活祭の準備だと思うのですが、サン・ピエトロ広場には椅子が並べられていました。
サンピエトロ寺院内部。写真撮ってよかったのかな?さすがにフラッシュは光らせてません。
ヴァティカン宮殿美術館にも行きましたが、1時間近く並んでの入場だったにもかかわらず私には今ひとつ。しかも入場後しばらくして、やっと2度目に来たことを思い出す始末。興味の薄いものに対して、これほどはっきりしている人間も少ないのかもしれません。だって〜。
美術館への階段。
次の目的地は、コロッセオとフォロロマーノですが、先に真実の口に寄って、お決まりの写真撮影。なにしろローマの休日を味わっているのですから、これははずせません。実際は教会の入り口脇に飾ってある石の円盤なのですが、順番待ちして下の写真をとりました。
手を入れたところ。
嘘つきでした。
嘘つきはこうなります。
次にフォロ・ロマーノへ行きました。
ここは私が最も娘たちに見せたかった場所でした。喧騒のローマ市街にありながら、古代の空気が漂っているのが強く印象に残っていました。社会科の苦手な上の娘に、きっかけを与えられはしないかと、密かに思っていたのも事実です。
残念なことに、子供達には何の感動も起きなかったようです。
「古代ローマだぜ!」
「紀元前の街だぜ!」
まったく!!
それにしても暑いなあ!
外に出てジェラート食お!
セヴェルス帝の凱旋門。
シーザーが、「ブルータス、おまえもか!」と、叫んで殺された元老院が、この手前にあります。

白いシーツのような衣装をまとい、
月桂樹の冠を載せ、
皮のサンダルを履いて、
髭もじゃの男が遺跡の陰から現れようとも、
決して驚くことはない。
ここはローマだから。
そんな雰囲気の場所です。
セヴェルス帝の凱旋門
その後向かったのは、すぐ近くにあるコロッセオです。
時代を考えると素晴らしい建築ですが、その用途を考えるとなんだか関心ばかりしてもいられません。
壁の装飾も第2次大戦後に、建築資材として持ち去られたそうで、遺跡というより廃墟のような印象でした。

内部を見た後、外の静かな日陰で休んでいました。
すると、胡散臭いおばさんが寄って来てなにかはなしかけてきます。うーん、怪しいぞ。おもわず、バッグとカメラを持つ手に力がはいります。妻は敬遠して少し離れています。なにごともなく、あきらめて立ち去っていきました。
しばらくすると、むこうから二人連れの白人のおばちゃんが歩いてきました。すぐに女のスリが新聞を手にして、近づいていきました。私たちは離れていたので、手口が丸見えです。すでに、ウエストバッグに手がかかっています。思わず日本語で、「スリだ、スリだー!」と、叫びました。こんなときに英語なんて出てきません。とにかく妻と2人して叫びました。白人のおばちゃんも気づいたらしく、スリは走って逃げていきました。こちらの方をにらみつけながら。
私たちは良いことをしたと満足しかけたのですが、当の白人のおばちゃんは礼を言うでもなく、むしろ私たちを睨むように足早に去っていったのです。
私たちはジプシーのスリ家族じゃないんだってば。確かに汚いかっこしてるけど。
確かに服装でいえば、私たちよりスリの方が小粋なローマっ子って感じでしたねえ。

コロッセオ!ミレニアムに向けて修復中。

ちなみにスリの家族がジプシーであるとの話は、自分で確かめたわけではありません。インターネットの情報で仕入れたものです。したがって事実は異なるかもしれませんが、皮膚の色や顔つきは合致していました。以下にジプシーの説明を加えます。

ジプシー
(英Gipsy,Gypsy)
1 バルカン諸国を中心に、アジア西部からヨーロッパ各地、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリアなどを漂泊する民族。皮膚の色は黄褐色かオリーブ色で、目と髪は黒。テントや小屋などに家族で住み、箱馬車や自動車で移動しながら、ばくろう、鋳掛け、占い、音楽などで生計を営む。特にその固有の音楽、舞踏は、ハンガリーやスペインの民族文化に影響を与えた。用いる言語がインド‐ヨーロッパ語族のインド‐イラン語派に属するところから、その故地はインドであると考えられる。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988



そんなこんなで昼食はすっかり遅くなってしまいましたが、ピッツアを食べようということになり、ガイドブックと地図を頼りにうまい店を探すも、入った店は失敗。結局今回の旅行で、うまいピッツアにありつけることはありませんでした。

おみやげ、というより自分への土産を探しに、再びコンドッティ通りへ向かいました。
それぞれ欲しいものを探しますが、妻や娘がブランド志向でないので救われます。唯一ブランド志向のある私は、"OMAS" の万年筆を購入しました。
OMAS AM87

イタリアの万年筆って、セルロイドのものが有名ですが、この AM87 に使われているペン軸はブロイヤーって木でできてます。パイプに使われている木、というか根ですね。ドイツ製のペンと違って、イタリア製のペンは官能的です。車と一緒。ほんとはもうすこし装飾の施されたものが欲しかったのですが、財布と相談するとこれが限界。
申し訳ありません。マニアックに走りすぎました。

ベネトンのショップへ入るときに、万引き防止ブザーがなっていました。なんだろう、故障かなあ・・・・。
荷物が増えたために、キャリーバッグを買いました。この時期ベネトンのポスターは、アジア人の顔がアップになっていたものが使用されていました。女性店員に下の娘が似ているなどといわれて、あっ、ほんとだ、典型的なアジア人顔か?その後、見せを出るときもビーッ!別に店の従業員に止められたわけでもなく、そのままホテルへ戻りました。
帰ってみると、上の娘の買った布製のバッグに万引き防止タッグが付いたままになっています。はずすのを忘れたようです。ホテルのフロントのお兄ちゃんに相談しました。店に電話をかけてもらったところ、行けばはずしてくれるとのことでしたが、閉店までに時間がありません。「帰国後自分ではずすよ。」と言うと、「下手に壊すと中からインクが出てくるから気をつけな!」って教えてくれます。「OK、OK、ドリルでピンだけ削るよ。」って言いますが、日本人の器用さを信じてないようで何度も説明してくれました。
と、こういう風に書くといかにもスムーズに会話ができてるみたいでしょ。もちろん英語での会話なんですが、まず始めに,
彼が、"Can you speak English ? "
私、"Little ! "
彼、"Me too ! "
で、2人して大笑いして、つたない者同士の英会話が始まりました。相手が片言の英語だと却って話が通じるように思うんです、わたくしの場合。娘は近くにいませんでしたので、この間の滑稽な会話は知りません。おとうさんってすごーい。英語がしゃべれるよ。

夕食にはナヴォナ広場の近くへ出かけました。最後の日だということで、少しだけ奮発しようと思いましたがハズレ。味もいいし、小さな店もクラシックでいい感じだし、取り立てて悪いところはないんだけど、サービスが遅い。前菜から一皿目、二皿目と続く流れっていうか、これでもかっていう勢いがあったほうが旨く感じます。カメリエーレ(給仕人)もクラシックだったからなあ。



3月30日 火曜日

少しだけ寝坊してしまいました。お土産用にと、昨夜近くの食料品屋でめぼしをつけていたポルチーニ茸を買う暇もなくなってしまいました。
タクシーを呼んでもらってテルミニ駅に向かいます。今回の旅行では、地下鉄以外に鉄道を利用したことがなかったので、空港への交通手段は鉄道以外には考えていませんでした。駅に着くと空港への列車はすぐにわかりましたが、随分待ち時間があります。頻繁に出てるだろうと高をくくっていたため、時刻を調べていなかったのです。

外国では、列車の時刻を駅やインフォメーション以外で訊ねてもあてになりません。参考に訊ねる程度にしておかないと、日本のように考えていると失敗します。発車時刻や出発ホームは頻繁に変更になります。列車での移動はかなり余裕を見ておいたほうが良いようです。余った時間で、駅構内をぶらつくのってけっこう楽しいし、売店で日用品やちょっとした土産を買うこともできますので。

急いでホテルを出発しましたが、余裕を持って空港に到着しました。チェックインカウンターを探しましたが、見つかりません。
帰りはミラノ経由ですが、ミラノまで国内線なのか、国際線なのかがわかっていませんでした。国際線のあたりを一生懸命探していたのですが、さっぱり見つかりません。他のカウンターで尋ねると、忙しそうにしていて、英語で説明してくれても私には概略しか聞き取れません。やはり、相手もカタコトの英語でないと私には意思疎通ができないようです。
だいたいの見当がついたのでそちらに向けて歩き出していると、ちょうど旅なれている風情の日本人女性が通りかかりました。訊ねると、詳しく教えてくれました。休暇中のフライトアテンダントだそうで、助かりました。ありがとう。妻がいないときにお目にかかりたかったです。
考えてみると、この日まで日本人と話した機会はありませんでした。特別避けてたわけではないのですが、やはりレンタカーで旅するスタイルだったからでしょう。

ローマ〜ミラノが国内線ということであれば、免税店での買い物はミラノでの短い時間のみということになります。結局ミラノの免税店も、そんなに安くはなく、ワインとオリーブオイルを手に入れただけでした。今になって、ホテルの近くのポルチーニ茸を購入できなかったことが悔しくなってきました。ほんとに最後の最後まで食い気で終始した今回の旅。でも、充分に満足して帰国することができました。



§8 今回の旅のメモ。

ローマ市街を走らなければ、レンタカーで旅するのは快適です。地図のナビゲートと、費用のことを考えると、二人以上のほうが望ましいと思います。以前に停車中にもかかわらず、助手席に置いていたバッグを盗まれた話を聞きました。安全のためにも二人以上が安心です。

ヨーロッパのレンタカーは国内で予約できます。保険のことなどを相談するためにも、日本で予約することをお勧めします。支払いは国内でクーポンを購入するより、現地で支払った方が割安でした。さまざまな割引がありますが、わたしの場合、"Hertz" でしたので、JAFで割引証を手に入れました。クレジットカード会社でも手に入れることができます。

レンタカーを借りるときに返却場所を告げておく必要があります。途中で変更も可能でしょうが、ある程度の計画を立てておく必要があります。その際に、インターネットで返却の営業所所在地を確かめておくと便利です。つまり、宿泊したい地域にある営業所に返却した方が便利ということです。営業時間のチェックも忘れずに。

地図は、MICHELINのオレンジ色のものを日本で購入していきました。出発前に計画を立てることができます。レンタカーの営業所を調べるためにも、渡航前に入手した方が便利です。必ず現地の言葉で書かれた地図を購入すること。車を借りるときや、サービスエリアのインフォメーションでも地図を手に入れることはできます。

本文中にも書きましたが、荷物を少なくすることは行動をたやすくします。大は小を兼ねません。国内であらたにバッグを購入するくらいなら、手ぶらで行ってむこうで購入する位の気持ちで。

家族連れの旅は、とても快適です。接する人達が皆親切です。子供たちが女であったせいかもしれませんが、むさくるしい息子2人だったとしたら、私もこんな計画を立ててはいなかったでしょう。

危険に対しては充分注意するに越したことはありません。特に夕食後は遅くなりますので、街を歩くときも緊張しました。スリ以外に遭遇したことはありませんが、子供がいるので何かあっても走って逃げることはできません。夜道では、常に周囲の状況を観察しながら歩いていました。前方に怪しい人がいたら、道路の反対側を歩くように気をつけていました。

海外用の携帯電話レンタルを利用しました。レンタル料無料のサービス期間だったもので、通話料のみで利用できました。公衆電話を探す手間要らず。自宅の留守電チェックを毎日友人に頼んでいたし、(なぜか、直接留守電チェックができませんでした)ホテル、レストランの予約、買い物に行きたい店の場所の問い合わせ、大変に便利でした。顔を合わせての英会話も満足にできない私が、電話が通じるのですって?その時は次の店に電話するだけのことです。

国外旅行は、パック旅行か自由旅行か悩むところだと思います。費用の面だけでいえば、ほぼ同じでした。それは、私たちが4人いて、車もホテルも割安だったからです。2人以下だと自由旅行の方が高くつくことでしょう。観光地巡りでいえば、パック旅行の方が断然効率的です。寄り道を旅行の一部と考えると自由旅行に軍配が上がります。身体的に楽に旅行できるのは、私は自由旅行の方を取ります。自分の体調にあわせて行動できるからです。他のツアー客からストレスを受けることもありませんし。

結論として、子連れ旅行だからといって、パック旅行を選択する必要はありません。子供にとって、観光地巡りはちっとも楽しいものではないことを理解してやる必要があると思います。子供が興味を示したことを、一緒になって楽しむだけの余裕が欲しいと思いました。その点では、今回の旅は少し満足、少し反省といったところでしょうか。

[10,JUNE,2000]