なまりんJUMP
なまりんアイコン 幼少期     1967年、岡山県に生まれる。

 処女作「のらくろとスヌーピー」(小学1年生のころか)
のらくろがスヌーピーの家に遊びに行こうとして電車に乗ったら、スヌーピーもまったく同時に同じ行動をしていて、ふたりはすれ違う…、というえんぴつまんがだった。

 小学4年生のときに友人と合作まんがを描き、あまりにはずかしい内容のため、通学路の石の下に隠す

 小学6年生のときに、今はなき 「マンガ少年」「木実くんが人になった話 」という32Pまんがを投稿。木が人間に変身するという、タイトルと内容が完全に一致した作品。
あえなく落選
(あたりまえだ。)
同人誌「SORA」1号表紙
「SORA」1号の表紙

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なまりんアイコン 成年期 

小説june「放課後生物倶楽部」(お絵描き教室作品)
b−BOY「Ambitious」(同人誌『健康的。』からの転載)が掲載される。

創作系同人誌も出しつづける。
京都の同人誌サークル、阿素湖K.K発行の性とSFがテーマの「異性人」に掲載して
頂いた作品を集めて個人誌「微熱の姫」なども刊行。(1989年)
ちなみに、現在の夫である にどまりいちろうは、後の証言によると、この辺の作品を
見て「うわー、友達になりたくねえ…。暗そうな女の子…。」 と思っていたらしい。

少年読本シリーズ刊行。(1990年〜1991年)
友人3人での持ち回り発行。なまこは「制服少年読本」発行。

とある日、友人(ルソン助左衛門)に家に泊まってもらい、「火垂るの墓」を見せて泣かせ
たあと、何かとち狂ったふたりは、「ドラえもんといっしょ」という薄いコピー誌を作る。
耽美なドラえもんの世界。イベントでほそぼそと売る。
それにしても、パロディ本って創作本より売れるんだなあ…と、コピー誌をちまちま
作り足しながら思う。

「ドラえもんといっしょ」の売れ行きを見つつ、ドキドキしながら表紙フルカラーの
オフセット本、「のびドラ少年読本」(1990年刊)という同人誌を出す。
友情と愛情のはざまで揺れ動くのびちゃんドラちゃん…というコンセプト。
岡山の同人誌即売会のメッカだった農業会館に50部持ちこんで、はじめて完売という
ものを体験する。びっくりした…。

パロディ本と創作本の二足のわらじはじまる。
「愛とジャイアンの旅立ち」(1991年刊)

顔見知り…というか作品を知っていた にどまりいちろう とこの辺で会う。
ほとんど毎日会う。一年後に結婚。

「ドラミちゃんの初恋」(1991年刊)
「冬ののびドラ」(1992年刊)
他、アンパンマン本 など発行。

制服少女読本シリーズ5冊刊行。(1993年〜1995年)
やっと、少女期の自分を振り返る事が出来るようになったということだろうか。

「オヤジィ・オヤジィ」 第1巻〜16巻(完結)(1996年〜2006年)
家庭の事情(笑)などもあり、本の発行ペースが、ほとんど夏冬のコミックマーケット
合わせのみになり、ゆっくりになる。オヤジィは10年かかってやっと完結する。

地蔵ちゃんプロジェクト、2007年発動。 ほそぼそと活動したり休止したり。

2009年2月現在、オヤジィ・オヤジィの番外編 「オヤジィちゃんとイライザ」
ゆっくりと執筆中。
なまりんADULT-R
なまりんアイコン 大学期 

学部やら サークルやら 文通やらで、たくさんの まんが友達ができる。

創作系同人誌「みづは」を出す。
創作系の厳しさをかみしめるが、「みづは3号」がはじめて ぱふ に紹介され喜ぶ。

少年愛本も出してみる。ホモならふつうの創作系よりも売れることがわかる
June「竹宮恵子のお絵かき教室」に投稿し、作品 「ともだちレモン」 が掲載されたり
する。
なまりんアイコン 中高校期 

 中学生のとき、投稿作(星が海に落ちてきて、人魚と友だちになるというような話)を描いていたのだが、美術部の仲間で同人誌を出そうという話が持ち上がり、投稿作をその同人誌にまわすことにした。(ここらへんから道を踏み外す?)

 このときの同人誌「SORA」 という題名で、3号まで出す。
(表紙は美術部のみんなで手ぬり。画像参照→
主に学校で友人たちに買ってもらっていた。

 高校時代は、割に勉強がキビしい学校だったので、
新聞にイラストはがきを投稿して、図書券だの薄謝だのを
頂いたくらいの印象しかない。
(あ、投稿作を描きかけてザセツしたような記憶が…。)
ここは、あすきなまこ が、どのようにして
あすきなまこになったのか、その足どりです。
以下は、あすきなまこ自身による文章
そのまま使用しております。
なまこへの道タイトル