●イシイと終末の少女達 by Ri-さむMSX
すっかり慣れたとは言い難い肉体労働から来る疲労を両肩と足腰とに鈍く感じながら、私は作業場から部屋へと戻る。そのままベッドに倒れ込みたいがそうもいかない。人間の身体は飢えを永遠に耐え続ける事ができないからだ。鍋を用意し、水道の栓を捻る。ゴポゴポと空気ばかりが蛇口から溢れる事も多くなってきたが、今日は運良く、割とすぐに水が出た。鍋に溜めさせている間に奥の食糧庫へ向かう。イモの残数は……うん、まだ持ちそうだ。小さめのイモを一つと中程度のイモを二つ抱えて、部屋へと戻り調理を開始する。
やがて煮立ったイモを取り出し、食べ易い温度になるまで冷ます。ちゃんと火は通っただろうか? 逆に煮過ぎてはいないだろうか? 自然と気を遣っているやっている自分に気付き苦笑しそうになる。
まるで母親にでもなった気分だ。
そして私は調理済みのイモと共に、彼女らを招き入れる。
「チト、ユーリ。食事だよ」
「イモ〜〜〜! 待ってました〜〜!!」
私が言い終わるよりも早く、待ち構えていたユーリが歓声を上げる。
「ユー、うるさいよ」
チトはそんなユーリを落ち着いてたしなめてはいるが、この子だって空腹なはずだ。私の持つイモを見て、喉を鳴らしたのが見て分かる。
「じゃあ食べるよ。今日も一人一個ずつだ」
これで何度目だろうか。軽く明滅を繰り返す薄暗い室内灯の下、私達は揃って食事を摂るのだった。
***
初めはどうなる事かと思った。何せ少女とは言え軍装の人間が二人して突然、目の前に現れたのだ。しかも片方は銃で武装している。飛行機作りに没頭する余り無防備になり過ぎてたかと少し焦ったが、話を聞くとそう警戒するような相手でもないことが分かった。
下層からやって来たのだという二人の少女は、拍子抜けするくらい暢気な連中だったのだ。
ただでさえ小柄で体力も無いくせに武装もしていないチト。
運動神経が良くて銃も扱えるが、頭のネジが飛んでいるユーリ。
車両の修理を交換条件に、飛行機の製造を手伝ってもらう約束こそしたが、律儀に履行してもらえるとはほとんど思って無かった。ところがどうして、二人は良く働いてくれる。元々勤勉そうなチトはまあいいとして、見るからに怠惰そうなユーリの方も、さほど嫌がる事無く色々と面倒な作業をこなしてくれるのは意外だった。どうもユーリは、飛行機を飛ばすという行為にそれなりの関心を抱いてくれたらしい。
嬉しいな。
生存欲求と衝動とに駆られて、義務的に事務的にずっと一人でやって来た。もう長いこと、誰の理解も肯定も求めてはいなかったけれど、今更こうして他者からの協力と承認が得られてみると純粋に嬉しいと感じる。
身体の芯に眠っていた感情が目を覚ましたようだ。それに呼応するように、私の作業効率も良くなってきている。どうした事だろう。彼女達は、この計画を成功させるために誰かが遣わした幸運の運び手なのだろうか?
それとも……その逆か?
***
「はい、おじいさ……じゃなかった。……イシイ」
工具を取ってくれるよう頼んでいたチトが、背後からそう声をかけて来た。
「ありがと。……ところで、誰がじいさんだって?」
振り返って工具を受け取ると、私はそう応じた。
「ご、ごめんなさい」
チトが恥ずかしそうに慌てて謝る。いかんいかん、もう年齢とか容貌とか気にするような状況でもないってのに、女の本能の成せる業か、つい語気が荒くなってしまったようだ。
「いや、別にいいよ。……何だ? ずっと二人で旅をしてたと聞いてたけど、おじいさんが居たのか?」
「うん。私達の育ての親だよ。……もうずっと前だけど、一緒に暮らしてたんだ」
今は? と尋ねそうになったが、よした。何となく想像がついてしまったからだ。 少女二人だけで食料を求めて旅をしている以上、その保護者がまだ健在とは考え難い。
「ねえ……」
「ん?」
私が黙っていると、チトが呟くような声で尋ねてきた。
「イシイの家族は?」
「ん……。さて、どうだったかね」
一瞬、ここに至るまでの自分の履歴を本気で語ってみたいという妙な衝動に駆られたが、やはりよした。
「……昔は、そんなのも居たような気がするけど、もう忘れたよ」
私はチトに背を向け、作業に戻りながらそう答えた。
「……そう」
チトは変な質問をしてしまったというような声音でそれだけ言うと、黙ってしまった。大人気ない対応だったかな? と私が少し後悔していると
「ねー、ちーちゃーん! このレバーがさ、ちょっといじっただけなのに戻らなくなっちゃったんだけどー。手伝ってよー。ねー!!」
と、妙に間の抜けた抑揚の声が後方から聴こえて来た。
「……ごめん。行って来る」
チトは、軽く溜息を吐いてからユーリの方に向きを変え、歩き出す。
「ああ、頼むね」
私は極力優しいニュアンスでそう言ったつもりだったが、チトにはちゃんと伝わっていただろうか?
「おいユー! お前勝手なことばっかすんな!!」
と、普段通りの可愛らしい怒声が作業場に響き渡る。私は傍らに置いてあった計器に映った自分の顔をふと目に留め、それが微笑んでいたのを知り、それがまた可笑しいなと思った。
***
「昼寝ならコンテナに戻ってしなよ。身体冷やすよ」
一人で明り取りの窓の前に寝転がっていたユーリに、私はそう声をかけた。
「ううん。ちょっと空を眺めてただけだから」
特に寝ぼけたような所のない声で、ユーリはそう答えた。
私は機体を直接確かめながら図面の見直しをしていた最中であり、二人には休憩するよう伝えていたのだった。チトはコンテナに戻って休んでいるようだが、いつも行動の読めない事をするユーリは、今もやはり意図の読み辛い行動をしているように見える。
「空に何か、見えるかい?」
「うん。空が見えるよ」
当たり前だ。チトならそう突っ込むだろうが、私は実は、ユーリのこういった物言いは嫌いではなかった。
「ほら、これでもかけな」
私はちょうど近くに干してあった古い毛布をユーリに渡す。
「ありがとう。……イシイは優しいね」
ユーリは空から目を離さずに言った。私は何故か、その言葉はユーリに対して私が言うべき言葉なんじゃないかという妙な錯覚を覚えた。
「……体調崩されても困るからね。私は医者じゃないし」
私はそう言って、返事も待たずに作業に戻る。ユーリは誰に言うでもなく
「空かぁ……やっぱり、飛んでみたいよねぇ……」と呟いていた。
何となしに、私も窓から空を仰ぎ見た。灰色の空。霞む雲。私の挑むべき対象であり、唯一の希望でもあった。幾度と無く眺め、吹雪の最中には畏怖を、晴天の朝には愛おしさを感じた、空。
今、同じ空を憧憬のまなざしで眺めているユーリの横顔を見て、私は思う。
私は今でも、何が何でも、空を飛んでこの都市を離れたいと本気で考えているだろうかと。
***
燃料を与えて点火したエンジンが、目の前で軽快に回っている。確認した数値は良好で、飛行機の心臓部として採用するための準備は概ね整ったと言える。
少し離れた場所ではチトとユーリがじゃれあいながら(実際はユーリがチトにじゃれついて邪魔するのを、チトが文句言いながらも付き合っている、が正しいか)使えるパーツを不要な機材から引き剥がす作業を行っており、時折「うはー!」とか「ユー、お前なー!」とか元気な声が届いて来る。その度に、私の心は少しずつ、ざわついていった。
私はもう観念して、自覚して、自問していた。
それなりの出力で稼動するエンジンは、目の前のこれ一台しか残っていない。もしこのエンジンが今、壊れたなら? それがもう直せない、致命的な故障だったなら?
そのとき、あの子達は私と一緒にこの都市で朽ちていってくれるだろうか? と。
***
私の馬鹿な自問とは無関係に、飛行機は着々と組み上がっていった。チト達の車両も修理と調整が完全に終わり、物資の運搬や引き上げに多大な恩恵をもたらしてくれている。
夢にまで見ていた理想が現実の形と成りつつあった。ここにあればと幾度となく思った、たった一機の古典的な飛行機械が、今、目の前にある。
主翼を張り終えた夜、私はほとんど眠ることが出来なかった。
私は、自分が中身の張り詰めたガラス容器にでもなったような気がした。名前の付く物も付かない物も含めて、あらゆる感情が心の中で漂い、膨れ、行き場を無くしているようだ。
ああ、ならば私はやはり、飛び立つしかないのだろうか。
ここではないどこかへと。
***
やがて飛行機は完成した。
機体を前にして、私は、チトとユーリに語って聞かせた。自分がどこへ飛ぼうと考えたか、そこに何を見出したのかを。
二人はしっかりと聞いてくれた。そして、私を送り出してくれた。
……やはり、私は君達に会えて、本当に良かったよ。
私はただ、生きていたかった。ここで一人で朽ちるのだけは絶対に嫌だった。ただそれだけ願っていた私が。
人類の歴史なぞ、どう綴じられようが知らない。ただ一人で生き抜く私には関係無いと思っていた空っぽの私が。
君達の物語の一部に、歴史として残ることを許されるのだから。
私は、少し前に二人とした会話を思い出していた。
『―その画像は?』
『―神様だって。死後の世界を明るく照らす存在、だったかな。』
『―イシイは、神様って信じる?』
『―どうかな……。ただ、どんなモノもそれが作られるには過程と原因があるはずで、それがこの世界にも当てはまるのなら、世界を創った過程の一番最初の原因に、私達の想像の及ばない存在がいたとしても不思議ではない……かもね』
……明るく照らす存在が神だと言うのなら、私はその存在に祈る。
どうか神様、あの子達に
ほんの僅かでもいい、希望を見せてやりたいんです。
例え私の希望が、この翼が折れたとしても、笑っていられる強さを私に、ください。
***
激しく軋む金属音と共に、機体が姿勢を大きく崩したのが解った。
ああ。
落ちるのか。そうか。
……よかった。
ちゃんと飛び立ててよかった。
最初に高度を取っておいてよかった。
火災も発生しなかったし、パラシュートもちゃんと開いた。
何より、あの子達を巻き込んだりせず、墜ちて行くのが私一人で、よかった。
……おーいユーリ、ちゃんと見て、チトに教えてやってくれてるか?
私が生きてるって、間の抜けた顔で笑ってるってさ。
多分あんたの歌っていた通り、私達は絶望の中で生きていて、それはこの翼が折れる前も後も、何も変わりはしないんだね。
チト、しっかりするんだよ。あんたがいてユーリがいて、それではじめて、あんた達の世界は成立するんだ。
ああ、気楽なもんだ。
三人の世界が終わっても、二人の世界と私一人の世界がまた生まれた。それもいつまで続くかは分からないけれど、それでもまだ全部が終わるわけじゃない。
よかった。よかった。……本当に、よかった。
眼下に広がる都市の残骸を背景に、私は風になびく自分の髪を見るでもなく見つめながら
「このまま、下層まで降りていくか……」
と、独り呟いた。