●カナザワと終末と少女達 by Ri-さむMSX
この都市は嫌いだ。
(「なんで?」)
……君がそれを僕に聞くのか。残酷だね。
***
地図作りや、付随する諸々の作業に夢中になればなるほど、ハッキリと聴こえて来るようになった頭の中の「声」。そりゃ君の声がまだ聴けるのは嬉しいけどさ。時々不安になるよ。
(「不安って?」)
僕も、もう死んじゃってるんじゃないかって、不安さ。
(「死んじゃったら逆に、何も聴こえなくなるんじゃない?」)
じゃあなんで君は僕の言葉が聴こえるのさ。
(「私は生きてるからだよ。あなたの胸の中でね。……なんちゃって」)
はいはい。
僕は心の中でも黙り込んで、文字通り黙々と作業を進めた。付け焼刃の図面を引いて、皮膜の劣化した頼りないケーブルと威力の不確かな爆薬とに望みを託す。まあ、不発じゃなかったら御の字かな。ポケットからタバコを一本取り出して点火する。うまくもまずくもないけれど、先日うっかり沢山拾ってしまったからなぁ。吸わないと落ち着かなくなってる気がする。
(「健康によくないらしいよ」)
知ってるよ。でももう、別にいいだろ? 君に煙たがられる事もない訳だし。
吸い終わる前に、心の準備が出来てしまった。もっとかかるかと思ったけど、こんなものか……。僕はタバコを無造作に投げ捨てて起爆装置に手をかける。準備は完了。……あっと、耳栓はしてたけどゴーグル忘れてた。よし、もういいかな。じゃあ……起爆っと。
***
やっぱり死者と心の中で会話するのは危険だなぁと、しみじみ思った。だって喉を使って発声するって動作の仕方を忘れるし、耳栓してても会話できるせいで車両や人の接近にも気付かない。危うくヒトゴロシになる所だった。
「あの……銃を下ろしてもらえないかな……」
「下ろしていい?」
「……いいよ」
あれ、いいんだ。ボディチェックもしないなんて少し無防備だな。と、思ったけれど口に出すのは止めておいた。つまり軍服着て小銃担いではいるけど、目の前の少女二人は軍属でも何でもないって事だ。下手に刺激しなけりゃ酷い事はされないだろう……多分。
実際、こっちの言うことを疑いもせずに要求まで聞き入れてくれた。ありがたいね。警戒が解けないのはまだお互い様だけど、それは当然だし別に構わない。僕は次の層に行きたいだけなんだ。仲間が欲しい訳じゃない。
(「いい子達だね。いじめちゃダメよ?」)
解ってるよ。君に言われるまでもないさ。
この「声」が心の中で聴こえるようになったのは結構最近の事だった。人間は長時間の孤独に耐えられないといつか何処かで聞いた気がするけれど、多分そういう事なんだろう。幻覚が見えるよりはまだマシだと思いたい。
僕は目の前に実際にいる少女達に気付かれないよう、できるだけまともな人間のふりをしながら、倒壊させたビルを登る為の瓦礫を積む作業に集中した。
***
半日程度の時間を費やして、僕と少女達はようやく巨大な溝を渡り終えた。日はもうかなり傾いている。
「づーがーれーだー」
ユーリと名乗った、綺麗な金髪の少女がその場にへたりこんだ。
「大丈夫かー?」
チトと名乗った、つややかな黒髪の少女が車両に乗ったまま声をかけているが、そう心配している様子もない。
「おーなーがーずーいーだー」
ユーリは大丈夫だとは答えず、へたったままで要求を述べる。
「さっきレーション一本やっただろ」
にべもなくチトが言い放つ。上下関係がはっきりしてるなぁ……。
そう言えば僕もへとへとだし空腹だ。習慣的にタバコを咥えてみるが、それで腹が膨れるわけもない。
「ちょっと待っててもらっていいかな? 食料を調達して来たいんだ」僕が言うと。
「食料?!」
「あるの?!」
予想してたけれど、すごい反応だ。
「なくはない、という感じかな……。この辺はまだ商店の倉庫とかに、食用できなくもない品物が残ってるんだ」
「商店って何?」と、ユーリ。
「配給所みたいなもんだろ」と、チト。
「よかったら食べるかい? 君らの持ってる軍用固形食糧とは違って民生品だから、味とか保存状態とかアレだけど。自己責任でよければ」
「食べる!」と、勇敢なユーリ。
「待てよ!」と、慎重なチト。
いいコンビだね。うらやましいよ。
***
「何だコレ……石?」
「ががががががががが……がだい!!」
チトは手に持ったソレを冷静に見つめ、ユーリは手渡されるなり噛りついた。
「ハードタックとか、ハードビスケットとかっていう物だよ。水で柔らかくしてからでないと、多分食べられないと思う」
「がが……がががががが……が!!」
ガリリ、とすごい音がした。ああ、歯を折っちゃった?!
「ううー……」うなるユーリ。
「だ、大丈夫かい?」
「うう……うまーい!!」
満面の笑みで、ユーリは歓声を挙げた。見ると、手に持っていたそれ(一説には銃弾すら防ぐらしい)は見事に、僅かながら欠けていた。
「……すごいな、君」
「ふっふーん」ユーリが鼻を鳴らして勝ち誇る。
「ユーは馬鹿力と無神経だけが取り柄だから。……そのうち金属板だって、しゃぶって溶かすんじゃないか?」
「ふっふっふーん♪」
あれ、今の誉め言葉なの?
僕はそんな二人の様子を横に見ながら、自分の分を水に浸す。粗悪品だからか保存状態のせいなのか分からないけど、結構な量の不純物が水に浮き上がってくる。僕は慣れてるけど、この子等がお腹を壊さないか心配だ。
……さて、日もそろそろ暮れるだろう。次は寝る事を考えないといけない。どうもね、生きるってのは面倒の連続だ。
「君達はいつも車両で野営してるのかい?」
「そーだよ。カナザワも一緒に寝る?」
ぶーーーーっ。と、チトが口に含んでた水とハードタックの苦労して溶かした欠片とを勢いよく吐き出した。勿体ないけど気持ちは解る。僕も何か口に入れてたら同じようにしたろうから。
「ユ、ユーリ!! えほっ……えほっ!……お、お前、何言ってんだ!!」
「……どしたのちーちゃん急に。大丈夫?」
「お前の頭よりは大丈夫だよ!……えほっ!」
チトは真っ赤になってむせ続けている。
ユーリは分かっていないようだった。チトは説明か説得かしようと試みてはいるが、何からどう話したものか整理がまるで追いつかないようだ。……ああ、これは収拾がつきそうにないな、と僕は冷や汗をかきながら判断した。
「いやいや、僕は一人じゃないと眠れないんだ。ずっと一人だったからね」
どうせバレやしないだろうからと、僕はウソをついた。でも実際、夜に独りになりたいのは本当だ。
だって彼女らが僕を信用しきれないのと同様に、僕も彼女達を信用しきってるわけじゃない。まさか寝首をかかれるとは思ってないけど、僅かな物資や地図を奪われないとも限らないし。
「そうなの?」と尋ねるユーリに僕は
「うん。また朝になったらここ集合ってことでいいね」と告げて、まだ真っ赤な顔をしてるチトに軽く目配せした。チトは声では答えなかったけれど、小さく頭を縦に振る。
「じゃあまた明日」
僕は軽く手を振って振り向くと、地図を見ながら、最寄の寝泊まりに適した場所へと向かった。
***
……小さなバイクの荷台に君を乗せて走る。燃料も食料も多くは積めないから、補給できる場所には何度も立ち寄らないといけない。自然と必要になったのが地図だった。生き延びるための生命線。それを自分達の手で引いていく。
僕は機材を取っ替え引っ替えしながら何度も図を描き直すのに、君が感覚と記憶だけでさらりと書いた略図の方が案外正確だったりして、僕が落ち込んだりした事もあったっけ。
目の前に広がる区画の正確な位置と方角を確認しようと、僕はカメラを構えた。ゴーグルと接続し、自分の視界を廃墟の只中に埋めようとする。
なのに目の前が急に淡くぼやける。望遠の倍率を下げてピントを補正すると、そこには君の悪戯っぽい笑顔。邪魔しないでよと言えば怒られるのを、僕は経験則で知っている。だから軽く溜息だけ吐きながらゴーグルを外して、困った顔で笑うしかない。
君は笑顔のまま手を振って見せる。仕方ないなと思いながら、でも僕は少しだけ嬉しくて、そのままシャッターボタンを押した。
***
……昔の事だ。夢に見るなんてしばらくなかったのに。
辺りが明るくなってきていた。僕は身体を起して眼鏡をかける。
あの頃の写真は勿論カメラの中に記録されている。けれどもう見ることはできない。君がいなくなってから、実は何度か見ようとしたけれど、涙も出ないのに胸がつぶれそうに苦しくなって、見ていられなくなるんだ。
あんまりに辛くて、後を追うことを考えたりもした。方法は幾らでも転がっていたし。後を追ったからって、本当に君に会えるなんて全然信じてなかったけど、目的もなく生きる意味がどうしても、見出せなかったんだ。
それで最後に、二人で作った地図を整理しようとした時、紙の端に、君の書いた字を見つけた。
手紙というにはあまりに短い言葉の列。僕はそれを見た。だから思いとどまるしかなかった。正直言うと、やっぱり怖くもあったしね。ある意味で僕は救われて、今も何とか生きている。
でもさ、やっぱりつらいよ。とても。
***
地図を燃やそうとユーリが突然提案し、僕はうろたえた。自分でも驚く程に。
ユーリに提案の理由を聞くと「ホントに死ぬのかなと思って」だそうだ。やめてくれよと僕は言う。ユーリは笑顔のまま、悪びれる様子も無い。怖い子だな、と思った。突拍子の無さもそうだけど、そういうんじゃない、もっと別の怖さと危うさを感じる。
「君たちにもあるだろ? 大切なものが」
そんな問いへの答えは「日記」や「食料」。そうだね、どちらも大事なものだと思うよ。
でも気付いてるだろうか。もっともっと大切なものを君達は互いに持ちあってる。
僕はもう、それも亡くしてしまってるんだ。言ってないけどさ。
だから「地図作り」なんて行為にすがったっていいだろ? 頭の中のマボロシにすがるよりは、まだ健全じゃないか。
そんなことを思ったり語ったりしているうち、ようやく「塔」が間近に迫ってきた。ああ、やっとか。……あれ?
少し違和感があった。いや正確には、違和感を覚えてない事に今、気づいた。
心の中の「声」が、今日は全く聴こえていないのだ。何かを意識的に考えると、必ずと言っていいほど聴こえていた君の声のマボロシが。
あれ? もしかして僕は、少しずつまともな状態に戻れてるのかな?
「……なんかカナザワ嬉しそうだね。生き生きしてる」不意を突くように、ユーリの声が横切る。
「そうかな」
そうか、僕は嬉しそうに見えてたのか。笑えてたんだろうか。じゃあ、案外この先もまだやっていけるのかも知れないな。
だからもう聴こえなくてもいいのかも知れないし、だから聴こえなくなったのかも知れないね。君の声が。
***
眼下の街並みがどんどん離れて、小さくなっていく。広すぎて視界から消えることはないけれど、もう戻る事もないんだなと思い知るには十分な眺めだった。感慨なのか懐郷心めいたものなのか分からないけれど、何故かもう一度この街をはっきり見ておきたいなと思って、僕はゴーグルとカメラを繋いで見下ろした。
朽ちた瓦礫のカタマリがどこまでも広がっている。
僕はこの都市が嫌いだ。と、また思った。
だってお前は、僕から大切なものを幾つも幾つも奪っていったのだから。
でも僕はお前を地図にして暴いてやった。次の階層に行く僕には、お前の地図はもう実際には必要ないものだけどね。お前はこの地図と僕達の意思だけは奪えなかったろう。いい気味だ。と、そんなことを思いたかった。
全く、浅はかだったのだけれど。
***
落ちていく。おちていく。
僕の引いた線。君の書いた文字。何度も図りなおした方角と距離、にじんだ君の言葉。
鞄からするすると、白い光が飛び立っていく。高層ビルの屋上や路地に広がり、例え今から取りに戻っても、全て拾い集める前には雪や風雨に壊されてしまうだろう。
僕と君との過去と未来を繋ぐ小さな光たちは、全て、一枚残らず全て、落ちていった。
じゃあなんで、僕はここで不恰好にぶら下がっているんだろう。何が邪魔をしているんだろう?
悲しみというにはあまりに大雑把で不定形な感情のカタマリから、次に湧いて来たのは疑問と苛立ちだった。
何故傾いた? 何故落ちた? 何故僕は落ちていない?
何故お前達は鞄を押さえずにただ見ていた? 何故今、僕を離してくれない? 何で?! 何で?!!
「何で金網とか無いんだ……」
「きっと資材の無駄だと判断したんだよ」
……言うじゃないか。本気で絶望した事もないだろうに小娘が。なら……僕が教えてやろうか?
僕は車両の荷台に乗っているユーリの銃を、視界の端に見た。
なあ、ユーリ。君が君の銃で撃たれたチトを見たなら、君はこの気持ちに共感してくれるかい?
もし君がそれでも笑っていられたら、今度はまだ息のあるチトの目の前で、君の笑顔をそのまま撃ち抜いてやろうか。
「どうせみんな死ぬんだ……生きる意味もない」
(「……やめなよ。」)
という声を僕は少しだけ期待した。けれど何も聴こえはしなかった。ああそう。やっぱりね。なら、それはそれでいいや。
僕はゆっくりと立ち上がって、車両の荷台へと静かに歩み寄った。
***
「ちーちゃん、大丈夫?」
「あ、ああ……」
「ちゃんと掴まっててよね。おっけーカナザワ。もう一回動かしてみてよ」
僕は無言で昇降機のパネルを操作した。ゴンドラは一度がくんと小さく揺れて、チトが小さな悲鳴をあげたが、その後は何事もなかったように上昇が始まってくれた。
「ふー……」
安堵の息をもらすチト。
僕は車両の荷台にあった工具箱へ、借りた工具を几帳面にしまい直してから、昇降機のコントロールパネルに再度歩み寄った。次の層はもう間近だ。
高所が苦手なチトはレールの異常を見に行くことができなかった。機械のいじり方が全く解っていないユーリに任せる事も勿論できなかった。消去法で、僕が修理をするより無かったってわけだ。この壊れかけの昇降機に乗せた責任もあるしね。
……勿論、最初から分かってた。僕には大層な暴力を振るう度胸なんてない。この子達にも、何の落ち度もない。それに僕はもう、誰かが死ぬ所も泣く顔も、できるなら二度と見たくないんだ。
ただ、こうやって自分がどの程度下卑たケダモノで、どの程度矮小な小悪党なのかを分析してみると、少し冷静になれた気もする。だからといって亡くしたモノは帰ってこないのだけれども。
やがて昇降機は次の階層に到着した。僕は足を引きずるようにして、やっとゴンドラを降りるけれど、そこから歩き出すことができずにへたりこんでしまう。喪失感と後悔とに苛まれて、僕はしょぼくれていた。何のために苦労してここまでやって来たのだろう。これから、何を生き甲斐にしていけばいいのだろう。
その時、急に頭上から光が降ってきた。
「見て」とユーリが言う。
電灯が点っていた。眼下の街路にも灯りが次々に点っていく。
「生きてるんだ……」
……そうだね。あの街灯はまだ生きてる。
でもあれは多分、死んだ光だよ。だって明かりの下に動く影が見えないし、音も全然しない。きっと、死んだ都市の儚い残り火に過ぎないんだよ。
(「……元気だしなよ、ほら」)
「……これあげる」
あれ……?
僕にはどっちが心の声で、どっちがユーリの声なのか判別できなかった。
ただ、どちらも確かに聴こえた。ユーリは続けて言う。意味なんかなくてもいいことはあると。こんな世界でも、多分そうだよと。
渡された軍用固形食を口にいれてみる。そう言えばずいぶん空腹だった。うわ、甘い。柔らかい。
「……うまい」
「でしょ」得意気にユーリが言う。
なるほど。ユーリの言う通りだ。確かに、いいことはあるようだ。どんな世界にも。どんな些細なスキマにも。
チトが自分の分の食料を半分に折って相方へと手渡す横で、僕は死んでいるだろう都市の光を眺める。
死んだ光でも、光は光だった。道を照らすことは、ちゃんとできているようだ。
なら、全ての生き甲斐を失った僕でも、まだ演じるべき役割はあるような気がした。
僕は大人だ。……こんな小さな少女達の前で、いつまでもしょぼくれたままじゃいけない。
まずは立ち上がって、荷物でもまとめようか。
***
「そうだ、ねえユーリ」
「何?」
僕は伝えたかった。チトを、僕みたいにしょぼくれたやつにしないでやって欲しいと。きっと君が側にいてやる限りチトはどんな絶望にも耐えられるだろうと。
だけど、ああやっぱり僕は駄目な奴で、上手い言葉が見つからない。それに、目の前のこの子は、僕なんかが言わなくても全部分かってるんじゃないだろうかと、そんな気もした。
「いや……言い忘れてたからね。食料をありがとう。ごちそうさま」
「どういたしまして」
ユーリは何故か勝ち誇ったように笑う。いい笑顔だ。僕があと十も若ければ、きっと見とれてしまっただろうな。
***
(「まさか、カメラをあげちゃうなんて思わなかったよ」)
ギブアンドテイクって言うだろ。僕にはもうあげられるようなものは他に無いし、カメラだって無機質な廃墟なんかより、可愛い女の子でも撮れた方が嬉しいだろうしね。
(「ふーん……。でもさ、あの子達と一緒に行っても良かったんじゃない?」)
いいや。彼女達は二人の方が身軽だし、きっとうまくやって行けるよ。地図の無い場所じゃ僕なんて役立たずさ。穀潰しの足手まといにはなりたくない。
(「無理しちゃって……。それに、いいの?」)
何が?
(「私の声、聴こえてても。」)
……いいんだよ。
僕が独りでも。君がマボロシでも。
僕はやっぱり、君が好きだからね。
「歩きでどこまで行けるかな……」
目を上げた先に続く道の果てを思い、そう口にした。
(「さあね。やってみたら?」)
「……そうしよう」
ほら早速できた。僕の、僕達の新しい生き甲斐。
ポケットを探ってタバコの箱を取り出す。あと二本残っていたそれを、くしゃり、と無造作に握りつぶしてからポケットに戻すと、僕は歩き出した。