<天理・大本・キリストの神典研究:44>

 

黒住教について

 

黒住教の経綸上の意味については「明けの明星から朝日へ」で少し述べたが、

今回改めてさらなる意味を述べてみる。

黒住教は文化11年1814年の冬至の朝、黒住宗忠教祖が束天に向かい祈りを奉ていた時、東の山の端から真っ赤な太陽が昇ってきて、その太陽は黒住教祖めがけて飛び込んできた。

黒住教祖は思わずその太陽をのみこんで太陽、日神と一体となった。

この神秘的体験、「天明直授(てんめいじきじゅ)」よりはじまる。

この黒住教の注目すべき所は倒幕維新という時代に深く関わったと言うことである。

それは黒住教祖の昇天後であるが、黒住教祖の高弟が孝明天皇(明治天皇の父)の御前で黒住教祖の道を講じており、京都神楽岡に建立された黒住教祖を祭る宗忠神社は孝明天皇の唯一の勅願書(ちょくがんしょ)となっており、倒幕運動の拠点の一つともなっていた。

また、三条実美などの勤王洲の公家や志士の多くが入信していた。

 

このように黒住教は倒幕維新の時代に深く関わったのであるが、

それ以外に黒住教で重要な点は天皇の祖神天照大御神(天照皇大神)を宇宙、万物の親神としたことである。

このことによって、天照大御神を中心とする日本の神道は民族宗教からより普遍的な世界的宗教となったのである。

即ち、黒住教は日本神道の大変革者であり日本神道に新たなる生命を吹き込んだのである。

このことは、また、同時代に台頭して来た国家、古神道に対しての天地の神の道の言挙げでもあった。

なお、安政6年1859年に黒住教と同じ岡山県で立教された金光教は黒住教について次のように述べている。

「まぁ、世の中は、天のことは宗忠の神(黒住教祖―筆者注、)が説いている。

地のことは此の方(このかた、金光教祖―筆者注、)が説く。

此の方と宗忠の神とがあったら、まぁ、世の中のことが治まろうかと思う。

(金光教経典448頁)

 

2007.11.16 小田朝章・記)

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