<天理・大本・キリストの神典研究:45>

 みせん山の秘密と一厘(輪)の火水の神
       ーこれまでのまとめとしてー
  
 みせん山(弥仙山)は大本の聖地がある京都府綾部市にある標高664メートルの霊山で、丹波富士とも呼ばれる。山頂にはコノハナサクヤヒメノミコトを祀る金峰(きんぷ)神社が、中腹にはヒコホホデミノミコトを祀る於成(おなり)神社が、山麓には水分(みくまり)神社が、それぞれある。
 このみせん山に明治34年(1901年)旧暦9月8日出口なお大本開祖が岩戸籠りをしており、また明治36年(1903年)旧暦4月28日、出口なお開祖、出口王仁三郎聖師をはじめ役員信徒が岩戸開き神事を行っている。
 この岩戸開きの日付4月28日は大東亜戦争敗戦の後サンフランシスコ講和条約の発効によって日本が国際社会に復帰独立した日、すなわち戦後日本の新しい世の始まりの日、昭和27年(1952年)4月28日と同じである。このことから、みせん山岩戸開きは戦後日本の新しい世の始まり岩戸開きの型といえる。したがってみせん山は戦後の世を表すのである。
 先に述べたように、みせん山にはコノハナサクヤヒメノミコト・ヒコホホデミノミコトを祀る神社と水分神社があるが、これは戦後の日本の世がコノハナサクヤ・ヒコホホデミ・水分の世であることを表しているといえよう。
 コノハナサクヤヒメノミコトは富士山の女神であり桜である。コノハナサクヤ桜はパッと咲いてパッと散るはかない限りある有限の生命であり、また花の他に大道商人等が品物を売る時に客のフリをして品物を褒めたり買ったりして客が買うように仕向ける仲間のこと、ニセの客、ニセモノのことでもある。
 ヒコホホデミは、古事記で海神の娘・竜宮の娘と結婚していることから竜宮との結びとなる。竜宮は竜の宮・竜神の宮であるが、竜神は霊界物語第一巻で畜生とされている。(「浦島太郎の話」参照)畜生とは動物であり、強い者勝ちの弱肉強食である。(大本ではヒコホホデミノミコトを日の出の神・大日如来としている)
 水分とは、仏教の弥勒菩薩が古代インドの水分けの神ミトラ神につながることから水分は弥勒・ミロクとなる。ミロクは釈迦が入滅してから56億7千万年後に下生するといわれており、下生の時は黄金の社殿をこしらえるという。このことからミロクは黄金・お金・物といえる。(コノハナサクヤ、ミロクについては「天理大本の経綸仕組の解明解説」「かぐや姫とミロクの世」参照)
 これらのことから新しい戦後の世は表面だけの華やかさを求め、お金・物が中心で強い者勝ちの弱肉強食で、人間が畜生同様となり、ニセモノがもてはやされる世といえる。
 そして明治34年旧暦9月8日、出口なお大本開祖が岩戸籠りするのであるが、このことは戦後の新しい世の終わりの型といえる。そしてこの岩戸籠りは9月8日であるので、戦後の新しい世の終わりは9月8日の仕組でなされるであろう。(9月8日の仕組については「9月8日の仕組と梅の世」参照)
 コノハナサクヤ・桜・竜宮・ミロク──これらは竜宮館ミロクの大本そのものといえる。したがって、みせん山は大本の象徴なのである。またコノハナサクヤ・桜・竜宮・ミロクは九分九厘である。それ故大本もまた九分九厘である。九分九厘は九九・九十九であるので大本は、「皇は白王(はくおう)と書く、百の字から一(いち)を取ったのが白で、九十九(くじゅうく)の数を表す。九十九は数の終わりである。九十九になって長寿を祝うときには白寿(はくじゅ)の祝いというが、九十九王は王の極で普通の王ではない。・・・以下略」(出口王仁三郎『玉鏡』皇と王より) 皇道大本と名乗ったのはそれ故である。
 九分九厘の大本が弾圧で潰されることが九分九厘の倒れる型となるのである。
 大本が九分九厘であるから、大本の神も大本が祀っていた神々も、出口聖師が型を演じていた神仏も、総て九分九厘の神仏となる。大本が弾圧で潰されたことは、また九分九厘の神仏が倒れ引退する型でもあった。
 出口なお大本開祖が岩戸籠りしたのは9月8日であるが、この9月8日という日は大東亜戦争敗戦後の昭和26年(1951年)9月8日サンフランシスコ講和条約調印の日と同じである。この講和条約の発効によって翌昭和27年(1952年)4月28日、日本は占領を解かれ国際社会に復帰独立している。したがって9月8日は戦後の新しい世の始まりの日といえる。この9月8日に大本開祖が岩戸に籠る、隠れるということは、大本は戦後の新しい世の始まりと共に御用が終わるということである。(高貴な人が亡くなることをお隠れになるという)
 このことはまた出口聖師が日本の占領期間と同じ6年8ヵ月の未決生活を終えて出所された昭和17年(1942年)8月7日から昇天される昭和23年(1948年)1月19日まで対外活動は行わなかったことによっても示されている。
 では、大本の御用が終わった後はどうなるのか、それは「12月8日の仕組で世に出た神」「あらためて一厘の火水の神とは」で述べた一厘(輪)の火水の神の立て直し経綸の段階となるのである。(同文書参照)
 大本の御用が終わることによって、大本の聖地があり神業の中心地であった丹波は経綸の地ではなくなる。そして経綸の地は「経綸の地・大和天理」「経綸の地・天理の秘密」「高熊山と天理の謎」で述べた大和(奈良県)天理の地に移るのである。(同文書参照)
 天理の地には天理教が存在する。このことから天理教と大本、この立て替え立て直しの二大宗教の解明が一厘の証となる。
 一厘(輪)の火水の神とは、九分九厘の神を倒し引退させる大本の仕組に当然かからない神であり、外から日本列島に渡って来た神ではない日本の神であり、梅花一輪日本の神国の一つの神の王である。
「お照らしは一体、七王も八王も王が世界に在れば、此の世に口舌(くぜつ)が絶えんから、日本の神国の一つの王で治める経綸(しぐみ)が致してあるぞよ。」(大本神諭 明治26年)
「この世界は一つの神の王で治めん事には、人民の王では治まりは致さんぞよ。」(大本神諭 大正5年旧11月8日)
「日本の国に一輪咲いた梅の花、三千世界を一つに丸めて一つの王で治めるぞよ。」(大本神諭 大正6年旧2月9日)             

2008(平成20)09.08 小田朝章・記)

                      
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