大和銀株主訴訟 2億5000万円支払いで和解
当時役員ら49人連帯
(日本経済新聞2001年12月12日14版39面)
【見出し】
1995年に発覚した大和銀行ニューヨーク支店の巨額損失事件を巡り、一審・大阪地裁が7億7500万ドル(約975億円)の賠償を命じた株主代表訴訟の控訴審は11日までに、被告の現・元役員49人全員で計約2億5千万円を同行に支払うことなどを条件に、大阪高裁(岡部崇明裁判長)で和解が成立した。
過去最高額の賠償命令が商法改正のきっかけとなった同訴訟は、現実的な解決を選んで終結した。
【ツッコミ】
本文記事よりも脇に記載された関連記事の見出しの方が、この和解について考えさせられることが多くあります。
「法の不備、見直し急務 原告側苦渋の選択」
「持株会社化迫り妥協 原告側『適格』失う恐れ」
大和銀行は12月12日から「大和銀ホールディングス」という持ち株会社の子会社となってしまいます。
ここで問題となるのが記事にも触れられていた、今年3月29日の東京地裁における「株主代表訴訟の継続と持ち株会社化」に対する司法の判断です。
この判決では、日本興業銀行がみずほホールディングスという持ち株会社の子会社となったことによって、興銀の株主は自動的にみずほの株主になった、つまり興銀の株主ではなくなったので興銀の役員に対する株主代表訴訟を起こす資格=原告適格を喪失した、と地裁が判断しました。
じゃあ、株主代表訴訟を抱える問題会社は、大義名分はともかく持ち株会社をムリヤリ作って、その持ち株会社に株式移転をしてしまえば株主代表訴訟は自然消滅するのか?という疑問が浮かびますが、東京地裁の判断に従えば「イエス」です。
つまり、持ち株会社化は「訴訟逃れ」に利用できるんですよね。
生活者の常識からすればトンデモないと思えますが、「法条に規定がない」の一言でこんな判断が出てしまうところに、現在の日本の司法の限界があります。
それはともかく、こういった判決が存在するために、大和銀行の場合も12月12日で訴訟そのものが消滅してしまうという「タイムリミット」があったために、原告である株主側が泣く泣く和解に応じたという形になっています。
実際、和解金2億5千万円というのも被告である大和銀役員側が「これくらいしか払えない」という名目で提示した金額です。
そもそも民法における和解とは「当事者双方がそれなりに不利益を甘受して折り合いをつける契約形態」と定義されています。
そう考えると今回の「和解」は本来的な和解とは言えないようにも思えます。
たとえてみればヤクザに金を貸した零細金融業者のような関係。
本来なら金を借りたことによって立場が弱いはずのヤクザに「はぁ?100万払え?ワシはそんなに持っとらん!5万なら何とかするわ。まあ、これで泣いときぃや。悪いことにはせんから。ワシに任せんかい、ガッハッハ!」と丸め込まれ、泣く泣く条件を飲まされた、といった感じでしょうか。
(たとえが極端?)
この訴訟をきっかけに、株主代表訴訟における役員の賠償責任に上限が設けられるように商法が改正されました。
「あまり多額の賠償責任を負担することになると、役員のなり手がいなくなる」という産業界の懸念に配慮した経緯があるとも伝えられています。
これが「サラリーマン役員」の考え方です。
責任とる自信がないんだったら、役員昇進の打診を受けても嬉しがって「ハイ、ガンバリマス!」なんて返事をするなよ!と言いたい。
株式会社でない中小零細企業の社長なんかは、事業資金の融資を受けるときに個人保証までしています。
つまり、町工場の場合、PL責任を追及されると文字どおり身ぐるみはがされるリスクを負って事業をしている。
そのくせ「下請けだから」と、元請けからかなり厳しいコスト条件を提示されている。
その元請けはといえば、賠償責任を一定上限までに抑えてもらったサラリーマン役員ばっかり。
絶対日本はオカシイ!
よく特別背任で起訴された被告役員が持ち出す抗弁が「前任以前の役員の失態までは負う義務はない」というものです。
ナニ言ってるんでしょう?
取締役というのは結構大きな権限を持っています。
いざ役員に就任したら、自分を推薦してくれた前任役員や先輩役員の施策であっても全面否定することが許されます。
それを「あの人の引きがあったから」とヘンな遠慮をして、結局ニッチもサッチもいかない状況に会社をしてしまう。
日本は不況と言いますが、会社のトップがこの程度のところが多いことが不況の原因だということに、そろそろ思いをいたす時期なんじゃないでしょうか。