sorry.Japanese only

『 施設解体宣言から福祉改革へ
    
障害をもつ人への支援も介護保険で

田島 良昭:著 ぶどう社 定価:1600円 + 税
ISBN4−89240−174−9 C0036 ¥1600E


今年(平成16年)2月に、宮城県から出された「みやぎ知的障害者施設解体宣言」は清冽でした。
住み慣れたこの地域で、普通の暮らしを・・そう願って、息子を育ててきた私にとっても、それは心強いものでした。でも、宣言自体には“驚き”はありませんでした。

「あの方たちなら、きっとその方向に向かってくれるだろう」という信頼感、というか予感めいたものがあったからです。逆に、このお二人でなければ、“宣言”までは踏み出せなかったのでは、と感じたのも事実ですが・・・・

そのお二人とは、元コロニー雲仙の闘う施設長、田島良昭氏(「ふつうの場所で ふつうの暮らしを」)と、元厚生省障害福祉課長で、グループホーム制度を作られ、その後宮城県知事となられた浅野史郎氏(「豊かな福祉社会への助走」)です。

宮城県知事となられた浅野氏に乞われて、本書の著者の田島氏が宮城県福祉事業団副理事長として辞令を受けたのが平成8年4月1日、その日のうちに500人の知的障害者が入所している船形コロニーを訪れます。

建物は鉄筋コンクリート、四人部屋でベッドが4個並んでいるだけ、カーテン一つなくて私物も全くない。利用者の人たちのプライバシーや人権、あるいは安らぐ空間も、自分一人になる場所さえない。その時午前10時半ぐらいだったのですが、廊下とか、部屋とか、居間と称しているフロアのところに、何十人もの人うごめいている。全く「うごめいている」という有様で。・・・

そんな田島氏が、最初の日にとった行動・・、少し長くなりますが、一節を丸ごと紹介します。この一節に、田島氏の言いたいこと、その後の方向性、やがて「船形コロニー施設解体宣言」と続く道が見えると思います。
本書で言いたかったことのエッセンスがつまった節だと思います。

  『死なないと施設から出れない』

船形コロニーの施設を回ってみると、利用者の人たちはみんな、建物の中でウロウロウロウロしています。
「この人たちの日課は何ですか?」と聞いても、ほとんどない。職員はトイレの介助とかで走り回っていて、利用者の人たちはボウッとまるで幽霊のように歩いている。

それで総合施設長に聞いたのです。「去年一年間で、船形コロニーの500人のうち何人が、この施設から出ていけたんですか?」と。それで調べてくれて、「8人でました」と。
コロニー雲仙では100人中16人が地域に出ています。それと比べると、なんと少ないんだろうと思いました。

「本人で出たいと思っている人はいないんですか?」と聞くと、「どうでしょう」というような話で、
「じゃ、8人の人はどんなふうに社会に出ていったんですか? 例えばグループホームに移ったとか、就職して自宅に帰ったとか、いろいろあるでしょう」 と言ったら、また調べてくれて、「全員死亡です」と。

ほとんどの人が病院に行って亡くなられている。そんなに高齢ではなくて50代から60代の人たちです。
「その人たちは何年間、この施設を利用したんですか?」と聞いたら、平均で23年ということでした。

そこには総合施設長とか各施設の園長たちもいましたので、私は聞いたのです。
「亡くなった8人に対して、あなたたちは何とお詫びを言ったのですか」と。

そしたら、ほとんどの園長が、エッ?と。 そして総合施設長が私に 「なぜお詫びを言うんでしょうか。家族からお礼を言われることはあっても、われわれがお詫びを言うようなことはありません」と言うのです。

これには驚きました。

「あなたたちはプロじゃないんですか? 給料をもらっているんでしょ」。そしたら「もらってます」と。
「じゃ、あなたたちは一体どういう意味で給料をもらっていると思っているんですか?」とたずねました。

われわれの仕事はまず、障害をもつ人たちが、どんな思いをしながら、どんな願いを持って、この施設で生活をしていたのかをわかろうとすることから始まるのではないですか。そこが全くわかっていない。
23年もここで生活してきて、きっと本人たちは、ああしたい、こうしたい、いつかこの施設を出て家に帰りたいとか、お母さんと一緒に生活したいとか、いろんな思いを持っていたと思います。
施設から出たいという願いが、棺桶に入ってようやくかなえられたというのであれば、専門職員なんか要らないじゃないですか。それが一方で、県民から一人当たり1000円も余分にいただかなくてはならないような、高い給料をもらっている職員が、利用者の人たちの痛みや、夢や、願いを全く考えていない。

もし考えていれば、「ごめんなさい」と出てくるはずです。「私たちに力がないから、あなたが生きている間に願いをかなえてあげることができなかった。本当に申し訳ない」というのが普通じゃないですか。
それを施設の人間は普通と思わなくなってしまっている。

こんなのを福祉というのか! 一体福祉とは何だ? 非常にそう思いました。

「これではもうだめです。こういう仕組みで、こういうやり方で、こんな考えの人たちがやっているものを福祉と言うのはやめましょう」というのが、その時の私の思いでした。

それで代表として総合施設長に、「あなたの考えではだめです。そういう考えで総合施設長をやっていくのなら、あなたは要りません。辞めなさい」と言いました。それと高齢者施設の施設長にも、「こういう建物は不愉快です。私はこんなものをちっとも立派だとは思わない」と言いました。

その日の夕方、事業団の事務局に戻ると、「知事から電話がありました。来いというお話です」というので、「私も行きたい」と。

浅野知事のところへ行きましたら、知事が「もう辞めろと言ったんだって」と言いますので、「もう聞こえましたか」と。
知事が「とにかく半年ぐらいじっくり見てはどうか。それから言うことはいうべきで。 今日行って、もうそういうことを言うのはどうか」というわけです。

それで、「少なくとも知的障害の人たちのことについては、私はプロです。その私が見て、これではだめだということは率直に言わないと。 だって、今までやってきたことでいいと思っているんですから。それで自分らの役割を果たしていると思っているんですから」と申し上げました。

理念とか哲学がすごく大切じゃないかと思うのです。単なる事務的な取り扱いで済むようなことではない。人と人との、心と心のふれあいみたいなものがすごく大切なんです。
ですから障害をもつ人たちの願いをしっかり知るところから始めないといけない。特にリーダーは、きちっとした理念をしっかり持ってやらないといけない。ただ漠然と保護していますといったようなものになってしまってはいけない。そういうことがあって、特にリーダーに対して言ったわけです。
「しっかりやってもらわないといけません」と。

知事もそれはわかってくれましたけれど、「短兵急に結論を出すべきではないのではないか」と注意を受け、私も「注意はわかりました」と申し上げました。
「しかし、あれはおかしい。本当に県民の皆さんが、あんな中身を望んでいるのですか。これは私だけじゃなくて、もっと多くの人たちが実態を見て、そして判断すべきだと思います」。「知事は今の船形コロニーをどう思っているのですか?」と聞きました。
知事室に船形コロニーの写真がかけてあって、浅野知事はその横に立って顔をつくりました。自分の思いの顔を。
「ハハア、知事の気持ちはわかりました。ならば知事も含めて、きちっとみんなが宮城県の誇りと思えるようなものにしましょうよ」と申し上げたのです。

その思いに応えて、施設職員のなかからも志をもつ人たちが立ち上がり、7年後の平成15年の例では、一年間に船形コロニーからは62名もの人たちが地域に戻ることができるようになったわけです。

この初日の思いが、「船形コロニー施設解体宣言」そして「みやぎ施設解体宣言」へとつながっているわけです。

入所施設の中で何十年も生活する自分を想像してみたら、本当に恐くなりました。
自分のためにも、自分が愛する人のためにも、「志を高くもって」激しく活動しなければと、改めて気づかされたのです。
そうした思いを込めて、「施設解体宣言」を出したのです。

“入所施設の中で何十年も生活する自分を想像してみたら・・・” それが想像できる施設職員は、どのくらいいるのでしょうか?
施設長以下、多くの職員がそれに気づいたとき、各地で「施設解体宣言」が唱えられるようになるのではないでしょうか。

まだ、岡山ではそんな声は聞こえてきませんが、杜の都から始まった声が届くのもそんな遠い日ではないような気もします。
今、学童期にある子どもたちをはじめ、諸般の事情で施設に暮らしている人たちも、みんなが自らが望む形で人生を暮らしていけるよう願っています。

そのための、志を維持することの大切さを改めて訴えかけられた一冊でした。

「東方見聞録 AUTISM Vol.3」 2004.9)


  目次

序文 福祉改革への道を、わかりやすく説き明かす ・・・・ 浅野 史郎

序章 愛する人と暮らす

グループホームには、何が欠けているのか?
愛する人探しのお手伝い 「ブーケ」
ごめんなさい! 気づかなかった
風向きが変わった!
親を思う子の愛情って、すごいなあ!
親子の暮らしを支えたい、しかし壁が
見えてくる、法律や制度の矛盾

2章 施設改革への出発

人生の転機
だれのための施設か!
死なないと施設から出れない
仕事に自信と誇りを持てていますか?
職員みずから 「あり方検討委員会」
ノーマライゼーション宮城宣言
コロニー雲仙の自立訓練棟に学んで
身体拘束がこっそりされていた
人権の観点から利用者の人を見る
職員の心は揺れ動く
新しい役割に気づいてほしい

3章 「施設解体宣言」へ

自立訓練棟の実習体験が始まる
緊急に147人を受け入れる
なぜ、「施設解体宣言」を出したのか
職員の人たちが自信と誇りを取り戻した
「ごめんなさい」が抜け落ちていないか
労働慣行の違い
「三つのリンゴ」の話
事業団と県社協といきいき財団の合体
市町村の福祉の担い手は?
知的障害から、痴呆や精神障害へ

4章 基礎構造改革 − 行政権限とお金の仕組みを変える

「予算配分比率」の壁
税方式か、社会保険方式か
障害福祉は税方式でやってきた
行政権限との戦い
役人はだれも責任をとらない
福祉サービスは役人にはなじまない
規制緩和が絶対必要
「社会福祉事業法」時代の福祉
「福祉目的税」はつぶれた
基礎構造改革から「新・社会福祉法」が生まれた
権限が国民に返された

5章 支援費から介護保険へ

支援費への期待
支援費も地方分権の議論も同じ
介護保険が始まったら変わった!
職員の意識が変わった!
利用がドーンと増えたら、どうするのか?
支援費は制度の設計ミス
介護保険に統合したほうがいいのではないか
理由 その1 ・・・・ 規制緩和をしなければならない
理由 その2 ・・・・ 高福祉には高負担が必要
理由 その3 ・・・・ サービスのメニューを充実しなければならない
どこも、だれも、考えていない
宮城県から厚労省へ提案
障害福祉課長との話し合い
そんなことをしたら、国民から信用をなくしてしまう
支援費は初年度から破たん状態
制度改正の時は見直しのチャンス
家庭から離れるためのトレーニングサービス
介護保険から「福祉保険」へ

6章 新しい福祉への期待

目が利用者の方へ向いた
いいサービス提供者が選ばれる時代に
「農地解放」に学んで、独立自営を
あの「団塊の世代」がやってくる
高齢者のグループホームはできすぎか?
小学校区を福祉圏域に
農協の底力
支え・支えられ、共に生きる
職員の仕事はコーディネート

終章 私の活動の原点

祖母から受けた教育
力の支配は崩れやすい
厚生大臣になろう!
「本籍地は福祉」

あとがき


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