Weathercockのパソコン購入大作戦(^^; ■

 ここではWeathercockとパソコンの最初の出会いからパソコンを購入するまでに至るまでの歴史について語ります。涙なしでは読めないでしょう。きっと。(笑)
1.パソコンとの出会い。(その1)
 私がパソコンというものを初めてみたのは確か中学生の時だったと思います。ちまたではFMタウンズが新発売されてた頃ですが・・・・。このころからパソコンに興味はあったのですが、いったいどうやって動かせばいいのかよくわからない状態(初心者の頃のとっかかりがない状態)だったので、ただ眺めているだけな状態でした。また、このころはファミコン全盛期だったため、自然と興味はファミコンに向かい、パソコンに対する興味はそれほどありませんでした。
2.パソコンとの出会い。(その2)
 ではパソコンに興味を示す原因となったのは何かといいますと、やっぱりゲームです。(^^; このころ盛んだったゲームとしては光栄(現コーエイ)の「信長の野望」(戦国群雄伝)、(メーカー忘れた)「CimCity」などがあげられます。しかしながら私の心に一番深く刻まれたゲームは、Artdinkの「A列車で行こう3」です。有名なゲームなので知ってる方も多いと思われますが、簡単に内容を説明しますと鉄道経営シュミレーションゲームです。自分が鉄道会社の社長になって電車を動かしつつ町を開発していくゲームなのですが、このゲームのおもしろさは自分で線路を引いてダイヤが組めるという点です。自分で引いた線路を電車が走っていく・・・。これがおもしろくて、よく友達のうちに行ってこのゲームをやらしてもらったものでした。で、このころよく親に「パソコンを買ってくれ」とせがんだものですが、このころのパソコンは現在と違って40万以上が当たり前(しかも付属品はほとんどなし)だったので、「ゲームしかやらないのにそんなお金はだせん。」と身も蓋もなく断られたものでした。
3.パソコンとの出会い。(その3)
 高校に入り、学校にいる時間がだんだんと長くなっていきパソコンに対する興味に時間がだんだんと回らなくなってきた上に、高校にはコンピュータ部が無かったため、このころは中学校の時ほどパソコンには興味が無くなってきていました。(スーファミを一生懸命やっていた。しかし、いつかパソコンを買うぞという気持ちは残っていましたが・・・)。しかし、高校三年の時の文化祭でコンピュータークラブ(このころにやっとクラブとして発足、後に部に昇格)のBASICのプログラムの「SUPER CITY」というゲームにははまりました。(これが後々影響する。)
4.パソコン購入に向けて(その1)
 大学合格後、大学の入学祝いとしてパソコンを買ってもらえることになりました。しかし、親の提示した条件は「パソコンを買うのはこれ一回だけ、後は自分で買いなさい。」だったので、これは変な商品を買って失敗するわけには行きません。また、あまり親に負担をかけさせるわけにはいかなかったので、最高級品(フラッグシップモデル、このころの価格で定価70〜80万)を買うというわけには行かなかったのです。ここから私のパソコン探しが始まったのです。人間考えることは皆同じらしく、大学生になってパソコンを買った&買いたいという人はたくさんいたので、情報集めには困りませんでした。大学に入ってすぐにパソコンを買った友人(後の「おししょー様」)は先程述べた最高級品(PC−9821 Ap2/U8W)(CPU:i486DX2 66Mhz)を買っていたのですが、これを買おうとすると、ディスプレイなどでかる〜く60万台に到達してしまいます。ということでこれは買えず、安くて良いパソコンはないかと一生懸命にパソコンのカタログを探してきたものでした。

※ 現在ではDos/Vが主流になってますがこのころはまだNECの天下でした。また、ゲームもWIN版(Ver3.1)は少なく、このころはほとんどのゲームはDosだったのでNEC以外のパソコンは考えられませんでした。

5.パソコン購入に向けて(その2)
 カタログを一生懸命に集めた結果、まあ、買えるかなというパソコンは一応見つかりました。現在のCanBeの前身である98MultiのPC−9821 Cs2 modelS3(CPU:486SX 33Mhz)です。価格もディスプレイ込みで30万台前半になり増設メモリーを買っても40万少々という画期的な商品でした。しかしながらこのパソコンは拡張性が悪いという話を聞いていましたし、一回しか買ってもらえないパソコンを自分の納得いかないものを買うのもどうかということで、悩んでいました。さらに悪いことにこの年の7月にPentium 90Mhzのパソコンが発売されたのです。価格はめちゃくちゃ高かったですが(フレームモデルで64万)単純に考えても私の買おうとしているパソコンの約3倍の性能があるということです。(90≒33×3)最新のパソコンの3分の1の性能しか無いパソコンをわざわざ40万もかけて買うつもりはありません。ということで、私のパソコンを買おうという意欲はほとんどなくなってしまい、後には「絶対にPentiumを買うぞ」ということだけが残ったのでした。
6.パソコン購入に向けて(その3)
 一度Pentiumのパソコンがでてしまうともう486系のパソコンには興味が無くなり、Pentiumが安くなることだけを考えていました。ところがなかなか次のPentiumが発売されないのです。悶々とした日々を送っているうちに母親が、親戚に使わなくなったパソコンがあるから借りたら?という話があり、そのパソコンを借りることにしました。このパソコンにはHDDがついていなかったのでそれも別の知り合いからいただくことができました。このときのパソコンのスペックは次の通りです。
 
機種 PC−9801UF
CPU V30HL (16MHz)
MEMORY 640KB
サウンド機能 FM/SSG(?)3和音
HDD 外付けSASI 20MB
拡張スロット 汎用拡張スロット(Cバス)×2

ちょっとパソコンに詳しい人ならばこれがどのくらい懐かしい(涙の出てくるような)スペックかわかると思います。この時代でもWindows3.1はすでに存在しており、「マルチメディア」という言葉が市場にあふれかえっていた頃です。ところがこのパソコンには640KBしかメモリーを搭載しておらずWindows3.1はどうがんばっても使えません。自然とこのパソコンはゲーム専用となってしまいました。(まあ、最初からこれをねらっていたとも言う。)なお、この時代にはゲームでも必要最低メモリーが640KB+1MB以上とか言うゲームが多数存在していましたので、実際に私がやったゲームはほとんど古い物ばかりでした。(^^;

7.パソコンを借りた後(その1)
 このころ大学の授業でN88BASICの授業があり、中学生の時になんのことかわからなくて困っていたことがだんだんとわかってきまして、N88BASICに興味を示すようになりました。そこで、マイコンBASICマガジン(通称べーまが)を買ってきてひたすら打ち込んで勉強をしていました。その後、高校の時の文化祭で展示されていた「SUPER CITY」というゲームのプログラムを手に入れて打ち込んでよく遊んだものです。このプログラムは元の作った人が上手な人でとてもプログラムが良くできていて改造もしやすかったのでかなり改造しておもしろいゲームに仕上げました。いまでもこのプログラムを動かしてみるとすごいと思っています。近々時間があったら完全に1から作り直して私オリジナルのゲームにしてみたいなあと思っています。(でも一台中古のパソコンを買わない限り無理そう(笑))
8.パソコンを借りた後(その2)
 最初の項でなんか勉強熱心なことを書いてますがご想像の通り、ゲームもかなりやってます。特にこのころ一生懸命にやったのは三国志4(コーエー)とA列車で行こう4(Artdink)です。勘の鋭い方はここでお気づきかもしれませんが、CPUがV30のパソコンで三国志4はともかくA列車で行こう4をやるとどうなるでしょう?答えは動いている電車を描画しているのが目で確認できるくらいのスピードになるのです(尺取り虫みたいに)。画面がいっさい動かない高速モードにしても1ヶ月進ますのに約1時間かかるのです(!)。今から考えるとよくこんな状態でゲームをやってたなあと感動するのですが、そのころはこれでもパソコンでA列車で行こう4ができることに喜びを感じていたのでいっさい苦になりませんでした。(爆)
9.パソコン購入に向けて(その4)
 親戚からパソコンを借りたことによりパソコン購入に向けての意欲がなくなったわけではなかったので、骨董品のパソコンを使っている間にも、ちゃんと情報収集はしていました。パソコンにはウィンドウアクセラレーターボードという描画を早くするチップが乗っていてこれの性能でウインドウズの快適さが決まってくるなど、この期間に得た情報は後の購入に大いに役立ちました。さらにこの年の10月にWindows95がついに発売されて市場のパソコン熱も一気に加速しましたし、CPU性能もこのときにかなり上がりました。このころには3ヶ月ごとに新製品が発売されてそのたびごとに新しいCPUがでてくるような状態でしたから待てば待つほどいいパソコンが買える状態だったのでなかなか購入には踏み切れませんでした。また、大学3年になったときに授業の関係でパソコンを必ず購入しないといけないということがこのころにはわかっていたのでそれまで待てばいいやという気持ちがありました。
10.パソコン購入に向けて(その5)
 大学3年生になり(はやパソコンを買おうと思って丸2年(!))授業でパソコンが必要になったので私の友達もだんだんとパソコンを買っていきました。その授業の助教授(万年助教授だったのにこの次の年についに教授になってしまった。)のおすすめは富士通だったのでみなさん富士通のパソコンを買っていったのですが、どうしても私には富士通のパソコンは好きになれませんでした。(結果的には無意味にフロッピイドライブを読みに行ったりすることや拡張性のなさ(富士通=Dos/Vではない)で嫌いになったのですが、最初どうして嫌いになったのかはわかりません。←この辺どうして私がそうなったか覚えている友人がいたら教えてほしいです。)このころにはNECのパソコンの販売はかなり苦戦しておりNECのシェアもかなり下がっていったのですが、それでも私としては過去の資産(ゲームばっかりだけど・・・)があったのでNECのパソコンしかこのころでも考えていませんでしたし、友達にもNECのパソコンを進めていた身だったのでさすがにDos/Vのパソコンを買うわけには行かなかったというのもあります。(笑)このころの助教授が進めていたパソコンはPentiumの120MHzのパソコンだったのですが、ベースクロックの関係上このころとしてはどうしても個人的にはPentiumの133MHzのパソコンがほしかったというのがありました。ところがこのころのPentiumの133MHzのパソコンはまだちょっと高かったので、待てるまで待って買おうということになりました。(^^;
11.パソコン購入に向けて(その6)
 この年の2月にNECが新しいパソコンを出していたので今度は5月頃に新しいパソコンを出してくれるだろうと期待をしていたのですが、待てども待てどもなかなか新製品のアナウンスがありません。このころのNECのパソコンはウィンドウアクセラレーターボードの性能の悪さが多少問題になっていたので、できればこの辺を解決してくれたパソコンを出してくれないかなあと思っていたのですが、授業の関係上もう待つわけには行きません。今度新製品がでたら必ずパソコンを買うつもりにしていました。この年の6月にはPentium200MHzが発表されていましたので、今度買うときにはPentium133MHzは一番ローエンドのCPUになるのはわかっており、価格的にもかなり買いやすくなることは想像できました。
12.パソコン購入(。(^^。)(。^^)。)
 ここまで読んでいただいたみなさんはよく一台のパソコンを買うのにここまでのばしたなあとあきれかえっているでしょうが(2年と半年)ついにこの話もここで終わりです。では、最後のラストスパートをお楽しみください。

 夏休みを目前にした7月のある日、ついにNECの新しいパソコンが発表されました。今までのNECのパソコンとはひと味違う、純粋な業務用パソコンとしての性能がたくさん詰まったパソコンでした。CPUはPentium133MHzで問題なかったですし、PCIバスも3つあり拡張性も十分です。なにより一番うれしかったのは、ウインドウアクセラレーターボードにこのころ世界最速と歌われたMatroxGraphicのMillenniumが使われていたことです。それでお値段(定価)348,000ですからこれはかなりお買い得です。このカタログをみたときには、はっきり言って体がふるえるのを感じました。(ちょっと大げさ)しかしまあ、そのくらいすばらしいパソコンでした。このときのパソコンのスペックを下に書いておきます。

機種 PC−9821Xv13/W16
CPU Pentium 133MHz (P54C)
セカンドキャッシュメモリ 256KB
MEMORY EDO DRAM 16MB (ECC対応)
ウィンドウアクセラレーターボード MatroxGraphic社製Millennium標準搭載 (VRAM2M)
サウンド機能 PCM録音・再生機能
HDD 1.6GB
CD−ROM 6倍速
ネットワーク 内蔵(100BASE−TX)
拡張スロット PCIスロット×3 汎用拡張スロット(Cバス)×4
本体標準価格(96年7月) 348,000

 後に、このパソコンをかなり拡張して使ったのはこの基本性能の高さがあったからだと思っています。もし同じNECでもVALUESTARを買っていたら現在の状態までは拡張はしていなかったと思います。

− おしまい −