新「歴史教科書への考察」1
      古代社会をどう記述しているか
                           歯科医師 石井雅之

     『歴史教科書の歴史』
 昨年は扶桑社の新規参入によって日本中で中学校歴史教科書一大論争が巻き起こりましたが、結局扶桑社教科書は目標とした10%を獲得できないどころか、一般公立学校での採択を得ることができませ んでした。教育委員会、言い換えれば世間は「在来 の歴史教科書を変える必要はない」という判断を示 したと言えます。今後、改めての歴史教科書問題の 論議は、この判断の妥当性を問わなければ始まらな いと思っていたところ、昨年秋に、この論争の当事 者ではない、第三者的立場から歴史教科書問題を論 じた一冊の書物が刊行されました。小山常美著『歴 史教科書の歴史』(草思社)です。
 著者の小山氏は、「新しい歴史教科書をつくる会」 やその反対勢力とは全く関係のない、憲法史、教育 史、政治思想史を研究テーマとする短大教授です。 本の内容は、敗戦直後の昭和二十年代から平成十二 年度までに使用された各社の中学校歴史教科書及び 平成十四年度扶桑社版「新しい歴史教科書」を比較 検討することによって、日本近代に関する教科書の 記述の変遷を著した、歴史教科書問題に関心のある 方々には是非一読をお勧めしたい労作です。この本 の趣旨は、著者自身が『正論』等の雑誌で述べてお られますので、ご存知の方も多いと思われますが、 ここでも簡単に内容を御紹介しておきます。
 小山氏は執筆の動機を、平成九年度版歴史教科書 七種の明治維新以降の叙述について《びっくりし》、 《大きな違和感を抱いた》からだと述べ、《どうも、 私が習った頃の教科書とは相当ちがうようだ。いつ 頃から、このような叙述を教科書はおこなうように なったのだろうか》と疑問を呈しています。
 この疑問を解明するため、氏は四つの問題領域に ついて分析・検討を行っています。第一に、「明治 維新」について《近代的ブルジョア革命的なものか、 あるいは封建的・絶対主義的改革にすぎないもの か》。第二に「明治憲法体制」について、《立憲君主 制といえるか、あるいは外見的立憲君主制または絶 対主義天皇制にすぎないものか》。第三に「日清戦 争と日露戦争」、第四に「満洲事変以降の対外的な 戦い」について、《自衛的な戦い、またはアジア諸 民族の解放に寄与した戦いとみるか、あるいは侵略 的な戦いとみるか》の四点です。
 これらの問題のそれぞれについて教科書の叙述の 蛮遷を調べた結果、昭和二十年代から現在までの間 に、内容的に二度の大きな転換点があったと、小山 氏は述べています。終戦から昭和三十六年度までが 第一期であり、《絶対主義的改革論および絶対主義 天皇制論的な叙述とブルジョア革命論および立憲君 主制論的叙述が混在している》段階。第二期は昭和 五十七年から五十二年度で、《日本の国家・社会に ついて肯定的な叙述をおこなうようになる》段階で あり、第三期の五十三年度以降は、《戦前日本の国 家・社会について否定的な叙述をおこなうように変 化していく》段階と捉えています。このような《反 日主義の傾向》が教科書誤報事件以降さらに強まり、 《反日主義という一つの原理の正しさを証明するた めならば、事実かどうか怪しい事柄を記述するどこ ろか、偽りの事実をこしらえあげることも許される という立場をとるにいたった》結果、小山氏が《び っくりした》平成九年度版各社の教科書が生み出さ れたというのが結論です。その象徴が「従軍慰安婦」 「南京大虐殺」であったのでしょう。
 在来の教科書記述への総括として、歴史学と教科 書内容の分離の原因や、戦後歴史教科書の問題点、 《反日原理主義教科書》出現の理由等についての記 述もされていますが、紙幅の関係上これ以上詳細な 御紹介はできません。具体的内容は、本書を実際に お手にとってご確認下さい。
 最後に同様の四つの問題領域に関して扶桑社版 「新しい歴史教科書」についても検討し、基本的に 《第二期前半の立場に戻ったもの》としながら、《従 来の教科書よりはるかに、新しい研究にもとづいて 書いている》し、従来避けられていた《外国批判的 叙述を、多数解禁した》と肯定的に紹介する一方、 対韓国に関しては《まったくタブーを破ることはで きていない》と苦言を呈しています。
 全体の結論として「新しい歴史教科書」は戦後歴 史教科書の《歴史的背景に挑戦し》、《否定的な特徴 を基本的に克服した》。《歴史教科書の第四期を切り 開く魁》と位置づけていますが、《第四期が本当に おとずれるのか、第三期がずっと継続するのかは予 断を許さない》と警告し、最後に《第三期がこのま ま継続すれば、教科書の反日原理主義が日本の国を 覆いつくし、日本国家が滅亡するだろうと理論的に 予測される》と述べ、ここのところで、筆者が冒頭 で述べた「世間の判断」に対して、氏ははっきりと 「NO」と答えています。
 この本は筆者自身にとっても、漠然としたイメー ジでしか捉えられていなかった戦後の歴史教科書の 大きな流れをはっきりとした形で認識でき、大きな 収種でした。中でも、教科書誤報事件以前に既に「反 日教科書」への流れが始まっていたという点は、一 つの驚きでした。家永裁判を旗印に、第二期教科書 への反日陣営の攻撃が既に開始されていたというこ とでしょう。

     平成十四年度版各社の検討
 本年度より使用が開始された各社の教科書につい ては、筆者は昨年の今頃、教科書展示会で一通り目 を通し、学習指導要領と岡山県教組の観点表それぞ れに基づいた評価を行ったことがあります。『まほ ろば』第一七七号紙上でご紹介させていただきまし たので、ご記憶の方もおられるかも知れません。た だ、この時は時間も限られ、各社毎に各観点への記 述の有無のみのチェックで終わらざるを得ませんで した。四月以降は販売店での入手が可能となりまし たので、遅ればせながら在来七社分を購入しました。 これで扶桑社版の市版本とを併せ、全社の比較が可 能になったわけです。
 そこで、今回は前回より内容を掘り下げて、より 細かい検討をして行きたいと思っております。主と して、岡山県で今回採択された四社(東京書籍、大 阪書籍、日本書籍、帝国書院)と扶桑社を中心に、 各社の平成九年版をも含めて比較をし、その他の教 科書については必要があれば触れる程度にとどめた いと思います。
 比較する対象は『歴史教科書の歴史』に倣い、明 治維新以降を同書と同様に検討していけば、各社の 新教科書が小山氏の言われる「第三期」のままなの か、「第四期」への移行が始まっているのか、言い 換えれば《日本国家が滅亡する》流れが続いている のかを判断できるのではないかと考えます。
 とは申しましたが、筆者にはその前にどうしても 触れておきたい観点があります。それは「原始共産 制」です。平成九年版、特に当時県内で使用されて いたいわゆる「ワースト・スリー」と呼ばれた教育 出版・日本書籍・大阪書籍の三社は、石器時代や縄 文時代をユートピアとして描く一方で、農耕の始ま りを貧富の差の発生と捉え、支配・被支配関係から 国家を定義する、唯物史観の見本のような記述を行 っていました。
 このことは「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」のよ うに世間の注目は集めていませんでしたが、筆者に は非常に気になっておりました。世間が注目してい ない分、各社の本音が窺えるのではないか。十四年 度版が入手できたら真っ先に調べてみたいと思って いた観点なのです。今回に限り、筆者の我が儘をお 許しください。次回以降で、『歴史教科書の歴史』 に沿った検討をお伝えすることをお約束します。

     原始共産制
 文部省(当時)学習指導要領では、古代社会につ いて「人類が出現しやがて世界の古代文明が生まれ たこと、また、日本列島で狩猟・採集を行っていた 人々の生活が農耕の広まりとともに変化していった ことを理解させる」と指示されています。一方で「裏 検定」として知る人ぞ知る大阪市/大阪府同和教育 研究協議会(大同協)文書は、「農耕生活が始まる と、階級分化が起こり、支配−被支配の関係が形成 され、国家が誕生していく過程が論理的に記述され ているか」と記し、また、岡山県教組の観点表では、 弥生時代について「『貧富の差』『支配者と被支配者 の発生』にふれているか」と記しています。
 学習指導要領の指示はいささか玉虫色で、大同協 ・県教組の左翼側史観に付け入る隙を与えています が、冷戦終結も一昔前となった現在、このような教 条主義的・左翼的史観に賛同する一般市民が世論の 多数派を占めるとは思えません。ところが前述のよ うに、岡山県では大同協・県教組の観点に忠実な教 科書が100%のシェアを占めていたのです。日本 の常識と教科書の現状に大きな段差が生じていたと 言わざるを得ない状況が、ここにも現れていたので す。
 それでは今回の改訂で各社の記述には変化があっ たのかを、実際に検討して行きます。まず、全国で の過半数のシェアを得、県内では最大の生徒数を有す る岡山市での採択を得た東京書籍(萩原岡山市長は、 大阪書籍から東京書籍に変わったこの採択結果を 「画期的な改革」として大いに評価していますが、 筆者は??です)は、九年度・十四年度版ともに、 石器時代については特にユートピアとしての記述は 見られませんが、国家の発生については《支配する 者(王や貴族)と、支配される者(農民や奴隷)と の区別ができ、国家が生まれました》と「裏検定」 に忠実に記述しています。一方縄文時代について、 九年度版では《貧富の差はほとんどなかったと思わ れる》と記述していましたが、十四年度版ではこの 種の記述はありません。また、弥生時代については 九年度・十四年度版とも「貧富の差」に関する記述 はなく、《人々を支配する豪族や王》という記述が されています。「縄文ユートピア説」は消えたもの の、国家を、支配階級が民衆を支配する装置と捉え る「階級国家」としての位置づけは変わっていませ ん。
 かつて「ワースト・スリー」の一角を占め、他社 が「加害の記述を後退させた」と俵義文氏等から批 判される中で唯一反日色を強め、結果として全国シ ェアを大きく失った日本書籍を見てみますと、新石 器時代について、九年度版の《そのころの人々は収 穫物をみんなで分けあってくらし、身分の差がなか った》から、十四年度版では 《人々は共同で生産を行い、収種物を分けあってくらした。身分の差はま だなかった》と記し、「原始共産制」 の定義として一歩進んだ表現に変わっています。国 家の発生については九年度・十四年度版とも《支配 する者(国王・貴族)と支配される者(民衆・奴隷) ができ、(中略)国家がつくられた》と、「裏検定」 に忠実に「階級国家」として記述しています。一方、 縄文時代について《貧富の差はまだなく、むらの人 々は協力して仕事をおこなった》と記述し、弥生時 代については《支配する者とされる者のちがいがで きてきた。支配する者は、その地位を利用して冨を ふやし、人々の間に貧富の差が生まれた》と記述す る点は、九年度・十四年度で変化はありません。
 こちらも「ワースト・スリー」の一角で、県内四 地区での採択を確保した大阪書籍は、旧石器・新石 器時代を併せて「原始時代」と呼び、九年度版では 《この時代の人々は、一族で力を合わせて働き、収 穫物もみんなで分け合っていたので、貧富の差は大 きくなかったと考えられています》と記述していま すが、十四年度版ではこういった記述はありません。 また、古代を九年度には《人類が初めて国家をつく り、王や貴族、民衆や奴隷という身分のちがいをも つようになった時代》と記述していますが、十四年 度には《国家がつくられ、身分のちがいをもつよう になった時代》と簡略な記述にしています。縄文時 代については九年度版の《平和な生活でした》との 記述が、十四年度版では見られません。弥生時代に ついては、「貧富の差」とか「支配・被支配」とい う言葉はありませんが、九年度版で《人々は、リー ダーのもとに一族でまとまって、むらの守りをかた めた》という記述に加えて、十四年度版では《土地 などの争いを戦いで解決しようとしました》とする 記述が加わり、結果として 「縄文=平和→弥生= 戦争」という図式には変わりがないものとなってい ます。
 今回の採択で東京書籍と並んで「穏健派」として シェアを伸ばし、岡山県でも初めて採択された帝国 書院は、従来から「裏検定」にはあまり忠実ではあ りませんでしたが、今回はどうでしょうか。やはり、 旧石器時代についてユートピアとしての記述はな く、農耕・牧畜の開始が述べられていますが、その 内容が非常に簡略化されてしまっています。王は《食 料を管理し、農作業や軍事の指揮をとる》権力者と して描かれますが、「支配・被支配」の記述はあり ません。縄文時代についても非常に簡略な記述で、 狩猟・採集生活として描かれるのみです。弥生時代 も簡略な記述で、《土地や水の利用をめぐる争い》 の結果国が現れたと記述し、邪馬台国を紹介してい ます。
 ちなみに、「ワースト・スリー」のもう一つ、今 回岡山県ではシェアを失った教育出版は、九年度版 で「支配者の出現と国家の形成」という小見出しで 石器時代をユートピアとして記し、冨の差の発生に 触れ、国家を《人々を支配する仕組み》と記述して いました。十四年度版には本文にこの種の記述はな く、欄外に《より多くの冨をたくわえた人々が、他 の人々を支配するようになり、やがて、国家がつく られた》とのみ記述しています。縄文時代について は基本的に九年度と同様の記述ですが、《貧富の差 はまだなかった》という表現は削除されています。 弥生時代になって稲作によって《豊かな者と貧しい 者との身分のちがいが生まれてきた》とする点は変 化ありません。
 最後に扶桑社の「新しい歴史教科書」では、石器 時代について、狩猟・採取生活から農耕・牧畜生活 への変化が記述され、国家の形成も述べられていま すが、「階級分化」「支配・被支配」を表すような記 述は見られません。縄文時代については、「森林と 岩清水の生活文化」としてその豊かさを紹介し、縄 文稲作にも触れていますが、「貧富の差がなかった」 とは、もちろん書いてありません。弥生時代の生活 の記述は他社と大差ありませんが、「貧富の差」「支 配・被支配」に関する記述はまったくありません。
 以上の各社の記述を比較してみますと、日本書籍 はやはり評判通り「裏検定」への忠実度を強めてい る印象ですが、「ワースト・スリー」の他の二杜は 「裏検定」への傾斜の度合いは薄まっているようで す。逆に、穏健派と見なされている東京書籍の国家 に対する定義の方が「裏検定」により忠実で、今回 の観点に関しては岡山市の判断は逆で、大阪書籍の 方がまだましだったように思えます。
 また、九年度版の各社はいずれも縄文時代につい て、野蛮な未開時代と捉える時代遅れの記述に終始 していましたが、十四年度版でもこの点での改善は ほとんど見られません。帝国書院などはたった十八 行の記述しかなく、約三頁にわたって詳細に記述し ている扶桑社とは大きな違いを見せています。ただ し、東京事籍は三内丸山遺跡と吉野ヶ里遺跡を対比 させて、縄文時代が単なる未開社会ではなかったと いう印象を与えています。
 筆者は以前に九年度版の全社についてこの観点で の評価を行ったことがありましたが、その時の結論 は″「裏検定」に忠実な日本書籍・大阪書籍・教育 出版、穏健な清水書院・帝国書院・日本文教出版、 中間派の東京書籍″というものでした。今回十四年 度版を検討した結果、″「裏検定」に忠実な日本書 籍、穏健で淡泊な帝国書院・清水書院・日本文教出 版、中間派の大阪書籍・教育出版・東京書籍、独自 の視点の扶桑社″という評価に変わりました。
 以上のように、今回の「原始共産制」に関しての 観点では、世間の評価とは裏腹に、穏健と思われて いた東京書籍が、以前の「ワースト・スリー」の内 の二社よりも「裏検定」に近いという結論が得られ ました。東京書籍に対する過大評価を戒める声は、 採択結果の判明以来から聞こえてきていましたが、 今回の結果はその声を裏付けるものとなりました。 次回以降、近現代について『歴史教科書の歴史』の 観点に沿った評価を行いますが、今回の結果と同様 の傾向があるのか、あるいは異なった結論が得られ るか、筆者自身も興味津々です。


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