新「歴史教科書への考察」2
明治維新について
歯科医師 石井雅之
愛媛県中高一貫校での採択結果
愛媛県が来年度に開講予定の県立中高一貫校で使
用される教科書の採択が行われ、昨年全国で繰り広
げられた騒動が再現されたかのような様相を呈して
おりましたが、結果は皆様もご存知の通り、昨年の
養護学校に対する採択と同様に、中学校歴史におい
て扶桑社の「新しい歴史教科書」が選ばれました。
愛媛県当局と県教委の周囲の騒ぎに惑わされない強
い意志に敬意を表すとともに、全国から寄せられた
賛同の署名の多さに、改めて教科書改善を願う国民
の声を聞いたように思います。
このニュースを、翌日・翌々日の朝日新聞は現場
の意見を無視した不当な判定だとして非難する方向
で報じておりました。また、当夜の系列テレビニュ
ースでは、採択結果をわずか二十秒ほど、「昨年、
戦争の記述をめぐって批判された教科書が採択され
た」と紹介するのみでした。それに対して、偶然の
一致かも知れませんが「南京事件」の新たな証言を
集めたとする本の出版を大きく報じ、「残虐行為を
した」と告白する人々の映像を(匿名のモザイク画
像で)長時間にわたって放映していました。一方で、
翌日の産経新聞は、一面トップで採択結果を肯定的
に大きく報じておりました。
しかし、翌日の「産経抄」でも触れられていまし
たが、本来であれば、このような事柄が全国的なニ
ュースとして報じられること自体が異常(例えば数
学の教科書の採択結異なら誰も話題にしませんし、
もちろんニュースにもなりません)だと筆者は思い
ます。教科書の採択という教育上の問題を政治的主
張の手段として利用することが、将来の日本を担う
若者の育成にとってどれ程のマイナスになるのか
を、騒ぎを起こす連中もいい加減に認識してほしい
ものです。
更に言えば、採択現場が外国におもねり、また騒
動の当事者となることを怖がる「空気」に支配され
ていなければ、このような結果は、昨年の夏の時点
で全国のあちこちで実現していた筈です。それを思
えば、さまざまな立場から記述された教科書を、採
択地区で冷静に評価・判定できる環境には程遠いと
歎息せざるを得ません。今回の愛媛県での事例を蟻
の一穴として、「自分たちで主体的な判断を行うこ
とは可能だ」ということを、全国の採択権者にきち
んと自覚してもらいたいと思います。
それでは、前回お約束しました小山常美著『歴史
教科書の歴史』に沿った、各社の十四年度版・中学
校歴史教科書の検討を行っていきます。まず、近代
日本のスタートである明治維新に対する各社の記述
をご紹介します。(なお、以下の傍線は全て引用者)
『歴史教科書の歴史』では、明治維新について、
講座派の立場で絶対主義的改革と捉えるか、労農派
の立場でブルジョア革命と捉えるかという観点で、
各社の記述を評価しています。余談になりますが、
筆者石井は著者の手法に納得しておりません。講座
派・労農派いずれの立場をとるにせよ、所詮マルク
ス主義的な左翼史観の枠内での話です。来るべきプ
ロレタリア革命への第一段階なのか第二段階なのか
を問うてみても、たとえは悪いかも知れませんが「目
糞・鼻糞」のような議論になるだけだと思います。
また、扶桑社教科書への評価で、《革命ととらえて
いるかどうかはわからないが》という記述がありま
すが、なぜ「革命」にそこまで拘るのかもよく分か
りません。明治維新を革命だと認定することが、そ
んなに重要なことなのでしょうか。
ともかく、日本の歴史を外国の、しかも特定のイ
デオロギーに基づくモデルに無理に当てはめてみた
ところで、本当の姿は見えてこないと思います。こ
れは明治維新に限ったことではなく、わが国の歴史
学者に共通の悪癖ではないかと、素人なりに考えて
おります。結局、左翼的な枠内に当てはめることな
く、明治維新の改革を客観的に記述している教科書
がベストだと筆者は思うのですが。
観点1 植民地化の危機
それはさておき、まず『歴史教科書の歴史』では
最初の観点として、「植民地化の危機」を挙げてい
ます。明治維新の背景としてこのことに触れられて
いないと、学習指導要領にいう《明治維新の経緯の
あらましを理解させる》こと、言い換えれば「なぜ
江戸幕府を倒して近代国民国家を作り上げる必要が
あったのか」ということが理解できません。このこ
とについては、西尾幹二者『国民の歴史』508頁
に、
《まず第一は、近代日本の出発点にはイギリス、ロ
シア、フランス、オランダ、アメリカ、ドイツなど
列強の迫りくる具体的な武力脅威があったことだ。
アジアでは当時、国境は名ばかりで、塀も柵もない
荒れた原野を野盗の群が走り回っていたに等しい。
すなわち欧米列強の植民地支配は、列強の相互牽制
以外は無制約で、支配権の確定は明治維新以前に完
了していたのではなく、近代国家としての日本の独
立維持の長い努力のプロセスにおいて進行中であっ
た。(中略)明治の日本人はどんなにか心細かった
であろう。そもそもこの心細さが歴史のすべての話
の基本でなくてはならない。》
と記述されています。同書は続いて第二に、その時
点の清国は自国の領土保全もままならない老廃国
で、朝鮮はその属国であったこと、第三に、両国は
無力であったにも拘わらず、日本に理由なき優越感
を示す面倒で手に負えない存在であったことを挙
げ、近代日本史叙述の前提としています。
それでは、今までの歴史教科書において、この観
点がどのように記述されてきたかを『歴史教科書の
歴史』の記述に従って紹介します。初の検定教科書
である昭和二十七年度版では六社中二社が触れ、特
に日本書籍(!)は、
《日本が欧米諸国の植民地にならず、しかも諸国と
あいならんで行くためには、封建制度を捨てて近代
国家を作りあげなけらばならない。分立している状
態を改めて国全体がひとつに統一されなければなら
ない。》
と記述しています。(日本書籍も最初から左翼御用
達だったわけではないようです)。昭和三十七年度
以降は、採択率で八十%前後の教科書が植民地化の
危機に触れるようになり、昭和五十三年度からは危
機に触れる社の採択率は五十%に減少しますが、後
述する他の観点よりは自虐の度合は低いようです。
(もっとも、これは最大手の東京書籍の存在が大き
く、教科書の数で言えば完全に少数派となります)。
ちなみに九年度版の東京書籍は、幕末の外国船出現
の項で、「日本に迫る欧米諸国」と題する日本地図
を掲げ、
《アジアへの侵略を進める欧米諸国は、日本へも次
々とせまってきた》
とのキャプションをつけて、米・英・露・仏の来航
を地域別に紹介し、二貢前に掲載されているアジア
での欧米列強の進出を示す地図と比較するように指
示しています。
十四年度版ではどうなっているでしょうか。まず、
全国採択率トップの東京書籍では、「欧米の進出と
日本の開国」の節で「ヨーロッパのアジア侵略」の
項を設け、イギリスやロシアの動きを記述し、アジ
アでの欧米列強の進出を示す地図は掲載しています
が、日本への脅威についての記述はありません。江
戸時代における「外国船来航」の図も削除されてい
ます。僅かに「江戸幕府の滅亡」の項で、欄外に
《尊皇攘夷運動や討幕運動は、何をめざしたものだ
ったのでしょう》
と問いかけ、本文中に
《長州藩の木戸孝允らは、強い統一国家をつくる必
要があることをさとりました》
との記述があるだけです。これでは「植民地化の危
機」に触れているとは言い難く、明らかに十四年度
版の方が記述内容は後退しています。
岡山県での採択率トップの大阪書籍はどうでしょ
うか。こちらは以前から「植民地化の危機」には触
れていませんでした。十四年度版でも、「欧米の発
展とアジアの植民地化」の節で
《イギリスなど、産業革命に成功した国々は、安い
原料や食料、製品の市場を求めて、アジア・アフリ
カ・中南米に進出し、植民地をつくりました》
との記述はありますが、日本への言及はないために、
幕末の項で
《鎖国を続ける日本の海岸に、十八世紀末ごろから
ロシア・イギリス・アメリカなどの外国船が現れる
ようになりました。これに対して幕府は鎖国を続け
る方針を示し、海岸の防備を固め、一八二五年には
異国船打払令を出しました》
と記述されていても、その理由が分かりません。ま
た、「幕府の滅亡」の項における
《外国との戦いを経験した長
州藩と薩摩藩は、攘夷の不可
能なことをさとりました》
との記述と、それに続く
《幕府をたおして強力な政府
をつくるため、近代的な武器
を輸入して軍備を強めました》
という記述との間に一貫性がありません。「(各藩単
位では)攘夷が不可能だから、(統一された)強力
な政府をつくる必要がある」という( )内が抜け落
ちているからです。
検定教科書の創世記には意外に「親日派」だった
日本書籍も、九年度版ではこの観点への言及はあり
ませんでした。十四年度版でも欧米列強の植民地を
色分けした世界地図を掲載する程度で、「日本への
脅威」については特に言及はなく、第四章「近代国
家の成立とアジア」の扉絵に描かれた黒船の図に対
して、
《この当時の人たちが、この船を見てどんなことを
思ったか、考えてみましょう》
との問いかけがある程度です。幕末では、
《開国を進めるのか、それとも外国を追い払おうと
する攘夷の立場をとるのかをめぐって、国内には対
立が拡がった》
と、あくまでも国内問題としか捉えていません。
岡山県でシェアを持つ、もう一社の帝国書院は、
『歴史教科書の歴史』によれば九年度版にこの観点
からの記述はないとされていますが、アヘン戦争の
頁に欧米列強のアジアへの進出を示す地図を掲載
し、次の頁には外国船の来航を記した日本地図を掲
載し、異国船打払令がアヘン戦争の情報で見直され
たことを紹介しています。直接「侵略あるいは植民
地化の危機」という表現はないものの、前述の東京
書籍の九年度版に近い記述と言えます。十四年度版
でも頁の順序は変わっていますが、記述の内容はほ
ぼ同じで、東京書籍のように外国船来航図を削除せ
ず、逆にイラストの生徒に
《このころはひんぱんに、ロシアの船が日本の近く
にあらわれているね。どうしてかな》
《十七年の間(引用者注‥文政の異国船打払令=一
八二五→天保の薪水給与令=一八四二)に外国船に
対する考え方がかわったみたいね》
と言わせ、ヒントとして
《アヘン戦争の詳しい内容についてはP.145で
学習しましょう》
と記しています。とは言え、やはり「危機」への文
章やの明示がないため、教師任せの感は否めません。
愛媛県での採択で注目の扶桑社は、江戸時代の出
来事としてフェートン号事件(引用者注‥文化五(1808)年、
イギリスのフェートン号が、オランダの長崎商館引
渡を求めて長崎港に侵入した事件。当時、イギリス
はフランスと戦争状態にあり、フランス側に属して
いたオランダの東洋各地の拠点を攻撃して獲得しよ
うとしていた)を紹介し、欧米諸国の接近を地図上
で図示しています。また、第四章「近代日本の建設」
では、「欧米列挙のアジア進出」の項で、列強の植
民地争奪戦がアジアにも迫ったとした上で、
《これら欧米列強は、一八〇〇年に地球の陸地の三
十五%を支配するにいたり、一九一四年の第一次世
界大戦が始まったころには、八十四%にまで支配地
を拡大した。日本の明治維新は、その二つの時代の
中間に当たる時期におきた出来事となる》
と記述し、明治維新の時代背景を明確に示していま
す。さらにアヘン戦争の情報が
《幕末の指導者や知識層に深い衝撃を与えた》
が、朝鮮や中国ではそれほどの衝撃ではなかったこ
とを記しています。これらの記述を総合する形で、
「近代日本が置かれた立場」という項を独立して設
け、
《これらの日本をおそった欧米列強の軍事的脅威は、
当時の日本人に恐怖の感情を引きおこした。日本は
開国以降、その恐怖を打ち払おうと必死で西洋文明
の導入に努めた。そのための努力や工夫などが、今
日までの日本の歴史を動かす要因の一つとなってい
る》
と、日本近代史の背景を記述しています。この辺り
が逆に「侵略の事実を正当化している」と反対派か
らの批判を浴びる原因の一つにもなっているようで
す。
付け加えますと、九年度版でこの観点の記述を行
っていた清水書院と日本文教出版は、
《日本では、西洋による侵略への危機感が高まった》
(清水)、《開国は、日本を植民地にするものだとし
て》(日文)
といった言葉そのものに大きな変化はありません
が、時代背景の説明の部分は前述の帝国書院より貧
弱な内容でしかありません。結局「植民地化の危機」
に関する十四年度版各社の記述は、扶桑社以外はい
ずれも「帯に短し襷に長し」と言うしかなく、『歴
史教科書の歴史』にいう「第三期」を一歩も出るも
のではないようです。
観点2 五箇条の御誓文
次に「五箇条の御誓文」の記述に関しては、『歴
史教科書の歴史』によれば、全社が昭和五十六年度
以降、「五榜の掲示」を対等に掲げ、《御誓文の意味
を半減させる》記述を行っているとされています。
十四年度版では、全社が「五箇条の御誓文」の全文
を欄外で紹介し、本文中にも多くは五箇条の御誓文
とゴシックで記述しています。「五榜の掲示」につ
いては、東京書籍、帝国書院、扶桑社の三社は全く
触れていません。日本書籍は文章で、
《民衆に対する命令を立て札に書いて全国に立てた》
と触れていますが、図や写真での紹介はありません。
大阪書籍は立て札の写真をキャプションなしで掲載
し、本文で
《国民に対しては、五榜の掲示を出し、一揆やキリ
スト教を禁止するなどの政策を示しました》
と記しています。日本文教出版と清水書院は本文中
では触れず、立て札の写真に「民衆に対しては江戸
時代と変わらない命令をした」という趣旨のキャプ
ションを付けています。唯一、教育出版のみが頁の
上下に両者を同等に紹介し、本文でも
《五箇条の誓文を発布する儀式が行われた、(中略)
同時に、五榜の掲示が出された》(下線引用者)
と、全く対等の表現となっています(九年度版では、
「五榜の掲示」はゴシックではありません)。また、
下点でお分かりのように、教育出版(他には日本書
籍も)は「五箇条の御誓文」とせず、「五箇条の誓
文」と「御」を省いた記述になっています。これは
国民の常識からかけ離れた、陰険な表現だと言わざ
るを得ません。この点を除けば「五箇条の御誓文」
に関しては、一社を除き、少なくとも『歴史教科書
の歴史』にいう「五榜の掲示に触れない」か、「五
箇条の御誓文を重視する」段階、つまり「第二期」
(近代日本の「肯定」−−高度経済成長期)に戻って
いて、「第三期」からは脱却できているようです。
この観点だけに関してならば、東京書籍・帝国書院
が穏健派だとする評価に肯いてもよさそうです。
観点3 廃藩置県
観点4 四民平等
観点5 地租改正
続いて明治維新における改革として、廃藩置県、
四民平等、地租改正に関する各社の記述を見てみま
しょう。『歴史教科書の歴史』によれば、九年度版
では《全社が廃藩置県のことを封建制廃止と位置づ
けなくな》り、《「四民平等」に関しては、絶対主義
的改革論的(引用者注‥「新身分制度」という位置
づけ)な教科書は減少》する。地租改正については
一社(清水書院)を除いて《負担量が江戸時代と変
わらない等の問題点を強調》する記述になっている
とされています。
ちなみに学習指導要領では《身分制度の廃止》と
して扱うように指示されていますから、「四民平等」
とせず、「新しい身分制度」と記述している例は本
来であれば検定で不合格になるはずですが、そうは
なっていません。裏検定の
《新たな天皇中心の「身分制度」が確立されたこと
が記述されているか》
の方が、文部省(当時)より優先している現実が、
ここにも現れています。
各社の記述を見てみますと、まず東京書籍は廃藩
置県について、
《全国を直接治める中央集権の形ができあがりまし
た》
と記しますが、「封建制の廃止」という文言はあり
ません。四民平等については「古い身分制度の廃止」
という小見出しの下で、
《皇族以外はすべて平等であるとしたため、それま
でのきびしい身分制度はくずれました》
と記し、欄外に皇族・華族・士族・平民の呼称が紹
介され、「新身分制」に類する記述はありません。
地租改正については、
《国民に近代的な土地の所有権を認め》、《地租は全
国統一の近代的な租税》
と位置付けています。一方で「江戸時代の年貢と変
わらない」等、九年度版で記述していたマイナス面
への言及は本文からは削除されたものの、地券の写
真のキャプションでは述べています。
大阪書籍は、廃藩置県について、明治維新の説明
の中で、
《新しい中央集権の国家ができました》
と記し、東京書籍同様に「封建制の廃止」という文
言はありません。四民平等については、
《江戸時代の身分制を改めようと、四民平等を唱え
ました》
とし、「身分制の廃止」とは記しません。
《政府にとっても、納税や兵役などで、すべての国
民の協力を得るために必要だった》
とも記し、皇族・華族・士族・平民を
《天皇を中心とする新しい身分に改めました》
と、裏検定に忠実な記述になっています。地租改正
は土地の所有の権利や、田畑の売買の自由に触れな
がら、
《しかし、地租は全体で江戸時代の年貢の総量にあ
たるように計算されたため、農民の負担は軽くはな
りませんでした》
と、マイナス面を強調しています。
日本書籍は、廃藩置県を
《政府は権力を強めるため、(中略)藩を一挙に廃
止して、全国に政府と直接に結びつく府や県を置い
た》
とのみ記し、やはり「封建制の廃止」という文言は
ありません。四民平等については九年度版では「新
しい身分制度」の小見出しで記述していたのを、十
四年度版では小見出しを「身分制度の改革」に変え
ていますが、
《政府は身分制度を改めて、公家と大名を華族、武
士を士族、農工商の人々を平民とした》
と、「新身分制の確立」とする記述は基本的に同じ
で、うわべを少し取り繕ったという印象です。地租
改正は、
《富国強兵のための支出は、農民の肩に重くのしか
かった》
と最初からマイナス面を記し、「近代的税制の確立」
という視点からの記述はありません。
帝国書院は、廃藩置県の目的について、九年度版
では
《新政府になっても民衆の生活はらくにならなかっ
たため、全国で農民一揆がおこりました。そこで政
府は政府の力を地方まで行きわたらせるため》
と記していましたが、十四年度版では
《中央集権国家を確立するためには、(中略)藩を
廃止する必要がありました》
と記し、
《年貢はすべて新政府の収入になりました》
という表現を加えています。四民平等については、
小見出しは「四民平等」(九年度版の小見出しは「四
民平等はどのような問題をもっていたか」)ですが
《政府は江戸時代までの古い身分制度を改め、それ
までの武士を士族とし、百姓・町人を平民とする身
分制度を定めました》とし、
《しかし、国民全体が平等になったわけではありま
せんでした。天皇の一族を皇族、公家や大名を華族
とする華族制度が新たにつくられました》
と、実質的に「新身分制」の確立として描いていま
す。地租改正については、
《新政府は、安定した歳入を得る必要があり》《土
地の所有権・売買権を認め》たが《農民たちの負担
は幕末と比べて軽くなったわけではありませんでし
た》
と問題点を記述しています。
扶桑社は、明治政府の改革を述べる項の表題を「統
一国家の創出と身分制度の廃止」とした上で、廃藩
置県について
《分権的な制度である「藩」を廃止して、中央集権
制度下の地方組織である「県」を置くこと》
と説明しますが、「封建制の廃止」との明言はあり
ません。四民平等に関しては、
《人々を平等な権利と義務をもった「国民」に再編
成した》
と述べ、国民国家の成立を記した上で
《従来の身分制度を廃止し》
と明言しています。地租改正については、システム
を説明した上で
《農民の保有する土地に正式に私的所有権を認め、
納税の義務を制度化したことにより、近代国家の財
政基盤を固めるのに役立った》
と意義を述べ、問題点を挙げることはありません。
最後に
上記五社の明治政府の代表的改革に対する記述を
トータルして、『歴史教科書の歴史』のいう「第三
期」の代表である「反日原理主義」九年度版の内容
と比較してみると、岡山県で使用される在来の四社
は、東京書籍の地租改正に対する記述(「近代税制
の確立」と明記)が変わっただけで、基本的に改善
された点があるとは認められません。特に東京書籍
以外の三社は五十歩百歩で、この観点で見る限り、
帝国書院が穏健派だとは認められません。扶桑社も
この地租改正の観点では特に「新しい」記述はなく、
東京書籍とともに「第二期」に相当する記述だと言
ってよいでしょう。
以上、岡山県内で使用される四社の明治維新に対
する記述を総合して、筆者なりの判定をするとすれ
ば、「多少の改善が認められなくもないが、基本的
な立場が大きく変わったとは思えない」というもの
です。四社は程度の差はあるものの、九年度版に対
する「あまりにも自虐的だ」という多くの批判に一
応は反応してはおりますが、その対応は不十分であ
ると言わざるを得ません。
扶桑社はこの分野に関して「植民地化の危機」を
詳記している点で、『歴史教科書の歴史』にいう『第
二期」の段階よりも特徴的に「新しく」、また「封
建制度の廃止」を明言しない点も、教科書執筆者の
「封建制度」そのものへの捉え方が通説と違うから
だと筆者は考えます。やはり「第二期」に戻ったと
いうよりも、「第四期の魁」と言ってよく、他の部
分でも他社よりはるかに健全な記述であるように思
います。皆様はどのようにお感じになったでしょう
か。