日朝首脳会談の一つの見方
     −てのひらの中の日本外交−
                           倉敷文化懇談会 三宅昭三

     ◇はじめに
 九月十七日の小泉首相訪朝による日朝首脳会談の 結果については、連日マスコミによる報道が相次い でゐるが、金正日総書記が日本人拉致事件・東シナ 海に沈没した不審船問題を口頭であれ、北朝鮮の国 家が直接に関与したものであることを認めた意義は 大きい。私はこのことを、北朝鮮の全面的屈服であ ると思ってゐる。だが、その屈服は誰に向かってな されたか−−残念ながらそれは日本にではなく、米 国に向かっての屈服であった。
 日本人拉致被害者の八人死亡、四人生存といふ発 表は、日本社会に大きな衝撃を生んだ。その死亡年 月日通知の時期方法もめぐって、外務省が強く批判 されてゐる。しかし、本稿はこの問題には敢へて立 ち入らない。もちろん、拉致事件被害者個々の詳し い経緯、犯罪者の特定と処罰、賠償問題等が解決し ない限り、共同宣言に盛られたやうな「無償資金協 力、低金利の長期借款供与および国際機関を通じた 人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間 経済活動を支援する見地からの国際協力銀行等によ る融資、信用供与等が実施されること」の交渉をス タートさせることには断然反対である。
 本稿では、当地で読んだ産経新聞の六月末からの 報道を迫ひながら、冒頭述べた「北朝鮮の米国に対 する屈服」を始め、中露開係、米国の世界戦略等に ついても管見を試みたい。新聞記事の引用は、産経 新聞一紙のみである。私は当地の地方新聞も購読し てゐるが、その報道からは本稿のやうな骨格は浮か んで来なかったことは断っておきたい。

     ◇9・11以後の米国の変化
 米国は従来、北朝鮮の核開発とミサイル問題につ いて厳しい態度をとって来たが、日本人拉致問題に はそれほど関心を払ってきたとは言へない。それが 昨年九月十一日の米中枢同時多発テロ以降、「テロ 支援国家」に対する軍事攻撃も辞さない強い姿勢に 従ひ、変化して来た。先づ第一に、次の記事をご覧 いただきたい。
  《米朝交渉「拉致問題比重増す」 米議会調査局専門官 ラリー・ニクシュ氏
  ワシントン二十一日 =古森義久
  ニクシュ氏はまずブッシュ政権の対朝鮮半島政策での日本人拉致事件について 1.米国務省の「テ
 ロ支援国家」に北朝鮮が指定されている直接の原因は、北朝鮮が赤軍派のハイジャック犯を保護し
 ていることだとされるが、拉致事件も背後の重要な要因とみなしている 2.今後の北朝鮮との接触
 では、昨年九月の米中枢同時テロへの対応という背景で拉致事件にも直接に言及し、その解決を求
 める姿勢を固めている 3.ブッシュ政権は北朝鮮に対し大規模な財政援助の実現には拉致事件のな
 んらかの解決が不可欠になると今後、明確に告げていく − などという見解を明らかにした。
  金大中大統領が太陽政策の一環として二〇〇〇年三月から表明してきた北朝鮮への大型インフラ
 援助の実現には、世界銀行や国際通貨基金からの財政援助が必要だが、ニクシュ氏によると、その
 ためには拉致事件の解決への前進が前程になる。
  その理由は北朝鮮が「テロ支援国家」に指定されている限り、米国は世銀などの融資には反対す
 ることを義務づけられているからで、いまのブッシュ政権は、日本人拉致事件の解決に向けてなん
 の前進もないまま、北朝鮮の「テロ支援国家」指定を解くことは考えられないという。
  ニクシュ氏は韓国については「金大中大統領は太陽政策の最初に表明した北朝鮮への大型インフ
 ラ援助が日本からかなりの規模の援助をも含むことを前提としてきたため、日本人拉致事件を正面
 から認めることを極力避け、今年の小泉首相との会談まで一切、認知さえしてこなかった」と述べ
 るとともに、「金大統領は日本の政府や国民が拉致事件での北朝鮮への憤りを増すことにいらだち
 を感じている。このため九八年に公式に『もう日本に謝罪を求めない』と言明した歴史問題で昨年、
 韓国が対日抗議を表明した」として、金大統領が拉致問題での日本への不満を、歴史問題で晴らし
 た形跡があるとの見方を明らかにした。》(六月二十三日報道)
 この記事は、今年六月、米朝協議が再開される見 通しとなって、日朝赤十字会談の月内開催が見送ら れることになった報道に添へて掲載されたものであ る。この時点まで北朝鮮は、拉致日本人の「行方不 明者」の安否調査に対しては沈黙を貫くか、「日帝 反動勢力のでっち上げ」と称して認めない姿勢を続 けてゐた。「米朝交渉が動けば日朝(交渉)は止ま る」のが従来の展開であり、拉致事件に対する北朝 鮮側の姿勢が変はらない限り、「日本から会談を急 ぐ必要はないJといふ判断があった。
 古森記者の送信は、重要な二点を示してゐる。一 つは言ふまでもなく、米国が「日本人拉致事件」の 解決への前進を明確に求めてゐる点である。二つは、 韓国の金大中大統領は、この事件を棚上げして、自 らの太陽政策に日本が協力することを前提にしてゐ ることで、思ひ通りに日本が動かないことに業を煮 やして、それが昨年の歴史問題に対する対日抗議に つながった形跡があると見られてゐる点である。
 このやうな情勢の最中、二十九日には韓国西海岸 沖の黄海上で、北方限界線(南北境界線)を越えて 南下した北朝鮮の警備艇と韓国の警備艇の間に、重 火器をも含む銃撃戦が起こった(三十日報道)。
 七月一日の報道では、北朝鮮がこのやうな軍事挑 発を行ったのは、三年前の交戦事件に対する報復と の見方があるが、一方で、「米朝交渉を前に、NL L(北方限界線)問題を含め朝鮮半島における平和 保障体制構築の問題からまず議論しようという、米 国向けの高度の交渉戦術の一環」との見方もあるこ とを伝へてゐる。
 しかし米国は、七月中旬に予定されてゐたケリー 国務次官補(東アジア・大平洋担当)を特使として 平壌に派遣することを撤回すると通告した。ソウル の黒田勝弘氏は、ブッシュ政権が任期の迫った金大 中政権との米韓協調に絶望的になってをり、韓国が 強く要請してゐた対北特使派遣を中止したのは、太 陽政策に見切りをつけたとの見方を伝へてゐる(以 上七月四日報道)。
 北朝鮮の「英雄主義的」な軍事挑発は、喉から手 が出るほど実現したかった米朝交渉を却って遠ざけ る結果となったが、私は、金正日総書記が軍部の歓 心をつなぎ止めるためにこれを承認し、激励したの ではないかと疑ってゐる。このことは、後の新聞記 事で明らかにならう。

     ◇北朝鮮の経済改革
 七月二十日の報道では、韓国東亜日報の報道を伝 へる形で、北朝鮮が五十年来続けてきたコメの配給 制度を廃止したことが報じられた。
 《報道によると、配給廃止後の米価(国営販売所)は約二十倍から四十倍に上がり、これに伴い貸金
 も生産量や労働時間に応じて支給。一般労働者、農民、科学者らは十倍に、軍人や公務員は十四−
 十七倍に引き上げられるという。》
 《北朝鮮経済の構造は事実上、二元化しており、物資が不足している国営商店よりも、ヤミ市場や
 農民市場で物が流通していることが亡命者や訪朝者の証言で伝えられている。ヤミ市場の物価は国
 営商店の数十倍から数百倍とされるが、流通は活発という。》
 《しかし、この措置が超インフレを呼び、北朝鮮経済を一層、破滅に追い込むとする見方も強い。》
 ロシアのイワノフ外相は、七月二十八日に北朝鮮 を訪問することになってをり、それに先立つ二十五 日、モスクワからの斎藤勉記者の送信が報道された。 それによると、イワノフ外相は金正日総書記に、改 革軌道への転換を強く促したいとし、また、北朝鮮 が日米両国との対話を継続することを望んでもゐる と伝へてゐる。
 この同じ二十五日、北朝鮮は黄海上で先月末に起 きた南北交戦事件について、「遺憾の意」を表明す るとともに、南北閣僚級会議開催を提案して来たこ とを、翌日の報道が伝へてゐる。「『譲歩』生んだ対 米恐怖心」と題する黒田勝弘氏の送信には、次のや うな内容が含まれる。
 《現時点で北朝鮮が最も懸念していることは米国の対北姿勢。北朝鮮を「悪の枢軸」とし、金正日
 政権打倒さえ視野に入れているかにみえるブッシュ政権は、場合によっては北朝鮮に対する軍事行
 動もありうると本気で恐れているという。
  このため、金正日政権は「米国の脅威」を回避するのに全力を挙げており、韓国や日本と対話を
 再開することでこれらの国を自らに引き付け、米国の「独走」を抑えようという狙いがある。白南
 淳外相をブルネイでのARF(ASEAN地域フォーラム)に送り込み、各国と接触するのも対米
 牽制が最大の目的とみられている。》
 この記事に付随して、「北朝鮮の経済改革」に対 する、ソウルとモスクワからの二つの見方が送信さ れてゐる。ソウルでは、「ヤミ市場の広がりを阻止 し統制を維持するため、選択せざるを得なかった唯 一の策」と見、「金正日体制崩壊の一歩」との見方 が支配的であるが、イタル・タス通倍は、「北朝鮮 で大規模な経済改革が始まり、七月初めから価格政 策が抜本的に変革された」とする平壌駐在の特派員 第一報以来、「北朝鮮の経済改革」を評価する記事 が多いと、モスクワからは送信されてゐる。

     ◇ロシアの「助言と協力」
 小泉首相の北朝鮮訪問決定に至る影に、ロシアが 北朝鮮に数々の助言と協力と与へた形跡は、新聞記 事に点々と表れてゐる。暫く、北朝鮮に関するロシ アの記事のみに絞って追ってみたい。
 イワノフ外相は、北朝鮮訪問前に韓国を訪れ、金 大中大統領らとの会談の中で、「ロシアが朝鮮半島 の平和と安定に積極的に寄与する意思があることを 韓国側に伝えた。」 (七月二十七日報道)。
 続いて三十日のモスクワ送信による報道では、
 《平壌発のイタル・タス通借によると、北朝鮮訪問を終えたロシアのイワノフ外相は二十九日、平
 壌で記者会見し、「北朝鮮は前提条件なしで米国、日本と建設的対話を行う用意がある」と述べ、ブ
 ルネイで三十一日に開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)で北朝
 鮮と日米の代表団同士の接触がありうるとの見通しを示した。
  イワノフ外相は平壌で金正日総書記と数時間会談、この場で金総書記がARFでの日米との対話
 に同意した可能性が強い。》
 八月一日の報道は、「ARF閣僚会議・北朝鮮が″主役″」と題して、次のやうに伝へる。
 《三十一日に行われたASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会議で、北朝鮮の白南淳外相は米
 国との対話を再開する姿勢を示した。パウエル米国務長官がこれを評価したことで、米朝関係は再
 び対話の方向に向かうことになった。国際社会での孤立や対米脅威緩和に今回、成功した北朝鮮だ
 が、一方で間接的ながらも朝鮮半島の緊張の原因が米国にあると非難するなど、基本的な対米姿勢
 は変わっていない》
 《会議に先立ち米朝両外相は十五分間、非公式に会談をした。パウエル長官は核不拡散や米朝合意、
 食糧支援の問題を白外相に話したことを会場で明らかにし、「これらの問題を北朝鮮と話し合う新
 たな環境が整うことを望む」と述べた。》
 《一方、対話姿勢で国際社会に融和的イメージを印象付けた上に、パウエル長官から直接、「北を
 敵視せず」との言葉を引き出した北朝鮮としては、今後の食糧支援獲得の可能性も浮上し、成功裏に
 米朝対話再開への道を開いたといえる。
  ただ、米朝対話再開や特使の訪朝問題など今後の展開については、米国は「北朝鮮側の声明など
 を検討した上で進める」(バウチャー米国務省報道官)としており、これからの北朝鮮の対応にか
 かっている。》
 北朝鮮はロシアの協力の下、その外交チャネルを  通じて根回しをし、ARFといふ晴舞台で米国との 対話再開の端緒をつかんだ。だがブッシュ政権には クリントン前政権のやうな甘さはない。「これから の北朝鮮の対応」は、ロシア側から「日本との建設 的対話」が既にシナリオとして金正日総書記に提案 されてゐたのである。
 それが明らかになったのは八月十五日の報道で、 モスクワからの斎藤勉記者の送信による。
 《モスクワの信頼すべき露朝関係筋は十四日、産経新聞に対し、ロシアのイワノフ外相が七月末に
 北朝鮮を訪問した際、金正日総書記との会談で直接、日本人拉致事件についてただしていたことを
 明らかにした。金総書記は明確な反応を示さなかったが、同席者は克明にメモを取っていたという。
 日本政府の意向を受けて北朝鮮と太い政治的パイプを持つロシアのプーチン政権が拉敦事件解決に
 向けた″仲介″を行った初めてのケースだ。同事件は新たな局面を迎えたといえる。》
 《拉致事件については小泉純一郎首相が六月下旬のカナナスキス・サミット(主要国首脳会議)で
 の日露首脳会談の際、プーチン大統領に「拉致事件での日本の立場を北朝鮮側に伝えてほしい』と
 要請したのに対し、同大統領は「必ず伝える」と約束していた。イワノフ外相はこの約束を北朝鮮
 の最高指導者への働きかけという形で実行したことになる。》
 プーチン政権がこのやうな仲介をするに至った理 由は、右のサミットで二〇〇六年から「G8(主要 八カ国) への正式加盟を決めたプーチン政権が 「国 際基準」に見合った形で人権と東アジアの安全保障 問題に真剣に取り組まざるを得なくなったことを物 語っている」 (斎藤記者)。
 また内藤泰朗記者は、「その背景には、昨年九月 十一日の米中枢同時テロ以来、急速に接近し、同盟 国のように親密化した新たな米露関係があることは 否めない」とし、次のやうな見方を示してゐる。
 《ブッシュ大統領はサミット会期中、日英両首脳との会談が終わった後、長時間にわたりプーチン
 大統領との会談に臨んだ。独仏伊の三カ国とは首脳会談を行わず、好対照となった。
 ブッシュ大統領の米露協調姿勢が浮き彫りになったサミットでは、「冷却化した日露の再接近を
 促すため、米国が背後から働きかけた」といわれている。ブッシュ大統領が「悪の枢軸」と名指し
 にした北朝鮮などアジアの問題では特に、日露両国の協力を仰ぎたいというわけだ。》
 つまり、ロシアが北朝鮮に日本との対話を進めるよう働きかけた陰には、もう一つブッシュ政権の意 向があったといふことである。米国がどのやうな戦略に基づいてゐるのか、それは最後に推測してみた い。
 八月十五日、金正日総書記が昨年に続き同月二十 日から二十四日までの予定でロシア極東を訪問し、 二十三日にはウラジオストクでプーチン大統領との 首脳会談が行われる見通しだと報道された。報道の 通り、両首脳は非公式会談を行った。プーチン大統 領は、握手だけで済ませるスタイルを変へて、抱き 合ってキスをする旧ソ連時代の首脳外交スタイルで 金総書記を迎へた。
 ロシアがこのやうに北朝鮮を遇する理由は、G8 加盟や米国との協調の他に、もっと大きな国益が関 はってゐる。二十四日の 「露朝首脳会談」 の報道か ら、その部分を拾ってみやう。
 一つはユーラシア鉄道構想である。韓国と北朝鮮 は、南北縦貫鉄道実現で同意してゐるものの、韓国 側が既にほぼ完成させてゐるのに対し、北朝鮮側で は建設資材不足などの理由で事業が進んでゐない。 ロシアはこの南北縦貫鉄道にシベリア鉄道を結びた いのである。
 《韓国の釜山から北朝鮮、ロシアをへて欧州へと至るユーラシア鉄道が完成すれば、総距離一万四
 千キロに及ぶ世界最長の鉄道路線となり、韓国から欧州まで約二週間で到達、一カ月以上かかる海
 路に比べて大きなメリットとなる。》
 八月中旬に開かれた南北閣僚会談では、北朝鮮は 実利分野のみに合意し、安全保障問題は米と交渉す るとして難色を示し、南北鉄道連結も先送りした。 「太陽政策」を掲げる金大中政権と安保問題を話し 合っても意味はないし、鉄道連結は現状ではその力 がない。北朝鮮が日朝国交正常化交渉に踏み切るこ とは、縦貫鉄道とロシアのユーラシア鉄道構想に必 要な資金を日本に出させることでもある。この点で プーチン大統領の説得は、大いに力が入ったであら う。このほか、ロシア極東部への北朝鮮労働者の受 け入れ拡大や、エネルギー分野での協力などについ ても話し合われたといふ。経済崩壊に面した北朝鮮 にとっては、おいしい餌である。
 もう一つのロシアの国益は、極東・シベリア地域 の活性化である。この地域ではロシア人の人口が急 減し、経済低迷に喘いでゐる。プーチン大統領はこ の地域への中国人労働者の浸透にはっきりと警戒感 を示し、北朝鮮を引き入れることでその勢ひを阻止 したいのである。
 このやうな経緯を経て、八月三十日、小泉首相は 九月十七日に訪朝し、金総書記と会談することを表 明したのである。

     ◇米・露・中の関係
 昨年の9・11テロを境に、米・露・中の関係は 大きな変化を見せてゐる。小泉首相の北朝鮮訪問も、 この変化の中の一環として見るべきであるが、私の 乏しい聞見の限りでは、そのやうな構造的枠組みか ら日朝関係を詳説する解説には出逢ってゐない。
 産経の報道から、抜き書きする記事をご覧いただ きたい。
 《モスクワの米大使館で六月初め、ケビン・ライアン米陸軍武官の大佐から少将への昇進を祝うパ
 ーティーが開かれた。各国の武官らが招かれたこの会場の一隅で「おっ」と思わず歓声が上がるシ
 ーンがあった。
  イワノフ・ロシア国防相から祝電が届けられ、ロシア軍幹部がそれを代読したときだ。米国の一
 武官の昇進パーティーにロシア国防相がメッセージを寄せたのは前代未聞のことで、それは米露開
 係の深い変貌ぶりをうかがわせるに十分だった。
  ブッシュ大統領とプーチン・ロシア大統領が五月下旬、モスクワで戦略攻撃兵力削減条約(モス
 クワ条約)を締結して以降、米国の武官たちはロシア軍幹部をおしなべて「ソユーズニスキ(同盟
 者、盟友」)と呼ぶようになった。》
 《今、米露は対国際テロ協調を接着剤として新たな蜜月時代に入り、「モスクワ条約」に続き五月
 末にはロシアが北大西洋条約機構(NATO)の特定分野の決定に参画できる「NATO・ロシア
 理事会」が発足、カナナスキス・サミット(主要国首脳会議)ではロシアのG8(主要八カ国)へ
 の正式参加が決まった。》
 《「西」の地殻変動に比べて「東」はどうか。ロシアは武器輸出の最大の得意先である中国と八月
 に両国国境一帯で「合同軍事訓練」を行う予定だ。
  しかし、別の軍事筋は「中国との戦略的安定の維持はロシアに不可欠ではあるが、米・西側と手
 を組んだ今のロシアにとって中国は武器のバイヤーと、ロシアにとって好都合な時に利用する相手、
 というずばり二つの意味しかない。中国人民解放軍の幹部が訪露してもイワノフ国防相に会えなか
 ったことが何回か有るし、今度の軍事演習は米国牽制などと言う大げさな意味合いはなく単に国際
 テロ対策の必要上からだ」と大胆に論じる》
(以上七月十四日、緯度経度「盟友『熊』の狙いを読む」 モスクワ・斎藤勉)
 七月二十一日には、ワシントンから古森義久記者 の送信で、米ヘリテージ財団ラリー・ウォーツェル ・アジア研究部長の会見記事が載ってゐる。これは 「米国が日本との共同配備を目指すミサイル防衛は 中国を(抑止の)最大の対象とするが、中国は米側 の出方のいかんにかかわらずミサイルの増強を続け る」といふ見方である。ウォーツェル氏は米国の陸 軍大学卒で、二度にわたり北京駐在武官を務めた経 歴を持つ。
 ブッシュ政権はテロ対策で中国とも提携を図って ゐるが、これは「敵の敵は味方」といふ観点による 短期的なものであり、長期的には中国を米国の軍事 的競争者に育つ危険性のある国と見てゐるといふこ とである。このやうな見方を証明したのが、八月十 五日に米国防総省が議会に提出した二〇〇二年版国 防報告である(八月十七日報道)。同報告は、
 《アジアでは、相当な資源基盤を持った米国の軍事的競争者が出現する可能性があり、他地域以上
 に(同盟国との)協定推進や、遠距離から長期的な作戦を継続するシステムを開発する必要がある。》
 《欧州ではバルカン半島を例外として平和が推持されている。ロシアの通常兵力は大きな脅威では
 なく(米露が)協力する機会が存在している。》
と述べて、「中国の軍事大国化による脅威の増大に 懸念を表明し、米国の伝統的な「仮想敵国」ロシア については従来以上に柔軟な見方を示した。
 一方でロシアと中国の関係は、特に極東・シベリ ア地域で大きな問題を抱へ、今後敵対的になってゆ く可能性がある。八月十四日のモスクワ・斎藤勉記 者の送信記事は、その事情を次のやうに語る。
 《ロシアの有力紙「独立新聞」は今月に入り、「そうだ、われわれはアジア人なのだ」との自虐的と
 も受け取れる見出しを掲げた人口問題の記事の中で「黄色(中国人) の脅威」に警鐘を鳴らした。
 それによると、中国の極東・シベリアとの国境一帯だけで三百万人以上の中国人が密集している。
 「権威ある人口問題専門家」によると、「ロシアにおける中国人の数は二〇一〇年までに八百万−
 一千万人に達し、民族別ではロシア人に次いで第二位になる可能性」があり、「早晩、中国による
 領土要求も活発化しうる」という。
  ロシアの非公式統計によると、現在すでに二百五十万−五百万人の中国人が合法、非合法に極東
 を中心とするロシアに浸透して一定の労働力を担っているとされるが、詳細な実態は明らかにされ
 ていない。》
 極東連邦管区ではプーチン政権の依頼を受けて八 月に入って「移住法」 の草案を完成させたといふ。 その骨子には、「外国人(主に中国人を指すと見ら れる)をロシアにおける労働力としていかに利用す るか」が入ってゐるといふことである。
 先に述べたプーチン政権の「ユーラシア鉄道構想」 は、この地域を活性化させ、この地域に住むロシア 人を現地に引き留め、ロシアの他の地域や独立国家 共同体(CIS)諸国とバルト三国のロシア人をこ の地域にひきつけ、中国人の過剰な流入を押しとど めるためにもどうしても必要な課題なのである。

     ◇米国の戦略
 露朝首脳会談が報道される同じ八月二十四日の紙 面には、米紙ニューヨーク・タイムズが二十三日、 米当局者の話として、北朝鮮がイエメンにミサイル 部品を供与したとして制裁措置を決定したとの報道 記事を掲載した。米国は、ロシアを通じて北朝鮮へ の説得を図りながら、厳しい態度は決して崩さない のである。むしろ、北朝鮮に対しては厳しい態度を 一貫してとり続けることこそが、唯一正しい政策な のである。
 八月三十日には、「さまよえる脱北者たち」 の最 終回で「『難民』解決へ動き始めた米」と題して、「モ ンゴル・キャンプ構想」が取り上げられた。即ち、 米国は「大量の脱北者が中朝国境に押し寄せ、韓国 や日本を目指す」 のは、北朝鮮が崩壊する兆しであ ると見てゐる。「米国は最近になって脱北者という 難民をどう受け入れるかという問題に真剣に取り組 んでいる」。さうして、「北朝鮮難民の大量流出とい う事態になった場合」、「ソ連撤退後、ソ連軍兵舎と して使われていた膨大な戸数のアパート」があるモ ンゴルに、難民の一時収容、保護施設を確保する− これが「モンゴル・キャンプ構想」である。
 《米上院外交委員会事務局は七月、…略…日本、韓国、米国、フランスなどにある約十のNGOに
 対し 「(モンゴルに難民キャンプが開かれた場合の)運営への参加意思の有無とその実効性をどう
 考えるか」と打診した。これに対し日本など複数の組織が参加可能と回答したため、米上院外交委
 は脱北者のキャンプ建設のための予算八千万ドルをつけるよう国務省に勧告した。》
 《五年前、脱北者救出にかかわってきた日本のNGOが在京モンゴル大使館に北朝鮮難民のモンゴ
 ル・キャンプ構想を持ちかけたことがある。つまりモンゴル構想は日本が先鞭をつけたわけだが、
 これに対しモンゴル大使館は「興味をそそられるすばらしいアイデアだが、中国との関係もあり簡
 単ではない。大統領の案件にしておきたい」と遠回しに断っている。
 要するにモンゴル構想は中国の意向を無視できない。だが、米国はその中国に対してさえ「米中
 間の総合的な対話のなかで(難民キャンプ設置などを)提案していく」 (デューイ国務次官)と、
 やんわりと圧力をかけている。》
 九月十一日、古森記者の送信記事は、「金正日政 権崩壊は確実」と題して、ブッシュ政権の国際開発 局ナチオス局長の最近の著書を紹介した。
 《同氏は北朝鮮の将来について1.大飢饉は国民の各層に旧態回復不可能な傷跡をつくり、とくに金
 正日氏が独裁権力の支えとする人民軍に大きな影響を及ぼした 2.十六歳から二十四歳の男子の48
 %が軍隊にいるが、その多くが家族や親類が餓死したという悲惨な体験を有し、その原因が政権に
 あるとみている 3.食糧不足から中国に逃げた難民の多くが九八年の北朝鮮の配給制度の変更で帰国
 して、中国の経済状態が自国よりよいことや、敵だと教えられてきた米国や韓国から食料援助がき
 ていることを多数の北朝鮮国民に知らせた 4.政権はこのまま改革を拒む場合、崩壊は確実となり、
 とくに軍隊の一部がクーデターを起こす展望が強くなる 5.人民軍の一部が叛乱を起こしても一度だ
 けでは主力の軍隊に鎮圧される見通しが強いが、政権の独裁統治は揺らぎ、内戦を生む可能性が高
 い 6.金正日氏の最近の言動にも人民軍への不信や恐れを示す兆候が表れていた−ことなどを記して
 いる。》
 ナチオス局長は人道救済活動にあたる米NGOの 副会長として、九七年から九八年にかけ北朝鮮の飢 餓救済にあたり、北朝鮮各地を数回訪れたといふ経 歴を持つから、この見方は信頼度が高いであらう。 また、同氏は「同書の内容はあくまで個人の見解で あり、ブッシュ政権の政策を代弁していない」と述 べてゐるさうだが、「政権内の閣僚クラスの高官が 北朝鮮の将来についての体系的な予測として…略… と論じることはブッシュ政権の対北朝鮮への指針と して注視される」と古森記者は述べてゐる。
 では、「金正日政権崩壊必至」を高い確度で予測 してゐる米国が、金正日政権の延命につながるやう な日朝首脳会談に何故同意したのか、或いはロシア を通じて、むしろ日朝首脳会談実現を促したのか。 その鍵は「イラク攻撃」にある。
 昨年、米国によるアフガン攻撃が始まった頃、私 はある会合で「究極の目標はイラクでせう」と述べ たが、一顧だにされなかった。しかしながら、ブッ シュ政権は「イラク攻撃」に照準を合はせ続けてき た。テロ組織に大量破壊兵器を供給する恐れがある 国が存在する限り、ある日突然に米中枢部がこれら 兵器によって攻撃を受ける危険性に曝されてゐる。 イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸国」と指定し てあらゆる手段を通じて締め上げてきたのも、その 恐怖を取り除くためである。中でもイラクは第一優 先順位で叩かねばならない。
 九月十三日、ブッシュ大統領は国連総会で演説し、 イラクに査察受け入れを求める新たな国連決議をめ ぐり、国連安保理と協力していく方針を示した。こ れは即時無条件査察を迫るといふ厳しい内容である が、米国が「新たな国連決議を提案」したといふ点 を言ひ訳として、各国は米国に妥協する姿勢を示し た (選挙戦を迎へてゐたドイツは別として)。
 台湾の陳水扁総統が 「一辺一国」発言をした際、 そのことを事前に知らなかったブッシュ政権が激怒 し、台湾は米国に強い人脈を持つ高官を派遣して陳 弁これ務めたが、木で鼻をくくるやうな応対であっ たといふ。つまり米国は、イラク攻撃に何としても 中国の協力的態度を確保したいのであるから、台湾 問題で米中間に余計な摩擦を生じさせたくないので ある。今の時点で台湾が独立傾向を強く示すことは 阻止しなければならない。この報道からも、ブッシ ュ政権がイラク攻撃を本気で考へてゐることが窺へ るのではなからうか。
 十月二十五日には江沢民国家主席が米国を訪れ、 米中首脳会談が行はれる。イラクが完全に米国に屈 服しない限り、おそらくこの会談の後攻撃は実行段 階に入ると見るべきであらう。
 米国はイラク攻撃が一応の成果を挙げるまで、北 朝鮮で政権が突発的に崩壊する事態は避けたい。そ こで「北朝鮮などアジアの問題では特に、日露両国 の協力を仰ぎたい」といふ形でロシアの仲介を求め たのであらう。しかし、北朝鮮の独裁政権の永続を 米国が許すことは決してない。その後の米国の対応 はどうなるであらうか。
 本稿も終りに近づいた本日(九月二十七日)、「正 論」欄にクライン孝子氏の文章が載った。同氏は、 テロ国家に対する締め付けのため、兵器や覚醒剤密 売によって外貨を稼いできた北朝鮮は地下ヤミルー トの道を絶たれ、それが急速な経済破綻の原因とな ったといふ見方を上げた上で、次のやうに言ふ。
 《米国がこの北朝鮮逼迫事情を見逃すはずがない。当地ドイツにおける極東情勢観測筋によると、そ
 もそも今回小泉首相による訪朝が実現したのは、実は二十一世紀前半の米世界戦略の一環として、
 日本にその役割分担を果たして貰う狙いがあるという。なぜなら米国が目下もっとも警戒している
 のは中国で、この中国から北朝鮮を引き離すには、困窮した北朝鮮に救済の手を差し伸べ、先ずは韓
 国主導の南北朝鮮統一を図る計画だという。ところがその朝鮮半島統一には莫大な復興資金が必要
 である。ちょうど十二年前のドイツがいい例で、ドイツは今もこの統一では東ドイツという重いお
 荷物を背負って四苦八苦している。統一となれば韓国も又その重荷を背負うのは必至。だが韓国は
 ドイツと違い、一国では到底その荷物は背負いきれないのだ。そこで日本の経済力に期待し、資金
 面において一枚噛んで貰うという。そういう意味では、この日朝首脳会談はこうし
 た複雑な国際情勢が微妙に絡み合っているだけに、会談が難航したからといって簡単に席を蹴っ
 て引き揚げてしまう無責任なふるまいが許される会談ではなかった。》
 この観測はおそらく正鵠を射てゐるであらう。ア ーミテージ米国務副長官は八月末にアジアを歴訪 し、二十六日には北京市内で中国政府高官と相次い で会談した後、日本を訪れた。表向きはイラク攻撃 の 「支援要請」と見られてゐたが、それだけではな い。同副長官が離日した後、小泉首相は三十日、電 撃的な「日朝首脳会談」を発表したのである。九月 第二週に9・11メモリアルや国連出席で、小泉首 相はべったり米国に滞在した。日朝首脳会談はその 後の九月十七日に設定してあったのだから、小泉首 相はアーミテージ国務副長官肪日の際に首脳会談に ゴー・サインを受け、訪米の際最終的にがっちりと 枠をはめられたと見て、何の不思議もない。

     ◇をはりに
 残念なことに、日本の重要な外交問題は米国の国 際戦略といふ掌の中から一歩も出られないのが現実 の姿である。クライン孝子氏は、「米国の後ろ盾も あって、今回の北朝鮮との交渉ほど日本にとって有 利なものもなかった」が、「にもかかわらず今回の トップ会談はお世辞にも成功とはいえず、日本外交 の不手際な面が目につく」と指摘してゐる。その理 由は産経の「正論」欄を読んでいただきたいが、私 は次の二点を指摘しておきたい。
 一つは、日本の外務官僚の思考領域が当事国との 二国間の関係にのみ向き、その関係正常化はいいこ とであるといふ思ひこみに捉はれ過ぎ、相手国の意 向に引きずられてしまふのではないか、といふ疑ひ にある。数々の不手際や、政府専用機を断られると すぐ民間機のチャーターを考へ、あまつさへ 「拉致 問題に進展がなくとも正常化交渉は始める」などと 言ふ外務省高官が出るのを見聞きすると、日本の国 益を誰が守るのかと慨嘆するばかりである。
 今一つは、テレビや新聞が目前の報道に流れすぎ、 「複雑な国際情勢が微妙に絡み合っている」 日朝首 脳会談について、その背景を明快に解き明かす努力 を欠いてゐるのではないか、といふ疑ひにある。少 なくともNHKや四大紙は、そのやうな国際情勢を 詳しく説明する必要がある。
 この間題に関する私の資料渉猟はまことに狭いも のであるから、既にそのやうな解説記事が出てゐた とすれば、読者諸賢に是非にお教へ願ひたい。本稿 は産経新聞の切り抜きを通覧して浮かんだ一つの見 方であることを、もう一度お断りしておく。 (了)


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