新「歴史教科書への考察」3
       明治憲法体制をどう見るか 下
                           歯科医師 石井雅之

     ◇観点2 明治憲法の位置づけ
 憲法の性格への評価として、九年版では日本書籍 の《天皇が最高権力者》とする記述を頂点に、
「天皇は主権者として強い権限を持つ」とする記述 を行う社がほとんどで、天皇の統治が憲法に基づい て行われることを記す社は清水書院と教育出版の二 社のみです。興味深いのは日本文教出版で、欄外の 囲みに
《フランス革命と明治維新について、政治をとる者 はどう変わり、どんな改革をおこない、どのくらい の期間で新しい社会を樹立したか比べてみよう》
という指示が出されています。明治維新をフランス 革命と比較して、その不完全さをあげつらう風潮は、 左翼系の歴史学者の間で一世を風靡したと聞いてい ますが、中学生の教科書にここまではつきりと記述 されているのは驚きです。
 十四年版になると、天皇を主権者とする社は相変 わらず多数を占めますが、東京書籍と帝国書院は「強 い権限を持つ」という趣旨の記述を削除しています。
ここでも扶桑社は
《国家の統治権は天皇にあるとし、その上で実際の 政治は各大臣の輔弼に基づいて行われると定めた》
と、権威と権力の分離を明言している点で他社と大 きな違いを見せ、『歴史教科書の歴史』でも
《ここまで明確に記した例は教科書では存在しない》
と評価されています。フランス革命との比較を指示 していた日本文教出版は、今度は
《律令時代のしくみや、現代のしくみと比べてみよ う》
という指示に変わっています。どういう意図が あるのか、筆者にはよくわかりません。
 注‥天皇の統治権に関する各社の記述は、後述の大臣責任への記述と併せて、ずっと後の「昭和
    天皇の戦争責任」論に大きく関わってきているのではないかと筆者は疑っています。
 前回少し触れた「ベルツの日記」とは、ドイツ人 医師ベルツの日記で、「日本人は憲法の内容を知ら ないで、発布を祝っている」という趣旨の記述がさ れています。前述の 「非公開で憲法審議」という記 述と併せて、明治憲法の内容は国民には知らされず に作られたことを強調する材料として使用されてい ます。九年版でこの日記を紹介するのは日本書籍と 清水書院の二社、大坂書籍はこれとは別に幸徳秋水 が中江兆民の言葉を借りて、やはり「誰も憲法の内 容を知らない」としています。十四年版になると、 前記の二社に帝国書院を加えた三社が日記を紹介し ます。反面、大阪書籍は「誰も内容を知らない」と いう記述を削除します。結局、「誰も知らない」と する社は三社のままです。
 アジア初の立憲政治であるという記述に関して は、二十数冊に及ぶ扶桑社版への批判本には 《アジアで最初の議会をもつ立憲国家として出発し た》
という記述に対して、オスマントルコの方が早いと いう指摘が、一つ覚えのようにされています。しか し、この点についてはそもそも学習指導要領に
《これにより当時アジアで唯一の立憲制の国家が成 立し議会が始まったことの意義について気付かせ る》
という指示があり、十四年版の各社においては日本 書籍を除く七社に同様の趣旨の記述があるのであっ て、扶桑社のみを批判するのは全くの不当です。ま た、オスマントルコの憲法は翌年に停止され、立憲 国家が成立したと捉えるには無理がありますし、オ スマントルコをアジアに含めるかについても異論が あります。明治憲法がアジア初の憲法ではないこと を無理に強調することによって、憲法の意義を貶め ようとする悪意が、ここでも感じられます。
 次に憲法の三権分立・大臣責任・国民の権利に関 する内容自体の記述ですが、三権分立について九年 版では否定的に紹介するのが三社、記さないのが四 社であったのが、十四年版は記さない社が二社(東 京書籍、大阪事籍)増え、六社となり、
《天皇が主権者として立法・行政・司法および軍事 のすべての権限をにぎる》
と否定的に紹介するのが清水書院、
《三権分立の明治憲法体制》
と肯定的に紹介するのが扶桑社となっています。こ の状態は改善されたとは言い難いようです。
 大臣責任は、九年版で大臣が権限を行使するとす るのは二社(清水書院、教育出版)、残りの三社は 全く触れていませんでした。十四年版でもこの七社 の記述の傾向に変化はなく、実際の政治は各大臣の 輔弼により、天皇には責任を負わさないとする扶桑 社が追加されただけの状況です。
 国民の権利については、九年版で一応肯定的に記 述するのが三社(東京書籍、清水書院、教育出版)、 否定的に紹介するのが四社(日本書籍、大阪書籍、 帝国書院、日本文教出版)でした。十四年版では東 京書籍がこの点について記さなくなり、大阪書籍が 肯定的に記すようになります。ここへ肯定的に記す 扶桑社が加わったため、肯定‥否定は半々という結 果になっています。
 意法の内容についての全体の評価は、独自の立場 の扶桑社が加わったものの、他社の記述の傾向には 大きな変化が認められないという結論に落ち着くよ うです。従って、扶桑社を除く各社の明治憲法に対 する記述は、『歴史教科書の歴史』の表現を借りれ ば、
《天皇制絶対主義論での記述》
の立場を変えていない、「第三期のまま」というこ とになります。

     ◇観点3 明治恵法下の政治体制
 ここでは、主に大正デモクラシー(原敬内閣に始 まる政党政治と普通選挙への重点の置き方。治安維 持法の制定の意図について)に関する各社の記述を 検討します。『歴史教科書の歴史』によれば、政党 政治と普通選挙のどちらの記述に重点を置くかによ って、自由と平等のどちらを重視するかが判断でき るとされます。筆者も、戦後民主主義教育を受けた 世代の一員として、自由も平等も「良いこと」とし てしか認識できていませんでしたので、先に引用し ました全体傾向の総括の部分に伸べられたような比 較を読んで、意表を衝かれた思いがしました。「民 主主義」をあれほど大事にする風潮の中で、その本 質を全く教わっていなかったのです。世間と自分自 身の両方に呆れてしまいます。
 ともあれ、原敬内閣について九年版の各社の記述 は、見出しに「政党政治」の言葉を用いるのは教育 出版のみ、「普通選挙」の項に含めて記述するのが 東京書籍、大阪書籍。「米騒動」の見出しを用いる のが日本書籍、清水書院。帝国書院と日本文教出版 はそれぞれ「大正デモクラシー」「民本主義」の見 出しで記述しています。また、「平民宰相」の言葉 を用いて、原敬の写真を掲載するのは教育出版と日 本文教出版の二社のみ、東京書籍、大阪書籍、清水 書院は吉野作造(注‥民本主義・普通選挙を唱えた 政治学者)の写真を掲載しています。政党政治を軽 視する傾向がはっきりと見て取れます。
 十四年版になると、見出しに「政党政治」あるい は「政党内閣」の言葉を用いる社が東京書籍、帝国 書院、扶桑社、教育出版、日本文教出版の五社とな り、多数を占めるようになります。写真の扱いは同 じです。最大手の東京書籍が見出しを「普通選挙の 実現」から「政党政治の実現」へと変更したことは、 政党政治軽視の傾向に歯止めができた印象を受けま すが、内容的には、用いる写真が原敬でなく吉野作 造であることに象徴されるように、手放しで改善さ れたと評価することはできません。
 政党政治について九年版では、東京書籍が
《政党の党首が内閣を組織することが慣例となり、 「憲政の常道」といわれた》
と記しますが、他社は慣例とはせず、大阪書籍、帝 国書院、教育出版は政党内閣の継続に触れ、日本書 籍、日本文教出版は政党内開成立とのみ記し、残る 清水書院は政党.内閣についての記述はありません。 東京書籍以外の六社の記述は、大正デモクラシーを 過小評価しているように思えます。十四年版では、 日本書籍が政党内閣の慣例が続いたことを記すよう になりますが、逆に大阪書籍は継続に触れる記述を 削除しています。結局、
《二大政党の総裁が交互に首相に任命される政党内 閣の慣行が続き、「憲政の常道」と呼ばれた》
と記す扶桑社を含めても、「意政の常道」を記すの は東京書籍と併せて二社のみであり、日本書籍と大 阪書籍の記述が入れ替わっただけという印象です。
 普通選挙については、九年版では七社中、日本書 籍、帝国書院、清水書院、教育出版の四社が普通選 挙と治安維持法をセットにした見出しの下で記述し ます。また、全社が本文で普通選挙法と治安維持法 の成立を続けて記述します。
 例‥《「普通選挙の実現と治安維持法」1925年  に25歳以上の男子は財産に関係なく選挙権を  持つ、普通選挙制が実現しました。しかし、同  年に、(中略)治安維持法が定められました》(帝   国書院)
 これは明治維新の改革の記述でも再三見られた、 改革の記述に続けて「しかし」とし、マイナス面を 記述することで改革の意義を貶める効果を意図する 手法に思えます。十四年版になってもこの傾向は全 く同じで、セットの見出しを用いていた四社もその ままです。扶桑社は「憲政の常道」の一環として普 通選挙実現を記し、大正デモクラシーの流れの中に 位置づけています。普通選挙と治安維持法をセット で扱わず、意義を貶める用い方はしていません。
 治安維持法の制定については、前述のように、普 通選挙と同時に(同年に)、あるいは同じ議会が制 定したと記します。これは九年版、十四年版で扶桑 社を除く十四冊が全部そうです。制定の動機につい て日本書籍は九年版で
《ソ連と国交を回復した政府は、社会主義運動を警 戒して》
と記していました。ソ連への言及の部分は、他社で は日本文教出版しか記していない意義のある記述で したが、十四年版では両社ともに削除されました。
(余談ですが、ソ連とは国交の回復ではなく、開始 あるいは樹立でしょう)
 治安維持法の内容は、東京書籍、扶桑社以外の六 社には、国体あるいは天皇制の変革や、私有財産制 の否定を唱える運動への取り締まりであると記述さ れていますが、当時既に日本とソ連は冷戦関係にあ り、ソ連との国交開始に伴って、ソ連の指揮下にあ った日本共産党の武力革命路線への社会不安が増し たことを記さなければ、政府は何の理由もないのに 社会主義者、共産主義者を弾圧するためだけに治安 維持法を制定したような印象を与えてしまいます。 この点は、
《共産主義に対する取りしまりが強められた》
とするのみの東京書籍についても同様ですし、十四 年版で唯一ソ連との関係を記す扶桑社も
《その影響が直接国内におよぶことを予想して》
と記すだけでは不十分で、もっとはっきりと 「テロ リズムに対する取り締まり」であることを明言して 欲しいと思います。
 この観点のまとめとしては、政党政治より普通選 挙を重視し、治安維持法を国民の主義思想を抑圧す る悪法とのみ捉える傾向は、十四年版になってもほ とんど変わっていません。特に治安維持法の評価に 関する記述の旧態依然ぶりは救いがたいものがあり ます。各社はもう少し頭の柔軟な執筆陣に入れ替え た方が良いのではないでしょうか。

     ◇観点C量丁国主義とファシズム  ここでは『歴史教科書の歴史』に倣った観点から 少し離れて、戦前の日本に対する評価の試金石とし て「軍部中心内閣」と「ファシズム」への各社の記 述を比較しました。戦前の日本の国家体制をどのよ うに捉えているかによって、その執筆者の姿勢が浮 き彫りにされると思ったからです。左翼系の人たち は戦前の日本を暗黒に描きがち(山本夏彦氏によれ ば「お尋ね者史観」)で、その格好の材料としてい わゆる「天皇制ファシズム」が用いられますから、 逆に言えば戦前の日本をファシズムだと規定する執 筆者は「お尋ね者史観」の持ち主であることになり ます。
 昭和初期の軍部中心の内閣について、九年版では、 満洲事変後(日本書籍)あるいは2・26事件後(東 京書籍、帝国書院、清水書院、教育出版)に、軍部 が発言権を強めたことを記述していますが、大半の 社は記述の主語を軍部とし、国民の間に政党政治や 官僚への不満が高まっていたことを記しません。清 水書院が
《国内には政党や財閥、それに協力する官僚への不 満が高まり》
と記し、日本文教出版にも同様の記述がある程度で す。また、大阪書籍は軍部の政治への介入を記して いません。
 十四年版になってもこの傾向は同じで、日本書籍 が他社と同様に軍部が発言権を強めるのを2・26 事件後としたことが変わった程度です。ここでも扶 桑社の記述は他社とは全く違い、
《軍人が政治に介入することは明治憲法に違反し、 軍人勅諭でも戒められていた。しかし、(中略)軍 部の政治的発言権を強めようとする動きも出て、国 民も次第に軍部に期待を寄せるようになった》
と、冒頭でご紹介した、軍国主義体制は明治憲法違反 であったという見解を明言し、それにもかかわら ず国民が軍部を支持する背景があったことも記して います。
 ファシズムについて、『大辞泉』(小学館)による 用語の定義をご紹介しておきます。

  「ファシズム」
 極右の国家主義的、全体主義的政治形態。始
 めはイタリアのムッソリーニの政治運動の呼
 称であったが、広義にはドイツのナチズムや
 スペインその他の同様の政治運動を指す。自
 由主義・共産主義に反対し、独裁的な指導者
 や暴力による政治の謳歌などを特徴とする。

  「軍国主義」
 軍事力の強化が、国民生活の中で最高の地位
 を占め、政治・経済・文化・教育などすべて
 の生活領域をこれに従属させようとする思想
 や社会体制。

 この定義に従えば、国家主義・全体主義・独裁政 治はファシズムの特性としての位置付けが可能です が、軍国主義はファシズムにとってあくまでも手段 であり、本質ではないと言えます。
 H・J・ラスキ著/堀真清訳『ファシズムを超え て』(早稲田大学出版部)にも、ファシズムの位置 付けとして、天才的デマゴーグを指導者とする大衆 運動・国家的自尊心の復活を確約・テロ(大規模な 秘密警察と強制収容所)による支配・党の指導者が 国家の支配者・国家支配の権力の維持だけが目的、 等の特徴が記されていますが、軍国主義は支配の手 段としてしか位置付けられていません。
 以上の点を踏まえた上で各社の記述を見れば、九 年版の日本書籍が
《民主主義を否定した軍国主義的な独裁政治》
と定義しているのは適切ではありません。また、日 本書籍、東京書籍、帝国書院、教育出版の四社が、 民主主義を否定あるいはこれに反対すると記述して いることが目に付きます。しかし、これは先に引用 した「独裁者を指導者とする大衆運動」であるファ シズムの特徴を踏まえていません。あえて「民主主 義」という言葉を用いるならば、「民主主義を悪用 した」と表現すべきではないでしょうか。
 この点で、
《改革を暴力や宣伝を用いてすすめようとする国家 主義的な政治・社会運動》
と定義する清水書院の記述はより適切だと言えま す。大阪書籍は
《第二次世界大戦は、ドイツ・イタリア・日本のフ ァシズム諸国と、アメリカ・イギリス・ソ連・中国 など連合国との戦争》
と、日本をファシズム国家と断定しています。戦勝 国の宣伝から未だに目が醒めていないようです。
 十四年版では、日本書籍が「軍国主義」と述べな くなりますが、帝国書院が
《軍国主義的な独裁を行う政治》
と記します。一方、教育出版が「民主主義に反する」 旨の記述を削除し、大阪書籍が
《ドイツやイタリアのように、大衆と結びついて成 立し、反民主主義・反自由主義をかかげ、権力で支 配する独裁政治》
との定義を述べるようになります。「大衆」 の存在 を記すのは一歩前進ですが、大衆と結びつくことと 反民主主義が両立する矛盾には気付いていないよう です。また、大阪書籍の第二次世界大戦の定義は同 じで、日本文教出版も新たに同様の記述を加えてい ます。
 扶桑社は「共産主義とファシズムの台頭」とする 項を独立して設け、共産主義とファシズムに共通す る特性として
《唯一の独裁者が党を足場にして権力を握る独裁国 家。秘密警察や強制収容所を用いて人々を大量に処 刑》(引用者要約)
などを挙げ、スターリンとヒトラー、ソ連とナチス の強制収容所の写真をそれぞれ並べて掲載していま す。この点は既に前述の『国民の油断』でも詳細に 述べられておりますが、今までの教科書では決して 述べられることの無かった見解です。この部分の記 述だけをとってみても、扶桑社は『歴史教科書の歴 史』にいう「第二期」に戻ったもにではない、まさ に「新しい歴史教科書」であるということが言える と思います。

    ◇結論
 以上の四点の観点を通じての結論は、扶桑社以外 の各社の記述は、九年版からはいくつかの点で変化 は見られるものの、全体の流れそのものはほとんど 変わってはいないということです。毎回の結論が結 局同じで恐縮なのですが、一応分かりきっているよ うに思えることも実際に検討した上でないと断言で きないというのが、元々は理科系の筆者の信条であ りますので、今後ともお付き合いを願えればと思っ ております。
(考察・3了)


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