日本に対する謝罪と激励の弁 下
       ―和田春樹氏との出会い―
                           トロント在住・元韓国仁荷大学教授 朴贊雄

    ◇中国とアメリカ
「中国はどうお思いですか」
 和田さんが僕にきいた。
「中国はダメですね。人権不良国家ですよ」
 間髪を入れず、僕は即答した。
 中国は北朝鮮からの脱北者等を捕らえて北朝鮮政 府に渡す、甚だしい人権劣等国家である。これは彼 らをじかに殺すのとあまり変わらない。一九六〇年 代の天安門虐殺、一九九〇年代から続いている法輪 功弾圧。そして中国国内に於ける少数民族弾圧。吉 林省内の朝鮮族自治体というのも名目に過ぎない。 それに今台湾に加えつつある武力統一の脅威は何で すか。日本を含めて近隣諸国に対する脅威は、経済 発展と共にもっと高くなってゆくでしょう。
 和田さんが、またポツンと僕にきいた。
「アメリカはどうお思いですか」
「私はアメリカを信じます」これも僕の即答だった。
 アメリカは人類の前途を真剣に考えて、自由主義 と市場経済の理想を高く掲げて、一次大戦、二次大 戦並びに戦後、共産圏との冷戦を闘いぬいたと僕は 評価する。
 ブッシュ大統領は、今年(二〇〇二年) の年頭教 書で、イラク・イランと北朝鮮を「悪の枢軸」とき めつけた。今年(同前)の二月二十日、ブッシュ大 統領が韓国を訪問して金大中大統領と会談し共同記 者会見した際、ブッシュの発言はその一言一言が南 北韓国民の自由と繁栄を願う誠実なものであったの に対し、金大中の発言は架空の平和を望む、内容に 欠けたものに過ぎなかった。自国民を思う一かけら の真実性も見当たらなかったのだ。
 韓国は今アメリカ・日本等民主国家と協力して金 正日政権を打倒し、北朝鮮を民主化して彼ら人民を 家畜よりもひどい奴隷の身分から解放させることに 全力を尽くすべきである。金大中政権が自由と正義 を抜きにして、悪の軸なる北朝鮮の金正日政権と野 合して統一を果たすというシナリオは、低能児の駄 洒落に過ぎない。

    ◇歴史認識と現実認識
 韓国と北朝鮮と中国は、歴史教科書問題、靖国神 社参拝問題、軍備問題等日本との交渉過程に於て、 機会あるごとに日帝三十五年の歴史認識を引き合い に出す。「日本は曾てアジア近隣諸国に対し大いな る悪事を働いたのだから神妙にしろ」という金縛り 戦術のようにとれる。しかし、
1. 当時日本が韓国を併合したのは、弱肉強食とい
う時代の風潮下で行われたもので、列強に挟まれ
た当時の韓国の国力で独立は期すべくもなかっ
た。すなわち誰かの植民地になるべき運命の下に
あったのである。当時もし日本の国力が韓国の十
分の一にも満たなかったとすれば、忠勇無双の韓
国兵が日本全土を植民地化したであろうことは想
像に難くない。
2. その当時もし韓国が中国やロシアの植民地にな
ったと仮定するとき、韓国の政治や経済の発展は
、今の中国吉林省内の朝鮮族自治州、或いは中央ア
ジアのカザフスタンやウズベキスタンに定住する
高麗族の水準にしか達し得なかったであろう。そ
れよりは、日本の植民地になった方がよかったと
いうのが、僕の歴史認織である。

 日本の統治下で韓国の現代化が促進されたという 一面も否定するわけにいかない。
 世界の国々は人権優良国家と人権不良国家とに大 別される。人権不良国家はその国の政府が自国民に 対して人権を尊重しない国であり、そのような国は 近隣諸国に対しても、いつ如何なる不法をしでかす か知れない虞犯国家である。脱北者処理問題等にも 現れた如く、北朝鮮と中国と南韓は、アジアに於け る人権劣等国家である。そしてその最たる者が北朝 鮮なのだ(韓国は金泳三大統領以後は大分改善され ている)。
 人権優良国家(例・日本)の軍備は強力な程世界 平和に貢献する。これに反し、人権不良国家国家の 軍備は強くなる程世界平和の脅威となる(例・中 国)。
 僕は今度のアフガン戦に日本の海軍(自衛隊)が 出動したのを高く評価したのに対し、和田さんはア ジア諸国の思惑を心配された。僕は今、日本の海軍 が世界と人類の平和のために貢献する段階に至った ことを高く評価したい。
 歴史認識は過去の問題の反省であって、重大なの は現実そのものである。北朝鮮や中国はその国号に 「民主主義人民共和国」とうたっているが、人民の 主権は全然存在しない。今日の時点に於て彼ら は国内外を問わず民主主義や民主慣例を踏みに じりながら、歴史認識をうそぶくのは笑止の至りである。 日本はこのような人権劣等国家群が歴史認識云々と からまってくるのに対し、人権問題を挙げてはっき りと突っ張るべきだ。
 ソウル大学教授協議会は、二〇〇一年五月二十三 日、北朝鮮の金日成大学と中国の北京大学に、 「日本の歴史認識歪曲阻止のため連帯して闘おう」 と呼びかける書簡を送ったという。世界には浜の真 砂程の大学があって、その中には真理探究を業とす る真面目な大学もあるけれど、不義の権力の手先に なって人類に害毒を及ぼす大学も多い。僕はこれま で金日成大学やモスコー大学を軽蔑してきたが、韓 国を代表するソウル大がこんなていたらくとは思わ なかった。韓国はこれほど浮かぶ瀬のない国なのか。 沈痛の念にかられるのみである。
 小泉総理の靖国神社参拝に「待った」をかけるの も狭量の至りである。国の若者共が国法に従って戦 場に連れ出され、国のためと信じて尽きせぬ苦痛を 嘗めながら戦死したとすれば、彼らを戦場に追いや ったその国民が、その思想や戦争目的如何に拘わら ず、その冥福を祈るのは道理である。それに、韓国 を侵略した北朝鮮と中国が、自身の重大な戦争犯罪 は棚に上げて、それより十年も前の日本の侵略行為 を詰るのもおかしい。いま、韓国国民の焦眉の急務 は、日本の歴史教科書の歪曲声討に非ず、国内民主 主義の土着化であり、北朝鮮人民の極限独裁からの 解放であらねばならない。

    ◇剽窃国家
 歴史認識の話のついでに、韓日間の文化の流れに ついて、僕は次のように指摘した。
 昔は中国の文化が朝鮮半島を通じて日本に渡った ものだが、現代になってからは西洋文明が日本を通 じて韓国に入ってくるようになった。この流れは、 植民統治時代から今に至るまでずっと続いている。
 韓国のテレビのプロは、日本とほとんど同じであ る。勿論日本のテレビプロも根幹はアメリカから取 ってきたのが多い。
 政府の組織・裁判制度・選挙制度・新聞雑誌・出 版物・学制・医療制度・鉄道・国民の服装・デパー トの仕組み等々。もう何から何まで、日本と韓国の 間に文化の差異はないように見える。
 これは日本と韓国二国間の関係に限らない。西洋 文明の大半が日本に渡り、それが日本で東洋化され て、「右へならえ」の形で全体アジアに拡がってゆく のである。この伝達過程は、日本から近い程手間 も時間もかからない。
「今や韓国は日本の剽窃国家ですよ。一寸聞こえが 悪いけれど」
 僕のこのコメントに対して和田さんは
「模倣国家と言えばいいかな」と言われた。
「韓国は日本という国があって、そこでやっている ことを何でも真似さえしていればいいんだから楽で すよね。実に都合のいい世の中になったものだ。こ れなら韓国等には大学も要らないんじゃないかな。 日本語の勉強だけして何でも日本の真似さえすれば いいんだから。近いし、物を買ってもアフターサー ビスが良いし、言葉は言語の構造が全く同じで習い やすいし」
 これだけ言語の構造が同じというのも珍しいこと だが、にも拘わらず、共通単語が一つもないという のも全く珍しいことだと、僕はいつも感心している。

    ◇漢字文化圏内相互間の地人名発音
 中国・南北韓・日本等は漢字文化圏を形成してい るアジアの三ケ国である(言語的に南北韓を同一視 する)。これら三ケ国は皆同じ漢字を使っているが、 その発音はそれぞれ別々である。歴史上各国民は今 まで他国の地人名を自国流に発音して、これに不便 を感ずる者も異議を唱える者もいなかった。
 ところが一九七五年十月に、北九州市小倉教会の 在日韓国人、崔昌華牧師(四十五)が、NHK放送 を相手取り、自分の名前を日本流に発音したのは人 権侵害だと主張、謝罪と一円の損害賠償を要求する 民事訴訟を提起した。
 崔牧師が裁判に勝ったのか、それともNHKが折 れて出たのか、その後のいきさつを僕は知らないが、 とにかくこれをきっかけに今韓日両国はお互いに相 手方の地人名を自己流で読まずに、相手方の発音に 似せて呼ぶようになった。僕が「似せて」というの は、お互いに相手方の発音の母音や子音が正確には 出来ないからである。
 僕の名前の「朴贊雄」を日本読みにすれば「ボク サンユウ」となって、僕がこう呼ばれた場合直ぐ自 分の名前だということが分かる。ところが日本人が これを「パックチャンウング」と韓国読みにすれば、 発音がおかしくて自分が呼ばれているのだとは直ぐ 気づかない。そもそも日本人は「朴贊雄」や「トウ小 平」等の韓国式発音や中国式発音を知るよしもない。
 理屈にも合わず不可能ともいえるこのようなバカ な慣習はもとに戻して、お互いに自己流の発音に帰 ることを僕は主張する。僕と同じ考えの人が日本に も韓国にもいっぱいいる筈だが、大勢に押されて日 の目を見ることが出来ないらしい。
 僕は日本語の子音と母音は韓国語の子音と母音に 乗せやすいけれども、韓国語や中国語の子音と母音 は日本語にはよく乗らないと言う説明を和田さんに しながら、崔牧師の主張には幼稚で偏屈な国粋主義 が働いているのだという、僕の見解をつけ加えた。 和田さんは「なるほど」とお答えなさったように記 憶する。

    ◇僕の自由主義思想
 僕は日本植民地時代の中学生当時から自由主義に 傾倒し、七十六歳の今日に至るまで些かの揺るぎも ない。韓国のように北は左翼独裁、南は右翼独裁が 幅をきかす人権蹂躙の凍土地帯で自由主義を守り通 すということは、自分自身を地獄に突き落とすも同 然の桎梏でもあった。僕は和田さんに言った。
 日本の武士は朝、家を出ると七人の敵があるとい われた。ところが僕の場合は、家を出ると四千万の 敵がある。その半数は右翼独裁支持者であり、残り の半数は左翼独裁支持者である。前者にとって僕は アカと変わりがなく、後者にとって僕の存在は反動 分子にうつる。あっちこっちから、卑怯者、変節者、 機会主義者、反動分子等、あらゆる罵声が僕の身に ふりかかる。しかし、一九四八年頃から書き続けた 僕の著書が、僕の操を證してくれるだろう。
 僕が初対面の日本人に、この七人の敵の話をする のは、これによって僕の立場とか路線とかをハッキ リさせると共に、相手方にも自身の立場を明かして 欲しいという期待と、もう一つは
「貴方がどういう立場であろうと僕はあまり気にし ませんよ。だって僕は既に数千万の敵の最中で暮ら し馴染んでいるのですから」と、相手を安心させる 僕の配慮がこもっているのだ。
 僕は和田さんとの別れ際に、朝鮮戦争当時の僕の 日記である『6・25日誌』という著書を贈呈した。
「先生には朝鮮戦争という著書がおありですね。こ れは僕の朝鮮戦争の参戦日記です。これは勿論韓国 語の本ですけれども、もともとの原稿は日本語でし たよ。もう五十二年になりますがね」
 僕は元来無口な方だし、和田さんにはいろいろお 伺いしたいことがあったのだが、対話はどうしたは ずみかほとんど僕の過剰発言に終始した感がある。 たいへん失礼なことをしたとお詫びを申し上げた い。(二〇〇二年十一月十二日)

朴贊雄(日本語ではボクサンユーと読む)
Chan−Ung Park
E-mail:cupark@symoatico.ca



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