拉致問題と教科書
       ―両者に共通する病根―
                           高崎経済大学助教授 八木秀次

    ◇はじめに
 私は扶桑社の「新しい公民教科書」の約三分の一 を書きましたが、その中で一ページ分、拉致の問題 を取り上げました。しかし、ああいう記述にするた めに随分苦労しました。もちろん文章に書くのは簡 単なことなのですが、教科書に記載し、それが検定 を通るまでには色々困難がありました。今日はその ようなことも含めてお話したいと思います。
 歴史教科書が、日本が一方的に悪かったという自 虐的な内容であることは周知のことですが、拉致問 題ではっきりしているのは日本側が一方的な被害者 だということです。日本は何も悪くないのに、日本 の若者が頭から袋をかぶせられ、船に乗せられて暴 力的に連れていかれたのです。横田めぐみさんはわ ずか十三歳で拉致され、船の中で「お母さん、お母 さん」と泣き叫びながら船の壁を掻きむしったため に、爪が剥がれそうになって血だらけになっていた といいます。これほど酷い事件であり、一方的な被 害者であるにもかかわらず、四半世紀これを問題に すら出来なかった。教科書にすら書けなかったので す。拉致の問題には、まさに自虐の精神が集約的に 表れていると思うのです。

    ◇日朝首脳会談の背景
 その問題に入る前に、昨年九月十七日の日朝首脳 会談の背景について、私なりに理解したところを申 し上げたいと思います。日朝首脳会談は、最近にな ってその内幕が浮き彫りにされていますが、一言で 言うと、北朝鮮と日本外務省のチャイナスクールが 仕組んだものであったわけです。
 幸い日本にとっては、拉致の問題がクローズアッ プされ、これによって国民意識が喚起されたという ことではありましたが、もともとは、北朝鮮が三つ の狙いを持って推進したものでした。
 一つは、アメリカに対する工作という意味があり ます。ご承知のように、ブッシュ政権は北朝鮮をテ ロ支援国家リストの中に入れておりますし、悪の枢 軸の三国の中に位置付けています。北朝鮮としては、 テロ支援国家リストの中から何とか外させようと考 えていたわけです。そうしなければ、ブッシュ政 権は今回の対イラク武力行使に見るように必ず攻撃 してくるわけですから、自分が危ないわけです。そ こで日朝首脳会談をセットすることにより、まず拉 致は認めよう、しかし拉致された人たちを決してテ ロには使っていない、なおかつ拉致は金正日自身が 命じて行ったことでもない、かつては拉致をしたこ とはあるがもう今は心配することはない、危険な国 ではなくなったと、こういうメッセージをアメリカ に対して発信するために行ったという意味がありま す。
 しかしこれは、失敗をしました。何と言っても、 拉致はアメリカの認識では明確なテロですから、拉致 をしたということは「テロ支援国家」どころか、 文字通りのテロ国家であることを自ら白状したに等 しいとなったわけです。その意味で、アメリカはま すます悪の枢軸の中心的な存在として北朝鮮を位置 付けることになってしまったわけです。
 第二は、日本に向けた工作という意味です。これ は、拉致をしたことを謝罪し、五人生存八人死亡と いうことで拉致問題を終結させることを狙ったわけ です。日本国民の感情をここで鎮めておいて、そう して日朝国交正常化に持っていく、これは日本外務 省の見解とも一致しています。そうして日本から経 済協力を引き出すという意味があったわけです。
 しかし、これも失敗しました。日本の国民感情を 逆撫でし、怒りが爆発したわけです。これまで日本 国内に、拉致は疑惑に過ぎないと言い続ける連中が いたのですが、当事者が認めたことにより、拉致は 紛れもない事実であることがはっきりしたのです。 これによって、マスコミは一斉に、拉致は事実であ ったとの前提で連日のように報道し、国民の怒りと ともに、北朝鮮という国家に対する認識を日本国民 が新たにしたわけです。
 失敗したと気付いた北朝鮮は、その後も日本に対 する工作をずっと行い続け、拉致問題を終結させよ うと手練手管を尽くしています。例えば横田めぐみ さんのお嬢さんと言われる、キム・へギョンという 十五歳の少女をテレビに引っ張り出して、横田さん のご両親に「会いに来て」と言わせる。ご両親が出 かければそこで大歓迎をし、キム・へギョンさんと 抱き合うシーンを見せて、これで横田さんの気持も おさまる、もちろんめぐみさんは死んだことにした ままです。こうしてとにもかくにも、拉致問題のシ ンボル的存在である横田さんを引き寄せることによ り拉致問題を終結させ、家族会を分断する狙いもあ るわけです。
 その後横田さんのお父さんにターゲットを絞って 訪朝させようとしています。その背景は、外務省の チャイナスクールと北朝鮮だということははっきり しているようです。外務省はとにかく日朝国交正常 化をしたいのです。そのきっかけが、昨年九月十七 日の日朝首脳会談であり、それをセットしたのが田 中均前アジア大洋州局長、現審議官なのです。彼は 自分の力で国交正常化が実現したということにした いわけで、そこにはもちろん功名心もあります。し かしその背景には、外交と友好とをはき違えている 日本外交の問題点があることは言うまでもありませ ん。
 拉致問題を終結させようとする動きは依然として ありますが、しかし、日本国民ももう目覚めてしま いましたから、そう簡単には北朝鮮の謀略に乗るこ とはありません。
 第三は、韓国に対する工作という意味があります。 これはあまり指摘されていないことですが、何故昨 年の九月十七日に日朝首脳会談をセットしたかと言 うと、実は十二月の韓国大統領選挙を睨んでのこと だったと言われています。
 金大中政権は北朝鮮と太陽政策を行い、ここで緊 張緩和が実現できたということでノーベル平和賞を 金大中が貰ったわけですけれども、その際北朝鮮に 二億ドルの裏金を渡していたということが事実とし て確定しています。とんでもない話ですが、いずれ にしても二〇〇〇年六月に南北首脳会談が実現し、 これで北は変わった、危険な国家ではないというこ とを印象付けたのです。
 しかしその後、金大中政権の太陽政策は失敗した ということが韓国国内でも議論され、金大中政権も 最後は完全なレームダック状態でした。これを自分 の利益にならないと見たのが北朝鮮であり、そこで 昨年九月一七日に日朝首脳会談をセットすることに より、もう一度緊張緩和を演出するという意味合い があったようです。実際、韓国に対してはそれは大 成功しているわけです。
 日本が拉致問題で沸騰している時に、韓国ではど ういう状況であったか。韓国はご承知のように、四 百五十人もの人々が北に拉致されています。にもか かわらず、十月始め、釜山で行われたアジア大会に 北朝鮮選手団が参加し、その応援団として北から美 女軍団がやって来ました。韓国では今時珍しい大和 撫子の女性たちということで、これでもう個人的な ファンクラブが出来るぐらいにメロメロ状態になっ てしまったわけです。
 韓国はそうやって北朝鮮に対する警戒心を解いて しまった一方、少女が在韓米軍の兵士により轢かれ たことをきっかけに、北朝鮮がインターネットを使い ながら韓国の反米感情を煽り立てかき立てることを やっています。韓国では平和ボケに加えて、南北は 同じ民族であるということ、さらに韓国には何故い まだに米軍があるのか、北朝鮮はもう危険な国では なくなった、米軍はもう必要ないじゃないかと、一 気に反米感情が盛り上がって、この中で盧武鉉政権 が誕生したわけです。これは言うまでもなく親北朝 鮮政権です。太陽政策によって変わったのは、北朝 鮮ではなく韓国であったと指摘される所以です。盧武鉉 政権は、反米市民運動、あるいは親北朝鮮市民 運動をやっていた人たちが担いで作った政権で、閣 僚の中にも何人もそういう怪しい人物がいます。そ ういう意味で、対韓政策は完全に成功しました。
 韓国のこういう変化を見ていますと、民主主義の 脆さ、弱さというものを感じます。日本も韓国も民 主主義の国で、世論で政治を動かすというシステム ですが、これは国民意識がよほどしっかりしていな いと、容易に流され操作されることを物語っている と思います。現に韓国は、もののみごとに操作され たのです。
 民主主義体制というのは、現在のような厳しい国 際環境の中においては非常に不利だということを、 私は痛感します。もちろん民主主義の方がいいに決 まっているわけですけれども、国家と国家が厳しく 対峠する時には、民主主義は 非常に弱いのです。向こう側 はごく一握りの連中が国を動 かしている。こちらでは雑多 な人たちの意見で動くのです。 こちらの世論は向こう側の独 裁者に操作される可能性がある ということで、今のところ非常に不利な状況が繰 り広げられているわけです。ここのところイラク戦 争を契機とする反戦反米運動の盛り上がりの背景に も、おそらくそういうところがあるのではないかと 思います。かなり操作されたところがあります。
 このように九月十七日の持つ意味が三つあると私 は思います。この日を機として日本人の意識が変わ ったということは、日本にとってはよかったのです が、日本の置かれた東アジアの国際情況を考えると、 必ずしも双手をあげて「よかった」と言えるもので はないということを押さえておく必要があります。

    ◇「朝鮮公民」の日本人たち
 問題の拉致事件ですが、これは言うまでもなく戦 後最大の主権侵害の事件です。同時に、人間として の尊厳を踏みにじるという意味で人権という言葉を 使うならば、これまた最大の人権侵害事件であると 言わなければならないと思います。しかし、このよ うな重大事件が、四半世紀以上たっても解決されて いないのは何故なのかということを、我々は考えざ るを得ないのです。
 一言で言うと、日本国民に国家意識、あるいは同 胞意識というものがなさ過ぎる、これが決定的なこ とだと思います。日本という国家が外国に踏みにじ られていても、それを痛みとも感ぜず、同胞がさら われても助けようともしない、そういう国に日本が なっている、つい最近までそうだったと言えます。
 蓮池薫さんは、拉致されて三年間ぐらいは、いつ か誰かが助けに来てくれるだろうと思っていたと言 っています。しかし誰も助けに来てくれないので、 朝鮮公民として生きていくしかないと思い、その地 になじんでいったと言うのです。帰国した後も「朝 鮮公民である」ということを盛んに言っていました。 あれは、そう言わされているという意味もあったで しょうが、もう一つは、これまで助けに来てくれな かった日本国民に対する、一つの意思表示だったと 思うのです。自分が日本国民であるなら、どうして 日本の政府も国民も助けに来てくれなかったのか と、そういう思いがあると思います。
 戦後は日本国民一般に、国家意敢、同胞意識が欠 けていると言いますか、むしろ教育を通じて意識的 に否定されて来たわけですから、そういうものを持 てと言っても難しい話かも知れません。しかし、こ の国家意識、同胞意識の欠如が、拉致問題の解決を 遅らせて来た点を否定出来ません。特に、日本国民 の中でもリーダー層、政治家、外交官、マスコミ関 係者、評論家や学者という、人の上に立って動きも のを言う立場にある人たちに、国家意識、同胞意識 が欠けてしまっているのです。一般の人たちはまだ 許せるとしても、上に立つ人たち、国家を担う人た ちにそれがないということは、決定的な問題ではな いかと思います。本来日本の利益や日本国民の命を 助け守るという立場にある人が、逆に向こうの国の 側に立ち、向こうの国の利益を図り、弁護するとい う事態になっているのです。
 最近は「北朝鮮族」という名称をつけられている ようですが、北朝鮮の族議員というべき人たちがた くさんいて、拉致はなかったとか、疑惑の段階に過 ぎないとか、そんなことばかり言っていたわけです。 特に学者や評論家の中に北朝鮮の肩を持つ人が一杯 いたのですが、これも北朝鮮の工作の結果なのです。 政治家などもそうですが、買収され、あるいは女を 抱かせられて、その写真を撮られ決定的証拠を突き つけられて、向こう側についてしまっているという こともあるようです。
 例えば吉田康彦という大阪経済法科大学の教授 は、その前は埼玉大学やNHKにも勤め、国連の職 員もしておりましたけれど、彼はもともとはあんな に北朝鮮寄りの人間ではなかったのです。『現代コ リア』の座談会に出席するような、ごく普通の感覚 の持ち主だったのです。しかしある時、朝鮮総連の 講演会に呼ばれて出席したところ、二百万とも五百 万とも言われる多額の講演料を貰って、それでコロ ッと寝返ってしまったと言われます。朝鮮総連の幹 部が言うには、日本の学者や評論家で、札束を積ん で転ばなかった人間は一人もいないとまで言われて いるのです。
 こうしてシンパを作っていってそれに代弁させる ということが、これまで北朝鮮とその下部組織であ る朝鮮総連がやっていたことなのです。彼らは北朝 鮮の一員になっていますから、拉致問題を躍起にな って否定して来ました。しかしこれも九月十七日以 降は、まったくでたらめを言っていたということが 明らかになって、大恥を掻いているところです。と ころが彼らはなかなかしぶとく、盧武鉉政権の誕生 と今度のイラク戦争を契機に、また息を吹き返しつ つあるということです。教科書の採択ということに なると、前回の経験でも分かるように彼らが大きな 障害となりますので、今後も注意して見てゆくこと が必要です。
 以上述べたように、日本国民一般やリーダー層に 国家意識や国民意織、同胞意識が欠如していたこと が、拉致の解決をてこずらせた理由です。しかし、 この期に及んでも、例えば教育基本法改正の議論の 中で、「愛国心」という言葉を「国を愛する」に書 き直せという者があります。更に但し書きをつけて 「国を愛する心が国家至上主義や全体主義にならな いように配慮する必要がある」と言うのです。日本 のいったいどこに国家至上主義があり、全体主義が ありますか。国家意識がない、国民意識がない、ゼ ロどころかマイナスなのです。それを少しでもプラ スの方向に持っていこうとしているだけなのに、「国 家至上主義になってはいけない」などと、要らぬ心 配をするわけです。こういう意見をつけさせたのは、 日教組出身の中教審の委員です。
 彼らは日本に対する国家意織はないのですが、北 朝鮮に対する国家意識は非常に強いのです。例えば 日本が防衛力を持つことにはものすごく警戒するの ですが、北朝鮮の軍事力については非常に肯定的に 捉えます。つまり、向こう側の利益という点で見れ ば、日本人に国家意織があっては困るわけですから 「国家至上主義になってはいけない」と言って押さ え込むのです。そういう二枚舌を使っているという か、戦略的な意図があるのです。

    ◇拉致問題と教育現場
 拉致問題は、私に思い当たるだけでも、次のよう な法規に違反しています。
 個人の尊重を規定した意法十三条、奴隷的拘束を 規定した憲法十八条、逮捕監禁を規定した刑法二百 二十条、横田めぐみさんという未成年者もいますか ら、未成年者の略取誘拐を禁じた刑法二百二十四条、 国外移送目的の略取誘拐を禁じた刑法二百二十六 条、条約で言いますと、奴隷・隷属状態を禁止した 国連自由権規約八条、身体の自由と安全を規定した 同九条、親からの分離を禁止した国連児童の権利条 約九条、児童の国外不法移送を禁じた同十一条、児 童の誘拐の防止を規定した同三十五条、自由を奪わ れた児童の適切な取扱を規定した同三十七条などに 違反しているのです。
 特に「国連児童の権利条約」は、左翼側は「子ど もの権利条約」という呼び方をして、人権教育では これが持ち出されて、子供がかかわるものは全部子 供の意思で決めていいかのように主張して来たわけ です。しかし、国連の「子どもの権利条約」を盛ん に論じる連中が、この拉致問題についてはまったく 触れていないという不思議があります。
 これほど重要な権利侵害を、教育の場で取り上げ ないのは何故なのか。既に報道されていますが、例 えば大阪府立阿倍野高校では、昨年十一月、校内の 教職員向け人権研修および生徒向けの人権学習で、 拉致事件を扱うべきとの提案が出たにもかかわら ず、これが校内の人権推進委員会と学年会で否定さ れました。理由は、「北朝鮮のトップが謝罪して決 着したことをことさら問題視して、生徒に伝える必 要があるのか」というものです。私には、親分が謝 ったのに、何でそこまでことを荒立てる必要がある んだという、広域暴力団北朝鮮組の末端組員の発言 のように聞こえます。
 また、もう一つの理由としては、「在日朝鮮人へ の嫌がらせの問題をメインにすべきだ」とも言うの ですが、嫌がらせは実際には生じていないのです。 在日朝鮮人学校生徒のチマ・チョゴリの制服が切り 裂かれた、ということが報道されますが、誰も目撃 者がいないし、まったく立件もされていません。も し本当にそんなことがあるのであれば訴え出ている でしょうから、あれは自分たちが被害者であるとい うポーズをとることによって帳消しにするか、ある いは有利に立つという高等戦術が背景にあるので す。こういう、ほとんどがでっち上げであると言わ れる在日朝鮮人への嫌がらせの方をメインにすべき だという意見が大勢を占めたと言います。これが日 本の学校の状況です。
 兵庫県教職員連盟という保守系の教職員団体が、 県教委に対し拉致問題を人権教育のテーマとして取 り上げるようと要望したところ、県教委は何と「時 期尚早」との回答だったとも報道されています。県 教委が文科省に問い合わせたところ、「バランスを 取るように」との回答だったと言います。この回答 の言わんとするところは、おそらく「強制連行」の 問題、あるいは「従軍慰安婦」の問題も同時に教え ろということのようです。
 実際、拉致問題に関しては、学校現場ではほとん ど教えられていません。教えられていても、必ずそ れを帳消しにするかのように、「強制連行」の問題 が教えられています。ご承知のように、「強制連行」 「従軍慰安婦」という言葉は後で作られたものです。
 彼らは「強制連行」も「拉致」だと言います。「六 百万人も拉致しておいて、たかだか十数人の拉致で ガタガタ文句を言うな」というようなことを言って いるのです。しかし、「六百万人」という数字には 根拠がありません。『現代コリア』の西岡力さんに 聞きますと、それは単に「多い」という意味で根拠 はないのだそうです。当時の日本国民(朝鮮人を含 む)の義務であった徴用を「強制連行」と呼び、こ れで日本の犯罪性を強調して、これとまぎれもない 犯罪である拉致を相殺するということが、教育現場 では行われているわけです。

    ◇「朝鮮公民」の日教組
 それでは何故、教育現場や教育行政で拉致問題が 人権問題のテーマとして取り上げられないのかと言 いますと、これは「人権」という概念が普遍的な概 念ではないからです。私は『反「人権」宣言』(ち くま新書)という本を書いて明らかにしていますが、 人権という概念はもともと反権力・反国家的主張の 道具として作られた概念なのです。「人間の権利」「ヒ トの権利」を略したものですが、「日本人の権利」「日 本国民の権利」ではなく、「ヒトの権利」なのです。 ここで言う「ヒト」とは「国家に帰属しない」とい うことです。日本の歴史・伝統の中に属さない、と いうことを言っている、抽象的意味での「ヒト」で あり、「日本人」ではないのです。
 そこを強調した「人権」という概念は、もともと 反国家的な概念です。ですから「人権」の中に拉致 問題を含めるわけにはいかないのです。
 「人権」という概念は、今「人としての尊厳」と いう意味合いでも伝えておりますから、私などは人 権学習・人権教育の中で拉致問題を取り上げて貰い たいと主張していますが、「人権」を声高に叫ぶ人 々は、反権力・反国家にかかわるテーマであればど んな小さな取るに足らないことでも「人権侵害」と 叫び立てます。しかし拉致は、わが国が国家として の機能を備えていないからこそ起きた問題ですし、 国家の機能を高めなければ解決できない問題です。 そもそも「人権」という概念とベクトルが逆方向な のです。拉致問題は人々に当然国家というものを意 識させますから、だから取り上げたくない、という ことのようです。国家意識や国民意識をかき立てる ような問題は、人権教 育の中では絶対に取り 上げたくない、という 背景があるように思わ れます。
 また、教育現場や教 育行政に大きな影響力を持っている教職員組合が、 拉致の犯人と友好関係を持っているという背景もあ ります。ここに『金日成主義研究』という日本金日成 研究会が出している雑誌のコピーがあります。その 昨年二月号は、「金正日総書記誕生六十周年祝賀」 という特集が組まれていまして、その中に地元岡山 県出身の元日教組委員長、槙枝元文(肩書きは「朝 鮮の自主的平和統一支持日本委員会議長」)の文が あります。氏は、「私は訪朝して以降、世界の中で 尊敬される人は誰ですかと聞かれると、真っ先に 金日成首席の名前を挙げることにしています。なぜ 私が金日成主席を尊敬するようになったかと言う と、主席に直接お会いして、朝鮮人民が心から敬愛 し、父と仰ぐにふさわしい人であることを確惜した からです」「金日成主席と金正日総書記が二重写し になって、何の疑念もなく金正日総書記のことを信 頼できるようになりました」と言っています。また、 「強い軍隊を率いることは国の自主性を堅持する上 で欠かせないことです」とも書いているのです。凄 いですねえ(笑)。日本の自衛隊については、この 人はこんなことは絶対に言わないでしょう。完全に 向こう側の人間なのです。
 この特集の中に、「日本教職員主体思想研究会連 絡協議会」という組織の会長が書いた文章もありま す。これは日教組の中にある組織です。文章は、「尊 敬する金正日総書記の誕生六十周年を、心からお祝 い申し上げます」と始まり、「極めて残念なのは日 本の状況です。今の日本の問題性を明らかにしてい くこと自体が、朝鮮革命に対する支持・姿勢になる のではないでしょうか。主体思想を学び活かす運動 は、私たちの場合、教育活動や教職員運動において なされていかなくてはなりません。とりわけ今重要 になっているのは、教科書問題です。教科書の内容 は、授業を通して直接子どもたちに伝えるため、大 きな影響があります。『新しい歴史教科書をつくる 会(つくる会)』の歴史・公民教科書には、反共和 国的な表記や記述がなされており、大きな問題を含 んでおります。つくる会の教科書は、一%未満とご くわずかでしたが、検定に合格しているので、教科 書問題は今後も絶えず繰り返されていくのではない でしょうか。こうした危険な動きは決して許しては なりませんし、負けてはいけないと思っています」 と、これも完全に朝鮮公民の立場に立っています。
「一九九九年に日教組と北朝鮮の職業総同盟との間 で交流が開始されました。今年(二〇〇二年)は金 正日総書記誕生六十周年を祝賀する、日教組代表 団を実現していければと思っています」。彼らの祖 国は完全に向こう側なのです。だから拉致問題を書 いたことを、ことさらに問題にするのです。
 つくる会教科書の記述については、日教組が出し ている『教科書白書二〇〇一』という本の中に、新 しい公民教科書が北朝鮮の核開発疑惑やテポドン発 射に触れていることに対し「北朝鮮敵視の立場」と 書いて非難し、更に「それどころか一ページを割い て、北朝鮮による日本人拉致問題というコラムを意 図的に掲載しています」と書いています。学校の先 生からこのようなことを吹き込まれる日本の子供た ちは、本当に不幸だと思います。
 渡部昇一先生の『国民の教育』に、槙枝元文が、 日本の教育を「北朝鮮のようにやればいい」と言っ たということが書かれていますが、彼らの理想の教 育は、北朝鮮の公教育なのです。マルクス・レーニ ン主義というのは育児の社会化を言いますから、親 から子を引き離して、ストレートに党の考え方を吹 き込むものです。北朝鮮から帰国した五人の拉致被 害者のお子さんたちも、七歳で引き離されて、別の ところで生活しているのです。年に一度くらい面会 出来るということのようです。ですから子供に会い たいという気持ちはそれほど強くないということを 洩らしておられたということを聞いたことがありま す。この方々のお子さんたちも、完全に朝鮮公民と して仕立て上げられていることでしょう。それは大 変残念なことで、日本の子供達にも同じように、日 本国民というよりは朝鮮公民としての意識を植えつ けようというのが、日本の組合教育です。

    ◇検定のいきさつ
 ここで、問題の公民教科書の記述のいきさつをお 話ししたいと思います。お手元にお配りしているコ ピーは、今度九月十七日以降の事態を受けて修正申 請をしまして、それが合格して、この四月からはこ のような記述になるというものです。これは、拉致 が事実として確定したので、確定的に書いておりま す。それに、九月十七日以降の新しい状況を書いた ものです。
 現行のものは、拉致を事実としては確定的に書け なかったものです。もちろん、白表紙段階では確定 的に書いていたのです。しかし、検定では「確定的 に書くな」と言われたのです。白表紙段階では次の ように、横田めぐみさんが拉致された船の中のこと を書きました。「証言者工作人の話によれば、めぐ みさんは北朝鮮に渡る船の中で、『お母さん』と泣 き叫びながら壁を掻きむしったため、生つめが剥が れ血だらけになっていたという」。しかし、これは 削除するよう求められました。「少女に関する証言 を特別に強調しすぎる」という検定意見なので す。安明進氏の証言では、「船倉では、少女はずっ と『お母さん、お母さん』と叫んでおり、出入り口 や壁などをあちこちにひっかいたので、着いてみた ら彼女の手は爪が剥がれそうになって、血だらけだ ったという」という記述になっています。私として は、この箇所こそが北朝鮮の非情さとめぐみさんの 無念さを伝えるものなので、是非入れたいと思った のですが、文部省がこれを受け入れなかったのです。
 また「韓国に亡命した北朝鮮工作員(スパイ)の 口から、横田めぐみさんらしき少女が、北朝鮮の工 作員によって拉致され、北朝鮮で生きているとの証 言が得られたとの報道がなされた」と現行版ではな っています。白表紙本では「との報道がなされた」 という部分はなかったのですが、これは「未確定な 一時的事象について、断定的に記述している」とい う検定意見がついて、書き加えたものです。あるい は、「これが事実だとすれば、わが国に対する明白 な主権侵犯行為であるとともに、野蛮な人権蹂躙で もある」という記述は、これも右と同様の検定意見 により、「これが事実だとすれば」という唆味な言 葉を付け加えざるを得なかったものです。
 実際の検定意見には入っていないのですが、それ 以前の段階で、このコラムの「拉致問題」というタ イトルの項で、「問題」という言い方がもう駄目だ という意見がついていました。さすがにこれは、最 終段階では消えましたが、「拉致問題」も「断定的」 だから、「拉致疑惑」と書けと言うのです。けれど も、もしこれを「疑惑」と書いたら、検定を通らな いのです。「疑惑の段階のものをなぜ載せるのか」 という話になるからです。
 こうして曖昧な記述を残してしまったのですが、 これは本当にギリギリのところだったのです。随分 折衝を重ねましたが、どうも文部省の方としては本 音のところでは、このコラムは載せたくなかったよ うです。しかし私としては、これは多少譲ったとし ても、これが載ること自体に意義があると思ってい ましたので、検定意見を聞いてギリギリのところで 書いたのです。
 すると、これが曖昧な記述だということを捉えて、 教科書採択の時に落とす理由にされたのです。東京 の町田市の教育委員で、朝日新聞の編集委員をして いた江森陽広という人がいます。随分前にテレビ朝 日でモーニングショウのキャスターもしていました が、この人が、「これを見てわかる通り、『もし事実 ならば』とか『事実であるならば』という言葉が再 三出てきます。ということは、事実かどうかまだわ からない、不確定部分があるということでありまし て、こういうものを教科書に使うということは、僕 はちょっとまずいんじゃないかなあというふうに思 いました。それで僕は票に入れませんでした」とい うので、落とす理由にしたのです。朝日新聞OBら しい意見ですが、事実かどうかわからないことを教 科書に載せるとは何事かということのようです。
 これが一昨年八月の発言です。昨年の九月十七日 でもう事実になりましたから、町田市で教科書採択 の運動をしている人たちが議事録を調べていたとこ ろこの発言が見つかって、大問題になりました。こ れに対してこの人物は、「拉致は昨年の段階では見 分けられなかったのでああ言ったが、金正日総書記 が認めたので、そこで国家犯罪だとわかった。拉致 事件は更に調査し、教科書にも是非掲載するべきだ。 事実がわかった以 上、扶桑社教科書 が学校で使われる ことに賛成だ」と 言いました。変わ り身がはやいとい うか、結果として は我々を支持しているようにも見えるのですが、し かしこれは、結局は自分の頭では判断できなかった、 将軍様が認めたからこれは事実だ、ということなの ですね。つまり「偉大なる将軍様」を判断の基準に しているわけで、これに類する人が全国にたくさん いるのです。このように、ひと頃この拉致コラムが 採択から落とす理由に使われたのです。
 教科書調査官(検定官)は、個人的に話をする限 りではむしろ我々サイドに近いのかなあ、という感 じはします。「いい教科書を作ってくれましたね」 とは言うのですよ。学習指導要領が強調していると ころを、ちゃんと教科書の中で踏まえている、とい うことではあるのです。
 検定の仕組みは、教科書調査官が各教科書の記述 に検定意見をつけてさまざまな折衝を重ね、そうい った資料を出して、教科書検定審議会の委員が細か く資料を見るのです。その下資料を、教科書調査官 が作っています。
 どうやら、検定審議会の委員が、拉致問題を取り 上げることに随分神経質になり、また反対していた ようにも見えるのです。その理由は、この審議会の 中に外務省出身の委員が入っていることにありま す。歴史教科書担当の委員の中に、野田英二郎とい う元インド大使がいまして、歴史教科書の検定不合 格工作を行っていて露見し、問題になって事実上更 迭されたという経緯がありました。公民の方にも、 外務省出身者がいました。各省庁出身者というのは、 実は外務省しかメンバーを出していないのです。こ の外務省出身の審議会委員に、どうも教科書調査官 は遠慮したのではないか、と思う節があります。
 もしこのコラムを出すのであれば、文句がつかな いようにする必要がある、ということで、最終的に は一行一行全部根拠を求めてきました。当時拉致に ついて報道していたのは産経新聞ぐらいですから、 産経新聞の記事の過去のものを集め、この時にこう いう報道があったという一覧表を扶桑社に作って貰 って提出したわけですが、そこまでして辛うじて残 ったのが、「これが事実だとすれば」という曖昧な 記述であったということです。教科書検定について も、北朝鮮やそのシンパと思われる人々に気を使い ながら、彼らの感情を逆なですることのないように と検定が続いていったように思われます。
 実際の採択の場においても同様です。一昨年の教 科書採択においてはすべての左翼セクトが動いたと 言われていますが、その中には当然朝鮮総連が入っ ているのは間違いありません。あるいはこれと連携 している日教組、他の過激派セクトにしても、皆連 携してこれを潰したわけです。その結果として、数 としては〇・〇五五%という、ほとんどゼロに近い 採択率となりました。

    ◇おわりに
 私はこの拉致の記述が載っている扶桑社の新しい 公民教科書を、もちろん使って欲しいと思っていま すが、ほかの教科書でも是非拉致の問題を取り上げ て欲しいと思います。拉致問題は、日本人の国家意 識・国民意識を、戦後はじめてと言っていいぐらい 覚醒させたものです。それは結局、家族会の結束力 によって、拉致問題はここまで動いていったのです。 二十五年間も拉致された人々のことを思って、家族 が一日も忘れることなく、何とか取り返したいとい うその思いが、ここまで日本国民を動かしてきたの です。そういう意味で、家族の大切さということも、 拉致問題は教えているのです。
 学校の中で、一部ですけれども拉致問題を取り上 げていたところがあります。これは東京の立川市立 の中学校で、総合学習の時間に横田さんご夫妻を招 いて講演会を開いたことが報道されました。そこの 学校の先生が、たまたま横田さんが新潟の日銀社宅 に住んでおられた時同時期に住んでいた人で、自分 の妹がめぐみさんの同級生だったのです。ひょっと して自分の妹も拉致された可能性があったのではな いかと思っていたので、決して他人事ではないとい う思いに駆られ、その先生を中心に横田さんご夫妻 を学校に招き、子供達に拉致の問題を一緒に考えて 貰おうということでその催しを行ったわけです。
 対象は中学一年生です。ちょうど思春期で、親に 対する複雑な感情を抱き始める年頃です。その中に、 お母さんとの関係がしっくりいかない中学一年生の 少女がいました。横田めぐみさんのお母さんは、こ ういう話をされたそうです。「十三歳まで子供を育 てるということは、親はどういう思いで育てている かわかりますか」と問いかけるのです。もちろんお 母さんとしては、手塩にかけた大事な娘をさらわれ たという怒りの言葉なのですけれども、聞いていた その少女は、そこで自分への母親の思いにも気づく のです。そうして親子の関係が修復されていってい る、ということが報道されていました。このように、 拉致の問題は国家の問題のみならず、家族の問題を 考える上でも非常にいいテーマになるのです。
 また大阪府の八尾市で、拉致問題の人権をテーマ に、市主催の講演会が開かれて効果を上げていると も聞いています。他の地域でも学校でも、拉致問題 を取り上げることによって、国家や家族、命の尊さ を教える材料にすべきではないかと思うのです。
 拉致問題も教科書問題も根が同じです。扶桑社の 教科書がいいということは、大体の人が、教育委員 も、誰もわかっていたわけです。拉致があったとい うことも、みんな知っていたことです。しかし、一 昨年の八月、ちょうど小泉首相が靖国神社に前倒し の公式参拝をした同じ時期に教科書の採択もありま した。ある若い人が、「今年の夏は怯懦の夏だった」 と表現しました。戦後我々は、摩擦を避けたりもめ 事はイヤだということでやって来ました。そのため、 わかっているけれども、現状を変えることができな かったのです。
 拉致の問題というのは、ごく一部の、もののわか っている勇気ある人たちが全体を動かしていったも のです。教科書の問題もそうだと思います。我々は 少数者かも知れませんが、わかっている少数者なの です。我々がより確信を深めてそれを行動に移して いけば、拉致被害者の救出にも見られるように、全 体を動かせることはできると思います。我々はそう いうことも拉致の問題から学び取ることができるの ではないかと申し上げて、私のお話を終わります。 ご静聴ありがとうございました。(拍手)

 * このお話は、平成十五年三月三十日、「新しい歴史教科書をつくる会岡山県支部」の総会記 念講演をテープから採録したものです。


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