1998年12月市長との懇談を振り返って
      2000年の就学対応と比較のために

     ==== 市長との懇談 概要 ====

      1998年12月16日 S市 市長、助役、教育長、教育委員会課長、保健福祉部課長、      
    S学園保護者が懇談。
     市長は、S学園小中廃止について、市の基本方針を保護者に説明。
     保護者は、これまでの問題点を指摘するとともに今後のあり方を問う。
     保護者のこれまでの思いが、ひとつひとつ訴えられたにもかかわらず、具体的な改善
    策はなかなか見えてきませんでした。
     (2000年の就学対応と比較すると、発言がその場しのぎのものと思えてきます。)

     以下は、1998年12月16日に開かれた懇談会でのメモです。




市長 要望書、署名もしっかり受け止めさせてもらった。
学園について、地域で暮らす障害者として・・・・
議会答弁、教育長、新聞でもご承知のとおり・・・・
できるだけ障害を持った子どもも健常児と一緒に、地域で生まれ、地域で育つことを考えると、地域の子どもたちとともに学ぶことも大切である。
健常児も理解・・・・
障害を持った人、苦労もあると思うが、物的にも人的にも支援を考えて、できるだけ地域の小中へ引き受けてほしい。
市外、O市、K村、M町・・・・の人達については、町長、教育長に協力願いたいとお願いした。
O市から通っている人は、O市の地元の小学校というふうに、それぞれの障害児学級へ。
小学校は、S小、N小で重点的整備、東の学校でも1校。
平成12年、(S学園)移転に向け準備。
平成13年、それぞれの学校で引き受けていくように考えている。
質問や意見、要望を受ける。
保護者会長 養護学校的なものは?
市長 当初は、それも検討した。いろいろなものを研究した。
いろいろ聞いてみると、ハンディを持った子どもの声、A施設へ行った子(?)、
「地域の小学校へ入れてもらえなかった。友達がいない。」
補助金が出ない。全額市が出さないといけない。
お金はさておいて。
それがいい方法なのか?
アンケートも読ませてもらった。
自由に書いているところの40.9%の人が地域の小学校で受け止めてもらうのがいいことだが・・・・(アンケートから)
今の学校では対応できない。
選択肢の中にS学園もあってほしい。
今の障害児学級へ行くと、親がついていかなければならない・・・・。
健常児にもまれるのが、いいことだと思います。(アンケートから選んで説明)
義務教育で必要なことは、考えていく。
県で人をお願いして、不足のところは、市で人を増やしていく。
できるだけニーズに応えていきたい。
養護学校をつくることが、最終的な保護者の願いだし、
地域の同じ小学校でともに行動・・・・同じ釜のメシを喰うことが・・・・(?)
保護者N 幼児の小さいときは、一緒に過ごしやすく、大きくなるにつれて差が開く。
交流をすればいいことだと思う。
金を言わないのなら、ちゃんとつくって、その中にスタッフを入れて・・・・。
S市がどれくらい遅れていると思いますか。
自分の子どもが行くところがなかった。
それで、信用できますか。
きちんとした施設をつくって、その上にやっていってほしい。
ひとつにまとめて・・・・バラバラに2〜3人をばらまいているより、同じ内容で・・・・。
市長 養護学校を建てても、県は認可してくれないので、スタッフはつかない。
国も県も補助が出ない。
保護者会長 圏域では?
市長 圏域でも無理。
つくってもいい結果をうむかどうかわからない。
S小、N小には、県の職員がいて、内容を充実させる。
1ランク上へあげることができると思う。
養護学校を建ててしまうと、あとの先生方の充実に金がまわらなくなる。
建物をつくるより、人を配置することの方がいいと考えている。
保護者会長 S小、N小で市外の人も受け入れてもらえるという意味ですか?
市長 今、S学園へ行っている子どもたちは、それぞれの市町村でうけいれると聞いている。
保護者S うちの子は、S市にいた。
そして、S小の障害児学級へ入れば、
「親について来てくれ。カギをかけることもできない。」
と言われ、押し返された。
そして、今さら地域で健常児と、そう言う・・・・
うちの子の5年間を返してほしい!
(涙して、怒りをおさえ沈黙)
親の中には、障害児学級を望む人もいれば、養護学校を望む人もいる。
保護者N それだけS市が遅れてきていた。
保護者会長 S市は、障害を持つ人が多い。家でひっそりという人も多いと聞く。
安心して出られるところがほしい。
保護者H S学園の子どもたちを実際に見られたんですか?
一度も来たことがない・・・・。
保護者I 子どもも親もなじめなかった。
1人だけ入っていて、相談する人もいない。
障害児学級は理想だが・・・・
うちの子は、通知があったから行ったのに、受けてもらえなかった。
(涙して、怒りをおさえ)
相談できる人達のいるところで、みんなとやっていきたい。
教育長 今までのことは、聞かせていただいた。
将来のことを考えて、市長がインクルージョン的な考えを述べた。
しかし、みなさんは、これまでご苦労をしてこられた。
会長さんの養護学校のこと、その後、個々の話を聞かせていただいた。
整理してみると養護学校・・・・
行きたくないということで、障害児学級へとなったが、
今、強いお怒りを聞かせていただいた。
受け止めなければ、
今までのご心痛のことについて、今までの障害児学級で受けた話から、
これまでのことについては、反省しなければならない。
今までのS学園での小中の存続はできないので、
やはり、療育、学習を学校としてやらなければならない。
この2校で緊急、当面やらないといけない。
今の2校で、この対応ができないのはわかる。手を加えていかなければならない。
障害児学級であっても養護学校的な対応を進めていかなければならないと考えている。

個人の指導では、理念はわかっているが、観念をそうしていかないと・・・・。
市長 今、(S学園)幼児にいる人もすべて受け入れるかどうか。
教育長 賛同があれば、やらなければならない。
みなさん方の要望が、まちまちなので、それぞれのところと2校の拠点との充実。
みなさん方の意向を受けて対応・・・・。
人の充実を1番と思っている。
これまでのことは、重々お詫びしなければならない。
学校は福祉施設ではない。
交流もしていく。なお、きめ細かい交流も必要。
健常児学校では無理だというとき、それに相談していかなければならない。
個々に相談していく。
保護者会長 ノーマライゼーション、インクルージョンを言われるなら、
幼児から障害児学級も養護学校もいらないのでは?
市長 今は保育園でも受け入れているはずだ。
保護者N (受け入れてもらえないので)子どもを連れて仕事をしていた。
それだけS市は、遅れていた。
それだけ住みにくいところ・・・・。
市長 今は受け入れていると聞いている。
保護者会長 いや、受け入れていません。
市長 これからは、そういったことに力を注いでいきたい。
S市が遅れていると言われるが、全国的にも同じだ。
保護者N その中でもS市は、さらに遅れている。
市長 それを取り戻すべく、やっていきたい。
保護者O 地域の幼稚園での話・・・・
(交流の)回数を増やしてほしいと言っているのに、それさえしてもらえていない。
保護者F 保護者が遅れていると感じているのだから、
今のまま、すぐ返すと言われても対応しきれないのでは?
市長 教育長が言ったとおり。
平成13年から・・・・。
市内の幼稚園の園長会でも言ってください。(教育長に向かって発言)
保護者F 幼稚園、保育園でもなじんでいくことができるよう、
そういった方面にも力を入れてほしい。
市長 今まで遅れていた。これから進めていきたい。
保護者会長 30年、市外の人達も利用できるものだった。
いいものができたら、市外の人にも利用できるようにしてほしい。
市長 それぞれの市町村で受け入れていくのがいい。
M町で小学校へ行っていないがために、友達がいないという話を聞く。
保護者H 友達ができるだろうでなく、障害児学級に行っても同じで、実際、お母さんとひとりぼっちだ。もっと障害児についても理解を!
保護者会長 S学園に通っている人がいるのだから、安心して近くで通えるようにしてほしい。
なんでハンディを持った人が、よりもっとハンディを抱えないといけないのか。
市長 だから充実したものにしていきたいと思うんです。
保護者N 思うでは困ります。
市長 やります。
保護者M (これまでの経験の説明の後)
学校ではいきいきしている。家に帰ると友達もいる。でも相手にしてもらえない。
ただ、ことばが出ない。
何かあるとすべてなすりつけられる。
健常者の方は、自分の子は絶対悪くないと言う。
・・・・
学校へ行っているときが1番いい。
現実できるか。
「ああします。こうします。」言ってもすぐにはできない。
いくらきれいごと言っても、なじんでいけませんから。
普通でもいじめがあったり、いろいろする。
その中で、さらにこういう子が・・・・される。
市長 そ・・・・
保護者M 市長さんは、そう言われるが・・・・
市長さんはいいかもしれませんが・・・・実際困っているんですよ!
教育委員会課長 (時間等のことを言い、間に入る)
個々の相談をして・・・・
保護者会長 今回も発言できてない人もいる。
休みの日とかで、出席できるようにして、次回へつないで・・・・。
保護者M 市長じきじきに子どもを見てやってほしい。
ふれあってみてください。
きれいごとじゃない!


 この会以降も懇談を行うとしながら、その後市長との懇談会は行われませんでした。