和解成立 2002年1月

突然の和解でした。
S市サイドは、「絶対裁判までいく」と強気な発言が続いていただけに
市長レベルでの単独変更に、混乱があったように聞いています。
直後のS市議会では、市長に突っ込んだ質問がされたと聞いています。


以下、ポイントをついた掲示板への『みなと』さんの書き込みから
とりあえず、そのまま掲載してみました。
(掲示板の7月 9日を読まれた方は、このページの内容は同じです。)
『みなと』さん、ありがとうございました。



S市とはどこのことですか?

今のところ、S市で勘弁してください。
その後も、就学でさんざん嫌味を言われた保護者が出たり、
各校から障害児学級が参加する合同宿泊学習に保護者同伴要求されたり、
さらには、勝手に参加困難を決めつけられたりと
何でも起こるS市です。

和解したらしいですが、その内容はどうなっているのでしょうか?
職場復帰されたのですか?それともけじめをつけて退職されたのでしょうか?


基本的に『S市は今後円満な労使関係を構築、
社会福祉協議会が和解金・・・・円を支払う、今後労使双方誠実に・・・・』
というものでした。
地労委での論議に2年ほどかかってしまったので、
該当の方は、途中で別な職場に就職してしまいました。
雇用保険が切れたところから、就職活動を始められました。
S市の障害を持つ子供達のために
できる仕事を作ろうとまで努力されましたが、
S市の対応にはばまれたままの小児科で「S市では無理」と言われたとか・・・・。
隣接の町でもいろいろ当たられたようですが、ダメでした。
結局、ご本人の言語聴覚士の資格で別の市で病院勤務されています。
(元の職場よりはるかにいい条件で仕事をされているようです。たぶん。
S学園のときがひどかったので・・・・。)
その後、保護者の依頼を受けて、休みの日にMさんと2人で
S市で定期的に子ども達の個別指導を開始されています。

社会福祉協議会が関わっているとすれば組合は全国福祉保育労組ですか?

ちがいます。組合の無い職場でしたから、
協力者の方ととともにO組合のS学園支部を立ち上げました。
O組合とだけで・・・・すみません。


いずれ全面公開しようという話もあったのですが、
和解もしているし、新しい方向もちらちら見えそうに
感じていますので(私だけかもしれませんが・・・・)
まだ、S市ということでやっていく予定です。




その後も地域で定期的に子ども達の個別指導を続けられていたMさんは
2003年、TさんとともにS市で新しい事業所をスタートさせています。