就学希望とS市対応


子どもたちにとって重大な問題、
そして、それぞれがいかに考えているかがわかること・・・・
S学園の小中廃止問題が、どのように対応されているか評価できること、

    それは、『就学の問題』とカメ吉は考えています。


概要

1999年
2月19日
保護者3人が教育委員会へI小学校の障害児学級新設要望・・・・
委員会は、I小に新設することは難しいと説明。
さらに、委員会は、I小で障害児学級を新設することのデメリットを列挙、
既存のS小の障害児学級へ行くメリットを列挙。
   I小で受け入れることが難しいとする回答自体理解に苦しむ。
   さらに、
   
S学園の小中を廃止して、子どもたちを地域の学校に戻す。
   
ノーマライゼーション、インクルージョンである。 』 
   
とするS市の方針からすると、全く見当はずれな対応と思われる。
3月 4日 3月定例市議会一般質問で議員が「障害児の教育について」質問通告をすると同時にI小学校に障害児学級が新設されることが伝えられる。
3月 5日 3月定例市議会一般質問で議員質問に市長、教育長が答弁・・・・
障害児学級のない学校でも、要望があれば応えていくという趣旨の答弁。
  (これまで、障害児学級のない学校の学区の子どもが希望すると、
   近くで障害児学級のある学校へ行かされていた。 )


詳細

1999年2月19日

2人の子どもの保護者2人が、新年度、I小学校に入学を希望している。
1人は車椅子の子で、I小を希望しているが、「S小に行ってもらえないか」と言われている。
他の1人もI小を希望しているが、「難しい」と言われ、T小へ相談に行き、
また「難しい」と言われ、さらにS小に相談に行っている。

そして、I小の障害児学級新設については、「3月始めに県の回答があるので、
それまで決まっていない」と言われている。

すでにI小に対して希望は出しているが、前記の通り返事がよくない(ほとんど、たらいまわしの)ため、
保護者が2月19日、S市の教育委員会へ話に訪れた。
2人に相談を受けたS学園保護者会会長も同行し、計3人の保護者が委員会を訪れた。



委員会の回答 ( )は解説

 県に対してI小の申請はしている。返事を待っている。たぶん難しいと思う。
流れは、S小の方へだいぶ向いている。(???)
I小よりS小にできる可能性が強い。2人が入れるのは、S小の可能性が高い。
その子にとってどこに行ったらいいのか、こちらとしては判断している。
(子どもの実態を知らず、何を判断するのか?保護者の判断を何と思っているのか?
そして、それぞれ方の事情をどのように考えているのか?)

I小につくったとしても1人の担任しかつかない。S小なら6人で対応できる。
S小には専科の先生もいる。多勢の目で見ることができる。
I小では、担任以外は校長教頭だけだ。
(保護者は、S小のような大きな学校より、地元の学校で、クラスが15人前後のI小を希望している)
S小には空き教室がある。
S小に車椅子の子がいるのを見たことがある。スロープができていると思う。
(車椅子の対応はできてないのではないか?
 1998年度に、S小が車椅子の子どもを受け入れることができず、
 結局、養護学校へ行くことになった事実は?)
目が行き届かなかったら入っても困るでしょう。(???)
(これに対して、「この2人なら先生1人でも十分でしょう」と説明したが・・・・? 回答不明 )
つくることは簡単だが、失敗したら困る・・・・(???)
I小は坂の上にあるから・・・・ 親も付いてきてもらうこともある。(???)

   1人は、I小と同じ学区のI幼稚園で地域の子どもと過ごしてきた子である。
   その子に対して、そこまで言われるのはどういうことなのか?
   まったく委員会の言われていることは信じがたい!
   『普通学級に入る子どもに対しては、教室がないときは、プレハブを建ててでも受け入れるが、
   障害児と言われるためだけで受け入れてもらえないのは、障害者差別ではないのか。』
   と言われる人もいる。
   義務教育の教育保障がされていない。        
   教育委員会の対応ぶりがこのようなものでいいのだろうか?

1999年3月5日
市議会での議員質問

「健常児が、どこかの小学校に入学してきて部屋が増えたとすると、プレハブを建ててでも対応した。
義務教育であるならば、障害を持った方が地域の学校を望んだとき、基本的には、健常児と全く同じである。
施設が無ければ施設を造ってでも対応するのが義務教育であろう。(前後省略)」

この質問に対し、教育長は、
「そういう考え方だし、障害児に対するハードの分野も、ソフトの分野もひとつひとつ対応していきたい。」と答弁。



   
この一般質問の通告の出た次の日(3月4日)に、 
   あれほど難しいといわれたI小学校に障害児学級が新設されることが決まった。

   結果としては、I小学校に障害児学級が新設されましたが、その経過は・・・・
   特にS市教育委員会の対応ぶりには・・・・カメ吉納得のいくものではありません!!



補足(別件)

1998年度末(1999年3月)
ある保護者のO市対応の話
[S市ではなく、O市の子が小学校に就学するときのいきさつ]

保護者は、O市の関係各学校や養護学校を見学したり、相談してまわり、I小学校が第1希望だった。
しかし、地元のR小から入級の誘いがあり、R小を第2希望とした。
「R小では、希望者が複数になれば、情緒学級ができそうと考えていたようだ。
きちんとしてもらえるのなら、利用されてもまあいいし、快く受けてくれる方へ行った方がいいだろう。」
と考えたそうです。
保護者は、医師の診断書も提出している。

3月9日、O市から「R小の情緒の学級はできなかった」と言われ、理由は、県が「知能指数が低いので情緒にあたらない」と・・・・。
3月10日、「もう1人の子どもの診断書が出て、それが夜遅く認められたので、R小に情緒の学級ができた」と連絡があった。

    保護者は、いったんR小の校長にお願いしますと言った。
    I小の確認(希望はどう扱われるのか)をお願いしていたが、忙しいということで(?)、
    まだ、何もしていないとのこと。
    R小は希望者が複数(3)になったので、できると考えていた様子。
    ところが、3月3日になって、夜に診断書をとってくれと連絡があった。
    校長に聞いたら「まだそんな段階なのか」と言ったとのこと。
    3月4日に診断書をO市役所に出しに行った。

    そんなことのあった後だけに、
    「1日にして、変わってしまったこと、
     知能指数を言われ、医師の診断をくつがえすこと」について、
    保護者は納得できなかったということです。

3月11日、保護者は、思い切ってご夫婦でO市委員会に行き、これまでおかしいと思ったことを尋ねた。
教育長、または代わる人をお願いしたが、忙しいとのことで、担当者が応対された。
話は、なかなか進まなかったようですが、保護者の人は、ねばって・・・・
2時間たって、指導課の課長を呼んでくれた。
そして、「おたくの気持ちはよくわかります。申し訳ない。」との答えをされたとのこと。
3月になって診断書というのも、「認識が甘かった、申し訳なかった。」とのこと。

    O市教育委員会は、3月11日以降態度を変え、対応も親切になり、
    すぐに第1希望だったI小にも一緒に相談に行ったとのことです。
    (だったら、最初からそうしろよ、何だと思ってたんだ、と、カメ吉は思う・・・・)
    そして、4月からは、I小に入学することに決まったのです。



O市の対応は、かなりどうかと思うものの、保護者の指摘後、きちんと謝罪し対応を変えていっています。
(それにひきかえ、どこかの市は、何をやっても何を言っても・・・・。カメ吉、ブチ切れてます。)


「O県は全国に比べ、10年遅れ。S市は、さらにその10年遅れ。」とは、ある関係者の話。