航空母艦




  航空母艦は海軍の主力艦として戦艦に取って代わったが、その起源はアメリカの飛行士ユージン・エリイ(Eugene Ely)に負うところが大きい。彼は1910年に自分のカーチス複葉機で、アメリカ艦バーミンガム Birmingham の船首楼の上に据え付けられたデッキから飛び立つことに成功した。またその2か月後には、同じくアメリカ艦ペンシルヴァニア Pennsylvania の後部甲板に備えられた同様のデッキ上に着艦を成功させて歴史を作った。この時、着艦を助けたのがデッキ両脇に置かれた砂袋と、その砂袋の間にデッキを横切って張られた一連の鋼索から成る、原始的な拘束装置であった。




1911年にユージン・エリイが彼のカーチス複葉機を発艦させる発進台として使ったのは巡洋艦ペンシルヴァニアだった。これは航空母艦が実用可能なものとして、地位を確立する数年前のことであった。





 (「世界の海軍史 近代海軍の発達と海戦」より抜粋)




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