フォークランド沖海戦
装甲巡洋艦 対 巡洋戦艦
英国海軍本部は、今やフィッシャー卿が第一海軍卿を務めていたが、コロネル沖海戦敗北のひどい知らせを聞き、この戦闘の前には何週間も全く欠けていた激怒のエネルギーの爆発でもって反応した。30隻近くの英国軍艦が、ドイツ東アジア艦隊司令官シュペー中将の5隻の巡洋艦を追い詰めるために動員されることが決まった。そのうちの21隻は装甲艦であった。中でも12インチ砲(30.5cm砲)巡洋戦艦インヴィンシブルとインフレキシブルが、シュペー艦隊の撃滅を不可避にするためにスターディー中将指揮のもと、本国艦隊から抽出され、南大西洋に送られたことは特筆に値する。
・ ・ ・ ・ ・ そしてシュペーは、フォークランド諸島のポート・スタンリー攻撃という、大西洋での作戦を始める「運命の決定」をした。彼が知らなかったのは、戦艦カノ―パスがポート・スタンリーに錨泊して、その12インチ砲(30.5cm砲)で港を守っており、またスターディーが巡洋戦艦2隻と巡洋艦5隻で到着したばかりだったことである。
12月8日、午前8時00分にシュペー艦隊がポート・スタンリーに近づいてくるのが発見されたとき、英国艦隊は石炭積み込み中だった。しかしカノ―パスからの12インチ砲の猛烈な一斉射撃で、シュペーは反転して逃走した。スターディーの部隊が蒸気圧を上げ、錨を上げるまでに2時間近く掛かった。しかし10時00分までにはシュペー艦隊の長くたなびく煙を猛追していた。追ったのは巡洋戦艦2隻と巡洋艦ケント、グラスゴー、カーナヴォン、コーンウォールであった。
午後12時47分までには、スターディーの旗艦インヴィンシブルは砲撃開始ができる距離まで十分近づいており、砲撃を開始した。インフレキシブルとグラスゴーもそれに続いた。シュペーは砲力で完全に負けていることを悟り、1時20分頃勇敢にも、彼がシャルンホルストとグナイゼナウで戦っている間に、ニュールンベルク、ライプツィヒ、ドレスデンに逃走するよう信号を送った。ドイツの砲撃はコロネル沖海戦時と同様にすばらしく、英国艦は自分たちの煙が障害となった。しかし英国巡洋戦艦から射出される砲弾重量は、結果が疑いないものであることを示した。シャルンホルストとグナイゼナウはめった打ちにされ残骸となり、沈没するまで、最後まで勇敢に戦った。シャルンホルストは午後4時17分に、グナイゼナウは6時00分に沈没した。グナイゼナウの乗組員約800人のうち、生存者は190人だけだった。
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南アメリカ大陸沖の荒涼とした水域において、逃走するドイツ巡洋艦部隊をフルスピードで追撃する英国巡洋戦艦部隊。
(「世界の海軍史 近代海軍の発達と海戦」より抜粋)
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