真珠湾攻撃

   第二次大戦の転換点となった連合国に貢献した勝利



  1941年12月7日(日本時間12月8日)、日曜日の早朝、日本の強力な空母機動部隊が、ハワイ諸島の真珠湾アメリカ海軍基地を突然襲い、アメリカ太平洋艦隊の8隻の戦艦を全滅させた。注意深く計画され、高度の練度でもって果敢に実行されたこの空襲は、第二次大戦の鍵となる出来事だった。この攻撃は何か月も参戦をためらっていたアメリカを第二次大戦へ参戦させることとなり、しばらくの間は太平洋における連合国海軍の影を薄くしたけれども、結局は海戦の歴史の中で最もむなしい類の勝利となった(その理由はこの節の末尾に)
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  アメリカは真珠湾が奇襲攻撃に対して脆弱だという多くの根拠を持っていた。1932年2月の平和時における機動演習で、2隻の空母からなるアメリカの機動部隊が、太平洋を隠密裏に長躯接近した後、基地を攻撃する攻撃隊を発進させた。やはり日曜の早朝であった。その演習の結果は、莫大な「損害」を与えるというものだった。それを9年後に日本が、恐ろしく同じように、実際に行うことになるのである。しかし1941年12月7日に宣戦布告は行われておらず、キンメル大将の戦艦艦隊は警戒態勢を取っていなかった。しかしそれでも、長期にわたる訓練プログラムを完了していた。その中には毎週末、艦隊を真珠湾の中央に集めるということも含まれていた。 ・ ・ ・ ・ ・ 
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  攻撃の任務は、第一航空艦隊司令長官である南雲中将に任された。彼の艦隊は6隻の空母からなる攻撃部隊であった。6隻とは、瑞鶴、翔鶴、加賀、赤城、飛龍、蒼龍である。空母と護衛艦からなる全勢力は軍艦31隻を数え、これらの艦は11月22日までに千島列島択捉(えとろふ)島の単冠湾(ひとかっぷわん)に集結した。・  ・  ・  ・ 
  攻撃部隊は単冠湾を11月26日午前9時に出航し、嵐、霧、荒天の中を予定通り東へ向かった。そしてその後コースを変え、発艦地点へと最後の航走に入った。 ・  ・  ・  ・  ・  
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アメリカの軍艦を別にして、日本の攻撃隊パイロットたちは、あと2つの標的を攻撃するよう指示されていた。オアフ島の航空基地と造船所および石油貯蔵設備である。アメリカ軍の地上航空機を全滅させることで、攻撃を邪魔されることなく遂行できる。また造船所と石油タンクを粉砕することで、太平洋艦隊を無力化するという仕事が完結する。2波の強力な強襲隊が用意され、3波目も予定されていた。
  12月7日午前6時30分、第1波攻撃隊が南雲機動部隊の6隻の空母から発艦した。その編成は装甲貫徹爆弾を装備した50機の九七式艦攻水平爆撃機、魚雷装備の70機の九七式艦攻、51機の九九式艦爆急降下爆撃機、そして上空防衛と地上攻撃のための43機の零式戦闘機であった。
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 ・ ・ ・ いつもの日曜日ののどかな慣行、国旗掲揚、朝食、教会での礼拝、等々は、淵田中佐の第1波攻撃隊が飛来し攻撃を始めた瞬間に、打ち砕かれた。そして7時58分、報告が叫んで伝えられた。「真珠湾に空襲、訓練にあらず!」
  奇襲が成功したことに満足して、淵田はその無電を打った。「トラ、トラ、トラ!(※「我奇襲ニ成功セリ」の暗号)」。そして7時50分には強襲命令を下した。急降下爆撃機がアメリカの航空基地ホイーラー(Wheeler)、ヒッカム(Hickham)、カネオヘ(Kaneohe)、エワ(Ewa)の各飛行場に猛攻を加え、急降下爆撃機に続いて零戦も加わった。魚雷装備の九七艦攻は、戦艦ウェストヴァージニア、アリゾナ、ネヴァダ、オクラホマ、カリフォルニアに命中弾を得た。水平爆撃機隊の九七艦攻もテネシー、アリゾナ、メリーランド、カリフォルニアに命中弾を与えた。8時25分頃には、第1波攻撃隊の最後の機が母艦への帰途についていた。最初の攻撃の後、アメリカ軍はすばやく反応し、1時間後に第2波攻撃隊がやってきたときには、残った軍艦から激しい対空砲火を受けた。
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  第1波攻撃隊がよくその責務を果たして、アメリカの航空機を破壊し尽くしたので、第1波と第2波の攻撃の間に離陸できたアメリカ機はほんの一握りに過ぎなかった。第2波攻撃隊が10時頃に退いたとき、4隻の戦艦が沈没、1隻が座礁、3隻が機能しなくなっていた。アメリカの犠牲は死者2403人、負傷者1176人を数えた。一方日本側の損失は、攻撃に参加した354機のうち、零戦9機、九九艦爆15機、九七艦攻5機のみであった。

  
南雲は第3波攻撃隊を送り出さないことを決めた。彼は攻撃できなかった空母群を引き続き索敵・攻撃することを拒否し、そして石油タンク、造船所は、破壊されないで残った。
  彼の攻撃はアメリカ海軍に、空母への信頼性を効果的に植え付けた。 ・ ・ ・ ・ ・ 
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  真珠湾攻撃は単なる1つの戦闘以上の意味があった。
真珠湾攻撃はアメリカを戦争に押し出し、この国の決意を硬直させた。真珠湾攻撃がアメリカ人の心に与えた影響は、つまるところ、連合国軍にとって願ったり叶ったりのことであり、物質的損害を補って余りあるものだった。





攻撃直前に、空母赤城の飛行甲板上で愛知「九九艦爆」急降下爆撃機の前に並ぶA6M零戦。(※この写真は南太平洋海戦時の翔鶴でのものとの説あり)




 (「世界の海軍史 近代海軍の発達と海戦」より抜粋)




山本五十六連合艦隊司令長官の意図は、宣戦布告の直後に奇襲攻撃を成功させてアメリカ太平洋艦隊を全滅させ、アメリカの戦意をそぐことにあったと言われています。しかしワシントンの日本大使館の不手際と、宣戦布告の時刻が持つ重要性をワシントン大使館に知らされていなかったため、宣戦布告が遅れ、宣戦布告の前に真珠湾攻撃が始まり、アメリカ国民の激昂を招く結果となり、山本五十六司令長官の意に反する結果になったと言われています。





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