本書p317に記しているように、1943年(昭和18年)6月1日、エセックス級空母のネームシップ、エセックスが初めて真珠湾に姿を現しました。その後2か月でさらに2隻のエセックス級空母が艦隊に加わり、年末までには6隻のエセックス級空母を有することになります。
エセックスの竣工は真珠湾攻撃からわずか1年後の1942年末であり、これは最終的に両洋艦隊法に発展する数次の海軍拡張法が成立していたからに他なりません。(ただし日本の翔鶴級空母が起工から竣工まで約3年半を要しているのに対し、アメリカはエセックス級空母の各艦を1年半ほどで完成させています)
そんな中、ニミッツ太平洋艦隊司令長官が、中部太平洋での攻勢を開始するために、1943年8月に第50任務部隊(後の第5艦隊)を創設しました。この部隊は増強され続けた勢力でもって、1943年11月にギルバート諸島を、1944年1月〜2月にはマーシャル諸島を制圧し、次なる目標マリアナ諸島を6月に攻略できるよう道を開きました。このように迅速な中部太平洋の制圧を可能にしたのは、本書著者が記しているように、エセックス級空母を中核とする高速空母部隊が、その強力な航空勢力でもって自前で制空権を確保できていたからです。
「エセックス級空母がサイパン攻略に決定的だった」と言うのは、マリアナ諸島攻略につながる中部太平洋の迅速な攻勢で決定的な役割を果たしたという意味も含めてのことで、マリアナ沖海戦前後のことだけを指しているのではありません。
そしてもちろん、マリアナ沖海戦では、エセックス級空母を中心とする米第5艦隊は約900機の航空機を擁し、日本軍の約450機を数で圧倒するとともに、スプルーアンス大将が日本機の迎撃に主眼をおいた戦術を採り、日本軍の空母航空戦力をほぼ壊滅させました。またこの海戦の前後には、マリアナ諸島への航空支援を行って、米軍のサイパン攻略を成功に導いています。
さらに付け加えれば、マリアナ沖海戦で日本の中核空母、大鳳と翔鶴を撃沈した米潜水艦、アルバコアとカヴァラはともに、両洋艦隊法で建造を推進されたガトー級潜水艦です。
* * *
山本長官が目指した早期講和は望めなかった?
山本五十六連合艦隊司令長官が、真珠湾で撃漏らした米空母の撃滅に執念を燃やしたと言われていますが、その後間もなく続々と現れてくるエセックス級空母群の規模を考えると、開戦時に存在した米空母だけでは解決にならない、とむなしい数字になります。
また、この両洋艦隊法で建造されつつある艦(さらに日米開戦後その規模は両洋艦隊法の枠を大きく超えて拡大した※)への期待が米国にあった以上、開戦時の米主要艦を撃滅しても、米国の戦意を喪失させることはできず、早期講和はとても望めなかったのでは?
| |
※ 艦隊型空母は両洋艦隊法での計画11隻(第3次ヴィンソン案3隻+艦隊法8隻)が実際には24隻(戦後竣工分も含む)、同じく重巡洋艦は4隻が実際には14隻(同)、軽巡洋艦は17隻が37隻(1946年竣工分まで含む)、駆逐艦(護衛駆逐艦を含まず)は115隻が345隻(終戦までに竣工したもの)、潜水艦は43隻が204隻(同)と、両洋艦隊法での計画をはるかに超える規模の艦数が完成しています。 |
| |
(「世界の艦船」誌(海人社)2016年1月増刊号
「第2次大戦のアメリカ軍艦」から集計) |
もとのページ(エセックス級空母)へ
もとのページ(早期講和)へ
|