レイテ沖海戦-3 



小沢艦隊発見でハルゼーが
 サン・ベルナルディノ海峡を放棄



  午後4時40分、すでに太陽が低くなっていたその時、空母レキシントンから発進した米軍の索敵機が、「空母4隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦5隻」からなる日本軍部隊が、北方300マイルのルソン島エンガノ岬沖にいるという驚くべき知らせを報告した。ついに小沢の艦隊が発見された。ニュージャージー艦上のハルゼーにこの知らせが届いたのは、栗田が針路を反転させたという報告の直後の5時半頃だった。1つの敵部隊は撃破できたように見えたので、ハルゼーはすぐに空母を追うことを決意した。後に彼が説明したように、栗田の中央部隊は「上部、特に砲と火器管制機器に多大な損害を受けていたので・・・・・キンケイドに任せることができる」と彼は考えた。ハルゼーの考えでは、キンケイドの第7艦隊に侵攻部隊を守る一番の責任があり、自分の部隊には敵の主力艦隊を探し出して撃滅する自由がある、と捉えていた。ミッチャーがマリアナ沖海戦(フィリピン海海戦)で拒否されたチャンスがここにあった。
  ハルゼーはニュージャージーの指令室に入り、海図上の1地点を指してこう告げた。「ここが我々の行き先だ」と。そしてロバート・B・“ミック”・カーニー参謀長に向かって、彼は重大な命令を下した。「ミック、北に向かわせろ」。

  カーニーは、この短い命令をハルゼーの第3艦隊のさまざまな部隊への指示に変えることになり、その後1時間にわたって、艦間通信(TBS:Talk Between Ships)と無線通信の両方でニュージャージーから一連の命令が出された。栗田艦隊を攻撃していたボーガンとデイヴィソンの空母は、飛行機を回収して真北(コース000)に向かうことになった。途中で、プリンストンを襲った日本軍の航空攻撃を撃退するために一日を費やしたフレデリック・テッド・シャーマンの空母群に合流することになった。また、ハルゼーが給油のためにウルシー環礁に派遣していたジョン・S・マケイン少将の第4空母群は、「最高の速力で」他の3空母群に加わることになった。キンケイド中将はハルゼーの指揮系統には入っていなかったが、単に情報を知らせるために彼にもメッセージが送られた。「攻撃報告によれば、日本軍の中央部隊は大きな被害を受けた。私は夜明けに空母部隊を攻撃するため、3つのグループとともに北に進んでいる」。

  この通信文にはいくつかの難点があった。1つには、2つの艦隊間の通信文はマヌス(アドミラリティー諸島マヌスにあった米軍の通信センター)経由でなければならない通信規約のため、キンケイドに届くまでに数時間掛かったことだ。しかし2つ目は、それとはまったく別に、メッセージ自体が曖昧だったことだ。「3つのグループ」が北に向かったということは、第4のグループが第7艦隊の北側を援護するために残っているということなのだろうか? また、もしそうならそれは、マケインの空母群なのか、リーの戦艦群なのか、どちらのグループなのだろうか? 戦艦については全く触れられておらず、そこに問題があった。
  その5時間前の午後3時12分、ハルゼーは第34任務部隊として水上部隊を創設するメッセージを送っていた。それは、ハルゼーの旗艦ニュージャージーを含むリーの高速戦艦4隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦19隻で構成される、というものだった。当時まだ決然として東へ向かっていた栗田艦隊がなんとかサン・ベルナルディノ海峡を通過できたとしたら、これが彼らに立ち向かうことになる部隊だった。ハルゼーは旗艦ワシントンのリー中将と、関係する各艦の艦長に宛ててそのメッセージを送り、真珠湾のニミッツとワシントンのキングにもコピーを送った。しかしキンケイドには、そのメッセージは送られなかった。ハルゼーの見解では、それはキンケイドは知る必要がないことだった。それでもキンケイドの無線室はそれを受信し、解読して艦橋に送った。キンケイドはその情報に基づき、この水上部隊(任務部隊34)がサン・ベルナルディノ海峡を守ることで、自分の北端の艦隊の北側を防御してくれると結論づけた。しかしその数時間後、ハルゼーは、第34任務部隊は「私の指示がある場合」にのみ編成されることを示す別の通信文で、その命令を明確にした。しかしこの2番目の通信文は、短距離の艦間通信(TBS)無線で送信されたため、キンケイドにもニミッツにもキングにも届かなかった。ハルゼーは、キンケイドに自分の計画や動きを知らせる必要があるとは思いもしなかったのだ。

  それから5時間以上経った今、ハルゼーからキンケイドに届けられた最新メッセージには、「3つのグループ」が北に向かっていると書かれていた。これにより、キンケイドは第34任務部隊の残留を確信し、スールー海を航行中の西村の部隊に集中できるようになった。そこでキンケイドは、ジェシー・オルデンドルフ少将にスリガオ海峡での「夜間交戦を準備」するよう命じた。
  しかし実際には、ハルゼーがカーニーに「北へ向かわせろ」と命じたとき、空母、戦艦、護衛艦といった、第38任務部隊の全艦艇65隻すべてを意味していた。彼はサン・ベルナルディノ海峡を監視するための哨戒駆逐艦さえ残さなかった。日本の空母部隊を全滅させる決意を固めた彼は、航空攻撃によって浮いているだけとなった廃艦に、とどめを刺すのにリーの戦艦が利用できると考えていた。

  当時でさえ、何人かの主要人物がハルゼーに、サン・ベルナルディノ海峡を無防備にしておいたのは間違いだったと進言しようとした。特にハルゼーの部隊が北上している間にも、夜間飛行中の米軍哨戒機が、栗田の艦隊が再び針路を反転し、再び東に向かっていることを報告していたからだ。同様に憂慮すべきことは、海峡を通過する船の航路を示す航海灯を日本軍が点灯したことだった。リー(ハルゼーの第3艦隊内の高速戦艦部隊司令官)は自艦ワシントンからハルゼーに、海峡の警備のために戦艦を残しておくようにと示唆するメッセージを2度送った。その度に、旗艦から受け取った唯一の応答は「メッセージを受信した」を意味する「ロジャー」だった。ボーガンもまた、艦間通信(TBS)無線を使ってハルゼーに、栗田の艦隊がコースを反転したこと、サン・ベルナルディノ海峡の航行灯が点灯したことを伝えるメッセージを送った。これは、示唆的であると同時に有益なメッセージでもあった。しかし旗艦からの返答は憤慨しているように聞こえた。「イエス、イエス、その情報はわかっている」。ニュージャージー艦上の第3艦隊情報グループの責任者であるマイク・チーク大佐は、カーニーに、獲得した日本軍の計画を分析した結果、空母は囮であり、より大きな危険は水上部隊から来ることが示唆されると語った。カーニーは彼に、ハルゼーは眠ってしまったので邪魔することはできないと告げた。ミッチャーもまた、空母部隊が北への進路を定めるとすぐに就寝し、想定された夜明けの攻撃に備えていたことは間違いない。彼の参謀長のアーレイ・バークは彼を起こし、航行灯のことを伝え、ハルゼーに伝えるよう促した。ミッチャーは、旗艦がその情報を持っているかどうか尋ねたが、持っていると確信していたミッチャーは、「もし彼が私のアドバイスが欲しければ、彼はそれを求めてくるだろう」と言い、寝返りを打って眠りについた。


    
栗田艦隊の司令官、栗田健男中将。
Naval Histor and Heritage Command


  その夜、日本からも通信が届いていた。栗田が「一時的に」引き返していると報告した午後4時の発信は、東京に届くまでに少し時間が掛かった。その通信が届いたとき豊田(連合艦隊司令長官)は栗田に、状況や結果にかかわらず攻撃を再開すべきだと答えた。「天の導きを信じて、全ての軍は攻撃せよ」と豊田は無線で伝えた。実際には、栗田はその通信を受け取る前に既に、再び東方向へ引き返していた。アメリカ軍の航空攻撃が止まり、5時14分に彼の艦隊は反転した。しかし、彼の回り道は予定時刻を狂わせ、彼は東京と西村に、レイテ湾に到着するのは翌朝11時頃になると伝えた。


   『海の第二次世界大戦』より抜粋


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