訳者あとがき
この本を読んでくださったかたは感じられたと思いますが、著者のクレイグ・L・シモンズ氏は各国を公平な目で、道理に沿って誠実に見つめつつ、しかも国のリーダーから司令官、艦長、一兵員に至るまで、その心理面にも考慮を及ばせながら、大戦の全体をわかりやすく語ってくれています。
例えば、日本ではあまり評判の芳しくない、レイテ沖海戦の日本側主役、栗田健男中将が、レイテ湾に突入しなかったのは、既に米軍の輸送船が上陸を終えて、空(から)の状態になっていることが明らかだったからで、栗田提督の判断は当時の状況からして適切だった面もあり、捷号作戦の発動が5日遅すぎたことこそが問題だったことに気付かせてくれます。そして著者シモンズ氏が栗田提督を高く評価していることは、日本国内での見方とは異なって新鮮で、私自身も意外だった点です。後にも述べるように、これこそが、国外の捉え方を知るという、まさに翻訳の意義だと思います。国外の専門家がどう捉えているかを知ることは、日本人の観念がガラパゴス的にならないためにも、個々の知見などよりはるかに重要なことだと思うからです。
内容に戻りますと、第一次ソロモン海戦で、三川軍一中将が敵重巡に対する戦闘では圧倒的勝利を収めたにも拘わらず、その直後米軍の上陸用輸送船を攻撃しなかった痛惜はよく知られているところですが、三川中将が米軍空母艦載機を恐れたからと、理解と共感を示しつつも、その後のガダルカナル戦が米軍のヘンダーソン飛行場保有に支配されたことで、その影響の大きさを明示しています。
また日本軍が「人」を大切にしなかったことは戦後の日本社会でも広く言われてきたことですが、熟練パイロットを消耗させたことで、戦争後期の決戦となったマリアナ沖海戦では、もはや戦える練度ではなかったことが示されており、それは戦果でも実証されているところです。開戦前から長期戦になれば日本は勝てないと言われていたことの一側面を示すものであり、帝国海軍内での「月月火水木金金」の言葉に代表される猛訓練の限界を示すものでしょう。燃料事情があったことにはシモンズ氏も言及していますが、パイロットを大切にするとともに、後続のパイロットを熱心に訓練した米軍の合理的対応を示されると、もう少し何とかならなかったものかと感じます。
それにしてもやはりシモンズ氏のこの本で秀逸なのは、アメリカ海軍兵学校の教授だった著者だけに、無数とも言えるほどの文献を基に、米海軍のみならず、各国海軍内での出来事を詳しく述べてくれている点です。ミッドウェー海戦時の米軍艦載機の各隊の行動や、第一次ソロモン海戦での連合軍・日本軍双方の内部動向、マリアナ沖海戦でのスプルーアンス司令長官とミッチャー空母部隊司令官の考え方の対立、レイテ沖海戦でのハルゼー提督のミスとその後の苦悩など、内容の新鮮さに目を見張るものがあります。
そしてこうして第二次世界大戦全体を俯瞰して見たとき考えさせられる点として、日本人の戦略的視点の問題があります。 機動部隊の南雲提督が、真珠湾攻撃のとき米軍の海軍工廠や石油タンクへの攻撃を軽視したのは、それがその後の戦いにどれだけ大きな影響を及ぼすかという戦略的視点が欠けていたからでしょう。著者も、南雲提督の人間性に目を向けつつそのことに触れています。第一次ソロモン海戦の三川中将も敵機の脅威があったとは言え、敵輸送船団への戦略的意識がもっと強かったなら、艦隊行動が違っていたかも知れません。さらに言えば、日本ではいわばタブー視されている観がありますが、山本五十六連合艦隊司令長官が真珠湾攻撃を断行したこと自体、シモンズ氏も他の外国の研究者と同じく、というか根拠を示して、戦略的に誤った行為だったと示しています。米国民の心理まで読み切れていなかった思いがします。ワシントンの日本大使館の宣戦布告が遅れたことも原因として引き合いに出されますが、例え間に合って宣戦布告が為されていても、米国民性からして戦意を喪失させることはできなかったと思われます。
私が翻訳にこだわるのは、日本人がより広い大きな視点であの大戦を見直そうと思ったとき、その材料を用意しておきたいためです。日本でも海軍のことを研究した書物はたくさん出版されていますが、世界全体を扱い、それらの各出来事の戦略的意味まで掘り下げた書物はあまり無いように思います。そしてそうした点では、米英の書物のほうが視点が大きいと感じるからです。シモンズ氏はそれを世界的規模で見事に成し遂げてくれています。これは大切な視点です。太平洋戦争も、日本人が真に世界を知ろうとしなかったことが大きな原因ですから。命を懸けた戦闘では、この本で示してくれているように、人間性がはっきり出ます。その中で日本人の特性を見極めておくことは、現代にも意味を持ちます。
少し前に問題となった、日本の技術力が弱くなったという問題は、私など工学系を歩んだ者から見れば、製造現場と研究開発は一体となって初めて力を発揮することが多く、また下請け企業の高い技術に依存するところもあり、製造拠点を海外に移したことで、技術の低下は当然の帰結に見えます。これも長期的・戦略的視点の問題と言えるのではないでしょうか。
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<戦争反対の問題について>
もう1つ、昭和初期の過ちを繰り返してほしくないという問題があります。五・一五事件を国民も最初は称賛の目で見ていた面があったと、シモンズ氏も言及しています(第8章)。軍の暴走は満州事変(昭和6年)、五・一五事件(昭和7年)あたりから顕著に表面化してきたと思われるので、当時の世論と軍や政府、それに外国の関与が織り成したパワー力学を、国民全体がもっと検証することが必要と考えます。「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」 という言葉があるように、どんな形で危険が迫って来ても対応できるよう、戦争反対を叫ぶだけでなく、応用力を持っておくことが必要だと思うのです。先の大戦でなぜ戦争に至ったのか、根本を国民がしっかり考え、そうして研ぎ澄まされた敏感な民意こそが、国の方向を誤らないための最大の力になると思うからです。シモンズ氏は1章を割いて、日本の戦前の軍国化と米国の経済制裁によって日本が追い詰められていった事情を客観的に分析しており、その手がかりを与えてくれています。
私がかつて勤務していた会社は、1980年頃、中国の宝山製鉄所の建設に技術協力していました。日中国交正常化直後の国の方針に従ってのことと記憶しており、一方でブーメラン効果を心配したのを覚えていますが、今、想定以上の力となって返って来ています。今や中国は世界の鉄鋼(粗鋼)の50%以上(日本は5%)を生産するまでに成長し(世界国勢図会データ)、中国の経済力、軍事力の原動力となっています。
30年先まで見据えたグランドデザインを描けというのは難しいことかも知れませんが、これも国家戦略という大きな意味で戦略的視点の1つと考えられます。
今回の翻訳に当たり本書は、前訳書で縦軸(時間軸)の訳をした私の使命だと思って取り組みました。
訳者 粟田 亨
原書 World War II at Sea : A Global History
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