死亡乳児131人 (事件発生後1年以内に限っての死亡)
中毒患者1万2159人
(1956年2月厚生省発表データによる最小限の数字 二次被害による死亡は除く)
被害者は死に続ける。
森永は生き続ける。
解決したかに見える公害事件の、その裏で、
積み残された多くの問題が拡大を続け、膿が腐臭を放っている。
声を上げられない重症被害者。
もの言う被害者・家族への暴言と抑圧支配のシステム。
被害者に心を寄せる国民への脅し。
マスコミや研究者の自由な活動への脅し。
「組織が謳う美名」の裏で蔓延する不正義。
政治イデオロギーはいつまで国民に隠れて不正を続けるのか?
その背景にはどんな力が働いているのか?
公害や薬害、人災が繰り返されるのはなぜか?
現代の私たちが今直面している危機を示唆する事象である。
「事件の風化と精神の荒廃に抗して、
事件の原点を永く社会に刻印することが、
被害者に託された道義的責任である」
--岡崎哲夫
(岡崎哲夫:元・森永ミルク中毒のこどもを守る会 全国本部 事務局長。
岡崎哲夫は「守る会」を創設した人物だが、1986年、現「守る会」組織から謀略的手法によって「除名」された)
急性ヒ素中毒症状で皮膚が黒色化し、お腹が風船のように膨らんだ赤ちゃん
事件発生直後のニュース映像
ひろがる粉ミルク中毒事件(昭和30年8月31日) -
日本映画新社・朝日ニュース昭和映像ブログ
http://j-footage.vox.com/library/video/6a00d41420c1f0685e00e3989d9a780002.html
(現在:配信停止中)
生まれたばかりの乳児の口に入る
粉ミルクに猛毒のヒ素(砒素)が混入。
高度成長への入り口で起こった悲劇
猛毒のヒ素が混入されたMF印粉ミルク缶の実物(資料館所蔵)
人類史上最大・最悪の乳幼児大量毒殺事件。
一度傷つけられた子供は元には戻らない。
岡山市表町でデモ行進する被害者の親達
事件発生後、14年間にわたる被害者圧殺と
親達の不屈の闘い。
前人未到の「恒久救済対策」を求めて闘う
「森永ミルク中毒のこどもを守る会」
恒久救済がスタートした途端の、
運動指導者の親たちへ迫害と「除名」攻撃。
なぜ日本ではこのようなことが続くのか?
背景に何が存在するのか?
救済基金「財団法人 ひかり協会」を被害者の親が人権侵害で訴える(2003年)
【山陽新聞への被害者団体のコメント】
「男性に誤解があるので混乱を避けるため出席を遠慮してもらった」…。
平たく言うと「意見が違うものが来ると混乱するので出席させない」ということだろうか。このような見解をメディアに平然と公言すること自体、非常に不思議な感覚である。
おまけに、この被害者団体は、メディアに対しては「理解してもらえるよう粘り強く説明したい」とコメントしつつ、その後、この父親を「無期限
権利停止処分」にした。
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