森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 Museum of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident. A small part of the historical document archives. 歴史文書の原本公開 事件の発生、20年近い被害者圧殺、戦後最大の製品ボイコット・森永製品不売買運動、そして森永との一時的和解、その後の被害者団体への画策の開始、被害者団体の変質、運動創設者への除名排除攻撃、運営の改善を求める被害者家族への被害者団体による言論弾圧、森永乳業へ感謝を求められる被害者、森永乳業の繁栄を願うよう求められる被害者。国民の支持を得て獲得した成果から歴史的反省という要素を捨象する歪曲の動き…。実物資料をワンポイントで紹介。
(註1)資料館電子掲示板への投稿 第一審の裁判が森永無罪になったことを「悲劇の始まり」といっていますが、誰にとって「悲劇」かは患者ではないのです。森永にとって「悲劇」だったといっています。「無罪」と判決を下した裁判に責任を転嫁しています。次に「後遺症がある」という訴えが、ダンボール箱三杯も届いているのに、それを読んだ「中間管理職」が握りつぶしたことにしています。そんな無責任なことができるかどうか、常識で考えればわかるとおもいます。ただ大野社長は知らなかったことにしたいのです。このあとでは弁護士N氏が大野社長の死に際して「ひかり協会の発案で守る会から感謝状」を大野氏の遺族におくったことを(本当かどうか知りませんが)披露しています。最後は「厚生省との決別」についてですが、「ある時期」とはいつをさすのでしょう。散々厚生省に守られてきて「潰れる」ことから逃れてきたのに、「ある時期」は未来をさしているのかもしれません。いまも「三者会談」が毎年つづけられ、「三者会談推進委員会」は年4回、合わせて年5回は顔を合わせています。そこで「恒久対策案」の後退を言い出さない厚労省に今でも守られているのですが、それはどうなんだ、と聞きたいものです。 ---------------------------------------------------------------------- 森永ヒ素ミルク中毒事件の概要は、以下の文献、当サイトの学術論文アーカイブからも、ご覧頂けます。 ↓現在の問題点にまで踏み込んだ能瀬英太郎氏のレポート ↓能瀬レポート 英語版 (Nose Report) 表向き「公正中立」を偽装して登場した「第三者委員会」が、被害者を無視して 勝手に作った不正な「診断基準」。その文中に使われた「原病」という表現に ついての解説つき。↓ 能瀬レポート日英対訳版 まだ解決を見ない日本の戦後初の産業公害 PDF:136KB (著作権Free: 英語教育の教材等ご自由にコピーしてお使い下さい。) (日本における第三者委員会方式は森永事件以降、常用され、水俣病でも被害の隠蔽に活用されるようになるという要注意なもの。) ↓救済システムでの問題発生を学術的視点からすでに予期している秀逸な論文。 総目次ページへ戻る トップページへ戻る |